リーブルについていきたい!
翌朝、グライトは珍しく早い時間に目が覚めた。狙って起きようと思って起きたのではなく、不意にパッと目が開いてしまった。慣れない早起きに、頭が完全に働いておらず、彼はぼやけた目で部屋の周りを見渡す。
「グライト様、おはようございます」
「お、おはよう」
リーブルはグライトよりも早く起きていたようで、部屋着である白いパジャマから緑と白色のワンピースに着替えていた。
「こんな朝早くに起きられるのは珍しいですね」
「うん。何故か、急に目が覚めて起きちゃった」
「朝食の準備をしたいのはやまやまですが、わたくしはこれから家を出なければいけませんので……ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。俺がもっと昼まで寝とけばよかった話だし」
リーブルに謝られ、グライトはフォローを入れようとするも、意味のわからない返しをしてしまい、両者とも戸惑いの空気に包まれる。彼はいつもなら太陽が昇りきるまで寝ているため、リーブルが朝に何をしているのか知らなかった。
「リーブルは今から家を出るの?」
「はい、昼までには帰ってきますのでご安心を」
「そうかぁ、じゃあ俺は……」
グライトはそこまで言いかけて固まった。彼はこんなに朝早く起きることが無い。それゆえ、朝に起きてしまった自分は今から何をやればいいのかわからないのだ。
「グライト様?」
「リーブル、あのさ……その、俺も一緒に行ってはダメかな?」
だが、グライトの頭の中に1つの機転が回った。朝に何をすればいいのかわからないのなら、彼女についていけばわかるのではないかと。それに加え、小屋の外がどうなっているのか知るチャンスでもある。グライトの言葉に、リーブルは眉を顰める。
「ダメです。私が戻るまでグライト様は家にいてください」
「えっと、俺はその間何をすればいい?」
「薪を切ればいいのでは?」
「朝にそれやったら、昼にやることがなくなっちゃうよ」
「昼も薪を切りましょう」
「リーブル、本気で言ってるの……?」
「ええ、本気ですよ。何度も言いましたが外は―――」
「危険なのはわかってる、それでも出たいんだよ!」
「俺ずっと思ってたんだ、そんな危ない所に君1人で行かせていることを。俺だけ何も知らずに家で過ごしているのはとても……胸が痛いんだ」
言い終わると、グライトは知らないうちに少し声を荒げていたことに気づき、頭の奥がサーッと冷えていくのを感じた。彼が想いをここまで出して、リーブルに逆らったのは初めてだった。昨日湧いた「外を見てみたい」という純粋な興奮が、彼を変えたのだろうか。
「――わかりました」
「だよな、やっぱり……えっ?」
「森の中までだったらそこまで危険ではないでしょうし、何かありましたら私が側にいますので」
「ほ、本当にいいの?」
「あくまで、出るのは森の中までですよ? 森の外はぜっったいにダメですから」
「それでもいいんだ、俺もすぐに出る準備をする。待っててくれ」
「はぁ……」
不安そうに見つめるリーブルをよそに、グライトは目を生き生きと輝かせていた。部屋と庭の景色しか見ていなかった彼にとって、森の中に行くのも初めてだった。桶に入った水で顔を洗い、パジャマから動きやすいベストとズボンに着替える。初めての外に、グライトは動きをそわそわさせ、顔のニヤニヤが止まらなかった。
「よし、準備できたよ!」
「グライト様、落ち着いてください」
「冷静にならないと、森の中でこけますよ」
「わかった! 落ち着く!」
「本当に大丈夫でしょうか……?」
グライトはドアノブに手をかけ、家の外へと出る。彼は何度も庭へと出ているが、朝の薄暗い景色と冷たい風でいつもと違う雰囲気を感じ取った。それと同時に、まるで彼らの外出を歓迎するかのように、風はラッパのように鳴り流れ、どこからか動物の遠吠えが聞こえた。
「寒くないですか? もう少し着込んだほうが……」
「いや、これぐらいの寒さがちょうどいい」
「そうですか。では、行きましょう」
「お手を。私のそばを離れないでください」
「わかってるよ、リーブル」
