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FairyTame-妖精交換(仮)-  作者: 雲散無常
第一章:遭逢
5/202

1-4


 ナリスの家は、家屋というより掘っ立て小屋に近いものがあった。

 老朽化したあの森小屋とたいして変わらないほど狭く、彼女ら母子の境遇が垣間見えた。だが、そのような貧困さはそれほど珍しいことではない。屋根付きの寝床があるだけマシだという底辺の生活を送っている者もいる。無駄な同情をするつもりはなかった。

 何よりも、問題は他にあった。

 「お母さん、いま戻ったよ!だいじょう――」

 ナリスが勢いよく扉を開けて家に入った途端、異変に気付いた。

 鼻につくすえた匂い。壁に飛び散った赤。簡素なベッドの上に突き刺さったままの剣。その刃は人の身体を縫い付けていた。他にも切り傷が多数見られることから、何度も斬りつけられたことが分かる。不必要なその周到さは恨みによるものか、残酷な見せしめか、あるいは狂った愉悦のためか、そのどれでもろくなものではない。

 「あ、ああ………!!!」

 ナリスの身体が崩れ落ちる。声なき声が漏れ出て、やがて嗚咽と変わった。

 「おっと、これは汚いなぁ」

 後から続いたシィーラは、その光景に顔をしかめて呟く。人間の死に関して未だ鈍感な妖精気質のため、表現があまりよろしくない。

 無残に殺されているのは、ナリスの母親に違いないだろう。一体何があったのか。

 ナリスの慟哭を耳にしながらも冷静に聞き流す。今慰める言葉は何もない。そもそも、しゃべれもしない。できることをするまでだ。

 部屋を見回してその手掛かりを探す。

 二人暮らしなのだろうが、どうみても一人でも手狭な大きさだ。安宿の一部屋に近い。ベッドと台所、申し訳程度の机があるだけだ。ちゃんとした椅子もなく、縦長気味の切り株があるだけだった。かなり切り詰めた生活をしているのが見て取れる。

 それらの家具に変わったところはない。残るは壁ぐらいだが、飛び跳ねた血痕があるだけで何の絵柄もない。脅しであれば、犯行に及んだ者の所属する紋章なり印なりが血文字で描かれているのが普通だ。単に通り魔的な殺人なのだろうか。それにしては、攻撃が激しすぎる。

 腑に落ちないまま、改めてその場で一回りすると、今しがた開いた扉の裏側にそれを見つけた。

 (シィーラ、この印に心当たりがないかナリスに聞くがよい)

 「ほぇ?どれどれ?」

 緊張感のない声で振り返ったシィーラも、その奇妙な印を見る。動物の牙らしきものに、つば広の帽子が描かれたものだ。構図からして、どこかの盗賊団や山賊が好みそうだ。

 「えっと、ナリス?お悲しみのところ申し訳ないんだけど、この絵に見覚えある?」

 こういうとき、空気を読まずにいつもの調子で話しかけられるのはシィーラの強みだ。他人に対する気づかいについて散々説明してきたが、妖精と人間の感情の機微には大きな隔たりがあるため、繊細な対応を覚えさせるのは半ばあきらめている。それでも最低限、心情を表現するために丁寧な言葉遣いを実践させているのだが、その効果があるかどうかは不明だ。

 シィーラの渾身の丁寧な問いかけはしかし、ナリスには聞こえていない。最愛の母が亡くなったので仕方がない。何か別のことをさせて気を紛らわせるのも一つの手かと思ったが、こういうときどうするのが正解なのかは個人の性格にもよるので何とも言えない。結果的に、もう少し落ち着くのを待ってやるべきだったと結論付けるが、それをシィーラに伝えそびれた。

 「ねぇねぇ、ナリス、聞いてるかしら?あの絵がねー」

 強引に座り込んでいるナリスを立たせ、シィーラは扉の前にその身体を無理やり引っ張り上げる。容赦ない行動力だ。

 (馬鹿者!やりすぎじゃ、今はもう少しそっとしておいてやれ)

 「え?何が?」

 最悪の対応をしたシィーラだが、当然その自覚は本人にない。

 ぐったりとしているナリスを抱えたまま、能天気な顔で首を傾げている。自分の姿が狂気塗れの鬼畜に見えるのはとても辛い。

 (ナリスはまだ肉親の死を受け入れる準備ができておらぬ。今はしばし待て)

