旧友から久しぶりに連絡があったと思ったら用件は「金貸して」だった
「白山君、この見積りやっておいて」
「分かりました」
程々に忙しい昼下がりのオフィス。
忙しすぎるのは御免だが、退屈だと時間が経つのも遅い。ちょうどいい状態だといえる。
俺のスマホにメールが届いたのはそんな時だった。
「……!」
思わず目を見開いた。懐かしい名前からだった。
加賀洋平。中学まで俺の親友だった男だ。
高校は別々になってしまい、そこからはやはり疎遠になってしまったが、まさか再び連絡をくれるとは。
久しぶりの挨拶と、今の住所を尋ねてきたので、俺は上司の目を盗んで返信する。
間を置いて、今度は「会えないか」と連絡が来た。
洋平が指定したカフェは会社帰りに途中下車すれば寄れる場所だったので、俺は快諾した。
その後も程々に忙しく過ごし、この日は少々の残業で退社することができた。
待ち合わせ場所へ向かう電車内で、かつての親友との思い出がよみがえる。
俺の下の名前は真人なので、「マサやん」と呼ばれていた。
洋平は体育が得意で、特に球技ではいつも大活躍していた。ドッジボールなら必ず最後までコートに残るし、バスケでは華麗なドリブルを披露していた。
絵を描くのも上手かった。流行りの漫画のキャラの模写が得意で、自分で漫画を描いてもいた。彼の描いたギャグ漫画を見て大笑いしたこともある。
頭もよかった。5段階評価の通知表には4がずらっと並んでいたし、指を使ったオリジナルのゲームを作って、みんなを楽しませてくれたこともあった。
俺はそんな洋平に憧れと嫉妬を抱きつつ、友であることを誇りに思っていた。
そんな彼がいったいどんな大人になっているのか。スポーツ選手、デザイナー、漫画家、研究者、教師、どんな職業についていたとしても違和感がない。
久しぶりの旧友との再会を楽しみにしながら、俺は電車を降りた。
***
指定されたカフェはどこにでもあるチェーン店のカフェ。
中に入ると、奥の席に洋平がいた。
面影があるのですぐに分かった。が、どうも様子がおかしい。
洋平はボサボサの頭で、よれよれのパーカーを着て、顔にもまるで覇気がない。
これがあの洋平? 「俺が想像した大人になった洋平」とはあまりにもかけ離れた姿だった。しかし――
「マサやんか? こっちこっち!」
間違いない、本人だ。
俺は戸惑いながらも、洋平のいるテーブル席に座る。
「懐かしいなぁ、マサやん! 中学以来だもんなぁ!」
「う、うん」
洋平はすでにアイスティーを頼んでおり、俺もブレンドコーヒーを頼む。
まもなく出てきたコーヒーを飲みながら、俺はまじまじと洋平を見る。
小中学校の頃はみんなの中心だった洋平が、今や冴えない青年に変貌していた。
本人だということに疑いの余地はないのだが、心のどこかで未だにこの男を洋平だと認められない自分もいた。
そんな空気だからか、世間話をしていてもすぐ会話が途切れてしまう。
すると、洋平は卑屈な笑みを浮かべて用件を切り出してきた。
「あのさ……金貸してもらえない?」
「……!」
俺はショックを受けた。
胸にズドンと鉄球を浴びせられたような気分だった。
いや、風貌を見た瞬間にこういう用件だと心の中では気づいていたのかもしれない。
「……いくらぐらい?」
一応聞いてみる。
「10万! いや……5万。無理なら3万でもいいんだ……」
金額が二段階下がった。これは最初に無茶な要求をしておいて、後から低い要求をすれば受け入れてもらえる、といったテクニックのつもりなのだろうか。だとしたら姑息なことを考えるものだ。
「理由は?」
「今ちょっと働いてなくて……家賃とか光熱費払っちゃうと生活がカツカツでさ……」
無職なのか。まあたとえアルバイトでも働いていればもう少しましな格好をしているだろう。
俺は会話をしつつ、自分の中にこみ上げるこの気持ちはなんなんだろうと、自己分析していた。
こんな用件なら最初からメールで伝えろという怒りか。
かつての友人が金の無心をしてきたことに対する失望か。
久しぶりに遊ぼうぜといった用じゃなかったことへの悲しみか。
ここへ来るまでこういう事態を想定してなかったおめでたい自分への呆れか。
おそらく、どれも正解なのだろう。とにかくいい気分でないことは確かだ。
「頼む! 絶対返すから!」
かつて憧れすらした親友が、俺にすがりつくような眼差しを向ける。
こんな光景は見たくなかった。
小中学校での立場を考えると、むしろ俺が「あっち側」にいた方が自然なのに。俺がいつも洋平に何かを頼んでいたのに。
頭の中でそろばんを弾く。
俺は独身アラサー会社員。趣味らしい趣味もなく、事実上「趣味:貯金」状態になっている俺にとって、5万や10万といった金額を貸すことはそう難しいことではない。
ただし、俺は親から言われたことがある。「人と金の貸し借りはするな」と。
言われた当時はもちろんピンとこなかったが、今になると分かる。借金は人間関係を壊す。現に、俺の中での洋平のイメージは暴落してしまっている。
しかし、久しぶりに会った旧友に力を貸してやりたいという思いもあった。
子供の頃に蓄積された「借り」のようなものを返すなら今しかないと。
二つの気持ちがシーソーのように揺れ動く。
そこで――
「5万貸す。だが、返さなくていい」
「ホントか!?」
自分の中で出した結論。
洋平が提示した10万、5万、3万の金額の真ん中、5万を渡す。
貸すんじゃなく、あげるつもりで。
歯を見せるような笑顔で喜ぶ洋平。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
先ほどまでの暗い顔が嘘のようになり、こんな提案をしてくる。
「ここのコーヒー代は出すよ」
