第87話 ルイセ対サーラ
先に仕掛けたのはサーラだった。
相手の生理的な一瞬の隙を突くのがサーラの技だったが、ルイセを相手にそれは通じない。だが、それでもサーラは自分の脚を信じる。それが自分の何よりの武器なのだから。
遠い距離にいたサーラが一瞬でルイセの目の前に迫っていた。
ルイセは前回の戦場でサーラと斬り合いを演じていたが、あの時はいきなり接近戦から戦闘開始だった。こうやって間合いの取り合いから行う戦いはこれが初めてだ。前の戦いの際にレリアナを追いかけるサーラを見ているので、ルイセもサーラの速さは知っているつもりだったが、追いかけるのと実際に対峙するのとではまるで違っていた。
空間を飛び越えてきたのか疑うほどのサーラの踏み込みからの一撃に、それでもルイセの目と腕は反応する。脚力による速さと勢いの乗った一撃だったが、ルイセの菊一文字はその力を感じないかのように受け流した。
受け流したルイセはそのまま反撃を狙うが、それより先にサーラは、後ろに飛びに間合いの外へと離れる。
「本当に私の動きについてくるのね」
それは驚きと称賛の入り混じったサーラの言葉だった。
「身近に私よりも速い人がいますので」
ルイセは剣の練習相手にミュウがいてくれたことに感謝をする。彼女の神速の踏み込みを経験していなかったら、恐らく反応できなかったと思える。
(とは言え、今の踏み込みはミュウさん以上。我ながらよく反応できたものです)
ルイセの剣を握る手に汗が滲む。
かつてはシャドウウィンドの名の通り、風のような速さとルイセは評されていた。しかし、世の中は広いのだとルイセは思い知らされる。
(ですが、このサーラという剣士、全力であの踏み込みをした直後に、あの速さで後ろに飛び退ることができるなんて、一体どんな脚力をしているというのでしょうか)
踏み込みの速さもそうだが、何よりルイセを驚愕させたのは、接近した後の動きだった。受け流したルイセが反撃の一手を放つ前に、すでにサーラの体はルイセの視界から消えていた。
足の力を爆発させて一気に距離を詰めた後、すぐに再び全力で後ろに飛べる脚力と体幹、どちらも尋常なものではない。ラプトのような強靭な肉体を持つ者ならまだしも、目の前の騎士はルイセと同じ女だった。その身体能力の違いを性別のせいにすることもできない。
「うまく受け流すものね――と言いたいところだけど、その武器にまだ慣れていないようね」
「――――!?」
顔には出さないが、ルイセは内心動揺を覚える。訓練はしていたものの実戦で菊一文字を使うのは今回の戦いが初めてだ。サーラとは馬上で斬り合いをしたものの、地に足を付けて剣を交えたのは今の一回だけしかない。
(わずか一太刀で見抜くなんて、目とセンスもあるってことですか)
動揺を表に出すことはないが、武器に不慣れなことはもう隠しようがない。ルイセは武器への未習熟さは知られているとわかった上で剣を構え直す。
「悪いけど、手加減するつもりはないわよ」
再びサーラがミュウの神速を超える踏み込みで斬りかかってきた。
ルイセは不慣れな武器ながら、またもそれに反応して受け流す。
だが、ルイセが攻撃するより先に、サーラは一瞬で飛び退いた。
それは相手の反撃を許さない完ぺきなヒットウンドウェイによるサーラの攻撃だった。
ルイセの我流の剣技は変幻自在。不慣れな武器でも器用に使いこなし、その特性を活かした攻撃を自然に生み出す。さらにその異質な反りのある片刃の剣という要素がそこに加われば、初見で対応するのは困難。
しかし、サーラはそもそもルイセに攻撃をさせなかった。受けられはしても、自分だけが一方的に仕掛けられる攻撃。サーラが繰り出しているのはそういう攻撃だった。
「本当にやっかいですね」