 「あ、そうなの?人間の感情ってやっぱ難しいねー。さっぱり分かんないやー」

 (……ここは空気が悪い。外に連れ出して休ませるがよい)

 ナリスは呆然とした状態で目の焦点もあっていない。回復の時間が必要だ。部屋には椅子もないので、座らせることもできないとなれば留まる意味はない。

 一度外に出て、家の壁にナリスをもたれかけさせた。少し離れた場所で様子を見守ることにする。

 「ナリス、元気ないなぁー。悲しんでるってやつなの?」

 (そうじゃ。お主はもう少し人間の死について学ぶがよい。妖精の間で死を悼むという感情がないという話は聞いたが、人間社会を多少でも体感した今も、その辺りはまだ実感できぬか?)

 「うん、分かんない」

 即答か。流石にもう少し理解して欲しい。ここまでは赤の他人の死のみだったが、これをきっかけに学ばせるべきだろう。

 (では、少し考えてみよ。そうじゃな、仮にお主の食べたかったコンルスファがあったとして、注文した後に売り切れだったらどう思う?)

 「暴れる。注文したんだから出さなきゃだめでしょー」

 (いや、そうではない。店側もどうにかして出そうとしていたが、例えば厨房が火事になって料理を出せなくなったとか不慮の事故で売り切れとなった場合だ。感情として、どう思うかを聞いておる)

 「ちゅーぼー?」

 (台所、キッチン、料理をする道具などがある場所ゆえ、そこがなければ料理ができぬ。つまりは食べられない、というときにどう感じるかじゃ)

 「ぐぬぬ……食べられないのは……悲しいってやつかな?」

 (うむ、そうなるであろう?似たような感情が今、ナリスに起きていることだと考えてみよ。相手の立場になってみる、と前から言っているのはまさにそういうことじゃ)

 猪の煮込み料理と親の死を同列に語るべきではないが、シィーラの興味があることでなければ意味が伝わりづらい。不謹慎でも今は近似値だと妥協してもらいたい。

 「うーん……期待していたことが叶わなくて、ふみゃーんってなったってこと?」

 ふみゃーんが気落ちしている状態であるなら何となくは伝わっているが、例えがあまりよろしくなかったようだ。シィーラは馬鹿ではない。まともに考えれば要約は上手い。ゆえにこそ、少しずれてしまった。

 (期待していたことというより、何か起こって欲しくないことが起きてしまったとき、人は悲しいと思うのじゃ)

 「なるほどー?」

 (多少はその感覚がつかめたのなら、今度はお主がそんな『ふみゃーん』なときに、横からコンルスファなんてどうでもいいとか言われたらどう思うか考えてみよ)

 「それは……なんかムカつくってやつ?」

 (そうじゃな。つまり、先程お主がナリスにしたことはそれに近いものがあるということじゃ。親しい者にそんな不快感を与えたくはなかろう?気遣いというものは、そういうことを踏まえた上で必要とされておる。言動に気を付けろと常々言っている意味を、もう少し分かってくれ)

 「むむむ……善処してみるー」

 善処などと言う言葉をどこで覚えたのか。やや眉根を寄せているので真剣に考えてはいるのだろう。まずは一歩前進としてよしとしておくと、それも長くは続かずにすぐにいつもの調子に戻った。

 「そいでそいで、なんでナリスのお母さんは殺されたのかな?」

 (確証はないが、おそらくは例の借金取りの仕業かもしれぬな。先日、ナリスを捕まえようとしていたことからも、かなり強引に取り立てようとしていたように思える。じゃが、返り討ちにあってその報復という流れじゃな。短絡的過ぎて愚かではあるが、この手のゴロツキでは十分考えられる)

 「ふーん。まぁ、人間って良く分からない行動多いからねー。あれでしょ、その場でわちゃーってなって、がぁーっといくみたいな?」

 衝動的に動くという意味では正しい。感情が理性を上回ってしまうことは多々ある。妖精の場合、そうした衝動というのはあまりないようだ。常に好奇心というか、自らの欲するところに素直な生き方なので、人間の言う理性という制御機能そのものがないのかもしれない。

 (何にせよ、この機会に人の死についてもう少し知るがよい。人間は妖精と違って一度死ぬともう戻らぬ。その重みを知る良い機会じゃ)

