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一般的に風の魔法は一番応用力が高いと言われている。
なぜかと言えば、それだけ研究されてきたという歴史があるからだ。諸説あるのだが、古来より人は空を飛びたいという欲求が強く、そのための方法として誰もがまず思いつくのが風の魔法であるというのが理由だ。空を飛ぶという研究の過程で幾つもの副産物が生まれ、様々な風の魔法が生まれたという理屈である。
また、場所を選ばないという点もあげられる。世界中のどこにでも空気はあり、風の魔法を使うための制限が少ない。
そうした汎用性、応用性が高い風の魔法の一つに、運搬系の魔法がある。人間の筋力では運べない巨大なもの、重量のあるものを動かすための魔法だ。土台である大地、土を使う移動魔法もあるが、土地そのものへ干渉するために元に戻す作業という手間がかかるため、風による運搬の方が主流だ。
マワリを見つけたとして、鳥であるわしが子供とはいえ自分の何倍もの重量のものを運べるはずもない。ゆえに、風の魔法で逃がすという方法を選択するしかなかった。問題は、その場合は確実に周囲にバレるということだ。
人質が勝手に浮いて移動していたら、どんな愚か者でも気づくだろう。しかし、他に手がない以上、風の魔防壁と移動を同時にこなす形で安全圏に運ぶしかない。手荒いやり方であっても我慢してもらおう。
既に天幕の中は確認済だ。猪の魔物であるルスフェ狩りに注意が向いている間に、マワリの無事は確かめられた。非力な子供ゆえに縄で後ろ手を縛られているだけの状態だ。眠らされているままなので、本人はまだ攫われた事実にも気づいていない。そのまま夢の中にいてもらった方が精神衛生上はよろしい。野蛮な人間に連れ去られた経験など不要であることは言うまでもない。
シィーラたちが到着した段階で仕掛けるのが一番効率が良さそうではあったが、天幕には一応魔法に対する結界らしきものが張られており、中に潜んでその瞬間を待つ、という戦略は取れなかった。外からかろうじて中を盗み見るのが精一杯だったので、魔法で仕掛ける際には必ずバレるという前提で動く必要がある。
事前に仕込みが十分にできない分、発動までの時間差がどうしても出るため、タイミングの見極めが重要だった。
弓男以外には魔法に長けている者はいないようなので、注意すべきはやはりあのリーダーらしき男のみだ。この男だけが他の者とは明らかに違う歴戦の猛者の如き雰囲気を感じさせ、まったくもって油断ならない。
今もルスフェを狩っている傭兵たちを遠目に見守りながらも、周囲への警戒を怠っていない。こちらが気を抜けば、今隠れている樹の上ですら看破されそうな鋭さがあった。
一体何者なのか。
外見からはまったく分からない。どこにでもいそうな中流もしくは懐に余裕のある旅人、といったところか。シィーラたちを狙った首謀者だとしても、面識もなく思い当たる節が皆無なので、おそらくはこの男も誰かに雇われた本職の戦闘屋といったところだろう。金額分の働きはきっちりとするのが本職だ。その自信と矜持が男からは感じられる。
シィーラたちが現れたなら、まずは不意打ちでこの男を拘束するか、一時的にでも行動させぬようにするのが先決だ。敵として唯一の不安要素だった。
次第に雨足が弱くなり、曇天に変わりつつある頃。
傭兵たちはルスフェ狩りを追えた。成果は上々だったようで、早速焚火を囲んでその肉を焼こうとしている。
「その宴は後にしろ。標的が迫ってきている」
