第88話 キッド対ルブルック
壁のようにそそりたつ崖に三方を囲まれた場所に追い込まれたキッドは、覚悟を決めたのか、一転して魔法攻撃をしかけた。ルブルックもそれに対抗するかのように魔法を放つ。二人は馬を駆りながら魔法を撃ち合うが、やがて互いに相手の魔法により馬を失う。
二人の魔導士は地に自分の足で降り立ち、向かい合った。
「最強の魔導士は俺だ。キッド、お前にはここで歴史から消えてもらう」
「残念だがルブルック、ここで消えるのはお前のほうだ」
二人の魔法合戦が再び始まる。
互いに決定打がないまま、魔力の消耗戦の様相を呈していった。
二人の魔法は互角――に思えたが、魔力の消耗の激しいキッドが次第に押されていく。やがてキッドは、奥の崖の方へと追い詰められ、唯一の逃げ道である二人が入ってきた道にはルブルックが立ち塞がる。
この状況こそ、ルブルックが狙ったものだった。
「この機会を待っていた! 結界領域展開!」
ルブルックが地に手をつくと、そこから薄い青色の円がルブルックを中心に地面の上を広がり、キッドをもその範囲に飲み込む。
「この結界領域内で霊子を魔力に変えることは不可能。キッド、お前はもう魔法を使えはしない!」
ルブルックの作り出した青い円は、キッドの後ろの崖にまで達している。キッドの後ろにはもうこの領域から逃れる場所はなかった。ここから脱するには、目の前のルブルックを超えていくしかない。
「この中では俺も魔法を使えないが、お前と違って、俺はこの状況でも攻撃手段を持っている」
ルブルックは腰に提げた魔導砲を手にすると、砲の先をキッドへと向けた。
ルブルックは勝利を確信する。
「勝敗を分けたのは互いの備えの差だったな。……キッド、最期に何か言い残すことはあるか?」
だが、砲を向けられたキッドの顔に焦りの色はなかった。
勝者の余裕を見せるルブルックに対して、キッドは静かに口を開く。
「ダークブレット」
その瞬間、天から黒い魔力の弾が矢のように降り、魔導砲を持ったルブルックの手を貫いた。
「うがあぁぁぁぁぁぁ!」
痛みによる叫び声を上げ、ルブルックは魔導砲を投げ捨てるように地面に落としてしまう。
「何だ今のは!?」
慌てて頭上を見上げたルブルックは、空間を切り取ったかのような異質な黒さをもった球体が、月のように空に浮いているのに気づいた。
「なんだあれは!?」
「あれこそ、俺のとっておきの魔法、ダークマター」
答えるキッドを、ルブルックは血が滴る右手を押さえながら睨みつける。
見ただけではあれがどんな魔法なのかは判別できない。だが、先ほどの一撃があの球体から放れたものであることは理解できた。そして、まだまだ同じことができるだろうということも。
「一体どうやってあんな魔法を発動させた!? この領域の中では絶対に魔法は使えないんだぞ! 結界領域を展開する前に魔法を発動してでもいない限り……!!」
ルブルックは自分でその事実に気付いた。
「まさかお前、俺と戦う前からあの魔法を発動させ、ずっと維持し続けていたというのか!?」
キッドの顔は雄弁にその通りだと語っていた。
キッドはルブルックと接敵する前からダークマターを発動させ、誰にも気づかれないよう遥か上空まで上げ、自分と共に移動させていたのだ。
この場所に来たのもルブルックに追い詰められてのことではない。ルブルックが確実に結果領域を発動するよう仕向けるために、敢えてこの場所までキッドが誘い込んだのだ。結界領域を作り圧倒的有利な状況に立てばルブルックにも隙が生まれる。すべてキッドの狙い通りだった。
「俺に比べて魔力消費が激しかったのも、この魔法を維持し続けていたせいだったということか……」
ルブルックは苦々しくつぶやく。
今思えば、同じように魔法を繰り出していながら二人の間に明らかな消耗魔力の差が生まれるのは不自然だった。キッドが何か策を講じていることに気付くヒントはあったのに、それを見逃した自分の浅慮さにルブルックは歯噛みするしかない。
ここで結界領域を解除できれば、まだルブルックにも勝利の芽が出てくるかもしれないが、空間に作用するこの魔法は一度発動してしまうと一定時間が経過するまで解除ができない。それ以外に解除する方法があるとすれば術者が死んだときくらいだった。
そのため、ここからルブルックに勝つ方法があるとすれば、数メートル先にまで飛ばして落としてしまった魔導砲を拾い上げ、ダークマターという魔法を有するキッドに対抗するか、結界領域の外まで逃れて、純粋な魔法勝負を挑むかしかない。
(あの魔法は得体が知れない。その上、俺の右手はさっきの魔法で自由が利かない。かとって左手ではどこまで狙えるかわからない。……ならば、選ぶ手は一つ!)
ルブルックはキッドに背を向けて走り出した。
「ダークブレット」
しかし、ルブルックの動きはキッドの予想の範囲内だった。体を狙った魔力弾がルブルックの太ももを貫き、いくらか走ったところでルブルックは躓く。
「くっ、もっと体を鍛えておくべきだった……」
ルブルックはその場に膝をつく。
「下手に動くと余計に苦しむことになるぞ」
キッドに相手をいたぶるような趣味はない。頭か心臓、そこにダークブレットを撃ち込めば終わりだ。キッドとしてはすぐにでも楽にしてやるつもりだった。
だが、ルブルックに、死という運命を素直に受け入れるつもりはなかった。地面を這ってでも、転がってでも、結界領域の外を目指す。
この状況でも諦めないルブルックにキッドは容赦なくダークブレットを放った。急所を外れた魔力弾が体を貫くが、痛みに構わずルブルックは効果範囲の外へと向かって行く。
だがあとわずか、もう少しというところで、力が入らなくなった。
もう転がってでも動く力さえわいてこなくなる。
こうなっては、ルブルックにダークブレットを回避することはもうできない。
「ルブルック、俺がこの策を取れたのはフィーのおかげだ。フィーからの情報がなければ、俺とお前の立場は逆転していたかもしれない。けど、フィーから情報を得られたのは、グレイがフィーを救ってくれたからだ。この状況を作れたのは、決して俺の力だけじゃない。お前は俺一人に負けたんじゃない、俺とフィーとグレイに負けたんだ」
「くっ……あの二人はあそこで始末しておくべきだったか」
地に倒れたままルブルックはあの時二人を見逃してしまったことを後悔する。そして、聖王国の三本の矢と紺の王国のキッドとの間に、確かな繋がりができていることを見落としていた自分の判断の甘さを悔やむ。
青の王国でも孤高の存在だったルブルックにとって、他国の人間同士の間に信頼とも呼べる協力体制があるというのは想定外のことだった。
(俺には誰もいなかったからな……)
そう思いかけたところで、ルブルックはある人物のことを思い出した。
(サーラ……お前はうまく逃げろよ)
地に伏したルブルックの目の前には結界領域の端が見えている。そして、そのずっと先にはルイセを抑えるという役目を今も果たしているであろうサーラがいるはずだった。ルブルックは倒れたまま顔を上げる。
「――――!?」
ルブルックは視線の先に見知った女の姿を見た。らしくない必死な顔で駆けて来るサーラという女騎士の姿を。




