8-1
ゼファード=エンドーラは無神論者だ。
いや、その言い方には語弊がある。有無の前提がある時点で、神の存在を認めた上で否定しているようなものだ。神がいるかいないかではなく、そのような存在が念頭にないという立場というのが正しい。あるいは単に考えていない、考えないという姿勢が一番近いだろうか。
魔法というのは神の力の一部だ。そう定義されているものを行使する身でありながら、矛盾に満ちているかもしれないが、そもそもの魔法の捉え方が違う。一定の法則、工程に則っているだけで、その本質的な部分に関しては判断を保留していると言い換えることもできる。魔法を知れば知るほど、そう考える自分がいた。
そのような考え方は大陸ではかなり珍しい。常に魔法が使われている世の中で、その根源たる三大神を信じないということは、魔法の否定にもつながるからだ。実際、魔法教会では『魔力を神の許しを得て世界に具現化する行為』こそが魔法だと説明しているように、神の存在は大前提で神を崇め奉ることは必須条件としている。
しかし、その存在を疑っていても気にしなくても、魔法というものは現実に使える。これは魔法を極めた魔法士、魔法使いの間では公然の事実ではあるが、だからといって魔法教会の言説に異を唱えることもない。神がいようといまいと気にしない者が多いからだろう。
なぜこのようなことを考えていたかと言えば、これから向かう目的地に関係していた。そこには変わった宗教団体があり、その勢力がかなりの規模でその地を支配しているという話を聞いたからだった。
大陸における宗教とは、基本的に三大神を平等に信仰する魔法教会が最大勢力で、その他三大神のそれぞれを個別に信奉する宗教団体が続き、更に細分化された各々の神を崇拝する小さな団体が点在するといったところだ。そうした小さな宗教は基本的に辺境の村や町などの土着信仰に近いものが多く、ある種の地域密着型の神とも言うべき存在が、何かしらその地に恩恵をもたらした歴史があることに起因する。
しかし、今回のものはそういった類のものではなく、いつのまにか布教活動が成功していた珍しい例のようだ。
膨大な知識を誰より持っていると自負してはいるが、その方面においては大まかなものしか押さえていない。今回のダリドアリ教という名前に覚えはなかった。暗所の神だというダリドアリという存在自体が思い出せない。闇関連の神というものは実は多く、影の神ムヴラードから派生したものだということは間違いないだろうが、細々としたものはありすぎて追いつけない。何しろ、暖炉内の影の神という限定的過ぎる冗談のようなものまである。
ともかく、これから向かうデルデ=ガルデの街には、そうした不明な宗教団体が街の運営そのものに深く関わっている特殊な場所だという話だった。
到着する前から不穏な空気を感じずにはいられない。おまけに、魔力狩りなる奇妙な事件も多発している。原因不明に人から魔力が奪われ、死に至っているということだ。魔力は生物にはなくてもならないものであり、体内から枯渇すれば機能不全になるのは常識だ。他人から魔力を不当に奪うことが禁忌とされているのも当然だろう。生まれつき魔力が体内で作れない無魔病などもあるが、あるいはその罹患者が犯人なのだろうか。
おまけにとは言ったが、その魔力狩りの調査こそが今回の表の目的だった。どうやら例の改造魔核が使われている可能性が出てきたとのことで、第零騎士団としてその因果関係を調査することが目的だ。初任務として、これが妥当なのかどうかすら分からないままの状態だった。既に現地の見聞屋と連携は取れているとのことだったが、どの程度の関係なのかも分からない。 連絡係のニジェはその辺りの詳細は語ってはくれなかったからだ。どういった手順や方針で調べたらいいのか、その具体的な方法も一切ない。自由にやれということなのだろうが、新人に対してあまりに不親切だと思うのは甘えだろうか。組織の在り方に疑問を感じる。
