全フラグをへし折ってさしあげますわ!
見慣れた光景が目の前に広がっている。
…いや、視野が狭まっているから、広がっていると言うのは語弊があるのかな?
のんびりとそんな事を感じながら、首を捻る。
「ちょっ!!!おまっ!……………いい加減にしろよっ!!!」
夕焼けに照らされた誰もいない教室で、男の怒鳴り声が響く。
換気のため両側から少しづつ開けてある窓から、涼しい風が入り、長いカーテンがヒラヒラと揺らめいている。
フーとため息を吐くと、
「……私が何か致しましたか?」
抗議である。断固抗議である。全面的に私に非は無い。
「それより、どいて下さらない?」
股間だ。制服のズボンの股間の部分が、私の視界の90%を占めている。
“この状況”になった事に、私にどんな非があるというのだろうか?
掃除のために机は教室の後ろに固められ、広がったフローリングには、私達が横になって重なっている。
柄の長いホウキを両手に持ったままでなければ、股間は私の顔に直撃しただろう。
仰向け状態の私に、被さるように馬乗り状態になっている男子。
顔と顔が接近して、あわや接吻、なんて状況ならトキメキの1つや2つ生まれたろうに。
しかし、だが、目の前にあるのは男の股間なのだ。
「……スッ!……スマン……。」
そう言うと、男子は私の上から退いてくれた。
かき集めたホコリの上に倒れた私は、制服のブレザーやスカートをパンッパンッと払いながら立ち上がる。
「やっと退いてくれましたのね。」
乱れた気持ちや髪を整えるつもりで、フワフワと腰まで揺れる癖っ毛をかきあげる。
「これで何度目なのでしょうか?」
そう言ってニコリと笑って見せると、目の前の男子は一気に赤面する。
放課後の掃除中、チリトリを取ろうと屈んだ私に、勢いよく教室の入口から入ってきたこの男子は、私にぶつかり“この事故”は起きてしまったのだ。
不幸な事故なのだ。私にとっては本当に不幸なだけの事故なのだ。
「お前、……俺の体をジロジロ見てんじゃねーよ。」
モジモジと、胸と股間を手で隠す様にしながら、顔を真っ赤にしながら男子生徒は呟く。
「毎回毎回、俺のあられも無い姿を覗くは、触るは、わしづかむは、揉みしだくは。……なんで俺ばっか狙ってくんだよ?!」
「……それもこんな外でさぁ!誰に見られるか分かんないような教室でよぉっ!!!」
徐々にヒートアップしていき、最後は叫ぶような声で訴えてくる男子。
自室ならいいのだろうか…。内でも外でも同意が無ければ、セクハラはセクハラだろうに。
私の頭の中に冷静なツッコミが浮かぶ。
「全て、偶然に起きた“事故”ですわ」
貼り付けた様な笑顔を崩さず、弁解する私。
いい訳なんて、面倒臭い。本当は黙って立ち去りたい。
迷惑をかけられているのは、こちらなのだから。
取り乱さない私の様子に、少し恥じらいを覚えたのだろうか?
間を開けずに男子生徒は口早に答える。
「嘘だろ?!俺もうお婿にいけないよっ!!……………お前ん家以外。」
最後は、聞こえるか聞こえないか分からないような小さな声で呟く男子。
「……まぁ。それはそれは……。ところで、どこか強く打ちました?早めに病院に行かれたらどうかしら?」
主に頭を入念に検査された方がよろしいのでは?
