第98話 カオス
二人のカードバトルは大熱戦を演じていた。
ルージュも相手の男も、お互いに相手がこれほどの腕だとは思っていなかった。
ルージュはラプトの試合のことも忘れて、ただ自分のカード勝負に集中しきっている。
(まさか初めて戦った相手にここまで私の赤の魔導士が追い詰められるとは思わなかったわ。高コストカードを序盤から惜しみなく使って、赤の魔導士の邪魔をし続けて、本当にいやらしい戦いをする!)
「よし! ここで流浪の剣士で赤の魔導士に攻撃! これでちょうど赤の魔導士の体力はゼロだ!」
「くっ! まさか私の赤の魔導士が討たれるなんて!」
強化を重ねた上、ほかのキャラを犠牲にしてでも守りつづけてきたルージュのデッキのエースである赤の魔導士がついに倒され、フィールドから姿を消した。
(これでこちらのフィールドに残っているのは中級騎士が一人だけ。それに対して向こうは流浪の剣士と、一般兵が3人、それと仕掛けたトラップが一つ。流浪の剣士は残り体力わずかだけど、一般兵はまだ体力十分。このまま数で押してくるつもりね)
ルージュは自分の手札に視線を落とす。
(……危なかった。やっぱりこのカードを入れておいてよかったわ)
以前のルージュならば、赤の魔導士を倒された時点で負けも同然だった。しかし、ある時からルージュは、手札の中にもう一枚、最後の切り札とでも言うべきカードを用意するようになっていた。
(「狂戦士」、味方にまでダメージを及ぼす、制御のきかないキャラだけど、今こそ使う好機。狂戦士は狙う相手を選択できないけど、攻撃の宣言と同時に相手の低コストキャラを全員自動的に倒すことができる。つまり、相手の一般兵3人は全員消え、残った流浪の剣士に攻撃を加え、流浪の剣士も退場。もう王を守る兵はいなくなる。……やはりこの勝負、最後に勝つのは私のようね)
ルージュは手元のカードの中から、起死回生の一手となる狂戦士に指を延ばす。
しかし、ルージュがそのカードをフィールドに出す前に、賭博場のスタッフが慌てた様子で目の前の男のもとへと駆け寄ってきた。
「カオスさん、急いで闘技場の方へお願いします。トーナメントの方が終わり、勝者が決定いたしました」
「待ってくれ。トーナメントは優勝者を決めるまで3試合あるはずだ? こんなに早く試合が終わるはずがない」
「いえ、それがとんでもない男が出場していまして……、2戦とも一撃で試合が決してしまい、予定時間よりずいぶん早く進んでしまったんです」
スタッフと目の前の男とのやりとりで、ルージュは初めて相手がカオスという名前だということを知る。
(カオス? 明らかに偽名っぽい名前ね。――ってそれより、闘技場のチャンピオンの試合が見たいからって私との勝負を途中でやめるつもり!?)
