第44話 ティセとルイセ
「――――!」
すっかり夜の帳が下りた頃、王城の自室で静かに書物に目を向けていたルイセは、城の外に明らかな殺気を感じ、書物を閉じた。
(暗殺者の類にしては気配を隠さなすぎですね。まるでこちらを挑発しているかのような)
ルイセは二本の双剣を腰に提げ、静かに部屋を出る。
(キッド君に知らせるまでもありませんね。こういったゴミ掃除は、私の仕事です)
殺気の主はいまだ動いた様子はない。
ルイセは誰にも気づかれぬよう、城中を進み、裏庭へと出る。
その先には夜の闇に紛れるように黒い服に身を包んだ女が立っていた。顔を隠すためか、目の周りを覆った黒いドミノマスクをつけている。
その女こそ、白の聖王国の三本の矢の一矢ティセだった。
「暗殺者にしては殺気が漏れすぎですよ。狙いはルルーさん? それとも、キッド君でしょうか?」
少しでも情報を引き出しておきたいところだが、ルイセも答えが返ってくるとは思っていない。何か表情の変化でもあればラッキー、そのくらいの気持ちだった。
「こうやって殺気を放っていればきっと気づいてくれると思っていたわ。私の狙いはあなたよ、紺の王国のルイセ――いえ、こう呼んだ方がいいかしら? シャドウウィンドと」
答えが返ってきたことにも驚くが、自分の正体を知られていることはそれ以上の驚きだった。しかし、ルイセもその道のプロ。表情一つ変えはしない。
「なんのことですか? 私はルイセです。キッド君の軍師補佐の、ただのルイセです」
言うやいなや、ルイセは一瞬で双剣を抜き放ち、ティセとの距離を一気に詰める。
(何者かはわかりませんが、この相手はここで始末しておいたほうがよい相手と見ました!)
「お手並み拝見!」
ティセは背中に手を回す。
背中に隠していた武器を出してくるのだろうことは容易に想像できるが、ルイセは迫る速度を緩めない。
(どんな武器だったとしても、私の双剣の速度にはついてこられませんよ! 千刃乱舞!)
風のように敵の前まで接近したルイセの二つの刃が舞う。ルイセが両手に持った双剣は、短剣に分類される長さしかなく、リーチや威力の面では普通の剣に劣る。だが、その分軽く、速さと動きの柔軟さで他の武器の追随を許さない。
刹那の時の中、あらゆる方向から無数の刃がティセへと迫った。
しかし、その刃の一つとして、ティセの体には届かない。
ルイセが短剣を振り下ろすたび、どこか乾いたような軽い音が響く。明らかに金属と金属とがぶつかったような音ではない。
攻防の中、ルイセは相手の武器を観察する。
両手に長さ50cm弱の木の棒。だが、剣のように木の棒を握っているわけではない。棒の端に近い位置に、垂直に伸びた取っ手がついており、それを握ることにより、木の棒はティセの腕の外側を、手の先から肘の先までガードするような形になっている。
トンファーと呼ばれる武器だが、この島の中に使う者はほとんどおらず、ルイセにとっては初めて見る武器だった。
(ただの木に見えるのに、傷つくことなく私の剣が弾かれています。おそらくこれは魔法による強化。相手は魔法剣士、いえ魔法戦士というべきでしょうか)
ルイセは打ち合いをやめ、一旦間合いを取る。
(……やっかいな相手ですね)
ルイセは相手が自分のことをシャドウウィンドと知った上で対策を立ててきていることを理解する。
短剣という軽い武器の二刀流は、他の剣士に攻撃速度で勝る。だが、今回の相手の武器はさらに軽い木製武器だ。受けにまわったティセは、ルイセの二刀流の短剣にしっかりとついてきていた。
(派手な攻撃魔法の撃ち合いになれば、キッド君達にも気付かれてしまいます。だったら……)
シャドウウィンドと呼ばれたルイセの本当の実力が発揮されるのは夜の闇の中だった。
ティセが見ている前で、目の前のルイセから気配が消える。幽霊のように希薄になった姿が揺れたように見えた瞬間、ルイセの刃がティセの後ろから迫る。
それは、ルイセの暗殺術と魔法とを組み合わせた技だった。自分の姿を魔法で幻影として残したまま、自らの気配を消し、夜の暗さに紛れて音もなく敵の背後に回って斬り付ける。幻影刃として恐れられた、ルイセがシャドウウィンド時代に身につけた技だった。
初見ではまず見切られたことのない技。だが、ルイセの剣がティセに届く前に、ティセの鋭い蹴りが背後に伸びた。その蹴撃を受け、軽く数メートルはルイセの体が吹き飛ぶ。
後ろに飛ばされたルイセは、後ろに転がり、そのまますくっと起き上がる。
「……まさか初見で、こうもあっさり見切られるとは思いませんでした」
あれだけ派手に蹴り飛ばされたにもかかわらず、ルイセは平然と再び剣を構えた。
「おかしいなぁ。絶対に肋骨の数本は折るはずの蹴りだったんだけど、あの態勢から自ら後ろに飛んで威力軽減させるとか、人間離れしてるわね」
(まともに食らっていれば、肋骨どころか内臓までやられていたかもしれません。それほどまでに強烈な蹴りでした。おそらく魔法による強化も交えているのでしょうが、それは圧倒的な体術がベースにあってこそ。まるで全身が武器とでも言うかのような相手ですね)
ティセは自分の蹴りを最小限のダメージで抑えた相手の技量に驚いていたが、それはルイセも同じだった。自分とも、エイミともまた違う、魔法戦士としてのあり方に素直に感心する。
(……ですが、どうしてああも見事に、背後に回った私の存在に気付けたのでしょうか? 幻影に惑わされず、私の動きがちゃんと見えていなければあそこまで正確なカウンターの蹴りなど出せないでしょうに。たまたま? それとも、本当に見えていたのでしょうか?)