最後の言葉もバチコリ聞こえてたが、もちろん我が家に貰ってやるつもりはない。
張り付けた様な私の笑顔はビクリとも崩れず、不変の鉄壁だ。
「あれ?もしかして今俺の事心配してくれてる?!…大丈夫!どこも怪我してねーから!」
ホラ!平気だよ!と手足をブラブラさせながら、無事をアピールしてくる。
聞いてません。というか、効いてません。
イヤミの1つぐらいも理解できないのかしら?いや、ココはこんな程度が通じるような生易しい「世界」では無い。
「な、なぁ、お互い怪我もないようだし、ぶつかったお詫びにお茶の1杯位奢らしてくれよ。」
うつむき加減で横を向き、首の後ろに手を回し、もう片方の手は腰に当てている。…いわゆる、首痛めポーズね。
照れながら、彼は私をナンパしてくる。
「すみません。誘っていただけるのは嬉しいのですけれども、今日は生憎この後、友人とのお約束がありまして。」
約束、私の放課後には一生そんなものは無い。訪れない。
「……そっか。」
窓に手をかけ、外を見ながら残念そうに彼は呟く。
すらりと高い鼻に、サラサラした前髪がかかる。形のいい薄い唇はキュッと結ばれていた。
ルシウス・フォン・バルハルト、彼は騎士団長のご長男様。
夕焼けの空に負けないくらいに美しく、秋風に揺られてキラキラと輝く紅い御髪。
濁りのない澄んだ瞳は、髪の色と同じくワインレッド。
体格にも恵まれ、スラリと伸びた手足に、しっかりと筋肉がついている。
言わずもがな、剣の腕前だけではなく運動神経も抜群。
人懐っこい性格で、出会った人間は、間もなく素直に好感を持つ様な、爽やかな容姿も兼ね備えている。
男らしさを感じる身体と、少しヤンチャなカワイイ表情とのギャップに、学園の女性達はハートを射抜かれているのだ。
しかし、私はその輝かんばかりのチャーミングなご尊顔に、先程の股間のドアップがチラつき、どうにも萌え散らかすまでの心持ちにはなれない。
細く、形のいい完璧な唇から覗く八重歯よりも、彼のBANANAの膨らみのインパクトの方が、いまだ印象が強いのだ!!
……………強いのだ!じゃねーよ。
もうっ!!!んー、ん-忘れたいんー……。
ぐちゃぐちゃに頭を掻きむしりたくたる。
ほうきを握っている反対の方の手で、自分の体を抱くと、ブルリと身悶えした。
「じゃぁ、また今度な!」
私に方に振り替えると、輝くようなご尊顔で笑いかけて下さる。
眩しいっ!!
……そう感じた瞬間、いきなり目の前が真っ白になった。
比喩じゃなく、その瞬間、視界全てが白一色になったのだ。
気が付くと、目の前に教室のカーテンにぐるぐる巻かれたミイラ男がモゴモゴ言っている。
窓から強く吹き込んだ風が、白いカーテンを巻き上げ、奇跡的にルシウスを包み込んだのだ。
ポツポツとサブいぼが浮かぶ。悪い予感でゾッとする。
この世界のハプニングにはつきもののアレが来るっ!
私は本能的に顔と胸をかばうように、長ぼうきの柄を強く握り直した。
……さぁ来いっ!!!!
視界を奪われたルシウスは、よろよろ歩いていたと思ったら、ズイッとこちらに倒れて来る。
「わっ!わっ!何だコレ!どうなってんだコレ?!」
いくら運動神経抜群と言えども、手足を縛られてしまっていればどうしようもないらしい。
倒れこんで来るルシウスの顔面らしき上部の膨らみに、もはや棍棒と化した長ぼうきを叩きつける。
様に前に差し出しガードする。
ガインッ!!!