加えて、個人的な目的として妖精の杖に関する調査もある。比重的にはこちらが上だ。何しろ、自分の生死に関わる。自分が現在鳥もどきの姿になって、シィーラという妖精と入れ替わっている状態を解き明かすのが至上命題だ。
その手がかりとして重要そうな妖精の杖がその街にあるという。御伽噺の中の道具の一つで、効果も諸説あるうちの一つの解釈でしかなかったが、実物の存在をほのめかしているのは他に見当たらないという点で、どれだけ眉唾物だったとしても有力に思えるのは事実だ。その真偽を見極め、本当にあるのなら何としてでも見つけ出して手に入れたい。
別々の要素が同じ場所で絡み合うようなことは偶然とは思えない。運命なんてものには否定的ではあるが、何かに導かれているのならそれに乗るのも一つの手だ。自分で切り開くものだけが唯一の道ではない、と師匠もよく言っていた。
「もうすぐ、街の入口に着きそうですね」
ナリスが少し緊張した面持ちで言った。
「やっと到着かー!結構長かったねー」
シィーラはいつもの能天気な様子だ。いつでも精神的に安定しているのは妖精の特徴だ。
乗っている駅馬車は荷物を運ぶ幌馬車を雑に改造したもので、窓などという上等なものはついていない。覗き穴の用途か、単なる綻びなのか判別がつかない幌の隙間から外を見ると、前方に申し訳程度の柵が並んでいるのが見えた。その先に関所のような門があり、背後には建物が見える。確かに入口のようだ。
しかし、馬車はそちらの道ではなく、迂回する別の畦道へと進路を切った。
「あれ?入らないのかしらん?」
(こちら側は例の右区なのじゃろう。村でも言っていた例の信者が多い方じゃ。先に左区の方から実情を知った方がいいという忠告に従って、そちらを案内してくれているのじゃろうて)
「そういえば、遠回りしなければいけなくなったって少し怒っていましたね……」
ナリスは納得した顔で頷いた。シィーラだけはまだよく分かっていない顔で、首を傾げている。
やはり、話をよく聞いていなかったな、こやつ……
大事なことなのでもう一度シィーラに説明しておく。
(あの村で仕入れた情報によれば、デルデ=ガルデの街は現在、ほぼ左右の地区に別れておる。その右側がいわゆるダリドアリ教が実質的に支配している地区というわけじゃ。まだ実態がつかめていない以上、いきなりその地に足を踏み入れるのは得策ではない。既に話し合ったことじゃぞ、しっかりと覚えておくがよい)
「あー、そう言えばそんなこと言ってたねー。ごめんごめん、なんか色々名前が出て来てまだ整理できてないのだー」
「できていない、じゃこれから先ダメだからね、シィーラ。ちゃんと頭に叩き込んでおいて」
ナリスがわしに代わって注意してくれる。大変ありがたい援護射撃だ。一人ではいくら言ってもあまり響かないことが多い。そちらを任せて、改めてわしはデルデ=ガルデの街の手前の村で仕入れた情報を反芻する。
ダリドアリ教という宗教団体は不気味であるが、別に人を襲ってどうこうというような攻撃的なものではない。ただ、暗所の神を崇拝しているだけあって昼間はあまり活動しないという習慣があるらしく、そんな教義の人間が街長であることからも、夜間の方が活発という昼夜逆転の生活になっているという。
とはいえ、千人近い者が住む街でそのような暮らしでは立ち行かない。そこで左右の地区で完全に昼と夜での生活時間が違う奇妙な環境が生まれているという。農作物は陽のある内に作業しなければ不便ではあるし、当然と言えば当然だ。
