第29話 「ダブルキャスト」ジェイド
戦場の中、キッドとジェイド、二人の魔導士は一対一の形になる。
馬上のジェイドから唸るような低い声と甲高い声が響くと同時に、二本の炎の矢が生まれた。その二本の矢は、左右から弧を描くようにキッドへと迫る。
(くっ! まじかよ!)
普通の魔法の打ち合いなら、キッドには自分の魔法で迎撃する自信も、回避する自信もある。だが、微妙に速さやタイミングをずらしながら、両側から襲い来る魔法攻撃は、思った以上にやっかいだった。
横に飛んで交わしたが、一本が足を掠める。
「ちっ!」
熱を感じたが、行動に支障が出るほどではない。
とはいえ、一人の術者による二つの魔法攻撃の連携は、これまでキッドが経験したことのないものだった。
複数の術者からの同時攻撃ならキッドも幾度となく経験してきた。しかし、それらはいくら同時に放たれたとしても、魔法に込められた意思がバラバラで、連携には確かな穴があり、その隙をつけばかわすのはそれほど難しくはない。
だが、ジェイドが放つ魔法は、それらと違い完全にシンクロした同時攻撃だった。片方の攻撃で相手をどう動かし、もう一本でどうトドメを刺すか、そういった一つの確かな意思によって生まれた攻撃で、容易につけいる隙がない。
(果たしていつまでかわし続けられるのか……)
同じ帝国四天王でも、剣と魔法のコンビネーションで攻めてきたエイミとはまた違った相手だった。
ある意味、純粋魔法勝負。
魔法対決にならそうそう負けるつもりのないキッドにとっても、この同時魔法は脅威だった。
(せめてもう少し魔力が回復すれば……)
キッドは走って距離を取ろうとするが、騎乗しているジェイドは簡単に距離を詰めて来る。
そして、またジェイドから低音と高音の声が漏れ、今度は爆裂球がジェイドの左右に出現した。
(まずい!)
キッドは直感的に相手の意図を理解し、危機感を覚える。
爆裂球は、炎や氷の矢に比べて速度が劣るため回避はしやすい。油断でもしていない限り、そうそう直撃を食らうようなものではない。
そのため、迫ってくるのが単発の爆裂球なら、いくら着弾時に範囲にダメージを及ぼすとはいえ、そう警戒するものではなかった。それが二発になったとしても、直接狙ってこられるのなら、爆裂の効果範囲外に逃れるのは決して難しいことではない。
だが、もし相手がはなから直撃させるのが目的でなければ?
もし、直撃させるのではなく、二つの球で爆裂の範囲内にターゲットを挟むように攻撃することを目的としていたら?
それは完全回避が非常に困難な魔法攻撃へと様変わりする。
(やはりか!)
キッドの危惧した通り、ジェイドの爆裂球は、直接当てるような軌道でなく、キッドから逃げ場をなくすような軌道で迫ってきた。
キッドはそれでも全力で爆風の範囲外まで走り逃げるが、片方の爆風からは完全には逃れきれず、わずかながらダメージを受ける。
直撃ではないため、すぐにどうにかなるダメージではない。
だが、この攻撃の怖いところは、一回一回のダメージはわずかでも、肉体的ダメージと、全力回避に使う体力的疲労とが確実に蓄積していくことだった。
(これが「ダブルキャスト」ジェイドか……)
キッドはすでに、ジェイドの同時詠唱の方法を見抜いていた。
帝国の高原地域には遊牧民が住んでいる。
彼らはホーミーという特殊な歌唱法を使うことで知られていた。
その歌唱法の特徴は、喉と舌の独特の使い方により、低い音と高い音とを同時に発生させることにある。もっとも、歌唱法といってもはっきりとした言葉を発するような歌ではなく、唸るような低音と笛の音のような高音による喉歌であるが。
ジェイドは、魔法発動の際の掛け声を、普通の魔導士のような言葉ではなく、このホーミーによる音で行っていた。低音と高音とで左右の魔法を分け、その音程やリズムやピッチで魔法の種類を使い分けている。
普通の者ならやろうと思っても、言葉のないメロディだけの喉歌と、自分の使う魔法のイメージとをリンクさせることなどそうそうできることではない。これは、遊牧民出身で、小さな頃からホーミーの使い手であったジェイドだからこそできる業だった。
彼が「ダブルキャスト」の二つ名で呼ばれるのも、この唯一無二とも言える同時魔法の使い手ゆえだった。
とはいえ、ジェイドの同時魔法の仕組みがわかったからといって、キッドにそれを防ぐ手立てがあるわけではなかった。
特殊なカラクリを使っているわけではなく、あくまで個人の能力によって作り上げた技術が相手では、崩しようもなければ、真似しようもない。
「魔導士よ、お前が誰かは知らんが、あんな魔法を使える奴を生かしておけば、我が帝国の大きな障害となる。お前にはここで消えてもらうぞ!」
馬上のジェイドはキッドに向かってそう言い放つと、またホーミーにより二つの爆裂球を生み出した。
それはまたキッドの体力を確実に奪い取ろうとする、厄介な魔法攻撃だったが、キッドはジェイドの言葉から、重要な情報を拾っていた。
(こいつ、俺のことを知らない、あるいは知っていても俺がキッドだということに気づいていないのか!)
