8-7
コニーの酒場はうらぶれた細い路地の行き止まりにぽつんと佇んでいた。
店だということを知らなければ、そんな端の端で商売などしているなどと思いも寄らないだろう。外見も看板も何もないボロ屋にしか見えない。
しかし、足しげく通う客はそれなりにいるようで、寂れた外観とは裏腹に中の手狭な店内は活気に満ちていた。
外の静けさが嘘のように、酒を浴びるほど飲んだり賭博に興じている酔っ払い客が多い。それもそのはずで、この酒場の本店舗は地下にあり、その喧騒が地上に届くことはなかったのだ。地上には予想通りの埃の溜まってそうな小汚いカウンターと、少ない酒瓶がいくつか並べられた棚があるだけだった。
そこの偽主人にブリッツの名を出すと、無言で奥の階段を指差されてここまで来たのが現状だ。ある種の会員制の酒場に近い。
「おぉー、なんか美味しそうな匂いがするー!」
シィーラは酒は飲めるが好まない。ひたすらに食に夢中なので、当然酒の匂いではなかった。
(望みのものを食わすゆえ、大人しくしておれ。無駄に人目につきたくはない)
既にいくつかの訝し気な視線を受けているので遅すぎる気はするが、それでも見知らぬはしゃいだ剣士風の男より、寡黙な男の方がマシだろう。場所が場所なので、付き従うのはニャリスの方だ。ナリスのもう一つの人格ではあるが、その影響は外見にも出るために今はいっぱしの女傭兵風に見えている。大人しそうな村娘なナリスの状態より場に馴染む。
「アタシは酒飲んでもいいよな?最近めっきり飲ませてもらえないままだったからよ」
ニカリと笑うニャリスは、早速地エールを頼んでいる。ナリスと違って、ニャリスは酒豪らしい。同じ体なのに酔いが違うというのは実に不思議だ。あるいは、ナリスも実はあまり酔わない体質なのを隠して酔っている振りをしているのだろうか。女と酒が組み合わさると謎が増えるというのは誰の言葉だったか。
とにかく奥の一角に腰を落ち着ける。それを見咎めた主人らしい男がそこは予約席だと言ってくるが、ブリッツの名を出すと肩をすくめて引っ込んだ。やたら腕が太いいかにも屈強そうな外見だった。コニーという名前とは合っていない気がしないでもないが、あっさりと引っ込んだのはやはり今日来る予定があるからだろう。事前の下調べでこの席がブリッツの定位置だと知っていたことも幸いした。
「うまうまー」
シィーラは早速、何かの揚げ物をぱくぱくと貪っている。無邪気に食べているその様を見て、警戒していた一部の客たちも興味を失ったようだ。妖精のこうした能天気さも時には役立つ。無害だと信じさせるに足る無防備さが滲み出ていた。
「んで、アタシが表に立つのはかまわねえけど、あっちはナリスと会ってるんだ。どう説明すればいいんだ?」
ぷはっーと豪快に地エールを飲み干したニャリスが、早速もう一杯お代わりを頼む。
この口調と態度では、確かにナリスと同一視することは難しいだろう。同じ相手に二人が姿を見せたことは数えるほどしかない。二重人格などというものは一般的に知られているはずもなかった。 (ブリッツはこちらが調査に来ていることを知っているゆえ、ある種の変装だと勝手に解釈するじゃろう。詳しく語らずとも自ずと察するじゃろうから心配はいらぬ)
「はぁ、そういうもんなのか?適当に合わせればいいなら、楽でいいからかまわねぇけどよ」
「てゆーか、ニャリス。何かおつまみを頼んでよー。ゼーちゃんケチだから、あたしが頼むと制限かけるのー」
(人聞きの悪いことを言うでない。おぬしが無尽蔵にいつも頼みまくるゆえ、止めているだけであろうが)
それからしばし食事を続けていると、ブリッツが現れた。こちらに気づいて驚いた顔を見せたが一瞬でそれを隠して席にやってくる。
「連絡手段を取り違えたってわけじゃなさそうだな……」
指定席に座っているので偶然ではないと判断したようだ。臨機応変に対応できるのはさすがだ。
「たまたま今日来そうな予感がしたんでね。手っ取り早くていいだろ?」