リーダーの男が森の奥を睨みながら、その支度を止めた。
「くそっ、飯の邪魔しやがって!」「まぁ、運動した後の方がうまいだろ」「いま、こいつら狩って運動しただろ、バカか?」「いいから、さっさと終わらせようぜ」と戦闘体制に入る男たち。まだシィーラたちを侮っている雰囲気がある。いい兆候だ。無駄に警戒されるより好都合である。
そして。
「やほ、やほー?」
緊張感のない声と共にシィーラが姿を見せた。後ろに続くニャリスは周囲を注意深くうかがっている。自分を探しているのだと分かったが、まだ出ていく時ではない。奇襲するような形であるならば、こちらから仕掛けてもよかったのだが、あまりにさらりと現れたのでその時機は逸した。
加えて、盗賊のロッコの姿が見えない。先導させていたはずだが、気配もない。何か考えがあっての行動なのか、身内ですら読めないのが妖精の厄介なところだ。ニャリスも悪ノリする傾向があるので、合理的判断を期待できない面がある。
「はっ、ノコノコと出てきやがったか、間抜け。とりあえず、剣は捨てな」
一番近い傭兵が横柄に命令するが、シィーラは一顧だにせず歩いてくる。
「んー、ゼーちゃん、どこー?やっちゃっていいのかなー?」
こちらの合図を待っているようだが、まだわしの声が届く範囲ではない。
それというのも予想された方向ではなかったからだ。荷馬車の位置から真っ当に進んで来た方角ではない。リーダーの男も待ち構えていた場所からして、同じことを考えていたはずだ。
逆に、そのことで見えてきたものがある。気づいた瞬間、新たな気配が天幕の背後からして予測が当たっていたことを知る。
同時に、弓男のリーダーも気づいた。恐るべき速さで背中の大弓を構えて振り向きざまに射る。確認をするまでもなく敵と判断したのだろう。躊躇のない一撃だった。
あっという間にその矢が天幕に忍び寄っていた影、盗賊のロッコの肩を貫いていた。
「ぬがっ!!」
情けない声を上げて倒れるが、死んではいない。意外にもとっさに身体をひねって急所を外したようだ。勘がいい。必殺の一射だったはずなので死んでいてもおかしくはなかった。
ともあれ、事ここに至っては動かざるを得ない。シィーラたちなりに奇襲のようなものを仕組んでいたようだが、既に破綻した。相手がそれを封じたと思った今こそ、仕掛けるしかない。一気に風の魔法を発動させ、天幕ごと巻き上げる。急ごしらえなので大雑把なのはやむを得ない。
その注目を利用して潜んでいた樹から飛び立ち、シィーラの上空へと近づく。
(マワリはあの天幕じゃ。今から魔法で保護しつつ安全圏へ運ぶ。お主はあの弓男を全力で抑えろ!)
「おっとー?ほい、ほーい。ニャリスは他をお願ーい!」
こういう時の妖精はいつもとは打って変わって機敏で察しが良い。
迷うことなく弓男へと踏み込んでゆく。他の傭兵たちには目もくれない。傭兵たちの視線も完全に突如浮き上がった天幕に向いていたので、その行動を阻む者は皆無だ。
唯一対応していたのは弓男だった。次の矢を瞬時につがえてシィーラへ向ける。一連の動作があまりにも早い。魔法か何かで肉体を強化していたとしても、これほど流れるような動作で矢を射る人間は滅多にいないだろう。生粋の狩人のそれだ。
シィーラが迫るより速く、矢が放たれる。
左右どちらかに避ければ安全なように思えるが、男が用意した矢は三本だ。連射ではなく、一度に三本の矢を放つ複射である。よく見ると弓の弦も複数ある。あの大弓は一体どうなっているのか。それぞれを別の角度で同時に射られるとしたら、一か所を避けても意味はない。
(避けるな、斬り落せ!)