相手が自分を知らないことに腹を立てているわけではない。むしろ、キッドはそのことに活路を見出していた。
(エイミは最初から俺のことを知っていたから、ダークマター対策を打たれた。だけど、俺のことを知らないこいつは、俺にダークマターがあることを知らない!)
それはキッドにとって貴重な情報だった。
しかし、竜王破斬撃による魔力消費は、キッドの想定以上に激しい。
ダークマターは出している間中魔力を吸われ続けるため、今ダークマターを出しても、まともに制御や維持ができるとは思えなかった。
(もう少し魔力が回復するまで粘らないと……)
ジェイドの同時詠唱の魔法に対しては、片方の魔法だけでも自分の魔法で対抗すれば、ある程度はもちこたえられる自信がキッドにはあった。だが、それでは十分な魔力回復ができないのも事実。
(俺の魔力が回復するまで、最小限の魔法使用で耐えきるか、それともそれまでに俺がジェイドの同時魔法に屈するか……これはそういう勝負だ!)
キッドは最終的な勝利を得るため、耐える戦いを続けることを決意した。
(しぶといやつだ……)
自分の魔法攻撃に耐え続ける敵魔導士に対して、ジェイドは素直に感心する。
だが、幾度も繰り返してきた爆裂魔法により、敵の体はかなり傷ついていた。何度も転がり全身は泥にまみれ、擦り傷も多数見られる。
(俺の魔法の能力やそれを使う意図までよく理解している。先ほどの対軍魔法といい、魔法というものをよく理解している魔導士だ。……しかし、それにしては魔法の反撃が少なすぎる。対軍魔法に魔力を使いすぎて、まともに魔力が残っていないのか? 連続使用ができないのなら、兵達を散開させる必要はなかったか……)
ジェイドは、キッドとの一対一に向かう前に部下に下した自分の命令を後悔するが、いまさらどうしようもなかった。それに、あの時点のジェイドが有している情報では、あの指示は最善のものだった。
(兵達をばらけさせた分、敵部隊の攻撃には苦戦しているだろうが、この魔導士さえ始末してしまえば、城にいるエイミとの連携でこの程度の軍ならなんとかなる。今は、こいつのトドメを確実に刺すのが最優先事項だ!)
ジェイドの前で、再び立ち上がったキッドが、足を引きずるように移動し始める。
「今の攻撃で足を痛めたか! よく耐えてきたが、ここまでだな!」
これまでのような相手の体力を奪う魔法から、仕留めるための魔法へとシフトチェンジしようとしたところで、ジェイドは敵魔導士から新たな魔法の気配を感じる。
(これ以上はよけきれないとみて、いよいよ反撃に出てくるか!)
「ダークマター!」
キッドの声と共に、手の先に20cmほどの黒色の球体が出現する。
光をまったく反射しない黒さに、ジェイドは一瞬空間に穴が開いたのかと驚きはしたが、それで心を乱すようなことはなかった。
(知らない魔法だな! 放出系か?)
ジェイドはすぐに馬を動かし、少しでも狙われにくくする。
間もなく、キッドからダークマターが放たれたが、矢系の魔法に比べれば、速度はそこまでではない。
(とはいえ、範囲系魔法の可能性もある! 油断しはしない!)
ジェイドは巧みに馬を操り、余裕をもってダークマターを回避する。途中で軌道が変わる種類の魔法の可能性も考慮して油断なくその軌道を見定めたが、直線の動きだけであったため、ダークマターへの警戒を解き、術者のキッドの方へと意識を向けた。
「苦し紛れの魔法だったか」
ジェイドは喉声を鳴らし、ホーミーによる同時魔法を繰り出す。
左右に出現させたのは、炎の矢と氷の矢。
ジェイドはそれを絶妙な軌道でキッドに向けて放った。
耐火と耐氷の防御魔法を同時に使えないことを利用して、ここからは確実に仕留めにかかる。
「炎の矢!」
キッドは器用に炎の矢を炎の矢で撃墜するが、キッドに使える魔法は一つだけ。同時にジェイドが放っていた氷の矢は、転がるようにかわそうとするキッドの左手を掠め、地面に倒れるキッドのその腕に血がにじむ。
そんな惨めなキッドの姿を見て、ジェイドは馬を止め、ついつい自分の圧倒的優位に酔いしれてしまう。
「足を負傷し、ようやく魔法で対抗か。だが、遅かったな! 俺の同時詠唱こそ、最強の――」
勝利宣言に近い言葉の途中で、ジェイドの意識が消えた。
無言でコントロールされたキッドのダークマターが、動きを止めたジェイドの頭上へと、空気を切り裂く音もなく、ただ静かに下降し、その肉体の一部とともに消失する。
もう喋る機能を失ったジェイドの体が、馬から転げ落ちた。
「……詰めが甘かったな。戦場で自分は死なないとでも思ってたか?」
キッドはその場に大の字に倒れるように寝転がる。
竜王破斬撃に続いてのダークマターの消失で、せっかく回復してきていた魔力を根こそぎ持っていかれ、指先を動かす気力さえ湧いてこない。
「……まじきつい。……でも、勝ったぁ」
まだ戦い続けている兵達の喧騒を耳にしながら、キッドは形を変えながら空を流れる雲を眩しそうに見つめた。




