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第92話 キッドのいない戦場

 ルージュは決してキッドの不在を把握していたわけではなかった。

 だが、ルージュが再び紺の王国への侵攻を開始したのは、キッドとルイセが白の聖王国へ出向いている間のことだった。


 とは言え、ルージュとしては本来ならもっと早くに再侵攻に踏み切りたかった。

 第一次侵攻では、青の王国の動きを警戒した王都から撤退命令が下り、キッドの前で不様をさらしたまま引き下がる形になっている。

 ルージュとしては、青の王国の動きが赤の王国に向けてのものでなく、白の聖王国に対してのものであった時点で、すぐにでも本格的な侵攻を再開したかった。

 しかし、赤の王国の王宮内では、紺の王国攻めを推す派閥と、聖王国との戦いに力を()いている青の王国攻めを推す派閥とに分かれていた。

 紺の王国侵攻派の急先鋒はもちろん軍師ルージュ。一方で青の王国侵攻派の筆頭は宰相のゾルゲ。ルージュの再侵攻が遅くなったのも、王宮内でこの両者の争いがあったからだ。

 結果的には、ルージュが女王から篤い信頼を得ていることもあり、ルージュの意見が採用され、二度目の紺の王国攻めが許可された。

 とはいえ、いまだ国境周辺に多くの兵を配備している青の王国への備えとして、そちらに向けている兵は動員できず、宰相の配下の優秀な将を今回の再侵攻に連れていくこともできない。


「正直、今回の遠征軍の陣容は十分とは言えないわ」


「弱気だな」


 紺の王国への出兵を前に、自軍の兵を見てつぶやくルージュに、隣のラプトが顔を向ける。

 だが、ルージュの顔に悲壮感はまったくなかった。


「弱気? 馬鹿なことは言わないで。ようは、私が魔法でも戦術もキッドを上回ればいいだけのことよ」


 ルージュははるか遠く、キッドのいない紺の王国の方向を見て不敵に笑った。


◆ ◆ ◆ ◆


 赤の王国再侵攻の動きがあるとの情報がキッド不在の王都に届けられる、ルルーとミュウはすぐに王都の兵を連れて、黒紺領の黒の城へと向かった。

 ルルーもミュウも、キッドがいない状況では、使えるものはすべて使うつもりだった。

 ルルーは黒の城に残り、補給の任を担う。初めての実戦だったが、これまでの日々でルルーはキッドとミュウから補給のノウハウを学んでいた。もともと兵や兵糧の管理能力に長けているのか、ルルーは二人の知識や技術をみるみる吸収し、補給線維持の机上のシミュレーションにおいて、彼女はすでにキッドやミュウと渡り合うまでに成長していた。


「ルルー王女、私やキッドと演習でやりあった時のことを忘れないで。不測の事態も含めてすべて自分のコントロール下に置いてしまえば、恐れるものはないよ」


「わかっています、ミュウさん。後ろのことは心配しないでください。常に皆さんが全力で戦える状況は、私が作り続けます。キッドさん達が帰ってきたときに国土を失っていましたでは、二人に合わせる顔がありません」