ルージュは、カオスに自分とのカード勝負より闘技場の試合観戦を優先させるつもりはない。逃がさないとでも言うようにカオスを睨みつけた。
しかし、相手のカオスは残った手札を場に伏せたまま置くと、立ち上がってしまう。
「ちょっと待ちなさいよ! ここで勝負をやめるつもり!? もしかして、あなた、勝ったつもりでいるんじゃないでしょうね!? 私はまだ奥の手を出してないわよ!」
「すまないが時間切れのようだ。勝負は姐さんの勝ちで構わない」
「なによそれ! まるで本当は自分が勝ってるけど勝ちを譲ってあげるみたいな言い方じゃない! このまま続けても勝つのは私よ!」
「ああ、そうかもな。すまないな、美しい姐さん」
「ちょっと!」
ルージュの叫びも虚しく、カオスはそのまま急ぎ足で店の奥へと行ってしまった。
「本当に私が勝ってたのに、むかつくわね……」
ルージュはカオスが残していった手札を表に向ける。
「思った通りろくなカードは残っていないわね。私の赤の魔導士を倒すのに高コストカードは使い切ってしまったということね。このカードじゃ私の狂戦士は防げない。やっぱり私の勝ちじゃない」
ルージュは念のため、カオスが1枚だけ仕掛けていたトラップカードに手をかける。万が一、切り札的な高コストカードが仕掛けられていれば、カオスの逆転もあり得なくはない。
「とはいえ、このトラップは序盤から仕掛けておきながら結局使わなかったもの。赤の魔導士を落とす時にも結局使わなかったのだから、たいしたカードではないと思うけどね」
そうつぶやきながらルージュがトラップカードをめくると、出てきたのは低コストのトラップカード「ただの罠」だった。それはその名の通りただの簡単な罠で、高コストのキャラ相手にはまったく効果がない。赤の魔導士のカード相手にカオスが使わなかったのも当然のことだった。
ただ、この「ただの罠」には、一つ特徴がある。一般兵などの知力の低いキャラが相手ならば、相手が攻撃を宣言した時に表を向け、その一体だけなら確実に葬り去ることができる。もっとも、一般兵ごときを一体削ったところで大勢には影響ないので、普通ならわざわざコストを使ってまでデッキに入れるようなことはしない。
だが、ルージュはそのトラップカードを見て顔を青ざめさせていた。
「ちょっと待ちなさいよ……。こんなのを仕掛けて最後の最後まで発動させずに残しておいたなんて……」
「ただの罠」は低知力キャラ相手にしか効果がないため、ほとんどの高コストキャラに対して意味のないカードだ。しかしながら、ルージュが切り札として残していた「狂戦士」、見境なく襲い掛かるこのキャラの知力は0扱いされるため、「ただの罠」の効果対象キャラとなってしまう。もしあのままゲームを続け、ルージュが「狂戦士」を出し、攻撃を宣言していれば、カオスは間違いなくこの「ただの罠」を発動させ、「狂戦士」を退場させていただろう。そうなれば、中級騎士一枚のルージュに、流浪の剣士や一般兵3人相手を相手する力は残ってない。
「あのまま続けていたら、負けていたのは私ってこと? まさかこの私が、初対戦の相手に負けるなんて……」
軍で戦術訓練に取り入れられているとはいえ所詮はカードゲーム。こんなものの勝負でどちらが指揮官として優秀なのか測れるようなものではない。
そんなことはルージュもよくわかっている。
それでもルージュはこみあげてくる悔しさを抑えきれなかった。
「なんなのよ……なんなのよ、あの男!」
こらえきれなくなった感情を呻きのようにルージュが吐き出すと、闘技場の方で歓声が上がった。
「……そういえばトーナメントが終わったようなことを言っていたわね。どうせ勝ったのはラプトなんでしょうけど、次は無敗のチャンピオンやらと戦うはずね。……その試合くらいは見ておいてあげましょうか」
カオスという男へ感情はまだくすぶったままだが、ズレているとはいえ、ラプトなりに気を遣ってここに連れてきてくれたことをルージュは思い出す。カードゲームに興じていたためトーナメントの方は一試合も見ていなかったが、最後の試合くらいは見ておこうと、少し冷静になったルージュは闘技場が見渡せるところまで歩いていく。
次第に土の闘技戯の中にラプトの姿が見えてきた。木製の剣をいつものように両手に持っている。賭博場には手ぶらできたのだから、ここに備え付けの武器を借りたのだろう。
「まぁ、予想はしていたけど、当然勝ち残ってるわよね。それで、対戦相手は――!?」
ルージュはラプトと向かい合う男を見て驚きに足を止める。
そこに立っていたのは、先ほどまでルージュとカードゲームに興じていたカオスその人った。
「どうしてあの男があんなところに!? ……これって、あのカオスって男が闘技場無敗のチャンピオンってこと?」
さっきまで闘技場の試合になどほとんど興味がなかったのに、ルージュの目は闘技場の二人の男に釘付けになっていた。




