3.母は強し
夕焼けに染まるエミリ宮に向かって、馬に乗って駆ける一人の近衛兵の姿があった。
制服の階級章は大尉で、肩から通信事項の書類を収めた革製のカバンを下げている。
エミリ宮に到着した近衛兵は、門番の衛兵に用向きを伝える。
「王宮よりサンドラ様への急使です。お取次ぎ願います」
宮殿の中に通された金髪碧眼の青年将校は、執事と共にこの宮殿の主のもとへと向かう。
階上の一室に到着すると、執事が扉をノックした。
「サンドラ様、王宮より急使にございます」
「……そう。通して頂戴」
部屋の中の女性がそう答える。執事は近衛兵に意味ありげな笑みを浮かべると、軽く会釈したのちに自分の仕事に戻っていった。近衛兵は扉を開けて部屋へ入る。
「あかえり、マリア」
この宮殿の主──、サンドラ夫人が声をかけると、近衛兵は後頭部で縛っていた髪を解いた。
「お久しぶりです。母さま」
近衛兵は姫様の変装だった。マリアはエミリ宮で生まれ、幼少期はここで過ごした。9歳で教会の洗礼を受け、王女として王宮に移った。エミリ宮に帰ってくるのは2年ぶりだった。
「ふふっ、それにしても、それ変装する気ないでしょ?」
「ええ……まあ、顔を覆ったりすると却ってあやしいので、遠目に『姫が共も連れずにどこかにいってしまった』ってならなければいいんです。搦め手口の衛兵は手懐けていますので問題にはなりません」
「それで? なにか王宮から知らせがあるとのことですけど」
「これを……」
マリアは肩にかけていたカバンから1通の手紙を取り出し母に手渡す。
手街はマリアが書いたもので、魔族との戦いが始まる可能性について、自身の縁談の話、以上を踏まえたうえでマルボークへ行きたいと考えていることまでが書かれていた。
「マリアは騎士団長の力になりたいのね?」
「え? あー……えーっと」
「現地までは身分を隠していくにしても、そこで正確な状況を把握しようとするなら身分を明かして騎士団長に会うべきよ」
「町の人や兵士たちに話を聞くのじゃダメかな?」
「正確じゃなかったり、憶測が混じったりするから駄目ね」
「……その通りです、ね」
「困難な仕事をかかえている将来の夫を支える。素敵なことじゃない!」
サンドラは両手を合わせてマリアを見つめ、感激した表情を見せる。
「まだ騎士団長さんにはそこまで興味はないんだけど……」
「そういう事にしておけば、国王陛下の賛同も得られるということよ」
「あ……、そっか!」
「護衛も、私費だとそんなに連れてはいけないでしょう?」
「そこまでは考えてなかった……」
サンドラはマリアを抱き寄せると、抱擁して言う。
「今日は泊まっていきなさい。明日、陛下にお願いしましょう」
「うん……」
エミリ宮に姫様が泊まることは、執事が手配して王宮へ知らされた。マリアは久しぶりにエミリ宮の自室で夜を過ごした。
「はぁー、落ち着くー」
ベッドに腰掛けていたマリアは、そう言うと後ろに倒れこみ伸びをする。
「母さまに相談してよかったー」
唐突に舞い込んだ縁談をきっかけに、マルボーク行きを思いついたものの具体的な方針を思いつかなかった。母に相談しなければ、家出同然で無謀な旅に出ていたかもしれない。
気持ちがすっきりしたマリアはその夜、ぐっすりと眠れた。
翌朝、マリアは母サンドラと共に馬車で王宮に帰った。サンドラはマリアと別れた後、間を置かず国王の執務室に”特攻”した。すると、あっという間にマリアのマルボーク訪問を承諾させた。
「魔族との戦いに関することは伏せておいたからね」
その直後にマリアの私室を訪ねたサンドラは、マリアに事のあらましを説明する。
「ありがとうございます。母さま」
「後日計画を詰めるための官吏を付けるから、同行者を募っておくようにとの事よ。護衛は近衛から選抜して別に付けるそうだわ」
「わかりました」
「それじゃあ私、ちょっとアランに会ってくるわね」
そう言うとサンドラは退出した。アランはマリアの弟の第5王子である。マリアと同じくサンドラの子で、今年エリザ宮から王宮に移り住んでいた。
「なんだかトントン拍子ですね」
隅に控えていたサリーはまだ”お仕事モード”だ。
「陛下は女の押しに弱いからね」
「あらあら……。同行者はどうされますか? 私は連れて行ってもらえるのです?」
「もちろん来てもらうつもり」
「それは良かったです。置いて行かれて、よそに配属されても困るので」
「ふふふっ。そっか。ありがと! あとはもう一人の”影”と、一応治癒魔法の使い手がいる方がいいかしら? まあまあの長旅だし」
「そうですね。心当たりはおありで?」
「シスターストロベリー」
「ああ……、確かに適任ではありますが」
「なにか思うところでも?」
「いえ、忘れてください」
「ふーん……。まあいいわ。勧誘に行ってみましょう」
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