それでは授業を始めます
加藤順一は、ごく普通の元国語教師である。
毎日家庭菜園の草花に水をやり、毎日自治体関連の電話を受けて対応する、齢71の元国語教師である。
今日も今日とて、近所に住んでいるやらかしがちな一家に回覧板用の地域サロン開催のお知らせを持っていったあと、行きつけのコンビニで南木曽の美味しい水とたまごドーナツを買って家路についていた―――のだが。
キー!!キキキキキ!!!
ドガ――――――――――――ん!!
ぐわしゃぁああ!!
ぶちゅ。
真っ白な空間。
加藤順一の魂と…、女神が対面している。
「加藤順一さん、あなたは気の毒ですが人生を終えてしまいました。転生してもらいます」
「はい」
「あなたにはチートをお一つ差し上げます。ステータスをご確認ください」
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加藤順一(72)
レベル32
称号:転生者
保有スキル:それでは授業を始めます
HP:8
MP:60
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「これがはるちゃんとこのお母ちゃんが言っていた最近流行りの【異世界転生】というやつか…うーん」
べよん、べよん。
水色の、ぶよぶよした丸い塊が…元国語教師の前に現れた!
「今はこういうお化けが流行っているんだね、昔は首が長いのとかが多かったんだけど」
落ち着いてうろたえる、元国語教師。
「ええっと、保有スキルを確認しておこうか、《それでは授業を始めます?》ちょっと待ってよ、僕が先生だったのは、もう10年以上も前のことなんだよ?」
うばほん!
教室が出てきたぞ!
国語ってどんな授業なんだろ、なんかワクワクする!!
スライムは自分の席について、元国語教師の言葉を聞く姿勢をとった!!
「これはどういう仕組みなの?この教室は…本多良高校だね。僕がいた頃は荒れていたのに、最近はずいぶん大人しい生徒が増えたんだよ。この前モルック大会の会場探しで久しぶりに行ったんだけどさあ、みんな丁寧に制服を着用してにこやかに挨拶してくれるの。あんなに眼光凄まじい様子でこちらを睨みつけていた生徒があふれていたのにってね、僕、心から驚いちゃって。昔は戦ったり防御したりする体力がないととても教師なんて続けられなかったんだけどね、今はいいねえ、対話することができるもん。話をちゃんと聞いてくれる生徒さんがね…」
スライムはいつ授業が始まるんだろうと思っている。
というか、もしかしてもうすでに授業始まってるのかな…。
困惑しながらも、大人しく様子をうかがうスライム。
「それにしてもここはのどかだねぇ、天然の芝生がいいよ、誰かが刈っているのかな?僕が初めて赴任した加味小はね、掃除の時間に子どもたちに芝刈り機で刈らせていたんだよ、危ないよね。案の定やんちゃな子供が遊んでね、一年生が大怪我しちゃってさあ、僕の指導の先生が退職するわ地主様が孫のために雑草一本生えない人工芝の広場作るわでね、うん、大変だったよ?今でも当時の話は学校教育委員会で…」
興味のない話を聞かされて疲れてきたスライムは、眠くなってきた。
はじめのうちは我慢していたが、堪えきれずに大あくびをしてしまったスライム。
ふにゅ、ふにゅ…みにゅ、むにゅっ……もぐ。
…うん?
しまったー!
うっかり元国語教師セット、飲み込んじゃった…。
…ま、いっか!
スライムは無言でその場を立ち去った。
「う、うーん???なんか夢でも見ていたような??」
元国語教師は、時間を巻き戻されてコンビニの入り口に立っていた。
コンビニの入り口のところで立ち止まる前に、ちょっとだけ時空がゆがんだのだが…、それに気づく様子はない。
元国語教師は、コンビニで南木曽の美味しい水とたまごドーナツを買って家路についた。
家の近くの交差点で、車の暴走事故が発生していた。
「ほら、僕絶対にこうなると思ってたの!横断歩道だけじゃ命は守れない世の中になっちゃったんだね、早く市議会議員の林さんに動いてもらお…あ、もしもし?加藤です、あのね今いい?雅之さんちの横の交差点なんだけど…」
元国語教師は、癒し系のまったりした口調でのんびりガッツリおしゃべりをするクセが少々厄介ではあったものの、長く町内会のご意見番として絶大な信頼を寄せられ、しょうもない事で醜く争う老害どもを言葉巧みになだめて丸くおさめ続けていましたが、80歳で総入れ歯にしてからは滑舌が悪くなってしまい、周りの人たちから適当な返事しかもらえなくなって凹んだりしつつ、朗らかな人柄をキープしたまま89歳で穏やかにこの世を去ったそうです。