「そうだね。私達じゃ留守も任せられないなんて思われるわけにはいかないよね」


 ルルーとミュウは見つめ合うと、互いにこぶしを突き出し、コツンと合わせる。

 二人ともキッドの前でいいところを見せたいという想いを常々持っているが、いない時こそ余計にみっともないところは見せられないと心の中で強く思っていた。

 そうして、補給線の指揮をルルーに任せ、ミュウはエイミ、ソードと共に兵達を連れて、赤の王国軍を迎え撃つために王都を出た。


◆ ◆ ◆ ◆


 国境付近の平原で両軍は対峙した。

 策を講じるような地形的要素はない。そこは、力と力、頭脳と頭脳の真っ向勝負となる戦場だった。


 ルージュは歩兵隊を前面に押し出す。

 だがそれは主力部隊と見せかけた囮部隊だった。竜王破斬撃への備えとして装備を厚くさせているが、その中身は新兵をも含めた二線級の兵達だ。

 ルージュは敢えてキッドに竜王破斬撃をその歩兵隊に撃たせるつもりだった。

 そして、魔力切れとなったキッドを、騎兵隊で両側から取り囲んで退路を潰し、その騎兵隊と共に攻め上がった魔力十分のルージュとラプトとでキッドを討つ。

 それがルージュの狙いだった。


「さぁ、出てきなさい、キッド! 調子に乗って出てきた時があなたの最後よ!」


 いまだ敵軍にキッドか不在であることを知らないルージュは、歩兵隊の後方で、騎兵隊と共に前に進みながらその機会を待ちわびる。


 だが、歩兵隊が紺の王国軍に近づいても、キッドが飛び出してくる気配はなかった。そもそも、キッドがいないのだから当然のことではあるが。


「……遅いわね。ギリギリまでタイミングを待つつもり? それならそれで構わないわ。そのパターンも計算に入れているもの」


 ルージュは、キッドを討つための騎兵隊に、キッドが現れる様々なパターンでの戦術を叩き込んでいた。この騎兵隊はルージュの直属の部隊であり、今回の質的に心許ない遠征軍の中では、最も優秀な部隊の一つだった。その実力に対する不安要素はルージュにはない。


「さあ、いつでもいいわよ! キッド、私の前に現れなさい!」


 しかし、ルージュの願い虚しく、ここにいないキッドが姿を現すことはない。

 その代わりに、紺の王国軍が動き出した。

 兵達は10人程度の小部隊に分かれると、無数とも思えるその小部隊が、それぞれが組織的な動きを取らずに、バラバラに攻め上がっていく。


「ルージュ、キッドが出てこず、かわりに兵達が出てきたぞ。これは想定になかったことだが、どうする?」


 ラプトの声に焦りはない。彼は戦術というものにはたいして興味を持っていない。彼はただ目の前の強敵を屠るのみ。だから不測の事態にもラプトは動揺しない。

 一方で、ラプトに視線を向けられたルージュの顔にも焦りはなかった。むしろ彼女は落胆したような表情を浮かべている。


「愚かな……。私はキッドという男を買いかぶっていたのかもしれないわね。私の竜王破斬撃を恐れ、このような浅はかな策を用いてくるなんて」


「浅はかなのか? これだけ兵に分散されては竜王破斬撃で効果範囲に入れられる数はわずかだ。効果的に見えるが?」


「これを浅はかと言わずになんと言うのよ。こんなに小部隊にわけてバラバラに動かしては、まともな指揮は執れないわ。烏合の衆と化した兵など恐るるに足らず。キッドを討つまでもなく、この戦い、私達の勝ちよ。一気に蹴散らしてくれるわ!」


 ルージュは共に上がっていた騎兵隊に突撃の命令を下す。さらに、伝令を出し、後方に控えていた主力歩兵隊を含んだ兵達に全軍攻撃の指示を伝えた。


「ラプト、私達は後方に下がるわよ。この勝負、もう私達が出るまでもないわ」


「……本当にそれでいいのか?」


 戦術には明るくないラプトだが、戦いの中にある匂いには敏感だった。

 彼は本能的に、紺の王国軍から漂うきなくさい匂いに気付いていた。


「ん? どうしたの? 何か気になることでも?」


 ラプトの言葉でルージュは改めて戦場の様子を集中して見やる。

 見れば、バラバラに動いてるように見えた紺の王国軍小隊が、歩兵隊の一番脆い部分に食いついている。攻め上がる時には流動的にバラバラに動いて見えた小隊だったが、いざ接敵すると、ほかの小隊もそこに集まり、組織的な陣形に切り替わっている。

 気づけば、ルージュの指示で上がった騎兵隊も四方から攻められ足を止めたところを、一気に押し潰されていた。


「ちょっと……なんなのよ、これ……」


 紺の王国軍の小隊の動きは一見バラバラでまとまりのないものに見えたが、下手に一箇所に集まらないという点ではむしろ組織的とも言える動きだった。そして、ルージュが仲間を巻き込むため竜王破斬撃が撃てなくなった接敵状態では、それまでの動きが嘘のように、小隊が集まり、組織だった攻撃陣形を組み立てている。


 それは白の聖王国でキッドがレリアナに提案した上策そのものだった。

 個々の小隊に状況を的確に判断できる小隊長を置き、さらに優秀な指揮官がそれぞれ分散し、移り変わる全体を見ながら小隊長に随時指示を下す。

 それは、この戦術に備えて訓練をしてきた兵達と、ミュウ、ソード、エイミという同じレベルで戦場を見渡すことができる複数の優れた指揮官を有する紺の王国軍だからこそできる戦いだった。


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