37 先入観
爽快な空気に乗って、気分のいい風も太陽の柔らかい日差しさえ、楓の緊張をほぐせなかった。
乗馬を楽しんでいる最中に、凄い寒気が襲われて何となく、そっちの方向へむいてみれば。
やせて貧相な体つきの男が、ひっそりと馬の絵を鉛筆で描いていた。
私は少しだけ男をみつめ、唇を引き締めた。
「ハンス、ちょっと」
「はい?」
ハンスを呼ぶと、先ほど興奮していた馬を見つめていたので、こちらを笑顔で振り返った。
「すまないが、降りたいんだ」
「はい、手綱を私が持ちますね」
ハンスは歩いて私の馬に近づくと、手綱をもって馬が動かないようにしてくれた。
馬は大きいから、降りるのもコツがいる。ハンスが片手は手綱をもって、もう片手は私の手を持ち降りるのを手伝ってくれたので安全に地上に降りる。サンキュー。
「少しだけ、この子を頼む」
ハンスに自分が乗せてもらっていた馬を預けると、ハンスの返答を待たずに数メートル先の柵に体を預けて絵を描き続けている男へ近づいていく。
「こんにちは」
ちょっと猫撫で声を使って、絵を描いている男に話しかける。
男はビクッとして、こちらを凝視した。持っている絵を自分の体に押し付けて私から隠すように抱きしめた。
とりあえず、「お前!霧にとり憑かれているだろう!?白状しろ!!」なんつーて言えるわけない。ヒバリとハンスに抑えられて医者の前に連れて行かれるだけよ。
男の名前と顔を知れれば今は上々、100%の確立でこの人が原罪の霧に憑かれている確証もない。
ただ私が偶然に感じた、霧らしい気配がした方向にたまたまいたのだ。気になってしまう。
突然に私が話しかけたので、少しばかりの間を置いてまた話しかける。
「こんにちは、絵を描いているのですか?」
ニッコリ、営業的なスマイルを顔にのせて相手に見せてみた。内心「怖くないよ~おいで~」みたいな野良猫に警戒されないように近づく心境でも顔には出さない。
「あ……の、その……」
顔を上げた男は言葉を捜し楓に返答するが、楓の笑みを見てまた俯き、上手く口から言葉をだせない。
すぐさま、楓は心のメモに口下手……人見知りかもしれないと付け加えた。
一度こちらを見上げたので男の顔を、楓は拝見できた。顔はやっぱり痩せ型でお世辞にも美形とは言いがたく。言葉は悪いが、性転換する前の楓と同じく平凡的な人間。
私が庶民Aなら、この人は庶民Bの称号を授けよう。
私が見つめていると直ぐに顔を逸らした為、やっぱり社交的じゃないのかもしれない。
「俺は新井 楓です、よろしくお願いします」
男が戸惑っているのを分かった上で楓は自分本位に会話を進めていく。だってこの人から会話のキャッチボールしたくても、遅いんだもん。
自分の持ちうる全ての力を使って、好意的に笑ってみた。
だがしかし、現実は悲しいものだ。男は立ち上がると。
「すみません……ッ」
細い声で一言だけ残すと、絵を抱えたまま走っていってしまった。私が握手をしようと伸ばした手は如何してくれるのだね?
…………あ~あ、失敗しちゃった………。
残念そうにしていた楓は、手を下ろす。もしかしたら「原罪の霧」に関するヒントがあったかもしれない。逃した魚は小さくないぞ。
しかし、そう思っているのは楓本人だけだ。
第三者から冷静に、今の状況を分析してみよう。
気の弱そうな男性が、誰の干渉も受けずにひっそりと1人で絵を描いている状態から、彼が他人とコミュニケーションを上手く取れないと印象を受けてもいい。
そこに楓が声をかけたら緊張するに決まっている。しかも優しげな声で。
楓は毎日鏡を見ているのだろうか?黒く傷みもない艶のある絹の黒髪は、梳かせば指で髪が踊るほど美しくサラサラした髪を風で揺らし、顔の構造など勿論のこと人体の構造ごと。
彼は黄金比で出来たような容姿をしている。
顔だけではなく、手足の長さバランス。どれをとっても欠点など無い。
これ以上に美しい人を見たことはない、それは断言できる。神でも悪魔であろうとも彼をみつめると目が離せなくなってしまう。
黙っていてもそれだけの魅力があるのだ、楓には。
ハンスは一歩遠くで、楓と男のやりとりを黙って見届けていた。
自分が愛した者への贔屓を除いても、そうだと言い切ってやる。特に名前はうろ覚えになってしまったが(興味がないのもは端から消去していく)馬來……だったか?その上級生を追い詰めた時の楓は背筋が凍るほどにゾクゾクさせた。
褒められた話ではないが、多分2人っきりであの顔をされると理性を保つ自信はない。
スケッチブックを抱えて小さくなる男の背中から、ハンスは視線を楓に戻し。十中八九、自分が予想したとおりの結末に口元を緩ませた。