交わそうとしていたシィーラに警告する。魔法に集中しているため、そう叫ぶのが精一杯だった。
妖精の身体が錐もみするように回転するのを横目で見る。
標的範囲を絞って三本の矢からできるだけ逃れる体勢を選んだのだろう。同時に魔剣を抜き放って前方へ一閃する。正面からの矢はそれで防げるだろうが、残り二本の軌道がいやらしい。曲射打ちで放たれたように回り込んでいる。当たるか否か。
気になるところだったが、そこから先を確認している暇はなかった。マワリを風の魔法で包み込み、この場から遠ざけなければならない。天幕ごと巻き上げた突風とは別に発動させる必要があり、他に気を配っている余裕はない。多大な集中力がいる。
「おらおらおらぁーーーー!!!」「なんだ、こいつっ!!?」「バカ強ぇぞ、油断するなっ!」「ああっ、ワビッツがっ!?」
ニャリスの強さに気づいた傭兵たちの慌てる声も聞こえる。
後は二人を信じるしかない。
マワリを移動させる魔法が完成する。荒っぽくとも即時性を優先して、どこかへ吹き飛ばすという手段を取った。人質という足かせは重い。シィーラがあの弓男と渡り合うには、対等な条件が必須だ。
子供一人を完璧に包む風の防壁を更に別の横殴りの突風で動かす。通常であれば、風の流れが相殺あるいは反発するものだが、自ら作り出す風であればその作用もコントロール可能だ。繊細な操作が必要なので相当の集中力が必要だったが。
ゴォォーっとうなるような風切り音のようなものが耳朶を打つ。続いてガツガツと風にあるまじき音も響いた。
幾つかの樹々の間を枝ごとなぎ倒し、跳ねるような無茶苦茶な軌道でにマワリを囲んだ球体が飛び去っていったのだ。中の童が目覚めていないことをただ祈る。
(マワリは無事確保した。その男を逃がすな)
思っていたよりも荒い飛び方だったが、大丈夫であろう、多分。
当面の目的は果たしたので、シィーラの戦闘に視線を移すと、先程の三射は交わせたようだ。自身の人間の身体に傷は見当たらない。未だに鎧のようにしっかりと着こむ戦闘服は嫌うので、最低限の鎖帷子を着こんでいるのみだ。怪我をすればすぐに分かる。安全のためにもっと防具に気を使って欲しいものだが、もともと服を着るという習慣もなかった妖精に、場合に合わせて着替えるといった人間特有の行為は理解させるのも難しい。
「好きにガッツーンってやっていいんだねー、やほーい!」
弓男に肉薄していたシィーラは、勢いそのままに斬りかかる。
間接武器主体の弓男は避けながら距離を置くものと思ったが、意表をついて踏み込んできた。
その手にはいつの間にか短剣が握られている。接近された場合も当然考えているということだ。やはり、手練れの戦士だ。大弓は背負い紐で身体にくくられているため、手を離せば自動で背に戻る仕組みのようだ。弓男の動きを阻害するものは何もない。
虚を突かれたかに見えたシィーラはしかし、応対してきた男の短剣の薙ぎ払いに臆することなく魔剣を合わせる。
武器の大きさからいって弾き飛ばせると踏んだのだろう。
だが。
手元から払いのけようとしたシィーラの一撃は見事に止められていた。明らかに物量の足りない短剣がその刃を受け止め、お互いにその勢いを無理やり相殺された形で左右へと身体をずらしながら拮抗する。
「ーーーーっ!?」
「ぐぬぬっ!?」
両者ともに予想外の形で対峙することになり、次の行動が遅れた。それぞれに、自分の有利を確信していたのかもしれない。本来なら追撃なり、連続攻撃なりで技の応酬が開始されるところに、妙な間が空く。
そのまま剣を挟んでの力比べが始まったが、ここでも均衡は崩れなかった。
圧倒的に魔剣の方が押し潰せそうな構図ではあるが、弓男の短剣はまったく揺らぐことなくその刃を受け止めている。よくみると、その刃には膨大な魔力の流れが見えた。あちらも魔法剣の一種のようだ。ますます、侮れない。
わし自身も魔法で援助に入った方がよさそうだ。まだシィーラ一人の手には余る相手だという予感が強まる。ニャリスはニャリスで、複数相手にやりあっているため、増援を期待できる状況ではなかった。
「貴様、ただの剣士風情ではないな……何者だ?」
「知らない人に教える名前はないよーだ!」
うかつに名乗りを上げるなという教えを守っているようで何よりだ。妖精の対応に満足していると、なおも弓男は語りかけてくる。
「ならば、どこの手の者だ?返答によっては、手を組めるやもしれぬ」
「テノモノ?ゲテモノか何かなのー?」
「……答える気はないか。ならばっ!!!」
