第41話 黒緑領と黒紺領
緑の公国に戻ったジャンはある男のもとへと来ていた。
「体のほうはどうだ?」
「おかげさまで、もう痛みはないな」
「さすが帝国四天王と呼ばれるフェルズ卿だ。回復も早いな」
ジャンがやってきたのは捕虜とした帝国四天王の一人「堕とす者」フェルズのいる部屋だった。紺の王国のソードやエイミと同様、彼もまたそれなりの設備の部屋で軟禁状態におかれている。
フェルズは捕虜となった後、緑の公国の適切な治療を受け、現在では後遺症も見当たらず、回復は順調だった。
すでに黒の帝国の敗北を聞かされているため、今のフェルズに争う気は見られらず、表情も穏やかなものだ。
「帝国領の分割が決まった。帝都は紺の王国側の領地となる。ほかの四天王のソードとエイミも、紺の王国側の預かりとなった。帝国の兵には、自分の仕える方を選べるようにすることで、紺の王国とは話がついている。……フェルズ卿、貴公はどうする?」
「そういうジャン公王は、俺にどうしてほしいとお考えで?」
フェルズは不敵な笑みを浮かべて、逆にジャンに問う。
「俺のもとへ来い。貴公の力は俺の国に必要なものになる」
「承知。あなたは俺に勝った男だ。俺はあなたに忠誠を誓おう」
二人の男はどちらからともなく手を出し、固い握手を交わす。
こうして、緑の公国は元帝国四天王の一人「堕とす者」フェルズを手に入れた。
帝国が崩壊した今、帝国領という呼び名は適切でないため、緑の公国が支配する元帝国領を黒緑領、紺の王国が支配する元帝国領を黒紺領と呼称することが決まっている。
ジャンは、強力な将であるフェルズを配下に加えはしたものの、黒緑領の運営は困難なものだった。
ジャンは黒緑領を行政区として分割し、それぞれの地に緑の公国から領地管理者を派遣したが、元帝国の貴族は各地で大きな力を有している上、公国に反発する思いも残しているため、各地の統治は決して順調にはいっていない。さすがに反乱が起こるような状況ではないが、領地管理者と貴族、双方からの苦情が毎日のように公都のジャンには届けられていた。
また黒緑領は広大な農業地を有しており、今まではその主な消費地は帝都だったが、帝都が他国となったため、過剰な農作物の扱いが大きな問題であった。紺の王国とは同盟関係にあるため、関税の問題はあるものの、当面は旧帝都へと流通させることでこの問題はクリアしているが、今後も考えるとジャンの頭を悩ませる問題として残ってくる。
なお、両国の同盟は、黒の帝国打倒を目的としたものであったため、その目的を達した後、同盟を続けるのか解消するのかは二国間協議の場でも話し合われた。結果としては、両国ともにこの先の帝国領の管理状況が不透明であることもあり、当面の間、同盟は継続されることになっている。
「くそっ! やっぱりキッドの奴は連れ戻しておくべきだったか……!」
公都の執務室で、ジャンは書類の山を前に、吐き捨てるように愚痴を言う。
ジャンはこういった行政的な書類仕事は決して不得意ではないが、好きなわけでもない。剣を振り回しているほうが余程性に合っていた。
キッドが向こうの国にいるおかげで、両国間の調整がスムーズにいっており、関税や流通経路の問題も滞りなく解決しているのだが、それらの恩恵をわかっていてもつい毒づきたくなるほど、ジャンの前には内外の問題が山積していた。
「ミュウもあれでいてこういう仕事はうまくこなすから、二人がいればかなりの仕事を割り振れたはずなのに……」
フェルズを配下に加えたものの、彼は軍事面では役に立つが、残念ながらこういう方面はからきしだった。ジャンも信頼できる文官は何人も抱えているが、黒緑領は元の緑の公国以上の面積の領地である。単純に考えても仕事量は二倍以上になっており、彼らでも簡単に処理しきれるものではなかった。
おまけに、緑の公国内には、ジャンのことを快く思っていない保守派貴族の勢力もある。
これらのことにより、ジャンは黒緑領を得たものの、当面の間、自国を安定させることに力を費やさざるを得ず、自国の外に勢力を伸ばすような動きはとてもできるような状態ではなかった。
一方、紺の王国のキッドは、黒紺領の運営をエイミとソードに任せ、自らは専ら王都にてルルー、ミュウ、ルイセと共に本来の自分の仕事に集中することができていた。
諸々の調整のために、王都に行ってエイミやソードと協議することはあるものの、ジャンが抱えている苦労に比べればその差は歴然だった。
「それにしても、すごいな……」
王都の軍師用執務室で、書類を見ながらキッドは感嘆のため息をつく。
「どうしたの?」
同じ部屋でキッドの事務仕事を手伝ってくれているミュウが、手を止めてキッドに顔を向けた。
「いや、エイミの報告書なんだが、黒の都の状況報告だけでなく、食料問題についても書かれていてさ」
黒の都とは旧黒の帝国の帝都のことである。領地名と同様、帝国亡き今帝都と呼ぶのはおかしいので、正式に「黒の都」と呼称されることになった。
「食料問題は緑の公国との取引で問題ないんじゃなかったの?」
「当面はそうなんだが、食料自給率を考えるといつまでもそれに頼っているわけにはいかないからな。俺も対策は考えていたんだけど、エイミの奴、短期から長期まで対応計画案を10も挙げてきやがった。紺領や紫領の農地改革のフローチャートまでつけてやがる」
「へぇ、すごいじゃない。なのに、どうしてちょっと不機嫌なの?」
「魔法だけでなく剣も使える上に、内政力まで高いとか反則じゃないか? 俺より優秀じゃないのか、あいつ」
不機嫌な理由が、単なる嫉妬だとわかると、ミュウは思わず吹き出した。
黒紺領では、軍事面はソード、内政面はエイミと、完全に役割を分担し、今のところその両方がうまく回っている。
その中でも、エイミの政治的手腕に関してはキッドの想像以上だった。
ソードと同じことは、ミュウなら代わりを果たせるかもしれない。だが、黒紺領の土地勘やツテがあったとしても、エイミと同じことが自分にできるか、キッドには甚だ疑問だった。
「……あの二人のおかげで、ずいぶんと楽をさせてもらってるな」
キッドは外に目を向け、空の青さに目を細める。
もし当初のキッドの想定通り、キッド達が黒紺領に残って統治を進めていたならば、きっとこんな空を見ている余裕もなかっただろう。
だが、それと同時にもう一つ思うことがあった。
(……二人がその気になって武装蜂起したら、俺、勝てる気がしないんだけど)
キッドはまた一つため息をついた。