防戦一方のルイセは、攻撃を受け続けたことによる手の軽い痺れを感じながら珍しく愚痴る。
「どっちがやっかいなのよ。こんなに耐えられるとは思っていなかったわ」
焦りを感じているのはサーラも同じだった。攻撃し続ければいずれ不慣れな武器による綻びが出てくると思っていた。けれども、サーラが攻撃を仕掛けるたびに、ルイセは手にした武器に馴染んでいくようだった。サーラの攻撃を受ける精度がどんどん洗練されていく。このままでは綻びが生まれるとは思えない。
「あなたを足止めするという目的は達せられているけど、倒せないのではルブルックに合わせる顔がないわね」
「……何を言っているのです。足止めしているのは私の方ですよ」
ルイセの言葉にサーラの眉がピクリと動く。
「おかしなことを言うのね。ルブルックは魔導士との一対一なら誰にも負けない。あなたをここで抑えておけば、ルブルックは間違いなく勝つわ」
「おかしなことを言っているのはあなたの方ですよ。キッド君が負けるなんてことはありません」
ルイセの表情に変化はないが、口調にはどこかトゲのようなものがあった。
「ルブルックは負けないわ。そしてここで勝つのも私よ」
サーラの構えが変化する。腰を深く落とし、防御を度外視した突撃に特化した構え。それは相手の剣の間合いの外から仕掛けられるサーラにしかできないものだった。
それに対して、ルイセもこれまでと違う動きを見せる。
「私もキッド君に勝利の報告をする必要があります。……正直いえば、ラプトとの再戦まで使うつもりはなかったのですが、仕方ありません」
ルイセは背中の鞘に残っていたもう一本の剣を抜いた。
その一本こそ、妖刀とも言われる魔剣村正。ルイセは、右手に妖刀村正、左手の菊一文字を構え、魔力を込めた声を発する。
「筋力強化」
ルイセに片手でこの剣を扱う筋力はない。馬上では片手同士なので対応もできるが、今の全力のサーラ相手に、片手の剣では守るのにも攻めるのにも足りない。だから、その不足分をルイセは魔法で補う。
とはいえ、この魔法にはリスクがあった。自分の本来の筋力以上の力を発揮させるとなれば、その分腕に負担がかかる。長時間の使用は自らの腕を壊しかねない。そうなる前に魔法をやめても、腕の疲労は激しく、その後はまともに剣を振るえない。
使うのならば、短時間での絶対の勝利が必要。
そのためラプトと再び戦う時まで使うつもりはなかった。だが、ルイセはサーラをこの二刀流を使うべき相手と見定めた。
(くっ! 村正、落ち着きなさい! 主導権を握っているのは私ですよ!)
魔剣村正はルイセの心を侵食してくるようだった。本来なら静かな湖のごときルイセの心にさざ波を立たせる。まるで血に飢えた修羅を求めるかのような村正の衝動にルイセは耐える。
筋力強化魔法によるリスクと、魔剣村正によるリスクを負いながら、ルイセは二剣を構えた。二刀流ならば、片方で受けると同時に、もう片方で斬り付けることができる。ルイセがサーラの一撃離脱の攻撃に対抗するには、この手段しかなかった。
次の一撃が勝負を決める。二人ともそれをわかっていた。
仕掛けるタイミングをはかり、呼吸さえ止まるような時間が二人の間に流れる。
だが、その二人の集中を裂くような、苦痛と驚きに満ちた男の叫び声が奥から響いてきた。
「――――!?」
「――――!?」
この先にいるのはキッドとルブルックの二人だけ。
ルイセもサーラも自分の相棒の声を聞き間違うようなことはない。
今の叫びが相棒のものか、それ以外の者によるものかは瞬時に理解した。
一人は予定通りにやってくれたと思い、もう一人はいったい何が起こっているのかと戸惑う。
想定外のことが起こっている、そう感じた彼女は、目の前に敵がいることを忘れたかのように、ほかに何も考えず奥へ向けて駆け出していた。