ニャリスが何杯目かの地エールを飲みながら笑う。
「……ここならまぁ、いいけどよ。他でこういうことはナシにしてもらいたい」
「おっけーおっけー。それで、お薦めは?」
少し厳しい声のブリッツだったが、シィーラは意に介さずに料理の話を振る。その裏表のなさに毒気を抜かれたのか、苦笑するように常連ならではのものを注文してから、値踏みするようにニャリスを見る。
「アンタは……そっちが素なのか?」
前回のナリスとは大分違った印象のニャリスに問いかけてきた。
「別にどっちでもいいだろ?強いて言えばどっちもだ」
「そうだな……それで、依頼があるって思っていいんだな?」
「ああ。早速であれだが、この街に詳しい人間を紹介してもらいたい。要するにアレだ。この街の歴史とか成り立ちとか、そういう古い情報を知っているヤツだ」
「デガの歴史?」
「デガー?」
ブリッツの戸惑いに重ねるようにシィーラが首を傾げる。デガの意味が未だに分かっていないようだ。そういえば、予想はしていたがまだ話していない。
「デガってのはこのデルデ=ガルデの略だ。地元民は皆そう言う。例の組織名で推測できるだろう?で、詳しい人間を紹介するのはかまわないが、それが魔狩りと関係あるのか?いや、詮索するつもりはないんだが、個人的に興味があってな……無理に答える必要はない」
「関係あるかもしれねぇし、ねぇかもしれねぇ。それを知るためにも必要だってとこだ」
「…………」
見聞屋はニャリスの返事にうなずくと、どこか遠くを見つめた。相応しい人物を検討しているのだろう。シィーラはデガ、デガ、デガと無心に繰り返していた。どうやらすぐに略せないらしい。これは鈍いというより、妖精の特徴なのかもしれない。思考形態がおそらく人間とは違うため、一概に頭の回転が遅いとかその手の決めつけはよくないと学んでいる。
「一番物知りな人間に心当たりはある。けど、会うのはかなり厳しい。だから二番手の人選になるんだが、いいか?」
わざわざ言う必要がない前置きをしたのは、いつかその一番手を知ることになるからだろうか。何にせよ、信用できそうな切り出し方だった。
「右区の歓楽街の端にある盲目の占い師の婆さんがいる。占いの商売を今もしているかは微妙だが、この街で代々占いをしていた家系らしいから話を聞ければそれなりに得るものはあるはずだ」
「聞ければ?なんか含みがある言い方に聞こえる」
「まぁ、気難しい婆さんだからな。一応紹介状は書いてやるが、それよりもアンタたち自身が気に入られなきゃダメだっていうだけだ」
「なるほど。直にやり合えって話か」
次の目的は占い師に会いに行くことになりそうだ。ロハンザの街の出立の際にも関わった職だけに、なんとも占い続きな気持ちになるが、この大陸で占い師というのは需要のある仕事なのでそれほどおかしくはない。
依頼料については初ということもあって大分破格であった。甥の件を知っているだけに意外なものの、それだけ誠実である証拠でもある。機会があればそちらの方でも手助けして信頼関係を強くしておくのも悪くはないかもしれない。本人からの要望があれば、だが。
その後もニゲル草の話などをして飲み食いをしていると、いつのまにか夜も更けていった。
デルデ=ガルデの街の右区は基本的に夜間に活動が活発化する。
そのおおよそが歓楽街として形成されている、いや、そう作り替えられたので道理ではある。現街長のピリエの意向だという。
とはいえ、朝から昼までずっと誰もが寝ているというわけではない。
中継地としての、宿場町としての機能が求められる立地である以上、左区からだけの旅人や商隊のみとは限らない。ゆえに、昼通りという左区へ抜ける一本の大通りがあり、その周辺は時間帯に関係なく普通に動いている。
立ち並ぶ宿屋や道具屋、食事処に混じって夜にはその手の店になりそうな歓楽街ならではの怪しい店舗も混じっているのが特徴的だ。