弓男は一段と力を込めて魔剣を弾き飛ばす。シィーラは力負けして体勢を崩すが、その流れのまま距離を取るように跳んだ。力の流れには逆らわないように訓練したたまものだ。自然と身体が反応できている。
距離を取って安全圏へと逃れたつもりだが、弓使いにとってはそうではない。魔剣の間合い外はすなわち、弓の間合いになるようだ。再び背中の大弓を構えて射出の体勢に入っている。その動作があまりにも速すぎる。
予測の数段上を行く見事な弓構えだ。本来の工程を半分以下にしている。いや、同時に行って短縮しているのか。弓使いならば誰もが憧れるほどの所作だった。
見惚れている暇などないのだが、思わず感嘆せずにはいられない。それほどの動きだった。
もっとも、わしもやるべきことは済ませている。
弓男が矢を射る瞬間、その地面から土槍を射出。大地ごと隆起した関係で弓男のバランスは後ろにかかり、照準は大いに上へと逸れた。想定では矢を射ることすら不可能だったはずだが、相手の動きがそれを上回って矢は空へと放たれる。
「―ーっ!?魔法士がいるのか?」
即座に魔法で妨害されたことを悟る判断もなかなかのものだ。
「へっへっーんだ!」
シィーラが再び間合いを詰めるように飛び込む。弓男は再度、短剣に持ち替えてこれに対応する。
何合か斬り合いながら、次なる隙を探す剣戟に入ったが、どちらも決め手に欠けていた。実力はどうやら同等のようだ。魔法で援助しようにも、弓男は魔法を警戒して巧妙に立ち位置を変えて移動するため、シィーラが射線に入ってうまく援護できない。当然、それが狙いでわざとやっているのだ。
「ぬがぁーーー!マッドドやーい!」
思い通りに均衡を崩せないので、シィーラが焦れていた。おそらく『まどろっこしい」という単語がうまく言えないため、いつもの変な擬音になっている。
何か有効な魔法を考えているが、目まぐるしく二人が動いているために厳しい。いっそまとめて凍らせるか、などと不穏なことを思っていると、不意に新たな人の気配が近づいて来た。
「お頭ー!無事っすかー!?」
声を張り上げているのは盗賊団の一員のようだ。
「あいつら、やっと来やがったか!つーか、遅すぎるけどな」
ニャリスが傭兵の一人を斬り伏せながら不敵に笑う。何やらここに来るまでに画策していたようだ。あの盗賊一味を丸め込んで手勢にしていたのだろうか。
「……これ以上は無益だな」
弓男は劣勢だと状況を判断したのか、シィーラとの攻防をあきらめて何かを足元に投げつける。
途端に煙があたりに充満して視界を奪った。否、それだけではあるまい。煙に伴う妙な匂いが警戒を喚起する。襲撃されたときと同様の類かもしれない。すぐさまその煙を吹き飛ばす風の魔法を構築、発動した。
しかし、その風の流れを巻き取るように煙がなぜか膨張した。これを見越した何らかの仕掛けがあったらしい。二重の罠とは恐れ入る。どこまでも厄介な敵だ。
シィーラは広がる煙を避けるべく更に後退したが、それが致命的な距離となった。
こちらが更に新たな風を下方から吹き上げたときには、弓男は既に遠く離れていた。完全に退避行動の初期段階を終えられている。今から追いかけても間に合うか微妙な距離を稼がれていた。
「まさか、ついでに邪魔されるとはな……」
かろうじてそんな呟きを聞き取ったところで、その姿が完全に見切れた。樹々の間に溶けるように消えていった。自ら追いかけようかと思ったが、相手は隠蔽の術も持っていると思われる。一瞬の間に見失っていた。敵ながら見事なものだ。
「げほっ、げほっ」
シィーラが咳きこんでいるのを見て、煙には有害なものが含まれていたことを知る。身体を折って苦しそうにしていた。
(吸い込んだのか。すぐに口を開けるがよい。薬草と水を流し込む)
何の悪影響かは分からないが、こういう時には吐き出させるのが手っ取り早い。素直に口を開いた自分の口腔に水の魔法と苦味の強い草を与える。薬草などといったが、単にえずきを促すためのその辺にあった雑草だ。
「うぷっ!?ぶえぇー、ぎもぢわぶいー」
盛大に何かを吐きながら、シィーラが情けない声を出す。
(その元気があるなら大事なさそうじゃな……ニャリスもあらかた片づけたようじゃ。とりあえず、落ち着いたか……)
「いや、まだ残ってるんだから手伝えよ!?」
ニャリスが傭兵とやり合いながら叫ぶ。残りは二人といったところだ。手を貸さずとも問題ないから放置している。
「……てか、天幕どこいったんだ?」
肩を押さえながらロッコが周囲を見回しているのを見て、本来の目的を思い出す。
……マワリを回収せねばならんな。
その後、自分で吹き飛ばした魔法を追いかけるという奇妙な体験をした。




