8-9
揺らめく蝋燭の光の中で、ダーヴナーヴがひっそりと佇んでいる。
まるで眠っているかのようにぴくりとも動かなかった。
傍らに控える女中もまた、ひたすらに待てとばかりに静止したまま黙り込んでいる。
シィーラだけがそわそわと落ち着きなく辺りをきょろきょろと見回しているが、口を開かないで静寂を保つ努力だけはしていた。
こちらを相手にすることを決めたのか、盲目の老婆は交換条件を出してきた。つまり、この街の歴史を教える代わりにあることを成せと、そういう取引だ。だが、わしらとしても簡単にそれを信用するわけにもいかない。情報を持っていそうではあるが、その中身が保証されていない以上、頼み事だけをやらされて無駄骨に終わる可能性がある。
そこで、こちらもダーヴナーヴを信用するためにハカのことを尋ねてみたのである。
童女については紹介状には一切触れていないはずで、女中が先の取次時に何か言ったかもしれないが、外見から分かることはほとんどない。事前情報がまるでない状態で、この老婆が何を言うのか人格も測れるというものだ。
「吾を試すりゃが?ぼっぼっぼっ」
せき込むような声を上げた占い師のそれは、どうやら笑い声だったようだ。女中のリンガが驚いていたところを見ると、滅多に笑うことはないらしい。
「ケセ、ケセ。そもじらの口も分かりゃーが。軽くのみ、見てやもっせ」
そのような経緯で結果を待っているというのが現状だった。
老婆の眼窩がないのは気になるところだが、高齢で瞼の皮膚が大分垂れ下がって目元をほぼ隠している状態なので、不思議と不気味さはない。目の前に掲げたハカはその姿を見て驚いたかもしれないが、肝が据わっているのか泣き出したりはしなかった。というより、この童はあまり感情が表に出ない。喜怒哀楽というものすら忘れているかのようだ。ただ、今も周囲を盗み見るように視線が動いているあたり、少しばかりの好奇心はあるようだが。
そんなハカをどう占ったのかといえば、正直言って良く分からなかった。
ただ見えない何かを吹きかけたように思う。
それは魔力そのもののようであり、マナに近い何かだろうとは推測できたが、そのような方法に心当たりはなかった。占法に詳しいわけでもない。ゆえにこそ、ただ待つしかなかった。
「……ぐぬぬぬ……」
その後もしばらく沈黙が続き、シィーラが溜まりかねてそんな歯ぎしりのような苦悶のうめきを漏らした頃。
「だちゃかん。その童、何にも見えにゃーが。記憶ざ、弄られやんせ?びしょったいどべ見えたんけ、畑の子だりゃーが。よう言えん。ハカって名もようけ分かりゃーが」
時折、老婆の訛りが強すぎるので、言葉が分かっても表現や単語で訳せないことがある。シィーラたちのためにも要約する。
(ダメだ。その子供についてはよく見えない。記憶がいじられているのか。汚い土が見えたから農民の子だろうが、確かなことは言えない。ハカという名前も実際にそうなのか定かではない、といった感じじゃ。少なくとも、ハカの名を言い当てておるし、どこかの農民だということも推察されておるな)
「ほへー、どうやって分かったのー?」
シィーラが純粋に声を出した疑問をリンガが老婆に耳打ちする。
「吾は人ざ、魂ば見りゃーが。あわえに過去ざ、語ろうもん。見えんもんは見えんが」
(私は魂を見る。時々、過去が語りかけて来る。見えないときは見えない……要するに霊視のようなものかもしれぬ。証明も反論もできぬが)
「過去が見えるのー?あたしはどうー?」