痩せた男の代わりに、先ほどまで暴れていた馬に乗っていた若いスタッフがヘルメットを脱いでから入れ替わるように楓とハンスに歩いて近づいてきた。
「先ほどは申し訳ありませんでした」
ペコリと、深く頭を下ろして楓とハンスに侘びを入れる少年……いや、青年か?立派な体格と黒に近い紺色の乗馬専用のライディングジャケットを、きっちり着こなしているので年齢を判断する雰囲気がよく分からない。
髪は短髪でいかにも本よりは、運動をしていたいという感じがある。容姿もモデル並みではないのだけど親しみのある好青年だった。
大人っぽい十代といったところだ。顔も凛として謝罪をしている青年から誠意を感じた。
「いいえ、お互い怪我がなくてよかったです」
嫌味も悪意も見せない、完璧な笑みで青年にハンスは返す。
「加藤様のご友人とも知らずにお騒がせしてしまいました」
ハンスがもういいと、言っても青年はまだ申し訳なさそうだ。
「貴方は?」
今度はハンスの後ろにいた、楓は青年に名前を尋ねてみる。此処で働いているならば、あのスケッチブックを持っていた痩せた男の素性を知っている可能性が高い。
少し仲良くなってから訪ねてみようと思った。先ほど会話をした可憐な女性、秋里さんに尋ねてみてもよかったけどやっぱり目の前の青年の方が詳しそう。
「僕は加藤様が運営している乗馬クラブのスタッフ見習い、長谷川孝和です」
改めてペコッと頭を、下げた。
「へ~……随分若いのに此処で働いているだ」
楓は一度ハンスが綱を持っている先ほどまで乗っていたマダラ模様をした馬の首を撫でて、感心した声をだした。
「それほどでもないです、去年に専修学校を卒業したばかりなので働くって程、立派ではありません」
少しだけ、一人前に見られたテレから顔を赤くして自分の頭をかく。
「加藤氏の別荘で貴方は見かけなかったですね、ここの専属として働いているのですか?」
昨日と今日の朝に見かけなかった顔なので、ハンスが聞いてみたのだろう。長谷川は元気に「はい」と答えた。
「別荘と掛け持ちをしている者もいますが、僕は乗馬クラブだけを担当しています」
乗馬クラブで働けるのが誇らしいのか、満面の笑みだ。もうちょっと会話をしたかったがハンスが綱を持っている馬がブルルルっと小さく嘶く。
あの~退屈ですんで、乗らんのなら厩に帰してくれません?なんて顔をしている。
井戸端会議で母親が延々と続く会話に、いつ終わるのか待っている子供みたいで可愛い。
「ああ、僕が馬を厩に連れて行きます。先ほど凪史様がお2人を呼んで来て欲しいと言付けをいただいてました」
「そうですか」
ハンスは馬の手綱を長谷川へ渡す、大人しい馬二頭は素直に長谷川に従った。
「すみません、一ついいですか?」
楓が去ろうとしている長谷川を呼び止めた。
「はい、何か?」
長谷川は足を止めて、楓と向き合う。
「先ほどスケッチブックに絵を描いていた男性に声を掛けたんですが、走って行ってしまいました。俺は何か失礼な事をしたでしょうか?」
別にどんな理由があって私の側から離れた……なんて理由など興味は無い。ただ、彼の名前くらいは知っておきたい。もしかしたら彼は私の敵か標的かもしれないのだから。
「スケッチ……ああ、関ですね。気にしないでくださいアイツはいつも他人とは馴れ合わないんです。……不愉快にさせてしまったのですなら謝らせに連れてきますが?」
「いいえ、ただ少しだけ不思議に思っただけです」
楓は心で「名前ゲットだぜ!」っとガッツポーズをとった。
長谷川さんにお礼を述べた楓に、長谷川さんは最後に頭を下げて、厩へいく長谷川と馬二頭を見て、楓は小さくため息をついた。
まあ、焦ることはない。私が突っ走っても「原罪の霧」に最も詳しいファーロウがどんな検討を出すか分からないし。下手に立ち回って相手に感づかれるのも面白くない。
ファーロウと一度あってから動いても、きっと大丈夫……にしとこう。
私はハンス共々、凪史がいる場所まで歩いていった。用件はお昼だって。
お昼は、お肉たくさんのバーベキュー。
私は生きてきたのは19年ですが、まだまだ若者。肉を喰らうであります!!漲るであります!!
原罪の霧の断片を見つけ、警戒して気を張っていたのが嘘のように目の前のお肉様に釘付け。
ただのバーベキューと侮る無かれ、私はただ座っているだけで牛の骨つきスペアリブと野菜が鉄の皿で熱々の状態で差し出されてくる。
ジュ~っと肉の香ばしい匂い、スペアリブの特製ソースがお皿の上で焼ける音。
唾液が止まらんよ?