真実はわからない。しかし、ルイセには一つわかることがあった。それはこの相手が、敵として放置しておくには危険すぎる相手だということ。
ルイセはティセとの距離を詰めながら、魔力を練り上げていく。
「闇の虜囚」
ルイセを中心に漆黒が広がる。
それは、月の隠れた夜にしか使えない制限付きの魔法であり、彼女にとって、とっておきの魔法の一つ。
光の反射が全くない、闇よりもなお暗い黒の領域が空間を占めた。
この漆黒の中では、誰も何も見えない。術者のルイセでさえ何も見えはしなかった。
だが、ルイセにはこの空間の中で、漆黒が存在しない空間を感覚的に認識できる。たとえば、自分の体がある部分には漆黒が存在しない。ルイセには、その漆黒が抜け落ちた自分の体の形をした空間が、視覚とは違う、魔力的な感覚で認識できていた。
そして、ルイセのその感覚は、自分の体とは違う、もう一つの人の形も捉えている。
(そこですね!)
目では何も見えない漆黒の中、ルイセは足音も立てず、まるで見えているかのようにティセに近づいていく。
(まったく見えないわね……。明らかに魔法的な闇……)
一瞬の内に広がった漆黒の中、ティセは一瞬驚いたものの、すぐに頭を切り替え冷静になる。
この状況でもティセは、焦りはしない。
ティセは戦闘前に常時発動の魔法をかけ、それをずっと維持し続けていた。
それは、自らの魔力を粒子のようにして周囲へと飛ばす魔法。飛ばした粒は、数メートルも離れれば消え去るだけだが、もし何かに当たればティセの方に跳ね返ってくる。ティセはその跳ね返ってきた魔力粒子で、周囲のものやその動きをある程度把握する。それはまるでソナーのような魔法だった。
魔力消費もそれほど多くなく、今では維持にもそれほど集中力は必要ない。この魔法を維持しながらほかの魔法を使うことさえ造作ない。
ティセがルイセの幻影刃を見破ったのも、このソナーのような魔法のおかげだった。
そして、今もティセはルイセの接近を感知する。
(来てる! 向こうにはこっちが見えてるの!?)
ティセはとっさに手を上げた。瞬間、構えたトンファーに剣戟の感触が走る。
(やばっ! 助かったわ!)
魔力粒子の反射である程度動きがわかるとはいえ、目の代わりに使えるほど詳細なものではない。また、反射してくるぶん、わずかながらタイムラグも生じる。
ルイセの認識具合に比べれば、ティセの認識具合はずいぶん頼りないものだった。
(絶対に向こうは私より見えてるじゃない! この闇の中にいたら、死ぬって!)
初撃をしのいだティセは、迷わず脱兎のごとく、ルイセのいる方とは反対方向に走り出した。
自分の不利と判断すればティセは迷わない。この漆黒がどこまで続いているのかわからないが、なくなるところまで逃げるだけだった。幸い、魔力ソナーのおかげで見えずとも走ることに支障はない。
そして、数メートルも走ったところで、ティセは漆黒空間の外に出た。
これほどの魔力による空間だ。そう広い範囲に作れるようなものではなかった。
ティセは城の裏庭に広がる明らかに特異な漆黒の空間を警戒しながら距離を取る。
(これ、私じゃなかったら、絶対死んでたって! グレイもフィーも私に感謝しなさいよ! 私が貧乏くじ引いたんだから!)
ティセは恨めし気に漆黒の闇の中を見つめるが、ルイセが出てくる様子はない。
ルイセにしてみれば、相手の狙いが自分ということなら、中で待ち構えるまでだった。この空間の中で攻撃を防がれたことには驚いたが、防御の動きからこの中では自分の方が有利であることは感じ取っている。
ルイセは敵の技の秘密を知るためにも、罠を張った中で獲物が飛び込んでくるのを虎視眈々と狙っていた。
(…………)
しばらくルイセが潜む漆黒を睨んでいたティセだが、ふいに構えをとく。
(よし、やため! もう十分! やっぱり私の思ったとおりシャドウウィンドだわ、これ。まともにやりあってたら命がいくつあってもたんない)
そう決めたティセの動きは速かった。あっという間に城の外へと消えていく。
残されたのは、裏庭の漆黒空間に潜むルイセだけ。
(……あれ? 気配が遠ざかっていきます)
魔法を解くと、もちろん誰もいない。
「……なんなんですか、いまの相手は」
ルイセは構えていた武器をおろし、途方に暮れた。




