第91話 次の戦いへ
キッドを放したルイセは、さっきまで自分がしていたことを思い出し、人生で初めてと思えるほどに顔を赤くした。それをキッドに見られたくないと思ったルイセは、顔を隠すように後ろを向き、岩石の山を見るとなしに見る。
「……なんにしろ、無事でなによりです」
「ああ、ルイセこそ」
「私は……すみません。私がサーラをもっとしっかり抑えていれば……」
「いや、十分だよ。サーラはグレイを倒すほどの剣士だ。むしろサーラがあそこまで抑えてくれたからこそ、俺はルブルックと一対一で戦えたし、そして勝てたんだ」
「キッド君……」
サーラを抑えきれなかったことはルイセの胸に後悔の念として残っていた。あれがなければキッドを危険に晒すことなくもっと安全に勝てていたのではないかと、つい考えてしまう。しかし、気を遣った言葉だとしても、キッドの言葉で胸の奥に固まっていたものが解けていくようだった。かわりにルイセの胸の奥が無性に熱くなってくる。
「なんにしろ、これで青の導士というやっかいな相手との戦いも終わりですね」
ルイセは自分の感情をごまかすように話を変えた。
ルイセとしては、なんとはなしの話題だったが、話を振られたキッドの方は、ルイセの後ろで険しい表情を浮かべる。
「……そうだといいんだけどな」
思ってもいなかったキッドの低いトーンの渋い声に、ルイセが慌てて振り返る。
「どういうことですか?」
「あの時点で、すでにルブルックは結界領域の外に出ていた。魔導士のルブルックなら脱出する手がないわけではない」
「ですが、あの時の青の導士は、海王波斬撃を撃ったばかりでした。魔力はほぼ尽きているのではないのですか?」
ルブルックが相当な魔導士であることはルイセもわかっている。とはいえ、海王波斬撃がキッドの竜王破斬撃と同種のものなら、消費魔力量もかなりのものになるはずだ。そう考えて、ルイセはあの状態のルブルックにできることはないと踏んでいた。
「元素魔法ならたいして魔力を使わない。そして、ルブルックが俺と同等の魔導士なら、俺と同じ方法を思いついていたとしてもおかしくはない。俺が地中に穴を開けてその中に逃れるまでは、ルブルックもサーラもまだ無事だった。その後は二人の姿を確認できていない。だから、確実に仕留められたとは言い切れないんだ」
「そんな……」
今回青の導士の油断を突けたのは、彼がキッドのダークマターの特性を知らなかったからだ。次に戦うことがあれば、警戒されて同じ手は使えない。その状況でもキッドが今回のように無事に勝利を得られるのか、ルイセはつい心配になってしまう。
「二人の生死を確認したいところだが、この状況ではさすがに無理だしな」
もしルブルック達が同じように地中に脱出していたのなら、地面に穴を開ける元素魔法で探せば、その跡を見つけられるかもしれない。しかし、この状況で穴を掘って探し回れば、耐えられなくなった地面が崩れ、岩石に押し潰されかねなかった。
「……確かに、この中から探すのは……無理ですね」
ルブルックが生きていれば必ずまたキッドの前に立ち塞がる。それがわかるからこそ、ルイセとしては、二人、特にルブルックの生死については、なんとしても確認しておきたいところだった。けれども、キッドの言う通り、目の前の岩石の山を見ればそれは現実的ではない。
「とにかく、少なくともこの勝負は俺達の勝ちだ。戦場に戻ろう。レリアナ様達が心配だ」
「……そうですね」
ルイセは後ろ髪惹かれながら、キッドに従った。
キッドとルイセの馬は二人の魔法合戦の犠牲になっていたが、ルイセとサーラの馬は無事だった。ルイセは自分の馬に、キッドはサーラが乗ってきた馬に跨ると、急ぎ聖王国軍と青の王国軍が戦う戦場へと戻っていった。
まだ竜王破斬撃を使うだけの魔力を残していたキッドは、聖王国軍が青の王国軍に多少押されていたとしても、自分の魔法で形成逆転に繋げられると思っていた。ルブルックとの戦いで、ダークマターからダークブレットを放つだけで、ダークマター本体をぶつける攻撃をしなかったのも、竜王破斬撃を使うだけの魔力を温存するためだった。
しかし、二人が戻ったとき、すでに戦場は白の聖王国が支配していた。
聖王レリアナを擁することで士気を上げた聖騎士隊は、青の王国軍の陣形を切り裂いてた。
その聖騎士隊の中心で、剣を掲げ必死に声を上げているレリアナの体からは、薄くではあったが金色に光る霊子が零れて見えた。
「俺達の出る幕はなさそうだな」
「そうですね。レリアナ様はもう大丈夫のようです」
青の導士がいない今、白の聖王国と青の王国との戦いにキッド達が積極的に介入する理由は乏しい。
二人はあとの戦いをレリアナに委ねると、白の聖王国軍の後方部隊の方へと馬を向かわせた。
◆ ◆ ◆ ◆