すかさず妖精が自分を指差す。ぶしつけではあるが、いい質問だ。興味深いと思って返事を待つが、ダーヴナーヴは首をふった。
「そもじは得体ば分かりゃーが。妙な気配しこ見えん」
先に言っていた妙な気配というのは、シィーラに対してのものだったらしい。やはり妖精を占うのは人間のそれとは違うということか。逆説的にそこを判別できているのなら、少なくとも似非占いということでもなさそうだ。
「じゃけん、ハカの童は何ぞ秘めりゃーが。のぶぞーにしたらいかんもん」
何やら忠告しているようだが、『のぶぞー』の意味が分からなかった。幾つもの言語を操るわしとて、訛り全般まで理解できるわけではない。ナリスが質問すると、女中が答えてくれた。
「『のぶぞー』言うんは『粗末』言う意味ですわ。お客さんら、それでもお屋敷様の御言葉、ほぼ分かっているようで、たまげたことです」
つまり、ハカは何か特殊だということだろうか。
「ほんで、やるが、やらにゃーが?」
老婆に今度はこちらが返答を迫られる。信用に値するかどうかはまだ判断がつかないが、何かしらの力を持っていそうではある。少なくとも騙そうという意思は感じられなかった。
「……こちらに求められることはどういった内容ですか?」
「語る前に決めりゃーが。できんもんはよう言わん」
問題は依頼内容なのだが、それを事前に知らせてはくれないのが気になるところだ。不可能なことは頼まないとは言っているが、その自信はどこから来るのか。
困ったようにナリスがこちらの指示を仰ぐように見る。ちなみに今は、シィーラの頭の上に乗っていた。突発的な動きを制御するためだが、効果があるかはいまいち確信が持てない。隠蔽の魔法で隠れたままだが、おそらくダーヴナーヴは気づいていると思われた。
この街の情報は欲しいが、その代償が無理難題では割が合わない。内容が分からないのは相当なリスクだ。その比較対象ができない状態で相手の条件を呑むのはためらわれた。一方で、この老婆の知っている知識はきっと役立つだろうという気もしている。
賭けに出るしかないと心を決めかけたところで、不意にハカが机の上の銅の秤に手を伸ばした。すると、まだ触れていないはずなのに、ハカが指差した方の皿がなぜか下がった。
典型的な吊り下げ天秤の形をしているため、空気の動きでそんなこともあるだろうと思うのだが、実はこの銅の秤はその形を模しただけの置物なので、秤の皿が上下することなどあり得ない。吊るす鎖も含めて文字通りの銅の置物に過ぎないのだ。
摩訶不思議な現象に、誰かが息を呑んだ音がした後、
「ぼっぼっぼっ、ハカの童が後押ししてりゃーが。宿業も進めと示しとう。呑みなんせ、呑みなんせ」
ダーヴナーヴが再び笑った。この話を受けるのが運命だと言いたいらしいが、その根拠が良く分からない。
「……この天秤は装飾品ではないのですか?いま、秤の皿が動いたように見えましたけど……銅の置物ならばそんなことはないですよね……?」
「んだ。普通は動かにゃーです。けんど、御屋形様によっと、力のある者ば触れようとすっと、正しい方が重みを増すっちゅうが」
「正しい方とは?」
「それが分かんのは本人と御屋形様のみでさあ」
それでは良いように騙されるだけではないだろうか。しかし、ハカの様子を見る限り悪いように受け取ってはいなさそうだ。子供の反応を判断基準にするのもどうかとは思うが。
「こっちが下がったら『良い感じ』ってことじゃない?」
突然、シィーラが片方の皿を指差した。
(お主には分かるのか?)
