第33話 「嵐花双舞」対「戦術眼」
壁を登っていくルイセを見続けていたキッドだが、彼女が城壁の上に出てからは上の様子がわからず、気が気でない。
「何もサポートできないとは……。せめて、ルイセの状況だけでも確認できれば……」
ほかの者にはその手段はなくとも、まともな状態のキッドならば、遥か上の様子さえ見る方法があった。
ダークマター、その視界共有の力ならば、直接見えないこの場からでも、ルイセの姿を確認したうえで、ダークブレットにて援護までできる。
「くそっ! 今の俺の魔力では……」
魔力の回復はほとんど進んでいない。今の状態では、たとえダークマターを作れたとしても、維持できずにすぐに消滅することが目に見えていた。
自分の力のなさを嘆くキッドの前で、また新たにガイウスからの光が煌めいた。
自分が指導してきた兵士の命がまた消えていく。
(続けて撃った方がこちらに与える絶望感は大きいのに、それをしてこない。……つまり、一度撃てばしばらくは力の補充に時間が必要なのだろう。……けど、それでも、このペースで撃たれては、早々に戦線は崩壊する)
わかっていても、キッドには打つ手がない。今はルイセに望みを託すしかなかった。
「今の光は何だ」
その声を掛けられるまで、キッドは相手に気付いていなかった。
城壁の上のルイセと、皇帝からの光の攻撃を気にするあまり、圧倒的な存在感を有するその相手の接近を見落としていた。
キッドは自分の迂闊さを呪いながら、慌てて声の主に目を向ける。
「どうしてあんたがここにいるんだ、ソード!」
キッドの十数メートル向こうに立っているのは、間違いなく四天王の一人「帝国の剣」ソードだった。
前に戦った時のような黒い鎧姿ではなく、鎧なしの薄汚れた帝国の軍服姿で、荒い息を吐きながらソードがそこに立っていた。
「貴公がキッドだな?」
戦場で遠目に顔を合わせていたが、互いに名乗り合ってはいない。それでも、ともに認識し合い、忘れることはなかった。
この状況ではごまかしようもなく、キッドは静かにうなずく。
「あんたは西方で緑の公国軍と戦っていたんじゃないのか?」
「ジェイドが敗れたという知らせを受け、千の兵と共に戻ってきた。もっとも、今たどり着いているのは俺だけだが。……しかし、まさか帝都まで攻め入られ、城門まで落とされているとはな」
(まじかよ!? 戦場からもう戻ってきたっていうのか!? ジェイドの兵達と戦ったのは昨日のことなのに! とても一日で帰ってこられるような距離じゃないはず!)
キッドの考えは正しかった。実際、ソードと共に帝都に向かった兵達はまだ、移動の最中だ。
ソードはそんな中、鎧を脱ぎ、身軽になって馬を駆り、道中集落に寄って馬を代えながら、一昼夜走り続け、今ここにたどり着いていた。途中まではソードについてきた兵もいたが、最終的にこの短い時間で帝都に戻れたのはソードだけだった。
(ソードが戻ったとなると、帝国兵は間違いなく活気づく。それに、さっきの話の通りなら、千の兵が今も帝都に向かっていることになる。……まずいな)
「貴公の問いには答えた。次は俺の質問に答えてもらおう。先ほどのあの光はなんだ? 貴公ならわかるだろう」
「俺に聞くということは、四天王にも教えていなかった皇帝の隠し玉ということか。……俺が見る限り、あれは帝都の人間の命を糧とした邪法による兵器。あの光が輝くたびに、王国兵だけじゃなく、帝国の民の命が奪われてるぞ」
「なんだと!?」
(あの表情からすると、本当に知らなかったようだな。側近の四天王に隠して、こんなものを用意するとは、皇帝の奴、何を考えているのか……。覇道に取りつかれてあんなものに手を出したのか、それともあんな邪法の存在を知ったからこそ覇道を歩み始めたのか……)
壁に背を預けながら、キッドはなんとか立ち上がる。
会話で時間を稼いでいるものの、キッドには余裕がなかった。
ソードに対抗するだけの魔力も、逃げ出す気力も、今のキッドには残されていない。
もしここでキッドが討たれれば、紺の王国軍は敗色濃厚。むざむざ討たれるわけにはいかなかった。
(……とはいえ、逃げる手立てもない。ミュウと互角に戦うような相手に、魔力なしでどうしたものか……)
「ソード! あなたの相手は私だよ!」
冷や汗をかきながらも平静を装うキッドの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