交易路から外れてはいるが、かつては多くの近隣の町や村と繋道もつないでいた中堅の街であったため、今も商人が訪れることも少なくない。形態は変わったものの、中継都市として今も存続しているのが実情らしい。様々な方面への通り道であることが発展の理由なだけあって、特産なども特にない。かつては宿屋通りが繁盛していたとのことだが、時代と共にその流れも廃れ、ダリドアリ教の台頭で大分宿泊産業は落ち込んでいるという。
逆にその奇妙な宗教を一目見ようと観光客で一時期賑わったことあったようだが、長続きはしなかった。一度見れば十分だというのは言うまでもない。そんなこんなで、デルデ=ガルデの街の現在は奇妙な宗教団体がいるというだけの小さな中継都市といえそうだった。
そうなると、難しい問題が一つ出てくる。旅人としてそのような場所に滞在する理由が必要となることだ。どこか別方面への休憩地点としてだけの街に、新参者が長く留まるのは不自然だ。魔力狩りという事件を調べに来たということを大っぴらにできない以上、何か別の身分で偽装するしかない。その隠れ蓑を考えておかねばならなかった。
シィーラというか本来のわしの見た目は旅人か流浪の傭兵か剣士、ナリスは凡庸な村娘といったところだ。普段の服装からの連想であって、上等な貴族風の衣服でも仕立てれば上流階級に見せることは可能だが、これから向かう街で新参者が長居するのに貴族であることは特に寄与しないだろう。かといって、従来通りに傭兵と名乗れば、今度は長く留まることが不自然になる。傭兵は当然の如く、争いのある地域こそが仕事場だ。中継の街に用などない。
何か妙案がないかと頭をひねっていたのだが、最終的にはそのまま流れの剣士でいくことにした。偽の身分や目的を用意したところで、シィーラがそれを演じきれる自信がなかったのが大きな理由である。下手に変な知識を入れたりすると、混乱した時に感情的になって暴発する危険性を危惧したためだ。ナリスもこれには同意見で、とりあえず知り合いにこの街で待つように連絡を受けたということで、しばらく時間を稼ぐという案に落ち着いた。しばしの休息がてらということにしておけば、当面はそれで自然ではある。後は流れ次第だ。
その他、デルデ=ガルデの街の情報については、見聞屋ギルド、ハルダー商会があり、魔法教会はないということ。街の運営はデルデ=ガルデ議会が行っており、左右の地区に完全分離した施政ではあるが、それなりに機能していること。街に騎士団はないが、保安隊という街の治安を司る組織はあること、などが分かった。
肝心の魔力狩り関連も探りを入れてみたが、噂話程度で近隣の村ではそれほど気にしている者はいなかった。こちらは見聞屋から聞くしかなさそうだ。
現状を再確認していると、駅馬車がゆっくりと停止した。
街に到着したのかと隙間から覗き込むと、御者台から降りた男と目が合った。ここで降りるように手で促された。まだ街中ではないようだが、何か事情がありそうだった。この駅馬車は御者台と荷台部分にしっかりとした防音の魔法がかかった仕切り板があり、乗客の会話が漏れない造りになっている。そのために御者との連絡手段がない。通常は呼び鈴などで一時解除する仕組みなどが組み込まれているのだが、予算の関係か技術のなさか、はたまた必要性の有無なのかは定かではないか、ついていなかった。
とにかく地元の民に従うのが得策なので、シィーラとナリスに伝えて馬車を降りる。
気さくだがむさ苦しい見た目の御者の男が、すまなそうに言った。
「おいらが送れるのはここまでだ。最近は街中まで入るといろいろうるさくてな。後は歩いて入ってくれや。特に入場税もないでよ。気楽にいけば問題ないばい」
(ふむ。それはかまわぬが、なぜ駅馬車が中に入れないのかは気になるな。聞いてみてくれまいか?)
