ぜんたーい、止まれ!
荒巻健太郎は、ごく普通の体育主任である。
毎日ライン引きで運動場に白線を書き、毎日体育館の施錠がちゃんとしてあるか確認する、齢39の体育主任である。
今日も今日とて、学年通信に載せる学校からプールが消えることを寂しく思うという記事を仕上げたあと、行きつけのコンビニで白い靴下と鼻毛カッターを買って家路についていた―――のだが。
キイィイ!!キ――――イイイイイイイ!!!
ドガ――――――――――――ん!!
ぐわしゃぁああ!!
ぶちゅ。
真っ白な空間。
荒巻健太郎の魂と…、女神が対面している。
「荒巻健太郎さん、あなたは気の毒ですが人生を終えてしまいました。転生してもらいます」
「はあ」
「あなたにはチートをお一つ差し上げます。ステータスをご確認ください。」
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荒巻健太郎(39)
レベル19
称号:転生者
保有スキル:ぜんたーい、止まれ!
HP:89
MP:3
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「というわけで、いきなり草原に放り出されたぞ、どうなっている!こういう素っ頓狂なやり方がいかんのだ!」
べよん、べよん。
水色の、ぶよぶよした丸い塊が…体育主任の前に現れた!
「スライムだとぅ?!武器も何もないのにどういうつもりだ!責任者出て来い!!」
うろたえない、体育主任。
「はー、自分でどうにかするしかないようだ。保有スキル?これを使えばいいという事なんだろう。《ぜんたーい、止まれ》?なんだこれは!」
スライムは怒りまくっている体育主任を見て、なんか大切な部分が縮こまったような気がした!
なにかとんでもないことが起きる前に立ち去った方が良さそうだ…そう思ってそろそろと移動を始めた。
「…お前!!規律を乱すな!!他の者たちはキチンと止まっているだろう!!周りを見ろ!自分勝手な行動をするんじゃない!」
なんと、いつの間にかスライムのまわりにはほかのモンスターたちが並んでいる!
デカいのも小さいのも丸いのも尖ったのも骨も幽霊も草も泥も半分魚も耳の長いのも鼻が長いのも機械も…等間隔で直立している!
「よーし、じゃあ全員でそろって前進だ!歩数はもちろん、歩幅も揃えろ!!《ぜんたーい、進め!》」
体育主任はそんなスキルを保有していない!!
モンスターたちは自由気ままに動き出した。
誰かが体育主任を弾き飛ばしたあと、誰かが飲みこんだようだが…真相はよくわからない。
「う、うーん???なんか夢でも見ていたような??」
体育主任は時間を巻き戻されて、コンビニの入り口前に立っていた。
コンビニの入り口前で立ち止まる前に、ちょっとだけ時空がゆがんだのだが…、それに気づく様子はない。
体育主任はコンビニで白い靴下と鼻毛カッターを買って家路についた。
家の近くの交差点で、車の暴走事故が発生していた。
「もう少し早く通りかかっていたら…秋の日程調整ができなくなるところだったかもしれんな、副主任ではまだ回せそうにないし」
体育主任は、仲のいい家庭科部の先生に融通を利かせてしまったことで一部の教師から嫌われたりもしましたが、キッチリ怒ってしっかり褒めて過ぎたことは振り返らずに前を向く姿勢が生徒たちに好かれて厚い信頼を得ることになり、先生のような教師になりたいという生徒を何人も送り出し、教師になって戻ってきた元生徒に嫌われたりしつつ定年まで勤めあげ、町内会の運動会で開会宣言をするのが楽しみだと笑った翌月に家の中で転倒し長く入院生活を続けて、退院することなく73歳でこの世を去ったとのことです。