キッドもソードも、その声の主へと視線を向ける。
二人と三角形を成す位置に、必死の形相で剣を抜いたミュウが立っていた。
「……ミュウか」
ソードが、大剣をゆっくりと引き抜く。それは、キッド相手には抜く必要すらなかった武器だった。
「なぜあなたがここに……いえ、それより、キッドはやらせないよ!」
「……いつぞやの続きというわけか」
先ほどまでキッドに向けられていた意識が、一気にミュウへと傾く。
本来なら、キッドの魔法支援を警戒すべき状況だが、ソードはすでにキッドの魔力が底を突き、まともな支援は望めないと見抜いていた。キッドを前にして剣を抜かなかったのも、その本能が「もはや脅威ではない」と察していたからにほかならない。
「ミュウ、部隊の方は?」
「副団長に任せてきた。大丈夫、ソードを倒してすぐ戻るから」
戦場を見渡しながら指揮を執っていたミュウは、誰よりも速くソードの存在に気づいていた。
彼女は副騎士団長に兵の指揮を託し、すぐさまキッドのもとへ駆けつけた。
副騎士団長は、ミュウが紺の王国の騎士団長に就く前に、その役職を務めていた男。兵達を預けるに足る人物だった。
とはいえ、皇帝の圧倒的な攻撃にさらされる戦場で、兵からの信頼の厚いミュウが長く戦列を離れるわけにはいかない。
(ソード相手に様子見をしている余裕はない! 仕掛けるのなら、全力の一発で決める!)
ミュウは手と足に力を込める。
神速の踏み込みと嵐花双舞――それが、彼女にとっての必殺の一撃。
前回は相手の魔装のせいで致命傷にはならなかったが、今のソードは鎧を身に着けていない。理屈の上では、同じ攻撃を与えられれば、確実に仕留められるはずだった。
だが――ミュウの胸中に、得体の知れない不安がよぎる。
(……この気持ち悪い感覚はなに!?)
一度見せた技は通用しにくい。熟練の剣士相手ならば、当然の話だ。
だが、ミュウの嵐花双舞は、その常識を超越した領域の技。一度見られた程度で、簡単に対抗できるものではない。
それは使い手であるミュウ自身が、一番理解している……つもりだった。
――このまま打ち込んではいけない。
本能がそう告げていた。
ミュウは身を低くし、力を蓄えたまま動きを止める。
一方、ソードも剣を構えたまま動かない。
だが、ミュウとは違い、彼の構えには余計な力が一切入っていなかった。
鏡のように静かな湖面――そんな印象さえ抱かせる。
ソードには、戦場の流れや敵の動きを読む「戦術眼」と呼ばれる力があった。
戦いを重ね、無数の戦術を経験することで、その精度は磨かれてきた。
いつしか、その力は一対一の戦闘においても発揮されるようになっていた。
相手の構え、筋肉の動き、視線、息遣い――ソードの戦術眼にかかれば、それらすべてが「次の動き」を示す情報になる。
加えて、彼はすでにミュウの神速と嵐花双舞を経験し、そのデータを頭に叩き込んでいる。
分析し、見通すには十分だった。
ソードはここまで不眠不休で走り続け、体力も気力も限界に近い。
だが、極限状態だからこそ、逆に神経は研ぎ澄まされていた。
未来視――それは、一瞬先の未来を見通す力。
刹那の戦いを繰り広げる剣士にとって、最強の力の一つとされる。
今のソードの戦術眼は、その未来視に匹敵するほどの領域に達していた。
(ミュウよ。貴公の技は、確かにほかの者には真似のできない必殺の一撃だ。非力な女の身でありながら、そこまで剣を極めたことは、同じ剣士として称賛に値する……だが、それでも今の俺には届かん!)
ソードの肉体は、剣士としての理想を極めていた。
力、速さ、強度、体力――すべてにおいて、剣士が目指す到達点に達している。
肉体的なポテンシャルでは決してそれに及ばないミュウは、血の滲むような努力を重ね、魔法にも近い領域へと剣技を昇華させた。
だが、残酷にもソードは、鍛え上げた肉体のただ純粋な能力にて、それに匹敵する。
戦術眼が導く未来――そこには、同時発生するミュウの二筋の剣戟をかわし、わずかに生じた隙に一撃を入れる自分の姿があった。
(打ち込んでこい! その時が貴公の敗れる時だ!)
ソードは自然体のまま、ミュウの動きに注視する。
一方、戦士の本能で危機を感じ取ったミュウは、安易に踏み込まず、爆発的な瞬発力をため込んでいた。
二人の剣士は、動かぬまま、目に見えぬ戦いを繰り広げていた。
ただ、時間だけが流れていく――。