白の聖王国軍と青の王国軍との5度目の戦いは、4度目に続き、聖王国軍の勝利に終わった。今回の勝利により、聖王国は青の王国に奪われていた領土の半分以上を取り戻すに至った。
しかも、今回の勝利は、竜王破斬撃なしで、聖王レリアナ自らが前に出て掴んだ勝利である。
戦いを終えた聖王国軍は勝利に湧いていた。
兵達にいつもより多めの食事と酒を許可したレリアナは、新たに敷設した本部天幕で、外から聞こえてくる兵達の賑やかな喧騒を、嬉しそうに聞いていた。
その彼女のもとに、聖都から駆け付けた早馬による報せが届けられる。
その報せを受けたレリアナは、すぐにキッドとルイセとを本部天幕に呼び寄せた。
キッドとルイセが急いで本部天幕に赴くと、中にはレリアナと共に神妙な面持ちのティセとフィーユも二人を待っていた。
「レリアナ様、今回の活躍はお見事でした」
天幕の中に入ったキッドは、まずレリアナをねぎらう。
「いえ、お二人がいてくれたおかげです」
大勝とも言える勝利をしたはずなのに険しい表情のままのレリアナにキッドは違和感を覚える。
「それで、レリアナ様、急ぎの話があるとのことですが、どのようなことでしょうか?」
レリアナ達の雰囲気からそれがよくない話であろうことは、さすがにキッド達にも察しがついていた。聖都で何かあったのかと考え、よくない事態をいくつか頭に描くが、どれもこれだと決めるには決定打を欠いていた。
「キッドさん、ルイセさん、赤の王国が紺の王国への侵攻を再開したとの報せが聖都から届きました。お二人は急ぎ紺の王国へお戻りください」
「――――!!」
キッドとルイセは二人して顔を見合わせる。それは本来、二人が最も心配しなければいけない事態だったのに、知らないうちに聖王国の空気に染まっていたのか、先ほど考えた想定の中にその事態は含まれていなかった。
ここにいる間、キッドとルイセは三本の矢候補ということで、レリアナは二人のことを呼び捨てにしていたが、先ほどは敬称をつけて二人の名を呼んでいた。
それはもうこれ以上自分達に協力するのではなく、本当に大切な人達を守るために動いてほしいというレリアナの意思表示でもあった。
「わかりました。どこまでレリアナ様の力になれたのかわかりませんが、俺とルイセはここで国に戻らせてもらうことにします」
「お二人とも、本当にありがとうございました。お二人を私のもとに遣わせてくださったルルー王女のご厚意、そしてなによりお二人がここでしてくださったことを私は決して忘れません。お二人に、そしてルルー様に何かあったときは、このレリアナ、出来る限りの力を尽くすことをお約束いたします」
「もったいないお言葉です、レリアナ様」
キッドとルイセは深々とレリアナに頭を下げた。
「……キッド、ありがとうね。キッドが来てくれなかったら、私達今頃どうなっていたか……」
フィーユが少し潤ませた目でキッドを見つめる。
「赤の王国との戦いでフィーが手伝ってくれたお返しだよ。次に戦場で会う時も味方として会えることを願っているよ」
「……うん。私も同じことを思ってた」
少し寂しそうにするフィーユの頭にティセがポンと手を乗せると、彼女はルイセへと視線を向けた。
「ルイセ、あなたがいなかったらサーラからレリアナ様を守れなかったかもしれない。本当に助かったわ」
「ラプトとの戦いの際の借りはこれで返しました。これで貸し借りなしですよ」
「私の借りの方が大きい気がするけど……あなたがそう言ってくれるのなら、そういうことにさせてもらうわ。……ありがとう」
普段あまり笑顔を見せないルイセが、満足そうにティセへ微笑みを向けていた。
「レリアナ様、あのルブルックのことです、あれで死んだとは言い切れません。奴が再び現れるかもしれない、そう頭の中に留め置いてください」
「はい、わかっています。ですが、再びあの魔導士が現れたとしても、私は私の兵達を守ってみせます。お二人も、ルルー様のことを守ってあげてください」
レリアナは右手を差し出した。
それに応え、キッドが、そしてルイセが、順にその手を固く握る。
初めてここに来た時、レリアナの姿は王ではなくただの街の娘のようにさえ見えた。だが、今のレリアナの姿にその時の面影はない。今のレリアナは聖王と呼ぶに相応しい姿に見えた。
聖王として一皮むけた今のレリアナは、海王波斬撃を無傷で耐え、味方の兵のダメージさえ軽減させたあの力を、きっと近いうちに使うこなせるようになるだろう。もし白の聖王国と敵対するようなことになれば、彼女は竜王破斬撃をほぼ無効化させる強大な敵として立ち塞がることになる。
キッドはレリアナとのこの絆が、未来永劫続いてくれることを切に願った。
そうして、キッドとルイセは白の聖王国の前線陣地を離れ、大切な人達の待つ紺の王国を目指した。