「いや、自分で払うよ」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
友達に金を貸してと頼まれた。考えた末、いくらかの金を手渡した。それだけのことだ。
なのになぜ俺はここまで陰鬱な気持ちになっているのか、自分でも分からなかった。
それから洋平と別れ、自宅に戻ってももやもやは残っていた。
このもやもやの正体はなんなのだろう。
金を渡したことを後悔しているのか。
いや、自分なりに熟考した結果だし、そのことに後悔はない。金なんて貸せないと断ったとしても、それはそれでもやもやは残ったことだろう。あの5万を渡したことで生活が苦しくなるということもない。
洋平があんな風になったことがショックだったのだろうか。
子供の頃、俺の憧れだったあいつには有名人……とまではいかないまでも、何か一分野で成功を収めていて欲しかった。あいつには才能があり、それだけの期待をしていた。なのに、俺なんかに金を無心する大人になってしまった。
勝手に期待し、勝手に失望している。こんなことを考えている自分も嫌だった。
俺だってもし他の誰かに「お前は大人になったらもっとすごい奴になってると思ってた」なんて言われたら絶対不快になる。お前の想像なんか知ったことかと。
そもそも金を貸したこと自体が間違いだったのだろうか。あいつのことを考えるなら突っぱねるべきだったのだろうか。
考えれば考えるほどもやもやが広がる。いくら広がっても密度は薄れず、脳内が霧だらけになる。
俺にはなにもかもが分からなかった。
しかし、ただひとつ分かっていることもある。
覆水盆に返らずということわざがある。
俺と洋平の友情は、もうあの頃のようには戻らないだろうなというのはひしひしと感じていた。
***
一晩経ち、出社してからもなかなか仕事が手につかなかった。
今重要な案件を抱えていないことに安堵しつつ、自分自身のデリケートさに呆れる。
考えていることは昨晩とほぼ一緒。
久しぶりに連絡をくれた友人の用件が「金貸して」だったことに対するショック。
落ちぶれた友人は見たくなかったという失望。
勝手に失望している自分に嫌悪している。
金を渡したことが正しかったのか未だに判断がつかない。
いつまでこんな悩みを抱えているんだ、ということ自体に悩んでいる。
誰かに相談するという手もあった。金を貸す・借りるの体験をした人はきっと多い。上司や先輩なら、経験則を含んだ中身のあるアドバイスをくれるかもしれない。
しかし、相談する気にはなれなかった。
洋平の陰口を言うようでフェアじゃない気がしたからだ。
結局、俺はこのもやもやは誰にも相談せず、自分の中で解消しようと決めた。
それから何日かは精彩を欠いたが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。俺はいつしか金を貸したことさえも忘れ、元の調子に戻っていった。
***
それから数ヶ月が経った。
金を貸したことなどすっかり記憶の彼方に行った頃、メールが来た。スマホを覗くと洋平からだった。
また会いたいという。待ち合わせ場所は同じカフェだ。
用件は、また金の無心だろうか。もしそうだとしたら、きっちり断るつもりだ。困ってる友人を見放せるほど冷徹にもなれないが、何度も手を差し伸べるほど甘くもない。それが俺の俺自身の評であり、その通りの行動を取るつもりでいた。
俺は退社後、洋平の待つカフェに向かった。
カフェに入ると、洋平が待っていた。
しかし、雰囲気がずいぶん違っていた。身なりが整っており、清潔感が漂っている。昔の洋平にかなり近い。
席につくと、洋平は封筒を差し出してきた。
「これ……」
中を見ると、一万円札が五枚入っていた。
「まだ余裕がなくて……利子は勘弁してくれ」
「返さないでいいって言ったのに」
「そういうわけにもいかないだろ。これで返さなかったら俺は本当に終わりだった」
自嘲気味に洋平が口ずさむ。
それから洋平は、俺から金を借りた時の状況を詳しく語ってくれた。
洋平は高校大学とやはり俺が想像した通りの順風満帆な生活を送っていたが、就職活動で人気業界を狙ったことでつまずいてしまったという。
仕方なく入った会社は酷いブラック企業で程なくして退職、それからは色々と不幸が重なり、いわゆる人生のレールから外れた生活を送ることになる。
俺に借金を申し出たのも半ば自暴自棄からきた行動であったという。冷たく断られるのを期待してた部分もあったそうだ。かつての友人に冷たくされれば、きっと自分自身の人生を諦められると。
しかし、予想に反し、俺は金を渡した。それから洋平は自堕落な生活を反省し、一念発起したという。今は小さな会社ではあるが、働いてるとのこと。
「まさか貸してくれるとは思わなかったよ」
「俺もあれから結構悩んだんだぞ。貸してよかったのかなとかさ」
「俺が逆の立場だったら貸さなかったかも」
「おいおい、そりゃないだろ」
俺と笑顔で雑談する洋平に卑屈さはなく、かつての面影が戻ってきたような気がした。
「またみんなで遊ばないか?」
「いいねいいね! 仲間を集めて、プチ同窓会みたいなのやろうぜ!」
大人になった仲間を再び集めるのは容易じゃない。多分この同窓会は実現しないし、社交辞令だというのは分かってる。だけど楽しい。
とはいえ会話はどこかぎこちない。完全に昔に戻ったとは言い難い。
おそらく昔みたいな関係にはもう戻れないと思う。金を貸す、金を借りるというのはそれだけ重い行為なのだと実感する。
しかし、洋平に金を返してもらったことで、かつての友情もまたいくらか返ってきたのではないかと思えることも事実だった。
完
お読み下さりましてありがとうございました。