 「死んだらおしまい、ってことだったよね?うーん、命が終わるってことがやっぱよく分かんないなー」

 驚くべきことに妖精には死がないらしい。いや、正確には死ぬという概念がない。妖精の死とは、自らが消滅を選んだときのみらしい。人間でいう『自殺』に近い行為をしなければ、基本的に記憶を最初に戻してやり直す存在だと言うことだ。退屈が引き金となり、そうしたリセットを繰り返して生きるものらしい。にわかには信じがたい話だが、そもそも種族が違うのだから共通理解ができないのは当然でもある。

 そんな妖精のシィーラに、人の死が何たるかを教えるのは難しい。喪失感や悲嘆など言葉で伝えたところで実感できないものだとつくづく思い知らされる。

 (何度も言うが、もう二度と戻らぬということをよく考えるのじゃ。お主もおそらく、無意識下では漠然とは分かっておるのだろう。だからこそ、先日わしが傷つけられたときに動揺したのじゃ。約束が叶えられないかもしれないと思ったのであろうよ)

 「うーん、そうなのかな?確かに死んじゃったら約束守れないもんね」

 シィーラは約束にこだわりを持っている。何か過去にあったのだろうが詳しくは聞いていない。ただ、それだけは絶対に守るという信条があるようだ。

 改めてナリスの方を見るシィーラ。少しだけ労わるような眼差しになっただろうか。実際には自分の憂い顔を見せられているのだが、最近は大分客観視できるようになってきた。自分を他人として見ることはいいのか悪いのか、判断が難しいところだ。

 「もう食べられないって思うと、一層ムカつくもんね……ナリスのお母さんを食べちゃったやつ、絶対やっつけないとだね」

 色々とごちゃ混ぜになっている気がする。例えの食べ物に引きずられ過ぎていた。ナリスの母親は食べられてはいないし、怒りより悲しみに理解を示してもらいたかったのだが、少なくとも無関心よりはマシになっただろうか。

 (そういうわけで、今後も人間の死というものをできるだけ軽く見ないように気を付けるがよい。失ったものに関して、すぐに割り切れる者とそうでない者がいる。後者の場合、そのことについて軽率な発言をすると火種になりかねん)

 「んー、どういうこと?」

 (死んだ人間について、下手なことを言うと相手を怒らせる可能性があるということじゃ。お主は特に相手の気持ちに立つということができぬゆえ、今後注意することが求められる。特に今回のように、赤の他人ではなくナリスのような友好関係を築いた相手には、そういう配慮は必須じゃからな)

 それこそがわしが言いたいことだった。近しい関係であればあるほど、そうした気遣いが必要になる。自由奔放な妖精気質を相手側は絶対に知ることはない。理解は求められない。こちら側で対処するしかないのだ。

 「うーん、怒らせたっていいんじゃないの?何だっけ、あれ、喧嘩するほど仲がいいみたいなのもあるでしょ?」

 (怒らせた内容が、人の死かそれ以外かというのは大分違う。そういうものは根深く残って、よろしくないのじゃ)

 「ふむむー……やっぱり面倒だね、人間ってさー」

 (人間関係というのは確かに面倒じゃな。じゃが、避けて通れるものでもない。わしの身体を使う限り、嫌でも何でも対応してくれ)

 「あいあい、分かってるよー。そこはちゃんとしなきゃいけない部分なんだよね?頑張れ、あたしっ!」

 ぐっと拳を突き上げて気合いを入れるポーズをしているが、どこまで本気なのかが読めないのが辛いところだ。基本的にシィーラはその場しのぎで口先だけはすぐに同意するクセがある。うかつには信用できない。



 そんなシィーラを複雑な思いで眺めていると、視界の隅でナリスが不意に起き上がった。

 泣き疲れてまた眠っていると思っていたので意外だった。

 「あっ、ナリス!もう元気になった?」

 そんなはずはない。早速気遣いを無視して手を振るシィーラに、ナリスは無言でずんずんと近寄ってくる。

 その歩き方を見て確信する。これはナリスではなく、ニャリスの方だ。身にまとう雰囲気が重い。顔を挙げずにいるのもあまりいい兆候ではない。

 (シィーラ、下手に刺激するんじゃないぞ?繊細な対応を――)