ナリスが代弁して尋ねると、
「昔は中さ入っても、何も問題なかったばい。けんど、ほら、あの妙な宗教さ広まってから、街長も奇妙な法令ば出しよってのぅ。信者じゃない者にはあれやこれや制限かけたりしよったばい。その中に、おいらたち駅馬車も入っておってのぅ、いやさ、この地域の馬車組合って意味じゃが。なんにしても、街中まで入るとちょびっとだけども金さとられるばい。その分、お客さんに上乗せになっちまうだでよ、ここまでの方がよかろ?」
御者がにかっと笑う。親切心だったらしい。多少料金がかかっても中まで入ってもらってもいい気がしたが、どうもそれだけじゃない事情がありそうな気配だ。街の入口はすぐそこなので別に歩くことに問題はない。
どうしましょうか、というナリスの無言の視線にうなずく。
(ならば、徒歩で入るとしよう。街の状況を知るにも、入口の衛兵を観察するのはいい判断材料の一つじゃ)
御者に料金を払ってそこで別れることにする。ついでに、良い宿屋があれば紹介してもらおうとしたが、親戚がやっていた店は既に閉店していて特に推薦するものはないと言われた。やはり昔ほど繁盛していないらしい。
「あまり助けになれずにすまんな。また帰りにでも寄ってくれりゃ、次の町まで気楽に運んでやるじゃのぅ」
最後まで申し訳なさそうにしながら男は去って行った。イビサ村の人々はみな善人で、いろいろとよく教えてくれた。ダリドアリ教をよくは思っていなくとも、あからさまに貶すようなことも言っていなかった。彼らのせいで結果的に人の往来が減ったことに不満は持っていても、だ。それが少し不憫であった。
いずれにしても、目的地の場所に行く前には必ず直前の集落を訪ねて話を聞くべし、という師匠の教えは今回も正しかった。内部からでは分からない情報がそこにはあり、単なる噂話ではなく、近隣の生活圏内からの伝聞というのはそれだけ信用度が高い。事前に調べていなかったら、普通に近い入口から足を踏み入れていただろう。
(では、行くとするか)
「ごーごー!新しい街ってなんかわくわくするねー」
シィーラの陽気な声とは裏腹に、少し曇天の空がこれからの生活を暗示しているようで、なんとも言えない気持ちにさせた。
デルデ=ガルデの街は思っていたよりも活気があった。
交易路沿いではないにしても、昔ながらの繋道が多く交差している場所だけあって人の往来は今でもそれなりにあるらしい。これでも減ったという話なのだから、昔は相当の賑わいがあったということだ。いや、もう一周して考えると、だからこそ今もまだこの街が存続しているということなのか。怪しい宗教団体が半分の地域を陣取っていたら、普通はこうはいかないのではなかろうか。少し興味深い現象だ。
街を行き交う者で明らかに余所者なのは主に行商人たちで、その護衛の者たちと共に大通りを走る馬車が目立っていた。駅馬車の御者は、街中まで入ることをためらっていたが、普通に商人たちの馬車が通っているのを見ると、ますますなぜだったのか気になった。料金のことを言っていたが、本当にそれだけだったのだろうか。
「何か気になるものがあるのですか?」
じっと道行く馬車を見つめていると、ナリスが不思議そうに声をかけてくる。
(いや、たいしたことではない)
今は他にすることがある。頭を切り替えて改めて周囲の街並みを眺めるが、特段変わったところはない。左区と呼ばれるこちら側はいたって普通の街であり、入口にいた保安隊の面々もまともだったこともあって、街の治安も悪くはなさそうだ。しかし、実際に魔力狩りなる事件が起きているはずなので、そこには乖離を感じた。もしかしたら、事件の現場は右区なのだろうか。見聞屋が接触してくる手筈のはずだが、相手はどうやってこちらを知るのか。
色々と気になることはあれど、まずは泊まる場所が先決だった。幸い、斜陽とは言え宿場町なので泊まる場所に困ることはなさそうだ。大通りなどは問題外であるものの、できるだけ目立たない場所にもそれなりの数はあるはずだ。少し裏通りを散策して探すとしよう。
