第95話 紺の王国軍帰還
赤の王国軍の撤退が見せかけで何かの策を仕掛けている可能性を考えて、ミュウ達は国境付近に軍を留めて警戒を続けたが、赤の王国にその気配が全くないことから黒の都への帰還を決めた。
白の聖王国や青の王国のような大国であれば、このまま敵軍を追撃し、赤の王国領のいくらかでも支配地とするところであったが、紺の王国にはまだそこまでの余裕はなかった。
ここ半年ほどで小国だった紺の王国は領土を当初の何倍にも広げており、それらの地域の管理と整備だけでも依然としてかなりの手間を要している。
また、国力増大に伴い、騎士階級の者以外の職業軍人を雇い入れる余力はできたものの、実際に戦力となる兵に育てるのには時間がかかる。侵攻に対する迎撃ならば既存の熟練兵を用いて対応できるが、隣国に攻め込むとなれば、交代要員や国に残す兵など単なる防衛時よりも多くの兵が必要となる。すでに国内整備が進み、多くの兵も擁している大国と、紺の王国とではそこが大きく異なっていた。
そのため、ミュウ達は、敵を追うことなく、以前から置いている国境警備の兵を残し、黒の都へと戻ってきた。
キッドはルルーやルイセと共に、黒の城へ帰ってくるミュウ達を出迎える。
「キッド!」
黒の城の城門を超え、中庭で大勢の出迎えの中からキッドの姿を見つけたミュウは、疲労の見えていた顔を綻ばせてキッドに駆け寄ると、そのまま飛びついた。
神速の踏み込みと比べるような速度ではなかったが、それでも元気溢れるミュウの勢いに、キッドはミュウを抱き止めたまま大きくふらつくが、なんとかこらえる。
「おかえり、ミュウ」
「ただいま! キッドこそおかえり!」
「相変わらずですね、ミュウさん」
ルイセの声に、ミュウはキッドの抱き着いている自分の状況を改めて認識し、照れながら体を離す。
「ルイセもお疲れ様。キッドの護衛ありがとうね」
「いえ、ミュウさんこそ、留守の間ありがとうございました」
ミュウはうなずくと、わざわざ出迎えに出てくれているルルーへと向き直る。
「ルルー王女も後方支援ありがとうございました」
「いえ、ミュウさん達のおかげで、今回補給の仕事はほとんどありませんでしたよ」
「でも、補給を気にせず全力で戦えたのはルルー王女のおかげです。なにしろ、ルルー王女の兵站術は私とキッドの直伝ですからね! 信頼しまくってますよ!」
ミュウの言葉にルルーは思わずはにかむ。
そんなルルー達のもとへ、ミュウに遅れて、ソードとエイミも近づいてきた。
「ルルー王女ただいま戻りました」
ソードとエイミは立ち止まると、ルルーにうやうやしく頭を下げる。
「ソードさん、エイミさん、お二人もお疲れさまでした」
ソードとエイミは顔を上げると、ルルーの隣のキッドとルイセへと顔を向ける。
「キッド、ルイセ、久しいな」
「ソードさん、体の方はもう問題ないのですか?」
まず口を開いたのはルイセだった。
「ああ。怪我の後遺症もなく、前より調子がいいくらいだ。ルイセの方こそ、折れた腕の方は大丈夫か?」
「ええ、私ももう大丈夫です。むしろ骨がより強固になったような気さえしています」
ラプトに怪我を負わされた者同士、ソードとラプトには何か通じ合うものがあった。また、互いに胸の内に、ラプトとの再戦の際には雪辱を果たさんとする気概を秘めてもいる。
「そういえば、今回、ラプトとはやりあったのか?」
対赤の王国においてルージュと共に、ラプトの存在は大きな懸念要素の一つである。ミュウの元気な様子を見る限り、してやられたということはないのだろうと思いつつ、キッドはミュウに尋ねる。
「剣も作り直したし、私はやる気満々だったんだけど、ラプトもルージュも前に出てこなくて、直接やりあう機会はなしだったよ」
ミュウは少し不満げだったが、キッドは胸を撫で下ろしていた。自分のいないところでミュウがラプトと戦うのは、信頼はしていても、やはり不安に感じてしまう。
そんなキッドのそばにエイミが寄ってくる。
「あなたが考えた小隊分散戦術によって、ルージュやラプトは、私達を見つけられなかったんでしょうね。私は視力強化の魔法でルージュを見ていたけど、悔しそうにしていたわよ。多分、彼女はあなたをことを探していたんじゃないかしら」
そう言ってエイミは少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「エイミ達がうまく小隊分散戦術を運用してくれたからだよ。竜王破斬撃なしでルージュを撃退するんだから、さすが帝国の魔女といったところだな」
「もう帝国はないんだから、その名前はやめてよね」
エイミ本人も元々その二つ名で呼ばれるのに気恥しさを感じていたのか、照れながら困惑するような表情を浮かべた。
だが、キッドは彼女の実力が決してその名に恥じないものであることを知っている。
(実際、この小隊分散戦術がうまく機能したのならエイミの功績は大きいはずだ。ミュウもソードも攻めの戦術指揮に関しては俺達の中でも特に秀でている。でも、個性の強い二人がそれぞれに指揮を執ればたちまちバランスは崩れ、小隊分散戦術は崩壊しかねない。かといって、二人が互いに個性を抑えてバランスを取り合えば、せっかくの強力な攻撃力が活かしきれない。二人が全力で攻撃指揮を執った上で戦術として成立していたのなら、潤滑油として全体のバランスを取れるエイミがいたからこそだろう)
キッドがいたのなら、キッド自身がそのエイミの役目を果たすつもりだった。だが、ルージュ率いる赤の王国軍をここまであっさり降せたというのなら、エイミはキッドと同等か、あるいはそれ以上にうまくその役目をこなしたということだ。
(帝国の魔女エイミ……もし今も黒の帝国が健在だったなら、彼女は黒の導士と呼ばれるようになっていたかもしれないな。……エイミもソードも、味方でよかった、本当に)
キッドは頼もしそうな目でエイミを見やった。
そんなキッドの視線を受けていたエイミは、ふいに表情を真剣なものに変える。
「それよりキッド、今回赤の王国軍は余力を残したまま引き上げたわ。何か考えがあってのことだと思う。……きっと、また近いうちに攻めてくるわよ」
「わかってる。こっちだっていつまでも攻められているだけのつもりはない。白の聖王国と同盟を成立させ、後方の憂いを断つ。そして、兵の育成や国内整備が終われば、今度は俺達の方から赤の王国に攻め込む番だ」
そう力強く言うと、キッドは皆の顔を順に見回した。
「そのためにはみんなの力が必要だ。これからも力を貸してくれ」
「当たり前じゃない」
「私はいつでもそのつもりです」
「もちろんだ」
「わかってるわよ」
皆の声を受け、キッドは最後にルルーに顔を向ける。
「ルルー王女、俺達がこの国を守ってみせますよ」
「はい、信じています! ……初めて会った時からずっと」
ルルーの顔に不安の色は微塵も見られない。
今のルルーには以前と違って心から頼れる味方が何人もいる。
そして、彼女はこの環境を作ってくれたのが誰なのかということもよくわかっている。
信頼だけではない感情のこもった瞳で、ルルーはその人を見つめた。
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