そんな昼通りから一本外れると、今度は昼からでも楽しめる店が並ぶ繁華街のような区画が続いている。軒先に並ぶのは娼館や賭け酒場、見世物小屋にいかがわしい道具屋で、呼び込みの店員がまばらに店先で客を待っていた。
昼間の右区をそろそろ見て回ろうとやってきたところではあるが、特にこれといって目的があったわけではない。強いて言えば、雰囲気をまずはつかんでおこうという視察だ。
ブリッツからの紹介状待ちなので、例の占い師を今の時点で訪ねるつもりはなかった。
「うーん、なんかそこかしかこから匂うなー」
鼻をくんくんさせながら、シィーラが辺りをきょろきょろ見回す。
「え、そうですか?わたしはあまり気になりませんけど……」
妖精の嗅覚は鋭いのだろう。わしもシィーラ同様にその香は嗅ぎ取っていた。
(こちらではおそらく、常態的にニゲル草を使った料理が食されておるのじゃろう。原材料としてのニゲル草がほとんど出回っていないゆえ、既に加工された何らかの形で提供されている可能性も高い)
「ヤスネさん一家は、その料理をずっと食べ続けていたから、匂いがするほどになっていたってことですよね?」
(おそらく、じゃがな)
染みつくほどの匂いが身体にこもるというのはあまり考えられない。しかし、常食していれば自ずと体内に残ることに不思議はない。ニゲル草の入手元は不明だが、痕跡が何もないということも料理として消費されていたと考えれば辻褄は合う。
右区の食べ物関連には、もしかしたら材料として至る所で混ぜられているのかもしれない。単体では特に健康を害すわけではないし、あの匂いが染みつくほどの摂取量を取らなければ無害であるだろうし、その匂いに気づくのも鼻が敏感なものだけであれば、特に問題にはならない。
そう考えると、これはダリドアリ教の大規模な布石というか、予備段階の仕込みとも思える。その後何かと反応させれば、精神干渉まがいのことができる可能性があるというのが現状の推測だ。これは非常に狡猾で上手いやり方だと認めざるを得ない。密かに抵抗もなくその影響を広げる方法として恐ろしく画期的だ。
いざという時のために、その仕組みを知っておくことは必要だろう。あまり関わりたくはないが、この街に滞在する限り避けては通れなかった。
日に日に面倒なことが増えていくと思いながら通りを歩いていると、「お二人さん、お二人さん」と手招いている小男がいた。
何の客引きかと男の背後を見ると、建物ではなく天幕のような布張りの怪しい店らしきものがあった。四方を木材で組み立てた即席のようで、ある種の屋台の大型版だ。旅商人の見世物小屋などが、よくこのような天幕系の店舗で営業をしている。歓楽街にあるとなれば、出し物もいかがわしいものが多い。
その類の店かと思って無視しようとしたのだが、シィーラがこちらの意図を読むことなく「なになにー?」とまんまと引っかかっていた。
餌に喰いついたと見た小男は、早口に捲くし立てる。曰く「自由にできる子供はいらないか」と。
最低なものを引いたようだった。白昼堂々人身売買の客引きとはさすがに思わなかった。ネーズ=ヴァーズ連邦所属領では当然禁止されている。この街が未だ存続している理由を勘ぐってしまう。正義の士を気取るつもりは毛頭なくとも、これを放置するのもいかがなものかと思っていると、こちらのためらいに脈ありと見たのか「なに、例の怪しい宗教信者のガキどもでさ。そんなに気にするこたぁねぇですぜ」とダリドアリ教を示唆したので腹は決まった。確認だけはしておくべきだった。
小男についていくと天幕は通り抜けるだけの偽装だったようで、更に裏の方に小屋があり、そこから階段を降りた地下に牢獄のような場所があった。
据えた匂いと薄暗い地下の檻に、幾人かの子供が囚われていた。いずれもボロ布のような衣服を着させられ、生気のない目でこちらを見つめて来る。ただし、商品であるためか最低限の水浴びなどはさせていると見えて、思っているよりも肌の清潔感はある。
「ひっひっひ、どれでも好きなのを選んでくだせぇ。貸付と売却、どっちでも大丈夫でさぁ」