シィーラは先ほどから鼻をくんくんと鳴らして食べ物の匂いにつられている。ロハンザの街とは地域性が違うので、この辺りの味付けは新鮮に感じることだろう。
今回は騎士団のような閉鎖的な場所での活動でもないので、ナリスを前面に出せる分他人との交流はかなり楽になるはずだった。ゆえに、今もその頭をわしの定位置としている。シィーラは未だに空気を読まない妖精の地が隠せないことが多い。理知的に会話できるナリスはその点でかなり優位だ。危険は伴うが、ニャリスもいることではあるしどうにかなるだろう。
「あれ、あれ買おう!絶対うましっ!」
露店売りの包み揚げを涎を垂らさんばかりに見つめていたシィーラがうるさいので、さっさと買い与えて大人しくさせておく。好奇心に火がついて辺りをきょろきょろしているシィーラは目立ちすぎるので、せめて食べ物で口を塞ぐ作戦だ。とにかく、目立ちたくない。
「あまり奥まったところ過ぎても、逆に不安になりますね……」
裏通りを歩きながら、ナリスが所感を述べる。
(そうじゃな。目抜き通りから外れるほど、どんな街でもゴロツキが吹きだまるものじゃ。生活拠点として、ある程度は安全性が確保されている方が動きやすい)
目の前の路地から更に細い道がつながっており、そちらからは微かに腐臭がしている。明らかに貧民街のような雰囲気がその匂いから漂って来ていた。そこまで入ることをナリスが危惧しているのだろう。場所にもよるがたいていは無法地帯となっており、何が起こっても治外法権であることが多い。
まだそこまで足を伸ばさずともよい。いずれ、調べる時が来るとしても、だ。
そんな気持ちでその道の先に思いを馳せていると、「わぁー」という甲高い声と共に子供が一人走って出てきた。ちょこちょこと手足を動かす姿はなかなかに可愛らしい。茶髪のお下げ髪もぴょこぴょこと揺れていた。そのすぐ後からもう一人、こちらも同じくらいの背丈の子供が続いてきた。手ぬぐいのようなものを頭に巻き、その額の元から薄い黒布で顔を隠している珍しい特徴があった。奇妙な格好だが、既に噂に聞いていたのですぐにピンと来た。この子供はダリドアリ教の信者だ。昼間はそうして、できるだけ視界を暗くするのだという。
無言ではあったが、この子供もやはり必死に走っているようで、前の子に追い付こうと懸命さが見て取れた。
二人とも何かから逃げているのは明白だ。
自然と視線は彼らが出てきた細い道の奥の方へと向かう。はたして、追い立てていた者が姿を現した。またもや子供だ。だが、先程の二人よりも年上だった。背丈が違う。不審さも段違いだった。小汚い身なりだとか、あまり手入れされていない髪だとか、そういうものだけではない。身にまとっている剣呑な雰囲気が、根っからの裏の生活を送るもののそれだった。どんなに幼かろうとも、そうした匂いというものは滲み出るものだ。
「あぁ?何見てんだよ?」
ナリスの視線に気づいたのか、すぐさま絡んでくる。やはりろくでもない。まずは威嚇して優位を取ろうとするのは、翻って弱者の自覚があるからだ。なめられないように生きることが沁みついている者の行動だった。
一見おっとりとした外見のナリスだが、これまで共に過ごしてきたこともあり、見た目以上に腹は据わっている。怯むことなく無言で見つめ返す。
予想外の反応には小物ほど弱い。啖呵を切った少年は顔を真っ赤にしながら、「な、なんだってんだよ!?」と更に声を荒げるが、語尾が少し震えていた。よく見ると、いつの間にかニャリスに入れ替わっていた。危うげな気配をかぎ取ったのか、ナリスと違って好戦的なニャリスは声に出して答えた。
「オマエこそ何だよ?ガキのわりにゃ、随分こなれた身のこなしだな」
ニャリスの指摘通り、少年の立ち振る舞いには歴戦の戦士のような油断のなさがあった。常に危険と隣り合わせの貧民街ではそうした子供も少なくはないが、宿場町崩れのデルデ=ガルデの街で、そのような育ち方をするのかは疑問だった。
「はっ、おれをガキ呼ばわりしたヤツは大抵死んだぜ?てめぇもそうなりたいのか?」