 注意喚起をしようとしたところで、ニャリスは既にシィーラの目前に迫っており、その手が胸倉を荒々しく掴んでいた。

 「アンタがっ!アンタが引き留めたから、間に合わなかったっ!!!」

 「えっ?ええっ!??」

 戸惑うシィーラにニャリスは尚も恨みをぶつけてくる。

 「すぐに帰っていれば、死なずに済んだっ!こんな、こんな殺され方はしなかったはずなんだっ!!」

 悲痛な声でシィーラを責めるニャリス。完全に八つ当たりではあるが、多少の事実は含まれている。その可能性は確かにあるだろう。だが、片腕を無理やり止血した状態で駆けつけたところで、助けられたかどうかは微妙だ。そもそもシィーラがあのゴロツキを追い詰めていなければ、という話もあるにはあるが、たらればを言い出したらキリがない。

 今のニャリスは、ただどうにもならない感情のはけ口をシィーラに求めているに過ぎなかった。

 と、普通の人間ならば分かるが、残念ながらシィーラは妖精でまだそこまで推測できる経験はない。

 「と、とりあえず落ち着いて、ニャリス。どういうことか、ちゃんと話してみよ?良く分かんないけど、お母さんが死んだのはあたしにはまったく関係ないと思うし、ね?」

 頭に血が上って逆恨みしようとしている相手に、決定的な言葉を投げてしまった。

 「アンタがっ!それを、言うなっ!!!」

 ニャリスが腕を振り回して、シィーラは投げ飛ばされる。

 尻もちをついて、あいたた、と呑気に声を上げているその鼻先に、いつのまにかニャリスの剣が突き付けられていた。違和感を覚えるより先に、警鐘が鳴り響く。

 これはまずい。素手の暴力ならば多少は許容できるが、刃物はよろしくない。衝動で事故はよく起こる。加えてシィーラは手加減があまりできない。肉体の条件反射だけで、襲ってきた者を叩き斬ってしまったこともある。微妙に動揺した精神状態では、相手がニャリスだろうとそういった事故が起こってしまう可能性はゼロではない。

 (シィーラ、あの剣はダメだ。絶対にニャリスにあれを使わせるな)

 「ダメって言われても、かなり怖い目で睨まれてるんだけどー?」

 シィーラの方も残念な状態だ。緊張感がまるでない。ニャリスが危険な状態だと分かっていない。短い間で距離感を詰めたからか、警戒を解いてしまっている。自分が動くしかないと、先手を打つことにする。

 ニャリスが衝動的に何かする前に、一気に加速してその剣を握る手に向かって突進した。

 「なっ!?」

 わしの奇襲は想定外だったのだろう。対処できずにニャリスが剣を取り落とす。不思議なことに、同時に剣の刃が文字通り消えた。そこで違和感の正体に気づいた。剣はどこから出て来て、どこへ消えたのか。あれほどの重量のものを隠し持っていることはあり得ない。

 つまり、あの剣は魔法で精製されたものだったということだ。身体から離れれば魔力供給が途切れる。剣としての形を維持できないため、消えたという推測が成り立つ。形成魔法という魔力で物質を一時的に作る、再現するという魔法分野はあるにはあるが、かなり高度でマニアックなため、こんな片田舎の町娘が扱える代物ではない。ナリスは独学で多少の魔法を使えるという話をしていたが、その秘めた実力は相当なものがありそうだった。

 それはともかく、今はニャリスを落ち着かせるのが先決だ。

 (ニャリスは感情的になって我を忘れておる。落ち着くまでお主が冷静に対応するのじゃ)

 「冷静にって、つまり、どうすればいいの?」

 まさしくそれが問題だ。正論を言葉にしてはみたが、人の感情の機微を解さないシィーラに、そんな表現では伝わるはずがない。かといって、的確な指示も与えられない。相手の出方に応じた対処が必要だ。

 ニャリスは剣を落としたが、その興奮はまだ冷めきっていない。シィーラだけじゃなく、いまはわしにすら怒りの眼差しを向けている。何かにぶつけないとやりきれない気持ちを抱えているのは明白だ。一度、ガス抜きさせた方がよさそうだ。しかし、一体その無難な方法がすぐには思いつかない。

 時間をかければ何か明暗は思いつくだろうが、そんな暇はない。

 とっさに思いついたことをシィーラに言うしかなかった。

 (性的な質問を今だけ許可する!)

 「お?ほんとに?じゃぁ、じゃぁ、ニャリス!xxxを見せて!」

 勢いよくシィーラが放った言葉で、その場の空気は完全に変わった。


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