ハミガキじょーずかな?
寺下浩二は、ごく普通の歯を磨かない人である。
毎日洗口液を使い、毎日洗面所でそういえば最近歯磨きしてねえなと思う、齢26の歯を磨かない人である。
今日も今日とて、会社の集団検診で歯茎が腫れぼったいので歯ブラシでやさしく磨くようにしてくださいねというアドバイスをサラッと聞き流した後、行きつけのコンビニで歯磨きガムとミントタブレットを買って家路についていた―――のだが。
キイィイ!!キ――――イイイイイイイ!!!
ドガ――――――――――――ん!!
ぐわしゃぁああ!!
ぶちゅ。
真っ白な空間。
寺下浩二の魂と…、女神が対面している。
「寺下浩二さん、あなたは気の毒ですが人生を終えてしまいました。転生してもらいます」
「はあ」
「あなたにはチートをお一つ差し上げます。ステータスをご確認ください」
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寺下浩二(26)
レベル3
称号:転生者
保有スキル:ハミガキじょーずかな?
HP:9
MP:11
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「というわけで…、いきなり草原…、すげー、なんもねえー」
べよん、べよん。
水色の、ぶよぶよした丸い塊が…歯を磨かない人の前に現れた!
「スライム?武器も何もないのにまじか…」
うろたえる、歯を磨かない人。
「そうだ、保有スキルが…《ハミガキじょーずかな?》なに、これ?上手もくそも…大人だし」
うばほん!
極細毛コンパクトヘッドタイプの歯ブラシが出てきた!
スライムは何が始まるのかと注意深く見守り始めた。
「ちょ…これで歯を磨けって?歯磨き粉ないじゃん、キモっ…」
うばほん!
ごく一般的なチューブタイプの歯磨き粉が出てきた!
「水道もないのに磨けねーっつーの…」
うばほん!
鏡付きの洗面台(フェイスタオル付)が出てきた!
「何これ、どういう仕組み?すげー、配管もないのに水が出てくる…どうしても歯磨きをさせたいらしい…?もー、なんなんだよ、いったい。ハイハイ、磨きゃいいんだろ、磨きゃあ…」
歯を磨かない人は、水出しっぱなし、歯磨き粉のチューブのふたも開けっぱなしでヤケクソ気味に歯磨きを始めた。
ざっしゅざっしゅ!!
ブクブク、ペー!!
フコフコのタオルで口元を拭った歯を磨かない人は、鏡の前でイーッとした。
「うわ、歯ぐきから血ぃ出てんじゃん、キモ!!」
ブクブク、ペー!!
「やべ、血ぃとまんねえじゃん…だから歯磨きなんてするもんじゃねーんだよ。マウスウォッシュ一択だっつーの、マジでさあ…」
プぅ~ん…
どこからともなく、血の匂いを嗅ぎつけた殺人モスキートが集まって来たぞ!!
「ッ、うは?!ナニこの…蚊?!キモっ、こっちくんな、待て、違う、俺は…うそだろこんな…げほ、ごぼっ…」
夥しい数の蚊に集られた歯を磨かない人は、黒い霞を纏いながら呼吸困難に陥り絶命した。
スライムはモヤモヤしている黒っぽい塊をまる飲みした。
のどの奥の方で、ほんのりスーッとしたミントの香りを感じたらしい。
「う、うーん???なんか夢でも見ていたような??」
歯を磨かない人は時間を巻き戻されて、コンビニの入り口に立っていた。
コンビニの入り口のところで立ち止まる前に、ちょっとだけ時空がゆがんだのだが…、それに気づく様子はない。
歯を磨かない人はコンビニで歯磨きガムとミントタブレットを買って家路についた。
家の近くの交差点で、車の暴走事故が発生していた。
「キモ、もうちょっと早く通りかかってたらぶちゅってなってたんじゃね?」
歯を磨かない人は、歯を磨かないわりに虫歯ひとつない歯を維持し続けていましたが、50を超えたあたりから急激に歯のトラブルに見舞われ始め、毎週のように歯医者に通うようになったものの60になる頃には総入れ歯となり、孫娘にお風呂に浸かりながらお湯で入れ歯を磨くのはやめてよと怒られたりしながらマイペースに暮らし続け、78になったあたりから歯もないのに歯磨きをするようになって、施設に入所してからも隙あらば歯磨きをしようと試みヘルパーさんたちを驚かせたりしつつ、86歳でこの世を去ったとのことです。