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五つ葉のクローバーが見たい!

 青年は、本を閉じた。そしてふと一言。


「―――明日、家を出て外にでかけようと思う」


「はい?」


 青年、グライトは持っていた本を何も入っていない本棚に立てかけ、手に着いた埃をパッパッと叩き落とした。彼の妻であるリーブルはティーポットからカップに紅茶を注いでいる途中だったが、彼の言葉を聞いた途端、手を止めてグライトを見つめる。


「本に書いていたんだ。どうやら、この世界のどこかに五つ葉のクローバーなるものがあるらしい」

「普段は三つしか葉が付いていないのに、五つも葉がついているソレは持ち主を幸せに導くと......」


 グライトは大半の文字が読めない。初めて見た本の内容でかろうじて理解できた部分は『五つ葉のクローバー』の項だけであった。しかし、その内容はグライトを突き動かすには十分すぎる内容だった。


「そうでございますか。では明日、わたくしがグライト様の代わりに五つのクローバーを取ってきます」


「いや、俺が取ってくる」


「なぜですか?」


「君にクローバーをあげたいからだ」

 

 彼はテーブルに置かれた茶を一口だけ啜る。

 グライトは生まれてこのかた、森を出たことが無かった。いや、正確には家の庭から出たことが無い。家の家事、食料などはリーブルがすべてこなしていたので特に不自由が無かった。しいて言えば、暖炉をくべるための薪を切ることぐらいしかやったことがない。そんな彼が森の外に出たいと言い出したのだ。


「グライト様、お気持ちは嬉しいですが森の外は危ないのであなたは出てはいけません」


「しかし、俺は君に対して何もしていないのだ。君は毎日パンと肉を採ってきてくれるが、俺は、俺は何も......」


「私はグライト様の役に立てて嬉しいのです。見返りは特に求めていません」


「何もクローバーを取りに行くわけじゃない。俺は森の外を知りたいんだ、そうすればいつか父や母に会えるかもしれないじゃないか」


「グライト様のお父上とお母上はじきに帰ってきますので、あなたは家でお迎えした方がいいかと」


「リーブル......」


 グライトは父と母の顔を知らなかった。物心つく頃には森の家の中にいて、自分の妻と名乗るリーブルと長年暮らしている。記憶に残っている程度だと、もう10回は冬を越しただろう。去年の冬を越した時、グライトは言いようのない不安に襲われたのだ。「このままでいいのか」と。


 リーブルはとても良くできた女性だ、といってもグライトは彼女以外の女性を知らないが。リーブルの金色の髪は太陽の光よりも輝いており、すらっとした高い鼻は飾っている人形にも負けていない。長年一緒に暮らしていても、彼女の秀麗端正な顔立ちは未だに見惚れて止まってしまう時があるほどだ。それに加え、彼女の手料理は非常に美味しく、グライトは彼女の手料理を1回も残したことが無い。


しかし、そんな彼女がいてもなお、一度湧いた不安は拭えなかった。


「グライト様、そろそろご夕食の準備を致します。何が食べたいですか?」


「五つ葉のクローバー」


「グライト様」


「シ、シチューかな」


 そんな不安でモヤモヤしたグライトにとって、昨夜の豪雨で飛ばされてきた本はまさに僥倖であったのだ。断片的であっても彼は森の外の情報に衝撃を受け、うずうずと興味がとめどなく溢れてくるようになった。


「薪を切ってくるよ」


「ありがとうございます」


 家の外に出ると、日は落ちており肌寒い風がグライトを撫でた。冬を越したとはいえ、春まではまだまだである。冷えた手で斧を握り、庭で一本一本薪を縦に割り切っていく。パキッパキッと、薪が割れる音があたりに広がり、やがて消えていく。10本ほど割ったところでグライトは顔を上げた。


「......なぜ、自分はここにいるのだろうか」


 リーブルはいつか父と母が家に帰ってくると何度言っているが、それは自分が家にいなければならない理由になるのだろうか。なぜ会いに行っていけないのか、なぜ森の外へ行ってはいけないのか、わからない。家の周りは木々で囲まれており、夜になると一層暗くなって向こう側が見えない。一歩、さらに一歩と、彼の体は木々の方へと向かって動いていく。


「危ない言いつつも、リーブルは外に出てるじゃないか」


 グライトは長年、彼女と暮らしているが、実のところリーブルの事をあまり知らない。いつ結婚したのかも覚えていない。彼女が自分の周りを整えてくれるのには感謝しているが、グライトは時々リーブルのことが怖いと感じるのだ。


「グライト様」


 後ろから声をかけられ、グライトは急いで振り向いた。そこにはリーブルがランプを持って立っているではないか。


「ご夕食の用意が出来ましたのでお戻りください。それに、夜は冷えますので」


「あ、ありがとう」


「森の外は危ないです。行くところではありません」


「ちょっとだけ出るっていうのもダメか?」


「ダメです」


 グライトはため息をつき、割った薪を抱え込んで中に入った。グライトはリーブルに逆らえない。というより、「逆らう」ということを知らない。家の中に入ると、温かいシチューの匂いが香ってきた。途端にグライトの口の中は涎で一杯になり、森の外の事など頭の中から消えていく。


「シチュー、美味しそうだなぁ」



 こうして彼の1日が終わるのだ。


僕は森の中で一生暮らしたいですけどね

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