9-6
「……それで結局、何が完成系になる?」
「さぁな。私が聞いた話では、闇の御子様候補になるらしいが……」
「それより、ガープ様のアレはいつまで続くんだ?正直、気味が悪すぎて――」
「バカっ!あの方の影口は慎め!つい先日も一人消えたんだぞ?」
「おい、それって……!」
「ここでは黙って言われたことだけしていろ。そうすりゃ、またあの儀式で好きなだけいい思いができる」
「でもよ、よくよく考えるとあれでできたのが……」
「だから、下手なことを考えるでない。何も知らない方がいいこともある……」
ひそひそと交わされる会話を断片的に捉える。
男たちは皆ダリドアリ教徒だ。昼間ではないので、ドーリと呼ばれる聖布で顔を隠してはいないが、一様に黒い服装で分かりやすい。
どうやらここで子供たちの世話をしているようだが、普通は女性がその立場であろうに後ろ暗いことが多すぎるためか、すべて男しかいない。最低最悪な場面を見た後だけに、さらに下劣な可能性も浮かんだりしたが、呪紋関連に関してはあの男一人が担当していることが分かったので除外できた。
その他の会話もつなぎ合わせて色々と推察したところ、ガープというのがあの変態男の名前で、前身不明の魔法士崩れのようだ。子供を使って闇の御子なる存在を生み出す実験をしているらしく、失敗作が街で奴隷として売られている。
闇の御子とやらが具体的に何を指すのかは不明だが、ダリドアリ教にとって重要な者であろうことは想像に難くない。ちなみに、ハカのことかもしれない話題も一つだけ拾えた。曰く、可能性があった子供が一人間違って出荷された、というものだ。
手違いでハカが商品に並んでいたとしたら、後からそれが発覚して必死に取り戻そうとしていた、という推論は成り立つ。シィーラたちが狙われたのはそのせいか。
一方で、それが本当であったとしても物凄い偶然が重なってもうハカにあの呪紋はない。こちらにはもう関係ない話ではあるが、それを知らない相手に何を言っても無駄だろう。最悪ハカが捕まっても呪紋がない以上、連れ戻されることはないというのが救いだろうか。すべて推測が正しければ、という前提ではあるが。
もっとガープに関する情報を集めたかったが、恐怖による緘口令が暗黙の了解で広がっており、ほとんどその口に上ることはなかったのであきらめた。変態は相当恐れられている。いずれ、あの外道に報いを受けさせようと思うが、今はまだ泳がせておく。その間に犠牲となる赤子はいるだろうが、こちらも聖人君子というわけではない。すべてを救えると思うほど傲慢ではなかった。
苦々しい思いと共に、今夜手に入れた情報をどうやって今後に活かすか、色々と考えながらその日は偵察を終えた。
翌朝。
それらの情報をナリスとシィーラに共有する。
「なんて酷いことを……許せないですね」
「んー、ハカもそこで何かされてたってことー?」
(呪紋に関してまだ不明な点が多いゆえ、その何かを調べたいところではあるな……)
「実験してたんなら、何か資料があるんじゃないのー?」
妖精の何気ない指摘にはっとする。まったくその通りだ。
(……それは、大いにあり得るな)
変態行為を目撃したせいで、思っていたより冷静さを失っていたようだ。その考えに至らなかった自分を恥じる。
「ま、まぁ、色々とやることがあって大変だったんですから、見落とすこともありますよ」
ナリスが慰めてくれるが、もう一度今すぐ調べに戻るべきかもしれない。しかし、資料があったとして昼間に盗み見ることができるだろうか。ますます、昨夜の詰めの甘さが悔やまれる。
「そいで、今日は誰に何の話を聞くのー?」
「ちょっとシィーラ。それは昨日、もう説明されたでしょ?」
「あれ、そうだっけー?」
主にナリスに向けて話したのは事実だが、シィーラもしっかりとそこにはいた。覚えていることはあまり期待していなかったので、案の定といったところだ。一応、概要だけはもう一度伝えておく。
(ダリドアリ教の儀式に関して何か知っているか。ニゲル草のことを知っているか。この村にダリドアリ教の人間がどれくらい来るか――)
分かりやすいように一つ一つ短く告げている途中で、シィーラが音を上げた。
「むりむりー、覚えきれないよー」
(……質問はナリスがしてくれるじゃろう。お主は疑問に思ったことをその都度投げかければよい)
先程のわしに突っ込んだように、時折見せる鋭い観察眼が妖精にはある。たとえ素朴な疑問でも盲点であることは少なくない。それならできそうだというシィーラを横目に、ナリスが問いかけて来る。
