第38話 二国間協議
紺の王国と緑の公国との協議を前に、ジャンは部下達と最後の打ち合わせを行っていた。
今回の協議への、緑の公国側の出席者は、ジャンのほかに、彼が腹心として信頼を置いている文官と武官、そして騎士団長の4人だ。
「優先順位の確認を今一度しておくぞ。今回の領地配分で最も重要なのは、どちらの国がこの帝都を手に入れるかということだ」
ジャンの言葉に、ほかの3人が大きくうなずく。
人口及び商業的価値において、帝国の中でもこの帝都は抜きん出ている。単純に領土を半分で分割してしまうと、帝都を含む方が人口の7割近くを手に入れることになるほどだ。
そのため、領土を分けた際に、どちらが帝都を得るのかが、協議の最重要事項になってくる。
だが、緑の公国にとって問題なのは、帝都は帝国の中でも東側にあり、帝国領の中央で領土を分割した場合、帝都が相手側領土となってしまうことだった。もしも、無理やり帝都を緑の公国領にしようとすると、国境線はいびつな形にならざるをえない。
「領土分割の国境線については、私のほうで5案用意しております。多少不自然な国境線にはなりますが、いずれも合理的な説明は可能です。また、こちらが帝都を得るかわりに、領地としては紺の王国の方が広くなるよう考慮しています。5案のそれぞれで領土割合が異なりますので、話の展開次第で落としどころを探りながら提示することができます」
文官が領土分割案を示した5枚の地図を皆の前に広げる。
「うむ。俺も案を確認したが、どれも一方的に紺の王国側が不利とならないよい案だと思う。向こうの領地の割合が一番高い案までいけば、さすがに向こうも受け入れるだろう。こちらとしては、そこにいくまでの案で納得させたいところだが」
「しかし、公王、一つ懸念事項があります。今回、この帝都を落としたのは紺の王国軍です。そこを前面に出して交渉されると、我々としては苦しくなるかと」
騎士団長の言うことはもっともだった。今回の作戦的に、こうなることは必然だったが、紺の王国がこの帝都を落とし、現在も暫定管理しているという事実は、話し合う上で大きい。
「確かに、紺の王国が帝都を実際に落としたという点は、我が公国にとっては不利な材料かもしれん。だが、こちらは敵主力6000と戦闘を行い足止めしている。価値としては同等。むしろ、人的被害では、紺の王国よりも我が公国のほうが遥かに大きいことを考えれば、我が国の方が価値のある働きをしたとも言える」
「はい、公王のおっしゃる通りです。我が国の被害のデータは当然として、紺の王国の被害のデータも手に入れており、いつでも出せるよう用意してあります」
頼もしい言葉を紡いでくれる武官に、ジャンは信頼の目を向ける。
「そういうことだ。騎士団長よ、この点に関しての話になれば、我々は十分に対抗できる。それに、紺の王国軍の指揮をとったのは、我が公国のキッドとミュウだ。あの二人がもしもこちら側の戦場にいれば、我が国の被害はもっと少なく済んだであろうに、それを犠牲にしてでも紺の王国に派遣している。その点でも、我らは紺の王国に貸しがある。今回の協議を進める上で最も大事なことは、どちらが話のイニシアティブを取るかということだ。キッドとミュウの派遣、このカードは俺達にとって大きい。イニシアティブは我々が取れるはずだ」
ジャンの言葉にほかの3人もうなずく。
緑の公国側の意志は統一されていた。4人の中に、保守派貴族の一派はいない。今回の協議に臨むにあたって、彼らは一枚岩だと言えた。
「そろそろ行くか」
ジャンの声で4人は席を立ち、協議の場として設定された、皇城の一室に向かい始めた。
両国の代表が協議に向かい始めた頃、キッドは皇城のバルコニーから帝都の街並みを見ていた。その隣にはミュウが寄り添う。
「……本当に参加しなくてよかったの?」
「ああ」
「帝国の領土分割だけじゃなくて、キッドの立場をどうするのかも、きっと話し合われるよ?」
「……わかっている」
紺の王国と緑の公国、ルルーとジャン、どちらに仕えるべきか、正直キッドも決めかねていた。心から守りたいと思える王女と古くからの友、それは簡単に天秤にかけられるようなものではない。
だからこそ、キッドはその答えをルルーとジャン、二人に託すことにした。どちらがより強く、より深く、自分を必要としてくれるのか。自分の想いよりも、二人の想いに応えたい、それがキッドの素直な思いだった。