直後、カーテン越しのチュウはルシウス様と長ぼうきの間で成立した。
「いってぇ!……おっ、俺の前歯がぁぁぁぁあ!」
痛みに悶えたルシウスは、床に転がっていた。囚われていた白いカーテンからは解放されていた。
取り乱した彼が両手で抑えているのは、髪と目とお揃いになった真っ赤な顔だ。
反面、貞操の危機から脱した私はホッとしている。
男に唇を迫られた。とは言え、これも予期せぬ事故だ。それに、痛がっている男子学生を放って帰るほど、私は非情ではない。
「ルシウス様、大丈夫ですか?」
そう言うと、転がっているルシウスに開いた手を差し伸べた。この位の接触は大丈夫だろう。
よしんばアレの第三波が来ても、返り討ちにしてくれる。
学校の人気者とは思えぬ醜態を晒している事を察したルシウス様は、バッと私の方を向き、目が合うと顔をさらに赤くする。何となく、男梅を思い出す当たり、私の頭はヒエヒエだ。
差し出された手を握り、ルシウスは立ち上がると、クルリと背を向き、整うまで深呼吸を繰り返す。
落ち着きを取り戻しこちらに振り向くと、私に一つの提案をしてきた。
「今日起きたことは、誰にも言わないでくれ。流石にかっこ悪すぎる。貸しを返すには足りないかもしれないが、今日の掃除を最後まで手伝ってやるよ。机とか椅子の位置を元に戻すのは、男の俺の手を借りた方が早く済むだろ?」
「うーん、そうですわね。それじゃぁ、お言葉に甘えてお掃除手伝って頂いてもよろしいでしょうか?」
接触時間は短いに越したことはないが、家に早く帰れる事を思うとこの提案は魅力的だ。
「……うしっ!したら、いっちょ気合い入れてやりますか!」
高いテンションは、体育会系のノリにも、さんざんの醜態を晒した照れ隠しの様にも見える。
どちらにしろ、テキパキと動いてくれたルシウスのおかげで、あっという間に掃除は終わってしまった。
「お手伝い頂きありがとうございました。……それでは、ごきげんよう、ルシウス様。また明日。」
貸した借りを返したもらったとは言え、手伝ってもらった礼をキチンと伝え、別れの挨拶もする。
すると、帰り支度が終わるまで様子を見ていたルシウスが、ぶっきらぼうな声だ出す。
「……おう。気をつけて帰れよ。馬車までにまた誰かとぶつかったりすんじゃねーぞ。お前も、たいがいドジっ子なんだからよ。」
返事の代わりにニコリと微笑むと、踵を返す。
教室を出て、下駄箱に向かって歩き出す。
廊下を少し進んだところで、張り付いていた笑顔をひっぺがす。
魚の死んだ様な目で、無気力そのものの表情に戻る私。
コレコレ、この顔が私のディフォルトフェイス。
「……はぁ?……ドジっ子って何?!ブーメランなんですけど。」
誰にも聞こえない様な小さな声で、抗議する。
ぶつかりたくて、ぶつかってんじゃねーよ!
したくて、してんじゃねー!!
誰も望んでなんかない!
イケメンに触れられてラッキー?!
よっ!一級フラグ建築士!?!?うるせーよ!バカ!
ラッキースケベと言うものは、女の子の柔らか神聖ボディに触れられてこそ、ラッキースケベであるべきものなのだ!!!
決して、男のゴツゴツした身体や、BANANAやナウマンゾウや大宝玉や通天閣を、触れたり、鷲掴んだり、揉みしだいたりするもんじゃ無いんです!!!
…………いーんですか?よくないんです!!!!
産まれた時からこの世界の異物である、私にかけられた一種の呪い……。
それすなわち、この世に現存する、唯一無二の『 男子限定リアルラッキースケベ量産マシーン!! 』
それが、この私、イルスベル男爵令嬢、メアリー・イルスベルなのである。
ワナワナと肩を震わせながら、学園の玄関の前まで迎えに来てくれていた、我が家の馬車に乗り込む。
「どうかされましたか?……お嬢様?」
ドアを開け、手を差し伸べ支えてくれている専属侍女のシャティが、心配そうに顔を覗き込む。
「いいえ、何でもないわ。今日は、お掃除当番でしたの。たまたま一人で掃除する事になってしまって、今の今までかかっていしまったわ。それで、疲れてしまったのかもしれないわね。」
「そうでしたか……。それでは、お家に戻られましたら、いつものハーブティーをご用意いたしますね。」
「ええ、お願いするわ。……フフっ。」
主人の機嫌を取り戻せたと、ホッとした顔をした侍女のシャティは、馬車の扉を閉め、向かい側の席に座る。
シャティお手製の、リラックスハーブティーも嬉しい。
だが、それよりも何よりも自宅に帰る!!!家に戻れる!!そう思うと、次第に心が踊る。
窓の外、変わりはじめる景色をボーっと眺めつつ、今後の学園生活に思いを馳せる。
溜息で、窓ガラスが曇ってしまった。
……はぁ。……今日も、明日も、明後日も……。
……生きるのが、本当シンドイ。