「一つ疑問があるのですが、この村でわたしたちが歩き回ってても大丈夫なのでしょうか?一応追われている身で、何となくの外見が伝わっている状態ですよね?」
(ああ、確かにそれは懸念事項ではあるが、それほど目立つ特徴でもない)
襲撃の依頼を受けた際に、ロッコは具体的に『黒髪の傭兵風の男と薄い金髪の女』という指定があったという。ほぼ髪色だけの識別だ。大陸ではそれほど珍しいわけでもない。
(更に言えば、そんな逃亡中の人間が呑気に聞き込みをするなどと思わぬじゃろう?賞金首のような似顔絵が出回っているわけではないゆえ、逆に堂々としていればそれだけ怪しまれぬというものよ)
「なるほど。あと、今回の子供関連にはまったく触れていないのは、関係者を刺激しないためですか?」
質問項目にあの地下の実験場のことは含めていない。今は下手に刺激しない方向で進めるつもりだ。頷くと、今度はシィーラが「はいはいっ!」と急に手を挙げてきた。別に挙手制にした覚えはないが、いつもの妖精の気まぐれだろう。
「そもそもさー、子供って売ったらダメなんだっけー?奴隷って言うのが禁止されてるとか言った気がするけどー?」
「あのね、シィーラ。それも前に話したはずなんだけど……」
ナリスが溜息をつきながらも、以前に話したことをまた伝える。妖精には根気よくこういった繰り返しをすることは重要だ。わしらは既にそうしたことを学んでいる。先程の口ぶりだと、シィーラは人身売買と奴隷売買を混同している可能性がある。
大陸では奴隷という身分は廃止の方向に向かってはいるが、人身売買そのものは否定されていない。個人を不当に扱う奴隷という待遇が忌避されているのであって、まともに養えない親や金銭に困った貴族などが、我が子を商人に売ること自体は好ましいとは思われないものの、普通にあり得る行為だ。
その人間を扱う商人が、まっとうにその買い取った個人を他所の必要とする者に売る際に、そのままの身分である平民や貴族として引き渡すのであれば、それは正当な取引であり、誰も責められるべきものではない。合意の元という但し書きは必須だが。ただ、その前提を壊して一部の悪徳商人などが個人を奴隷扱いし、顧客もそういう認識で人を物扱いする非道な行いが横行したせいで、人身売買そのものが奴隷売買と同等の意味として広まってしまった。そこには明確に違いがあるのだが、理解している者が少ないのが現状であろう。
「にゅにゅにゅ……じゃあ、マワリをあたしが買ってもいいのー?」
(いや、理論上は可能じゃが、その場合は買うというよりヤーガやボネットの同意のもと、養子縁組などを組むことになる。金銭が発生するかどうかの違いで、正当な手続きをせねばならぬが……)
シィーラ本人の国籍というか、所属がないのでそういう契約はおそらくできない。それよりも、そこまでマワリのことを気に入っていたのだろうか。仲間以外で、ここまで他人に情をかけるようになったとは少し感慨深い。
と思っていたのだが、
「ふーん、なんか面倒臭そうだからいいやー」
あっさりと撤回したので、単なる気まぐれだっただけのようだ。
「あ、でも、そういえば奴隷ってまだ公式に存在していませんでしたっけ?確か、落名者とかは実質、そんな扱いでも許容されていたような……」
(うむ。重犯罪者の罪人などもそうじゃな。国によっては死刑ではなく、奴隷としての懲罰が課せられておる。これは重い罰としての見せしめの意味もあるゆえ、特殊な例として考えるべきじゃ)
「あれれ、その落名者って何だっけー?」
(主に名前を冒涜した者のことじゃな。偽名で悪行を重ねたり、名を偽っての契約不履行などをすると名を剥奪される。そうした者の総称で大陸では重罪じゃ。身分も同様に落とされるゆえに落名と呼ばれることが由来じゃ)
「あー、なんか人間は名前を大事にするってやつだっけかー」
「尊名主義ね。いい加減、覚えよう、シィーラ……」
「ああ、それそれ。なんかねー、別にどうでもいいって思うから覚えられないねー」
軽々しく大陸の歴史を否定しているが、妖精からすれば正常な反応だとは思う。人間のわしですら、そこまで名前にこだわるのは如何なものかと思わないでもない。
ただし、命名の神であるノミーナが信じられている以上、蔑ろにできないことも事実である。信奉するノミーナ教団のもと、名前に関する特殊な現象が起こることは、その正しさの一端を証明していると言われれば否定はできない。
(ふむ。何か話が逸れた気がするな。何であったか……)
