4-7
魔族とは人類の敵である。
しかしながら、大陸で忌み嫌われているその種族を正確に知る者はおそらくいない。
闇の神の眷属としての圧倒的な力の象徴、あるいは災厄として知られている存在だ。現在、闇の神はすべての力を使い果たして眠っているというのが通説で、魔族はその復活を待ち望む種族だ。魔界という特殊な空間を住処としており、人の世であるこの大陸には滅多に姿を現さない。
というのも、人間を完全に下等生物と見なしているため、特に人界に対して興味はないからだというのが常識であった。ただし、時折気まぐれに人を弄ぶ個体も存在し、その度に人間は尋常ではない数の犠牲者が出たこともあって、魔族とは決して事を構えるなというのが歴史的教訓になっている。
その抑止力用の不可思議な力が王族的特殊能力であり、いつの時代の王も魔界と人界をつなぐと言われている異門を隔離することに腐心している。その門がある古代遺跡を主要国が厳重に警戒しているのはそういう理由があるからだ。
とまれ、大陸の者は皆魔族を恐れ、忌避して触れてはならないものとして扱う。
そんな存在、あるいは関係するものが、なぜこのような森にあるのか。先に上げた古代遺跡などは確かに人跡未踏の秘境などにあったりはするが、そういうことなのだろうか。未だに世界の各地にはそういった未発見のものがあると言われている。そうであるならば厄介の種ではあるが、見て見ぬふりはできない事実だ。
「……呪われたもの、あの奇怪な何かを既に見たのならば……もはや隠し立てはできまい。ぬしが信じられるどうかは確信が持てぬが、叶うならばこれから語ることは内密に願いたい。ナジェイラの祖、森の民オムロの民長であるわしが伏してお頼み申す」
「無駄に広めることはダメだって、前にすっごい怒られたことあるから、きっと大丈夫だよー?」
言っていることはまともではあるが、シィーラはどこまでも他人事のようで軽いために説得力が皆無な返答だ。
オムロはしかし、それでも話し出した。
「我らが森の民の御神木には、魔界樹の根がほんの一部どこかで交錯していると言われておる。その理由や経緯は不明ではあるが、逆にそれゆえ特別な力が宿っている根拠とも考えられておる。もちろん、そのまま悪しき魔力に汚染されるがままであれば御神木は魔物化するであろうが、齢何百年と生きてきた御神木には、精霊神様の御加護もあって自浄作用を持っておられる」
「じじょーさよー?」
(自ら病気などを癒す機能と言うことじゃ。外部要因、外からの力ではなく、内部で自然に毒物などを排出するようなものじゃな)
オムロも同じような説明をして続ける。
「ゆえに基本的にはその悪しき魔力をも包み込んで森を守ってくださっている。が、そのような異質な魔力を含むためか、相貌の実に悪影響を及ぼすことがあっての。それを呪いと呼んでおる。わしら民長は代々儀式を行ってそのような呪いが降りかからぬよう、務めを果たしてきた。今回、魔族と思しき何かを見たのはそういう理由であろう」
つまり、相貌の実の使い方も儀式も知らないまま複製か何かを試そうとし、失敗して呪われたということか。その結果が、あの樹木人間のような魔物化であれば一応筋は通る。だが、疑問は未だ尽きない。儀式を知らなかったためと言うが、そのような真似事はしていた。生首を並べてその周りを囲んでいた男たちの姿が脳裏を過ぎる。あの者たちも呪われていたというのだろうか。症状というか、現象が違い過ぎる。呪いの具体的なものが分からない限り、納得はできなかった。
さらに詳細を求めるが、オムロは色々あるとだけしか言わなかった。秘匿すべきものがある以上仕方ないとはいえ、どうにも腑に落ちない。変に隠されると余計に怪しく思えてしまうものだ。シィーラの「けちー、けちー」という単純ながらもどこか心に刺さる言葉責めにも屈しなかったので、これ以上粘っても仕方はないのだが。
他にも、山賊の残党がいるかどうかも確認しなければならない。安全確保がまだできていない状態だ。先の生首を囲んでいた男たちの対処や、民人の中の裏切り者たちの行方など、考えることは山ほどある。
とりあえずの尋問を切り上げて民長を民人たちの方へ案内しようとする。無駄な問答をする気はなかった。
だが、再び嫌な魔力が奥の方から漂ってきた。先程ではないが、異質な魔力の波動のようなものを感じる。
「あたし、いやーな予感がするんだけどー?」
シィーラの不安が広がる。わしの魔力はかなり減っているので、もう一度分身魔法というわけにはいかない。
(先刻のような敵が現れた場合は、まずは民長を逃がすがよい。お主が戦えぬのならば、防衛に徹しての逃げでしのぐしかない。ロアーナたちが駆けつけるまでの耐久戦になるぞ)
「ううん、大丈夫、多分、きっと……」
(真か?ここで見栄を張られても困る。魔族が苦手ならば、はっきりとそう言うがよい。緊急時に明かされても対処できぬゆえな)
「苦手っていうか、ちょっとだけ、アレね……むぎゃーって気持ち悪くなるみたいな?」
(それが結局まともに動けなくなるような状態であるなら、気持ちがどうこうはさておき、使い物にならぬから厄介じゃと言うておる。人間、生理的にどうしようもないこともままあるものじゃ。お主の場合、妖精ではあるが本人でもどうにもならぬこともあろう)
「そういうのじゃないよーな気もしないでもないでもないかなー」
それはどちらなのか。何にせよ、確かめている暇もない。この魔力の正体を掴もうとした矢先、足元にごろりと何かが転がってきた。
それは相貌の実の一つだった。かなり大きい。様々な形状の実があったのは覚えているが、こんなに大きなものがあっただろうか。しかもそれは丁度大人の人間一人ほどの寸法に見えた。シィーラの言ではないが、脳裏に嫌な想像が過ぎる。
(……一つ民長に質問してくれ。相貌の実とやらは、人間も複製できるのか?)