「分かるっていうか、中に入ってるマナみたいな何かが押し出そうとしてたのは、こっち側だったよー。それって多分、楽しいのはこっちって教えてくれてるんじゃないかなー?」
抽象的すぎて難しいが、天秤の中には魔力的なものが内包されており、外部の誰かに反応して動くという話だろうか。それも、おそらくその誰かの魔力の流れに勝手に対応するということであれば、魔法も何も知らなさそうなハカの動きに合わせて秤が下がったことにも一応の筋は通る。
しかし、そうであるならば今シィーラが指差した行動で、動かないのは矛盾していないだろうか。
そんな疑問を察したのか、盲目の老婆が続ける。
「皆に応えるもんじゃせん。ハカはただ、なじんどるもん。けったいな童だりゃーが」
誰にでも反応するのではなく、相性のようなものがあるということらしい。
「まだしんびきするりゃ、ハカの童を置いてきなんせ。真白な身さ、何もなきゃ信用能うりゃーが?」
いまいち意味が分からなかったのでナリスが通訳を頼むように女中を見ると、すぐに語り出す。
「まだ迷うんなら、その子供を預けてみなせぇ。純粋な子に何もなければ信用できんべ?」
「預ける、というのは……?」
「ハカの処遇困っとりゃーが?吾が見守るんせ、置いとけばい。あた久しう素が強いけ」
ここで思わぬ提案が来た。ハカには何らかの素質があるらしく、ダーヴナーヴが面倒を見てもいいという話のようだ。確かに預け先を探していたところだが、そのような話は一切していない。やはり何かを見て状況を察しているとういうことなのか。
その申し出は渡りに船ではあったが、無責任にここでハカを引き渡すということもできない。未だ信用できるかどうかの瀬戸際にいる状態だ。なかなか決断ができないでいると、不意にシィーラがハカに向けて話しかける。
「ここにいたい?いたくない?」
今までまともに話しかけもしてこなかった関係で、いきなり答えるとは思えなかったが、ハカは一瞬ナリスを見た後、その腕から降りる仕草を見せた。ナリスがそれに従って床に降ろすと、ハカはぺこりとシィーラとナリスに頭を下げ、机の横をまわってダーヴナーヴのもとへと歩いて行った。己の道をしっかりと決めたということだ。
「本人が決めたんばい、文句はなかと?童よりしんびきすりゃ、あたちょーらかせりゃーが」
ハカよりも迷っていれば、馬鹿にされるぞとあからさまな挑発を受ける。ここに至って、腹をくくらないわけにはいかなかった。ナリスにうなずく。
(分かった。この取引、受けようぞ)
情報と引き換えに、盲目の老婆の依頼を受けることにした。その内容も知らないままだったが、長年生きているご老体ほど強かなものだ。最初からこうなる気は何となくしていた。流れには逆らわない方がいい時が多々ある。
かくして、身寄りのない子供の重荷を一旦降ろしたものの、また一つ別の厄介事を抱えることとなった。
一難去ってまた一難である。
「んー、何が大変なのー?」
寄り道亭の離れの小屋で、シィーラがいつものように呑気な声を出す。
盲目の老婆ダーヴナーヴの館から戻り、幾つかの雑事をこなした後だった。
(お主は何も聞いておらんかったのか?先の取引内容に決まっておろう。妖精の杖に関するこの街の情報を得るためには、まずはあちらが出してきた依頼をこなさねばならぬ)
「ちゃんと聞いてたよー?えっと……なんかあの家の便利がどうたらこうたらー?」
「権利、だよ、シィーラ。簡単に言うと、あの館を偉い人に取り上げられそうになってるのをどうにかして欲しいってことだね」
「おお、そうそう、そんな感じだったー」
あまり分かっていないらしいことは察していたが、今のような説明なら分かるらしい。ナリスの方が妖精に対する要約は上手いのかもしれない。
「そのためには、まずこの街の上層部の人間とつながりを持たないと厳しいですよね……?」
ナリスにはその難しさがちゃんと理解できているようで、不安そうにわしを見る。
(そうじゃな。ある程度の権力が必須で、尚且つあの一帯の政策か管理運用に口出しできる立場にある者でなければ意味がない。まったく、とんだ難題を吹っ掛けられたものじゃ……)