小男は三下のような下卑た笑顔で品定めをして買えと急かしてくる。しかし、このような売買なら客として貴族か裕福な商人あたりを選ぶのではないだろうか。一介の傭兵のようなシィーラやナリスに薦めて来るのは違和感がある。男女の組に薦めるのもいかがなものかと思う一方、そういうものを好む夫婦や恋人も一定数いるであろうことを考えると、歪んだ社会の闇を感じる。
ナリスも同様の疑問を持ったのか、やんわりと質問した。
「いや、なに、こう言っちゃなんだが、上玉みたいなのは仰る通りにお貴族様たちにまわすんでさ。けど、あっしら下々の者だって遊びたいでやしょう?やたら綺麗なのをただ待ってたって早々降りてきちゃくれません。ならばってことで、こういう手頃なもんを用意してるってわけでさぁ」
ランク付けされているということらしい。子供を手頃とはまた酷い言い草ではあるが、商品として見たならば理解はできる。需要と供給に従えば合理的だ。
「こんな派手に商売してて、バレないのー?」
シィーラが無邪気に尋ねる。ナリスよりも平気な顔をしている妖精の方がこの手の客としては受けが良さそうなので、交渉相手として好きにしゃべらせる。
「ああ、その点は心配いりませんぜ?お客さんみたいにみんな通りすがりの旅人でさぁ。ちょっと一杯ひっかけてくようなもんでさぁ。みんな一見でやることやったら捨て置けばばいいんで、後腐れがない。最高でやんしょ?」
要するにやるだけやった後は忘れてなかったことにするということだろうか。あるいは、殺して処分するのかもしれない。そのくらいの非情さ、非道さがこの男からは滲み出ている。同時に、この地下牢の見えない場所から他の人間の気配もうっすらと感じられた。ここまで来て怖気づいたり余計な詮索をする客だった場合、そのまま素直に返さないという手段もありそうだ。
思ったよりも危険な客引きにつかまったようだ。常人であれば、だが。
ナリスがどうしますか、という試案顔でシィーラを見る。正確にはその頭に乗っているわしを、だ。未だ隠蔽の魔法で気づかれていないことからも分かるように、ここに魔法士の類はいないようだ。相当不用心というべきか、日常に溶け込んでいるのか、いずれにしてもろくでもない。
(ここで事を荒立てて暴れるのは得策ではない。この様子では、こういった店が他にもあるに違いない。とりあえず、一人を買い付けてここを出ることにしようぞ)
手持ちの金はそれほどなかったが、売却でも驚くほど安かった。信じられない破格の値段だ。その時点で、売却といいながら後で取り戻すつもりであることが分かった。回収できならどんな値段であろうと関係ない。この後の展開も読める。場所を用意して誘導し、適当に時間を潰させた後で強引に返還を求めるのだろう。
違法だと知っているだけに強くは逆らえないし、通りすがりの旅人であるために揉めることもそれほどない。ルスフェの畑荒らしだと思って忘れる方が面倒がないと考える。なかなかによく考えられている阿漕な商売だ。
「はいはい、まいどまいど。さすがにこの服で堂々と外に出すのはアレなんで、すぐ先にある宿屋で待っとってくだせぇ。案内しやす。いやいや、お代も今のに含まれてんで、大丈夫でさぁ。ほんと、すぐに連れてきますんで。ひっひっひ」
案の定、次の目的地を指定される。ここは流れに乗るしかなかった。小男の調子に合わせてシィーラがふざけて「ひっひっひ」などと呼応しているのでこちらはまったく怪しまれてはいなかった。どこかに隠れている気配が動く様子はなかった。後から合流でいいと判断したのだろう。好都合だ。
案内された宿屋はお世辞にも上等とは言えない造りだが、それほど酷いものではなかった。俗にいう逢引宿としては及第点で「ごゆっくり楽しんでくだせぇ。ひっひっひ。あと、事後に処分が必要なら出る時に受付に言ってくれりゃぁ、こっちで処理しますんでご自由に」と、小男は最後まで厭らしい笑顔を浮かべていた。