「あ、すみません。子供に関しては触れないって方向で行くってことでしたね。それと、ここで普通に聞き込みしていいのかという話で……ああ、そうだ。その関連でもう追っ手はいないという考えなんでしょうか?よくよく考えると、わざわざ馬車を襲うよりもこのイビサ村で待ち構えている、という選択もあった気がしたのですが……」
ナリスが本筋の質問に戻る。
(追っ手に関しては、あの弓男ライリーとやらの出方次第じゃが、おそらくはこれ以上ちょっかいはかけて来ないと思われる)
「ええと、それはどうしてでしょうか?」
(あの男の立場が正確には不明じゃが、現場担当と言った感じで最高責任者という風には見えなかった。だとすると、今回わしらを仕留められなかったのはあやつの失態であり、上に報告はしたくないじゃろう。つまり、もう片づけたとかそういう形で失敗をなかったことにする可能性が高い。わざわざわしらの死体検分などをするつもりもないじゃろうし、証拠もいらぬしな)
「ああ、なるほど……そう考えると、個人的には狙ってくるかもしれませんが、大体的に何かしてくることはもうなさそうですね……でも、先程の情報の通りだと、ハカを回収しようとしていたのなら、彼女を取り返さないと納得はされないのでは?」
(そこもどう誤魔化すか次第じゃろうが、わしならば既に始末されていた後だったってことにする。面倒がなくてよいからな。死人に口なしで、買い取ったシィーラが殺してしまったことにすれば、それ以上真相を確かめるすべはない。そのシィーラも死んだことにしてしまえばすべて闇の中じゃ)
「あたしは殺してないし、死んでないよー?」
(例えばの話じゃ。それに、このイビサの村で待ち伏せなかったことについては、ここで騒ぎは起こしたくなかったのじゃろう。街から移ってきた保安隊崩れの者がいるし、妙な噂や事件が起これば、あの外れの教団関連の施設や人間に関しても余計な疑惑の手が伸びてしまう)
ナリスは納得したように大きく頷いた。
これで話すべきことは伝えたので、わしはまたあの場所に戻って呪紋に関する資料を探すことにする。昨夜の時点で気づけなかったことが改めて悔やまれる。
宿屋で軽い朝食を済ませ、二手に分かれることになった。
村の外れ。ヨデールの森付近を飛ぶ。
夜と昼とではまったく違って見えるのは、どんな自然でも同じだ。
昨夜は鬱蒼とした陰鬱な森のように感じたが、今はのどかな雰囲気すら感じる。こんな場所で、年端も行かない子供が非道な実験で虐待されているとは思いも寄らないだろう。
なんとかするためにも、情報が必要だ。
地下の入口である小屋へと向かうと、見慣れない先客がいた。
前身が黒ずくめのただならぬ気配を持つ男だ。黒いからと言ってダリドアリ教徒ではない。どこかで見た気がしてすぐに思い出す。いつぞや、デルデ=ガルデの右区で屋根の上を駆けていた忍者のような影だ。外見からしてどこかの間諜だろう。見た目が怪しすぎて、それでいいのかと思わなくもないが、はっとして上空を見上げた察しの良さから、腕は確かなようだ。
男は口元まで覆っているので、その鋭い眼光だけが際立って見える。今もわしが飛んでいる頭上を睨んでいたが、さすがに鳥が監視しているとは考えが及んでいない。視線か何かを感じているのか、どこかの樹上に潜んでいるかもしれない人間を警戒しているように思えた。
こちらの気配に気づいているだけ、たいしたものだ。
その後も男は違和感をぬぐえないのか、度々こちらを振り仰いでは訝し気な動作を繰り返し、小屋を見張っている。
男もあの地下施設に興味があって忍び込もうとしているようだ。あるいはもう内偵はすんでいて、人の出入りを監視しているのか。
何も分からない。
かといって、このまま足止めされているわけにもいかなかった。もう一度中に入って、資料を探さねばならないのだ。
隠蔽の魔法が利いているためにこの距離ならば問題はないが、強行策で目の前を横切って小屋に入っていくと露見する可能性がある。
さて、どうすべきか。
そう思っていると森の中から一人の男が現れた。普通の村人の恰好をしているが、この場所に迷い込んだわけではあるまい。欠伸をかみ殺しながら、無造作に小屋の扉を開ける。
「おぅ、交替の時間だ」「お前、ちょっと遅かったぞ?寝坊したんじゃないだろうな?」「そ、そんなことない。ほら、早く休みに帰れよ」
漏れ聞こえる会話から、どうやら交替の見張り要員のようだ。あの様子では寝坊したのは図星らしい。
と、それまでじっとしていた男が不意に動いた。
隠れていた木陰から飛び出して、開けっ放しの扉へと駆け込み、「な――っ!!」という短い叫びに続いて何かが倒れる音がした。
次いで、そのまま静寂が訪れた。気配も消える。
まさか、ダロンの特攻ではないだろうな?