ダーヴナーヴの依頼は単純且つ困難なものだった。館とあの一帯の土地は代々あの老婆のものであったが、最近のダリドアリ教の増員に伴う施設敷設のために右区の土地整理が行われており、その候補として目を付けられたそうだ。一応別の住居を用意され、初めは転居要請であったらしいが、当然の如くダーヴナーヴ側はこれを拒否し、現在は大分こじれた状況になっているそうだ。
先祖代々住んできた土地をやすやすと手放すはずもないが、為政者の思惑によって街の在り方が変化するのも世の常だ。最終的には強硬策で追い出されることも十分考えられるため、こちらに手助けを求めてきたということになる。
かといって、これは通りすがりの者がちょっと手を出したところでどうにかなる問題ではない。何か奥の手があってその手足が欲しいということなのかと思ったが、具体的な解決策は何も提示されなかった。
占い師曰く「そもじらならどうにかなりゃーが」という大雑把な太鼓判を押されるのみだった。
無策ではどうにもなるはずがない。
そう思ったが何も言えなかった。取引した以上、何か手立てを講じるしかない。そもそも、ダーヴナーヴとは見えているものが違う気がした。常人にはない感覚で、こういう事態を俯瞰して視る占い師という者は、結果だけをなんとなく把握している節がある。
その直観的なものを信じるのであれば、何とか出来るという未来が待っているということだ。そんな楽観的なものを信用できるはずもないが、今はそう思って行動するしかない。モラドの矢は放たれてしまった。
「そういう人物を、これから探っていくしかないってことですね」
「ほむほむ。じゃあ、そいつを見つけてバチボコにすればいいんだー」
(いや、殴って終わらせようとするでない。そういうのは最終手段じゃ)
「否定はしないんですね……」
(話が通じる相手ではない場合も想定しておるだけじゃぞ?)
どこか胡乱な目のナリスに対して言い訳しておく。実際、正当な手段で訴えても止まらないことは珍しくない。末端までまともに機能している政が、こんな中継都市の一つで期待できるとは到底思えなかった。基本的に、その手の権力を握っている役人のさじ加減一つで決まっているのが現状だろう。
逆に、この件がそうした一握りの者たちの欲望のもとで行われているならば話は早い。その元凶を取り除けばいいだけだ。シィーラの言もあながち悪い手ではないとも言える。
問題なのはこの退去命令の大元がどこから降りて来たかで、それが上に行けば行くほど複雑な事態になるということだ。誰か一人を抑えれば解決といかないからだ。その確認をまずはしなければならない。
いずれにせよ、関わりたくないと思っていたデルデ=ガルデの街の政治関連にも少し足を踏み入れる必要性が出てきてしまった。避けたいと思うものほど、近寄ってくるとはよく言ったものである。
「ハカは大丈夫でしょうか……」
ぽつりとナリスが呟く。短い間ではあったが親身になっていたので、心配するのは当然だ。
「自分で選んだんだから平気でしょー」
「でも、まだ子供なのよ?」
「誰だって自分で決めて生きてくものでしょー?」
珍しくシィーラの言葉が刺さる。どんなに幼くとも、己の道は己で決めるというのは真理だ。ナリスは納得させられたことが遺憾だというように、悔しそうな目で妖精を見やる。
「え、なんであたし、ナリスに睨まれてるのー?」
「睨んでません!」
「うにゃー、絶対変な目で見てるよー、ね、ね、ゼーちゃんもそう思うよねー?」
(知らぬ)
巻き込まれたくなかったのでしらを切っていると、何やら寄り道亭の方が騒がしかった。いつものバカ騒ぎの類ではない。
何事かあったのかと顔を出すと、客たちが一か所に集まって一人の男の話を熱心に聞いていた。喧騒に紛れてよく聞こえなかったので、輪の外にいる男に何があったのかと尋ねると、
「ついさっき、また死人が出たんだってよ。ほら、例の干乾びたヤツ!」
ついに新たな魔力狩りの犠牲者が出たらしかった。




