時機
正しいだけでは生き残れない。
それでも天童が、前に進み続けるなら――
戌居君が本気で闘うのを、まだ見たことがなかった。
彼に殴られた時の痛みは覚えている。覚悟の決まった、いい拳だった。
「それでも機会はこないんだろうね」
「あ? 何?」
ノートから顔を上げた戌居君が、不審そうに僕をみた。僕が彼と命の獲り合いをするシーンは訪れないだろう。それは予感ではなく、確信だった。彼は闇に落ちるような性格をしていない。僕も宵闇に紛れるばかりで、真に暗い闇の使い手にはなる気がないのだ。
今日は図書館で勉強会をしていた。
静かな学習室には人が疎らで、スマホでゲームをしている子も散見された。いや、家で遊べよと思わなくもない。ネットに繋がりやすいとか、そういうのあるんだろうか。
メンバーの減った喜慈の会の運営と今後の展望については、いまだ相談が続いている。互いに疑心暗鬼になって組織としての運用がままならない……となれば僕らを強襲した鬼児の会のメンツも立っただろうけど、事態はそこまで深刻ではない。例え新たに裏切り者が現れようと、残った人間で対処する。昨日の友達が明日の敵になるなら、自らの手で屠ってやる。そういう人間ばかりが残っていた。
つまり、戌居君もその一人なのである。
「ホント、苦労人だねぇ」
「あ? 何か言ったか?」
「いいや。何も。課題、手伝ってくれてありがとうね」
「感謝しろよ。俺だって忙しいんだから」
「猿田さんとのデートで?」
「うるせぇんだよ」
からかったら叩かれた。それでも、彼の全力ではないことは理解できる。僕は頬を摩りながら、課題の続きをこなした。
「まぁ、勉強を教えてくれってのは方便なんだけど」
「分かってンよ。そのくらい」
「ん。それじゃ、僕らでヒーローごっこをしよう」
「……本題に入るの、早すぎじゃね?」
戌居君は握ったペンを止めて、僕へと曖昧な笑いを漏らす。
夏季休暇を利用して、鬼児の会の戦力を削ることを決めた。
相手は統率の取れた組織ではない。構成員が20名近いことだけは分かっているが、それぞれに強固な横の繋がりがあるわけじゃないのだ。つけいる隙は十二分にあるし、それは自由な時間の多い僕らにこそ相応しい。この前の襲撃で割れた面を追いかけて動く程度なら、僕らでも出来そうだった。
宿題を広げていた机に、ロードマップを用意した。
僕らが調べ上げた鬼児の会のメンバーと、個人情報だ。相手の住所を割るには至っていない。喜慈の会だって会員それぞれの住所を知っているわけじゃないのだ。個人レベルで親しい相手と繋がっているだけで、組織としての強制力は存在しない。故に嶋中先輩の家を知っているのは戌居君と、彼に連れられて家を訪れた僕だけである。
僕の家の所在地や、雉畑がどこに住んでいるのかを正確に把握している人間はいないだろう。ロードマップには、ワナを張る、と書かれていた。
「どうするつもり?」
「鬼児の会に餌を撒くんだ」
「どうやって。僕らは身バレしているんだぜ」
喜慈の会に潜入者がいたことから逆算して、鬼児の会は僕らのメンバーの内訳を知っていると考えた方がいい。そうなると、僕らが彼らにとっての餌になるのは憚られた。意味がないし、かえって不利な状況を招く恐れもあるのだ。
「だから、協力者を増やすことにした」
「誰?」
「……今回限りの協力者だ。死んでも守れよ」
戌居君が合図をすると、協力者が僕の前に姿を現した。
彼女の姿に、僕は、思わず顔をしかめるのだった。
鬼児の会を一網打尽にするためならば。
戌居が用意した、秘策とは――