勢い任せで一人で突っ込み、戦を台無しにした男のような蛮勇ではないと思いたい。
予想外の展開だが、ここは便乗するべきだ。急いで後を追うと案の定、黒ずくめの男はもういない。地下階段を降りていったに違いない。見張りは二人とも気絶しているようだった。
慎重に且つ早急に、わしはその後に続きながら考えていた。
なぜ、見張りが二人いる時にわざわざ襲撃したのだろうか。タイミングに関しては一番時間が稼げるという意味で納得できるが、入れ替わった後で良かったはずだ。何か見張りを返すと不都合があったのかもしれない。
昨夜と同じように石造りの廊下を飛ぶ。男の姿はすぐに見つかった。堂々と廊下の端を歩いている。隠蔽の魔法がかかっていることは間違いない。通り過ぎるダリドアリ教徒はまるで気づいていないからだ。人間であれだけの隠形系の能力があるところをみると、相当の手練れな間者だろう。
こちらは初めからあの男を認識ているからこそ、こうして見えてはいるが、他の者からしたら背景に同化しているようにしか感じられない。隠蔽の魔法の認識阻害とはそういうものだ。はっきりと認識していると、すぐそばを何事もなく通り過ぎる教徒の男たちが間抜けに見えて仕方ない。翻って、自分も同様なことをしている身としては、鏡写しのようにも思えて微妙な気分になる。傍観者の視点は考えない方が健全であろう。
何度かそうした教徒をやり過ごして、男は迷いなくある場所へと向かっている。やはり既にこの場所は偵察済なのだろう。足取りに迷いがない。
子供たちのことを知らないわけではないだろうが、まったく気にかけることなく進む。今は割り切って何かの目的だけに突き進んでいるように思える。その後を追いかけながらも、こちらはこちらの目的を遂行する必要がある。あの変態男の居室辺りが本命だろうか。資料などがあるとすれば、おそらくは個人的な場所に集約しているはずだ。あの関係性を見るに、他の誰かと共有するといった思考は持ち合わせていないだろう。
遺跡崩れの廃墟を進みながら、男を視界に留めつつ、昨夜は見ていない場所を探る。
不意に男の足が止まった。明らかに後から取ってつけたような木製の扉を前に耳を澄ませている。上空から俯瞰できるこちらはその扉の先が見えるので、男が警戒している意味が分かった。その先の部屋は、男が赤子に呪紋を施していた場所だ。男の狙いはガープというあの変態なのか。
もしや暗殺目的か?
その考えに至って、決断を迫られる。あの変態を殺すことはわしにもできたが、それでは根本的な解決につながらない可能性が高い。同等の能力、あるいは技術を持つ人間がいるかもしれず、背後にある組織や目的なども分からなくなる。忍者らしき男はどこまで把握しているのか。殺すとしても、その後の展開を見込んでの手段であればいいのだが、判断材料がなさ過ぎて最適解が分からない。
逡巡していると、事態があっという間に動いていた。
どこからか現れたあのガープという変態が実験室に姿を見せ、忍者のような男がするりと忍び寄って一撃で昏倒させた。意識を刈り取る側頭部への見事な上段蹴りだった。そしてそのまま変態を担ぎ上げる。
忍者の目的はガープの拉致だったようだ。どこかに連れて行って尋問する気なのだろうか。
またもや選択肢が二つになった。このまま忍者を追うか、この機に変態の資料を探すかだ。前者は相手にバレる可能性が高いが、色々と得られるものも多そうだ。迷っている暇はない。継続して追いかけることにする。
大胆に人を担いで動くのだ、何か秘密の出口でも見つけていて鮮やかに脱出するのかと思っていたら、忍者はそこから発見された瞬間に相手をなぎ倒すという力押しで進んでゆく。先程までの慎重な探索は何だったのか。
実は、衝動的な行動で何も考えていなかったのかもしれない。
なぜか見知らぬ男の行動をひやひやしながら追いかけるはめになった。行動指針がまったく不明な人間を追跡するのは、とても不安であることを学んだのだった。