皆の席にスペアリブのバーベキューが配給し終わると、フォークとナイフを持って楽しいお昼が始まった。
***
お昼を食べた後も引き続き、乗馬を楽しみ。これまた一流の夕食をご馳走になった楓は汗を流すためにシャワーを浴び、自分にと用意された部屋の寝室にタオルで頭を拭きながら戻るとファーロウが猫の姿でベットの上に座っていた。
「お帰り」
今日は殆ど見かけなかったファーロウに楓は一言声を掛けた。ファーロウも。
『ただいまです』
「何か収穫はあった?」
ファーロウに今日の成果を聞いてみると、ファーロウは静かに首を横に振る。どうやら空振りで終わったらしい。
もう外は完全に日が落ち、今日は散々お馬と戯れさせてもらったんで早々に楓は自分の部屋に戻った。
ああ、またの内側に力を入れ過ぎた。明日には筋肉痛かも。
軟弱な自分に苦笑いをして、また頭をタオルで湿った部分を拭く。
『原罪の霧は他の霧か、肉体に融合すると強い反応をみせます。ですが普段は女神でないと存在を察するのは難しいのです』
猫の顔で重いため息をつくファーロウ。
へ~女神って言うと、ノア・レザンで女神の光喜君なら直ぐに見つけられたかもね。あっちはあっちで忙しそうなんで出来るかげりは自力で何とかしたい。
腐っても此方の方が年配者(いやな響き)なわけで、これ以上あの小さな少女……本当は少年の手を煩わせたくないのが本音。
それに今日のお昼ごろに感じた、あの違和感を聞いてみよう。
ファーロウにスケッチブックに馬の絵を描いていた、痩せた男の話をしてみる。
『フム、断定は出来ませんが……楓さんがそう感じたのでしたら捨てては置けませんね』
「でしょ?いかにもって顔してたもん」
ファーロウの隣に音を立ててベットに座った。振動でゆれるファーロウ、可愛い。
あの男の名前は確か、関さんだったな。あの人はあんまり周囲の人と溶け込んでいないらしく、長谷川さんもよく分からない人物らしい。謎が多い。
私の中では『原罪の霧』にとり憑かれている第一候補。彼と直接あって話せば馬來先輩がそうであったように、彼にもとり憑かれている時の不快感があるかも。
でも、彼は普段何処にいるんだろうか?長谷川さんに執拗に関さんに関する情報を聞きだしていると怪しまれるよー。
乗馬クラブで働いているのか、秋里さんみたいに別荘で働いているのか…それ位は調べたらよかった。
楓は試しに目をつぶってみる、自分の勘を働かせて関さんが何処にいるのか探ってみた。
暫し、自分の瞼の裏にある暗闇を見つめている。勘を働かせているとその奥に何かがある感触があるのだ。
言葉では説明しにくいけどさ、確かにあるんだよ。脳みそから出てくるイメージではない。でも何者かが呼びかけにこたえてくれる様に。
楓はハッと目を開き、ドアに向かった。
「ファーロウ!一緒に来て!」
慌ててドアのノブを回し、廊下へ出る。
この別荘の台所に関さんがいる、これは絶好のチャンスかもしれない。焦る気持ちを抑え、ファーロウを連れた楓は無駄に長い廊下と、無駄に大きい階段を進む。
楓は早歩きから、競歩が出来そうな駆け足一歩手前までのスピードで凪史の別荘の台所へ移動していく、何故だがモタモタしていると関さんはどっかへ行くって私の勘が囁いていた。
台所のドアに手を掛けているとカギはかかっておらず、中へ入る。
大きなお皿を持っている関さんと、女性の後ろ姿。いや、この人は秋里さんだ。
彼女が食事を担当しているらしいので、台所にいても妙ではないがどうして関さんがいるんだ?
「あら?何かしら新井様」
後ろの私に気がついた、秋里さんが振り返り私に笑顔で対応してくれる。
彼女の笑顔はこちらまで幸せにしてくれるのだけど、秋里さんにはもっと別の時間に会いたかった。
「ぼっぼっく……僕はこ……れで」
細い声で、呟くと。関さんは足早に台所の勝手口から大きなお皿に、数人分の食事を乗せて暗闇に消えていった。
楓は消えた暗闇を睨み、眉を顰めた。
挙動不審な態度が怪しい…何かを関さんは隠している。
それは私の勘でも『そうだ』と答えを出していた。
わ~、更新した小説の出来がやっつけ感まんさいなのに絶望している長毛種の猫です。
みなさんは夏休みですか?社会人の方は三連休の最後の一日ですか?充実した休息は取れましたか?
……そうですか、それは楽しそうですね。楽しい連休を楽しまれた様です。
はい?私ですか?はい勿論私も三連休……あるわけない!!!!
海の日?土日?普通に仕事だわさ!!
そんな長毛種の猫でした。例のごとく数日後にはおかしい文章を直したり、付け加えたりするので温かい目で見守ってください。
それでは、これから海や川に行かれる方は十分気をつけてください、ちょっとした油断が命取りです。体験者である私がそうでした(笑)
リアルに去年おぼれかけました(泣)
変なあとがきですみません、これからなんちゃって推理的な展開が続きますが次でとり憑かれた者の正体を暴きたいです。