威勢を取り戻して、少年がすぐさま短剣、ナイフを取り出して構える。その手さばきから脅しではないことは見て取れた。単に声をかけただけでこんな対立になるとは、どうやらこの辺りは相当に物騒な場所だったようだ。急に頭上からもひりついた視線を感じて目を転じると、みすぼらしい外套の男が左側の家の屋根からこちらを監視していた。少年の仲間のようだ。
(良くは分からぬが、ここで揉めるのは面倒そうじゃ。あの童にお仕置きしても、増援が来そうな勢いじゃ。適当に煙に巻くぞ)
「どうやって?」
ニャリスが小声で囁いてくる。わしは行動で示した。
魔法で辺り一帯に濃霧を発生させて、少年たちの視界を奪う。急激な空気の変化に「な、なんだ?」と動揺した声を上げる少年。戦闘経験は豊富そうでも、こうした魔法には不慣れなようだった。
(シィーラ!お主も早く来るがよい。あの子供たちを連れて離脱するぞ)
「ほにゃ?こどもってなにー?」
この間、シィーラはずっと別の方角にある壁の落書きに夢中になっていたので、まったく反応していなかった。わしも一瞬その落書きは見たのだが、何がいったい気になるのかよく分からない抽象的なものだという感想しかなかった。
(いいから、来るがよい。時間がない)
ナリスの頭からシィーラの頭へと飛び移って急かすと、こちらの真剣さが伝わったのか「ほいほい」とナリスに続いて走り出す。濃霧は既に辺りを覆っていた。
「確か、こっちに走っていたよな?」
その話し方でまだニャリスであることに思い至る。ナリスとニャリスはいわゆる二重人格で、その差は表面化した際に肉体面にも影響する。ニャリスは鍛錬を欠かしたことがない戦士型なので、今は最適ではあった。
(あの幼さではそう遠くには行けまい。どこかの横道に隠れているに違いない)
路地裏は似たような道が続くが、整理された区画ではない。道幅はまちまちで地面の質も大分違う。地肌がそのままの畦道のような個所もあれば、半端に石畳が敷かれた部分もあったりする。壊れかけた荷箱が積み上がっていたり、何の用途に使うのか不明な板木なども散乱している。
そうした通りを走りながら、子供が身を隠しそうな場所を探していると、すぐに細い暗がりの脇道を見つけた。
気になって覗き込むと、半分蓋が開いたままの荷箱の陰から小さな足が見えた。隠れているつもりらしい。あれではすぐに捕まってしまう。説明している暇もないので、問答無用で抱えて回収する。
「わぁー、何ちゅるのー!やめー!」
ばたばたと抵抗されるが、悪い奴らが追ってくるからここから去らねばならないことを告げると、あっさりとこちらを信じてくれた。
「お姉ちゃん、良い人なのー?」
「少なくとも、さっきのガキよりはな」
ニャリスが安心させるように笑うと、子供は安心したようにマワリだと自己紹介してくる。もう一人はベベだと名乗った。シィーラが抱えて走っている。ベベの方はかなり大人しく、されるがままといった様子だ。
なぜあの少年に追われていたのか聞くと、ベベの聖布――顔を隠す黒い薄布――が風に飛ばされて、灰溜りと呼ばれる貧民街の方に取りに行ったかららしい。幸い、入り口付近で見つけてすぐに引き返したが、それを見咎められて逃げていたという話だ。
灰溜りは地元民でも近づかない危険地帯で、マワリも普段は絶対に足を踏み入れない地域なものの、聖布とやらはかなり高価なもので失くしたではすまされないためにやむを得なかったという。友達のために献身的で結構だが、マワリ自身はダリドアリ教の信者ではない。大分善人に育てられているらしい。
流れでその親元まで送ることになった。ベベの方は途中で自身の家へと戻るというのでそのまま別れた。聞けば、両親はベベとの交友をあまり快く思っていないとのことだ。それはベベ本人に対してというより、ダリドアリ教そのものへの不信感によるものだ。マワリは幼いながらも、なかなかに理知的な子供であった。
「助けてもらったお礼はちゃんとしなきゃダメなのー。ママとパパがきっと美味しいものを食べさせてくれるのー」
マワリの親は食堂を営んでいるという。食べ物と聞いて、シィーラが飛びつかないはずがない。
こうして、マワリと共に寄り道亭へと向かうことになったのだった。




