第90話 ばか……
ルイセは茫然と降り積もった岩石の山を見つめる。
さすがにここまで崩れてくるとは思っていなかった。もともと脆い崖だったのだろう。それが海王波斬撃での衝撃をきっかけに一気に崩れ落ちていた。
「でも、キッド君ならきっと魔法でなんとか……」
ルイセは自分を勇気づけるようにそうつぶやくが、すぐに重要なことを思い出す。
「そうでした……。キッド君のいた場所は青の導士の結界領域の中……。あの中では魔法が使えない……」
魔法が使えないキッドの身体能力は一般人とさして変わらない。この岩石をどうにかできる力などあろうはずがなかった。
「サーラに構わずキッド君のところへ行くべきでした……」
膝から崩れていたルイセは、そのまま地面に両手をついて項垂れる。
あの時点でキッドのもとへたどり着いたとしても、そこからキッドを連れて崖崩れの範囲外へと脱出するのはどう考えても無理だった。ルイセもそれはわかっている。しかしそれでも、ついつい考えてしまう。
(私がキッド君に覆い被さってでも盾となっていれば、もしかしたらキッド君だけは助かったかもしれません。たとえ1%もない可能性だったとしても、ここで何もできなかった自分を嘆くよりは、その方が余程よかった……)
ウエイトレスをしていたのに、半ば無理矢理王城に連れていかれて軍師補佐に任命されたのが始まりだった。
義理を果たせば任を辞して紺の王国を出るつもりだった。
それがいつの間にか、あの国に、そしてキッドのそばにいるのが当たり前になっていた。
紺の王国では、キッドだけでなく、ルルーも、ミュウもいつも仲間としてルイセのことを見ていてくれた。新しく加わったエイミやソードもそれは同じだった。
かつて後ろ暗い依頼に応えるだけの日々を過ごしてきたルイセにとって、紺の王国での日々はいつも新鮮な感動をもたらしてくれた。
それらはすべてキッドがいなければあり得なかったものだ。
「キッド君……ばか……」
もし再び会えたのなら言いたいのはそんな言葉ではない。しかし、ルイセの口から漏れたのはそんなやるせない言葉だけだった。
ルイセの地面についた手の指に力がこもる。爪の間に土が入るのにもかまわず、ルイセは悔しさをこらえるように地面に爪を立てた。
「ルイセ、どうした!? 怪我でもしたか!?」
「――――!?」
ふいに後ろからかけられた声。ルイセはその声を自分の心が作り出した幻聴かと思った。
なにしろその声は、ルイセのよく知るキッドの声だったのだから。
両手をついて崩れ落ちていたルイセは、その声が現実か幻か確かめるように、体を起こして後ろを振り返る。
「――――!!」
そこには地面に空いた穴から、上半身を出しているキッドの姿が、確かにあった。
「キッド君……魔法が使えないのに一体どうやって……」
ルセイはまだ信じ切れなかった。自分の想いが作り出した幻の可能性を捨てきれない。
だが、幻かもしれないその男は、ちょっと得意げな顔で口を開く。
「ルブルックの結界領域は確かに霊子を魔力に変えるのを阻害し、あの中では霊子魔法を使うことはできない。けど、霊子を使わない元素魔法なら使うのに問題はない。フィーの話を聞いてから、対ルブルック用に考えていた策の一つだったが、こういう形で役に立つとは思わなかったよ」
元素魔法は火・風・水・地といった元素を用いた魔法だ。現在主流の霊子魔法と違って、使える場所に条件があり、威力も高くはないため、今では使う者はほとんどいない。しかし、局所的にはまだまだ使いどころがあると、キッドは常々そう考えてきた。
今回はそれが生きた。元素魔法は火の魔法なら火、水の魔法なら水がそばにないと使用できない。けれども、土の地面は地の魔法を使うのなら、元素的にはまったく問題がない。消費魔力も、元素魔法で使うのはわずかな量ですむ。結界領域のせいで新たな魔力は生み出せないが、それまでに残っていたわずかな魔法でも元素魔法なら十分使用には足る。そうなれば、あとは、土の地面に穴を開けるという、地の魔法の中でも初歩的な魔法を使うだけだった。
地中の逃れたキッドは、そのまま穴の中を進み、こうして再び上に出てきたというわけだ。下手に岩石の中に出てしまうと、上へ出る穴を開けたところで石に押し潰されることになるので、余裕をもって横へのトンネルを延ばして出てきた結果、ルイセの後ろに出ることにはなったが。
「それより、ルイセの方は大丈夫なのか?」
キッドは崖が崩れてくる中でも、この脱出方法を頭に描いていた。ルイセに一人逃げるように言ったのも、こうやって自分の身を守る方法を自身が持っていたがゆえだった。
とはいえ、あそこでルイセに脱出方法を伝えれば、ルブルックにも気付かせることになるため、ルイセには自力で脱出してもらうしか方法がなかった。俊敏なルイセとはいえ、それだけはキッドにも気がかりだった。
だから、キッドは本当に心配そうな顔をルイセに向ける。
あのルイセが膝と手を地面について項垂れていたのだ。その身に何かあったのだとキッドは考えてしまう。
「……なぜキッド君の方が私の心配をするんですか」
嬉しいのか腹が立つのか、自分でもわからない感情がルイセの中に湧いてくる。
だが次の瞬間には、ルイセは立ち上がって駆け出していた。
走り寄った勢いのままキッドの頭に腕を回し、抱きしめる。
「ルイセ!?」
キッドは顔に真正面から当たる弾力のある柔らかな感触にドキマギしたが、それ以上にルイセのその行動に驚いていた。いつもクールでちょっとシニカルなところもあるルイセが、こんな情熱的な行動を取るのなんて今まで見たことがなかった。
「キッド君の……ばか」
また会えたなら言いたいのはそんな言葉ではなかったはずだ。けれども、ルイセから出たのは、先ほどと同じ言葉だった。
だが、同じ言葉でも、先に吐いた時とはその想いのあり方が違う。
ルイセはなお腕に強く力を込めてキッドの顔を抱き寄せた。
息が出来なくて死の予感を覚えたキッドが、ルイセの背中をタップして開放を求めたのはそれからしばらくしてのことだった。