どこまでも下品な男が去って、残されたのはさきほど買った子供だけだ。何をされたのか、焦点の合っていない虚ろな瞳をした童女で、元気で健康的なマワリとつい比較してしまう。現在の状況が分かっているのか、気にしていないのか、一言も発さないままただ呆然と立ち尽くしているので、ナリスがベッドに座らせる。
「そんで、どうするのー?」
シィーラがどこか楽し気に尋ねて来る。これから何をするのかわくわくしているようだ。最近、あまり身体を動かしていないせいか、物騒な期待をしている気がする。
(ふむ。とりあえず、今はまだ近くで張っている様子はないが、じきに監視役が現れよう。その前にここを脱してこの童を預ける先を探さねばな……)
「ええー!あいつらぶっ飛ばすんじゃないのー?人買いはダメなんでしょー?」
(ダメはダメじゃが、あやつらだけを制圧しても他にもいるゆえキリがない。治安隊に報告はするが、裏でつながっておる可能性も高い。現時点でできることはあまりないな)
「ぬー、つまんなーい」
「そういう問題じゃないでしょ、シィーラ。でも、ここから抜け出すためには一騒動必要そうです。目立ってしまうのでは?」
ナリスが冷静に現状を分析する。この部屋には窓もないため、出ていくためには正攻法で正面玄関からのみだ。当然、小男の仲間たちが待ち構えている。強行突破は容易でも、騒ぎになるのは間違いない。
(うむ。人数にもよるが、わしが眠らせてしまえばどうにかなるじゃろう。幸い、魔法方面には疎い連中のようじゃし、その童自身に何か仕込まれてなければ問題なかろう)
「なるほど。では、確かめます。シィーラはあっち向いてて」
「え?なんでー?あたしも見るー!」
デリカシーの欠片もない妖精をたしなめながら、ナリスが童女を脱がせてその身体を検分すると背中の一部に妙な痣を見つけた。虐待か何かの痕跡かと思ったが、よく見ると呪紋のような独特の文様だと気づく。さすがに何のためのものかは特定できないが、刺青とはまた違ったこの手のものは以前に見たことがあった。
(それは呪紋の可能性がある。微力じゃが魔力もを感じる……思っていたよりこの闇は深いな)
「え?何かの徴ということですか?ただの痣に見えますけど……」
(その童の無気力さ、単なる心の問題だけではないかもしれぬ。呪紋はその名の通り呪いをかけた証の跡のようなもの。その紋がある限り呪われ続ける。その昔、奴隷紋というもので奴隷を縛った魔法もある種の呪紋じゃ。奴隷禁止となり、その魔法も禁忌ゆえ使い手も絶滅したと思っておったが……」
「これがそうだとして、呪紋の効果はやはりこの虚ろな心の状態にするようなもの、ですか?」
(分からぬ。手掛かりなしでは呪いの特定はほぼ無理じゃな。ゆえに解呪しようもない。おそらくは心を奪うような類のものであろうが、下手に手を出せぬ……この場は一旦ここに残して、わしらだけ脱出するのが吉か)
「むにゃ?せっかく買ったのに置いていくのー?」
もう見るとか見ないという段階でもないので、シィーラがぺたぺたと童女の呪紋を触っていても注意はしない。妖精は哀れみなど皆無で興味深そうにそれを眺めていた。心遣いも何もない行為だが、童自身は心神喪失のような常態なので気にしていないかもしれない。
(その呪紋経由で追跡される可能性がある、というか確実にそうなる。連れて逃げても潜伏場所もバレるであろうな)
「それは……残していくしかなさそうですね……」
ナリスが悔しそうに肩を落とす傍ら、シィーラが急に魔剣を抜いた。何をするつもりかと問う暇もなく、
「うーん、これ、剥がせそうな気がするー……えいっ!」
何気ない動作で呪紋に向けて刃を振るった。血迷ったかと思ったが、刃を触れるか触れないかのギリギリで滑らせただけだった。しかし、その効果はあり、童の背中からそれが剥がれ落ちるように削がれたのを見て息を呑む。
「ー―――っ!!?」
一体何をしたのか。今見たものが衝撃的過ぎて考えがまとまらない。
「ほらー、いけたでしょー!」
得意げな妖精の笑顔を、ナリスもわしも唖然として見つめ返すことしかできなかった。