しかし、そのキッドにも、一つ気にしていることがある。
「なぁ、……ミュウはどうする? 俺がどっちに行くか決まったら……」
キッドが自分のことと同じか、あるいはそれ以上に心配しているのはミュウのことだった。紺の王国においてミュウは、あくまで客員将校であり、紺の王国の人間というわけではない。だが、紺の王国において、ミュウはすでに騎士達に受け入れられ、推薦されて騎士団長を務めるまでになっている。
それは緑の公国において、ミュウが願っても叶わなかったことだ。今後、緑の公国においてジャンが力をつけていけば、おのずとミュウの立場も変わっていくだろうが、紺の王国にはすでにミュウの願いを満たすだけの立場がある。そして彼女に向けられる信頼もある。
キッドは自分の立場がどうなるかにかかわらず、ミュウにとっては、緑の公国を離れ、このまま紺の王国にいたほうが良いのではないかと考えないでもなかった。
「私? そんなの決まってるよ」
キッドの想いを知ってか知らずか、ミュウは晴れやかな顔をしていた。
「私はキッドについていく。ただそれだけだよ」
迷いのない言葉だった。
迷い続け、いまだその答えを出せないでいる自分とは違い、とっくに自分の想いを固めて前にだけ進む相棒に、キッドは尊敬にも似た眩しさを感じる。
「そっか。……ありがとな」
そんな彼女に、キッドは心からの言葉をそう一言言うだけだった。
会議用の部屋として作られた皇城の一室に、紺の王国及び緑の公国の代表者がそろった。
机の両側に四人ずつが並んで席についている。
「それでは、さっそく話を始めようか」
最初に口を開いたのはジャンだった。
協議のイニシアティブを取るには、まず自分達から話し始める、そのことが大事だとジャンはわかっている。
「ジャン公王、最初に一ついいですか?」
しかし、そのジャンにルルーが待ったをかけた。
ジャンは自分が話し始めることで暗にイニシアティブを取ろうとしたが、ルルーははっきりと言葉で「最初に」と、自分が一番目の発言者であることを全体に示した。しかも、「一つ」と自分の発言が一つに限った限定的なものであることも宣言している。この状況で、ジャンにこのルルーの提案を拒否することはできなかった。ここで拒否しては、協議は険悪な雰囲気で進むおそれがある上、器の小さい公王と捉えられかねない。
そのため、ジャンはルルーの申し出を認めるしかなかった。とはいえ、ジャンはそのことにさしたる危機感は感じていない。所詮相手は15歳の小娘。最初に発言させたところで、なにが言えるのかと、ルルーのことを侮る気持ちが心の中になかったとは言えない。
「構いませんよ、ルルー王女。どうぞ、ご発言を」
「ありがとうございます」
ルルーは礼をいい、椅子から立ち上がる。
緑の公国側に座るのは、すべてルルーより年上の男達。中にはルルーの倍以上の年齢の者もいる。しかし、彼らを前にしても、胸を張って立つルルーは、この中で一番の小柄にもかかわらず、誰よりも堂々としていた。
「まず最初に私の方から緑の公国の皆さんへ提案があります。キッドのことを、緑の公国の人間ではなく、我が紺の王国の軍師であると認めてください。それをお認めいただければ、私は黒の帝国に関するすべての権利を放棄して構いません」
ルルーの言葉を聞いた緑の公国の人間全員が言葉を失い固まる。
最初は自分の耳を疑ったが、隣の者も自分と同じような表情を浮かべているのを見て、聞き間違いではないことを理解する。次に、場を和ますルルー王女なりの冗談ではないかとも考えるが、ルルーのその表情、そしてその瞳を見て、決して冗談などではなく、これほどの真摯な想いがほかにあるのかと思うほどに真剣だということを知る。
(この王女はなんと馬鹿なことを言いだしているんだ!? 帝都をどちらが取るかが最重要事項だというのに、帝都どころか、帝国全土を渡すと言っているんだぞ!? しかも、その対価は、魔導士一人! 紺の王国として、こんな国益を損なう取引をするなど正気の沙汰とは思えない!?)
それは緑の公国側、ジャン以外の3人の共通した思いだった。
(王女とはいえ、物の通りのわからんまだまだ子供だということか! こんな提案、すぐにほかの者が慌てて否定するぞ!)