青年は少女の手を取り、彼らは森の中へと歩み始めた。
*
森の空気、木々の間から差し込む光、葉っぱに着いた朝露。目に映るもの全てが新鮮に思えるグライトは、首をキョロキョロと動かし、少しでも気になることがあれば「あれは何?」、「これは何?」とリーブルに尋ねた。
「リーブル、木に付いているあの赤いのは何?」
「あれは林檎ですね。皮をむいて食べると甘くて美味しいですよ」
「食べてみますか?」
「食べてみたい!」
リーブルは背伸びして木からぶら下がっている林檎を摘むと、汚れを払いのけて彼に手渡す。グライトはいきなり手渡された林檎に困惑するも、宝石のような赤い果実にかぶりついた。彼の口の中で、芳醇な香りと甘さが広がり、次に2口、3口と勢いよく食べ進める。
「おいひい! リーブル、これとてもおいひいよ!」
「そうですか。ふふっ」
「どうひたの?」
「いえ、口いっぱいに頬張っているグライト様がおもしろくて……」
リーブルは口を隠して笑っているが、グライトはなにがそんな可笑しいのかわかっていない。でも、彼女が楽しそうなので、彼も自然と口角が上がっていた。林檎を食べ終わり、二人はどんどん森の中を歩く。歩きながら、リーブルは目についた山草やキノコを、グライトが持っているカゴに入れていく。
「すごいなぁ」
「え? どうかされましたか?」
「いやぁ、本当にキノコとかアスパラが地面から生えてるんだなって思ってさ」
「信じていなかったわけじゃないけど、リーブルの話からしか聞いたことなかったから」
「こうやって、ちゃんと見ると面白いや」
「楽しそうでなによりです」
いつも食べている野菜たちが、大地に根を張って生きている。キノコも、アスパラも、ジャガイモも、グライトにとっては同居人のように親近感を感じていた。
「リーブル、そういえばさ」
「はい、何でしょう?」
「お肉はどこに生えてるの? いろいろ見渡してるけど全然見つからなくて」
「…………」
「リーブル?」
「……お肉は森の外の方に生えてますね」
「そうかぁ、どんな風に生えているか見てみたいんだけどなぁ」
肉が地面から生えているわけがない。彼はリーブルから「お肉は地面から生えている」と教えられたことをしっかり信じている。彼はお肉が地面から生えており、成長しきるとそれらは鳥や、牛といった動物になると思い込んでいる。
グライトは、生と死の境界線を知らない。
「グライト様、お昼が近づいてきましたし、そろそろ帰りましょう」
「えー、もうちょっと見て回りたい」
「でも、お腹すいたでしょう?」
リーブルがグライトのお腹を見つめると、グライトのお腹からぐぅ~と情けない音が鳴った。グライトは顔を赤面させ、アハハ……とはにかむ。
「昼は先ほど採った野菜でポトフをご用意しますね」
「やったぁ、楽しみにしておくよ」
二人は手をつなぎながら歩いてきた道を戻る。グライトは森の中を再度見渡しながら「外は全然危なくないじゃないか」と心の中で結論付け、同時になぜ、リーブルは家の外を危ないと言っているのだろうかという疑問が生じた。
そもそも、彼女が言う「危険」とは何なのだろう?
その時、グライトは視界の端で奇怪な物を捉えた。
「ん?」
「リーブル、あれは何?」
グライトは木々の隙間から見えてしまったものを指さす。ソレは、彼らが立っている場所から遠く離れたところにあり、自分たちが住んでいる小屋より大きい家が規則的に立ち並んでいた。リーブルは振り返って、彼が指さすところを見ると目を細めた。
「グライト様、あれは………街、ですね」
「マチ?」
「人がいっぱい住んでいる場所です」
「そうなんだ、俺たち以外の人が住んでる場所かぁ」
「もしかして、父や母もあそこに「グライト様、帰りますよ」
「え、ちょっ、リーブル痛いよ」
リーブルはそれ以上何も言わなかった。つないでいる彼女の手の力が強くて、グライトは歩いているより引っ張られている感じがした。まるで、「マチ」とやらをこれ以上見せないようにその場から足早に離れていく。
引っ張られながらもグライトは首だけ振り返る。
そこにはもうマチの姿はなかった。