「ルルー王女!」
ルルーの言葉を受け、隣に座るルイセが最初に声を上げた。
(そらきた! お付きの者も大変だな。慌てて王女の発言を撤回しなければならないとは。しかし、これで今回の協議は、こちらが優位に進められそうだ)
緑の公国の3人は、ルイセが声を上げるのは当然のことだと考え、彼女に目を向ける。
「なんでしょうか、ルイセさん。私に言いたいことがあるのなら自由に言ってくださって構いません」
一人立ったまま、自分の言葉に何ら恥じることのないルルーは、固く引き締まった表情で隣のルイセへと顔を向ける。
緑の公国の3人は、ルイセの口から、王女の言葉を訂正し、緑の公国に謝罪する言葉が出るのを待った。だが、ルイセの言葉はさらに彼らを混乱させることになる。
「大変よいお考えです! 私もルルー王女に全面的に賛成します」
ほかの者には淡々とした言葉に聞こえたが、ルルーにはルイセのその言葉は、今まで聞いたルイセの言葉の中で、最も熱のこもった言葉に聞こえた。
「はい!」
ルルーは強張っていた表情を崩し、満面の笑みを浮かべてルイセに応える。
ルイセの横に座る、外務大臣と騎士団長は、それぞれに思うところはあったが、ルルーを諫めるような言葉を発しはしなかった。
彼らは、ルルー王女のことを信じている。ルルー王女が、それが正しい選択だと胸を張るのなら、彼らはそれに従うだけだ。それになにより、彼らもキッドのことを自分達の国に必要な人間だと信じている。
(な、なんなんだ、この国の連中は……)
紺の王国のやりとりに、緑の公国の3人は口を開けて唖然とするしかなかった。
だが、しばらくして冷静に考える判断力を取り戻す。
(いや、待て。彼らが本気だと言うのなら、こんな都合のよいことはないではないか! キッドという魔導士は、何年も緑の公国を離れていた魔導士だ。今更その所属が紺の王国になったところで、大した影響はない。それだけのことで、この広大な黒の帝国が丸々手に入るのだ。緑の公国の元々の領地に加え、この黒の帝国の領地を加えれば、大国である白の聖王国、赤の王国、青の王国とも渡り合える。……いや、それどころか、それらの国を相手に有利な状況さえ作れる!)
ジャンを除く3人の想いは、わざわざ相談するまでもなく、そう一つに固まっていた。
しかし、ただ一人、ジャンだけは、彼らとは違うことを考えていた。
(……やられた)
ルルーの提案を受け、ジャンが最初に感じたのはそれだった。
(確かに条件的には圧倒的にこちらが有利だが、これを受けてしまえば、俺は領地欲しさに友でもある臣下を売り飛ばしたことになってしまう! それは、俺を良く思わない保守派貴族にとって格好の攻撃材料になりうる! ミュウとて、俺のことを見限り、国を離れかねない! それになにより、キッドは俺の友。たとえ帝国領地と引き換えであろうと、友を売るなんて……)
苦渋に満ちた表情を浮かべるジャンが言葉を絞り出す。
「……その条件は受け入れられん」
笑顔だったルルーの顔が険しいものに変わる。
だが、ジャンの部下3人の慌てぶりはそれ以上だった。
「公王!? なぜですか、このような好条件は二度と――」
「俺を……領地のために臣下を、……友を売り飛ばす王にしたいのか?」
ジャンのその苦しい言葉で、3人もジャンの危惧をようやく理解した。
帝国の広大な領土は確かに魅力的だが、その先を考えれば、保守派に攻撃材料を与えること、臣民の評判を下げること、他国に侮られること、それらと引き換えにしてまで得ることには、大きなリスクが伴う。
ただし、これらはすべて現公王がジャンだからこそのものだ。もしジャン以外が公王なら、喜んでルルーの提案に飛びついたのは間違いない。公王としてジャンのことを真に認めている彼らでさえ、この時ばかりはジャンが今公王であることをつい嘆いてしまう。
「そういうわけで、ルルー王女、改めてこの帝国領について、話し合いを始めよう」
「……わかりました」
ルルーとしては、今の提案は、今回の交渉でキッドを得るために出せる最大のカードだった。これ以上の手札はもう切りようがない。つまらない駆け引きなどなく、ただなによりもキッドが欲しい、その想い故の言動だった。
だが、それを拒否されてしまっては、もうルルーとしては大人しく座るしかなかった。
大切にしていた宝物を失った子供のようにしゅんと気落ちした顔を隠すことなくルルーは席につく。
しかし、ルルーの今の発言により、紺の王国が協議のイニシアティブを有することになった。
緑の公国が紺の王国にとって不利な条件を提示しようものなら、紺の王国は「キッドをいただければ、帝国の領土をすべてさしあげます」と切り返せばいいのだ。それを言われると、緑の公国としては、黙るしかなくなる。
そして、両国協議の結果、帝都は紺の王国が有することとなった。
その代わりに、領土は6:4で緑の公国の方に多く割り振り、帝国第二の都市も公国が有することとなった。しかし、それでも帝国の人口比でいえば、逆に6:4で紺の王国が得ることになる。
また、緑の公国が有した西方の地域は農業が盛んな土地ではあるが、商業的な力は弱く、商業的価値でいえば7:3で紺の王国が得る結果となった。
なお、捕虜とした帝国兵については、捕らえたそれぞれの国の支配下におくこととなった。ただし、家族や故郷がもう一方の国の支配地となる兵については、兵同士の交換や、足りない場合は帝国財産の配分で補うことにより、移動を認めることで落ち着いた。
こうして、二国間の協議は、紺の王国に分がある形でまとまった。
なお、キッドの所属については結局折り合いがつかず、現在のどちらとも言えない宙ぶらりんな形が継続されることとなり、紺の王国にこのまま居続けることを両国が認めることで落ち着いた。