その言葉にオムロは顔面蒼白になった。振り返ってその実を確かめると、声が震えた。
「ま、まさか……できぬはずじゃ。それは禁忌じゃ、在り得ぬ……」
禁忌とは言うが、相貌の実について何も知らぬ輩が何かしたとなれば、そんな禁則事項すら知らないであろうし、そんな約束事を守る道理もない。在り得るということだ。
その仮説にこたえるように実の一つが震えたかと思うと一部が割れ、どろりと何かが外に漏れ出した。赤黒い液体はそして徐々に人型になり、驚愕して何もできずにいたわしらの目の前で突如また崩れ去った。何が何やら分からない。ほんの一瞬の出来事だった。
地面にはその痕跡とも言える粘着性の液体だけがただ広がっていた。未知の出来事過ぎて、考えがまとまらない。しばらくの静寂の後、シィーラが呟く。
「……今の……なんだったのー?」
「あれは……呪われたのじゃ。正しく儀式を行わなかったがため、失敗した成れの果て……しかし、本当に人を入れたというのか?なんと恐ろしいことを……」
(いや、待て。たとえあれが人を複製しようとしたものだとしても、あの魔力は何じゃ?説明がつかぬぞ?)
シィーラが代弁して訊くと、呆然とした状態のオムロは条件反射的に答えてくれた。驚きで秘密を隠そうとする意志すら忘れているのかもしれない。
「相貌の実で複製したものは、不思議な魔力を帯びるのじゃ……儀式とはその魔力をできるだけ抑える効果ももたらすと伝承にある。なぜなら、複製という奇跡はおそらく魔界の力の一端に由来するからで、本来の魔力とも言うべきそれは人界においては異質すぎるからじゃと言われておる」
確かに魔族の魔力が少しでも混じれば、それは違和感を覚えるに十分だろう。というより、今の説明を信じるのであれば、相貌の実というのはある種、魔界の力を取り入れたものということになる。取り扱いを誤れば、何が起こるか分からない危険極まりない代物だということだ。一部族であるこの森の民だけが扱っていいものではない気がするが、逆にこのことが公になれば、今回の山賊のように無理を通す者も出てくることは間違いない。
何より自分たちがここにいる理由を考えると、完全にその懸念は当たっていることになるだろう。ロハンザ傭兵騎士団が関わっている時点で、何らかの思惑があるのは確実だ。もう少し探る必要がある。今のオムロの状態を利用して、もう少し秘密を引き出すことにする。
(相貌の実で何かを複製するのはすぐにできるものなのか?あるいは大量に行ったりということは可能なのか?)
「条件によるとしか言えぬ。複製するものの性質、形、重さなどが影響するようじゃが、詳しくは儀式を行わなければ分からぬ。完了時間も即座にできることもあれば、一巡りかかることもある」
そこまで不規則ということは、大量生産には向いていないようだ。騎士団が複製人間でも作り出して兵士の増員を図っているのかとも勘ぐったが杞憂らしい。そもそも、無機物ではなく有機物、生物も複製できるという前提はあるのだろうか。
オムロは命あるものを複製するのは禁忌だという掟を語った。森の民である自然派の人間ならば当然の思想ではある。山賊の輩にはそういったものがなかったということではあるが、そこに至る思考に疑問が残る。人を複製する、などという考えは普通は辿り着かないはずだ。
色々と何かがおかしい。この偵察任務そのものからして奇妙ではあるのだが、ちぐはぐなものが多すぎる気がした。
(ちなみに儀式には生首を並べるなどという非人道的なものが含まれたりするのか?)
「生首……?一体、何の話じゃ?」
その反応を見るに関係はなさそうだ。一方で、そんなはずがないとも本能が告げる。あれほどの異様な行動は特殊な状況でなければ生まれない。よくよく考えると、少し間が空いたことも気になった。オムロにはもう少し吐いてもらう必要がありそうだ。長年生きてきたご老体に負担をかけるのは本望ではないが、悠長に事を構えてる時ではなかった。
もう少し詳しく情報を明かす。四肢を切り刻まれた遺体の山、生首を囲んでいた男たちの儀式めいた行動、神木に吊り下げられた屍など、何か心当たりがあるはずだと断定的に言い放つ。知っているかではなく、知っているだろうと事実を掴んでいるように匂わす。後ろ暗いことを隠している者ほど、はったりに反応するものだ。
白を切ろうとしたオムロも、こちらが注意深く反応を見ていることに気づいたのか、やがて観念した。
「……分かった。もう少し詳しく語ろうぞ。しかし、一つ教えてくれまいか。そなたらは何者だ?魔界に光とばかりに頼り切ってしもうたが、せめて身の上を知ってから打ち明けたい」
身分紹介など今更な気もするが、状況が状況だっただけに無理もないか。
(こう答えるがよい。相貌の実の取引相手、その関係者じゃと)
その答えに満足したのか、オムロは民長にのみ伝わっているナジェイラの昔話について話し出した。それは過去の失敗談であり、禁忌を犯した民が辿った悲惨な歴史であり、現在の秘密の掟が出来た理由でもあった。儀式そのものについては秘匿したままだが、それを怠った場合の様々な悲劇や惨劇が語られた。その中に先の生首を並べた奇妙な行事のことがあった。それは死者を蘇らせる方法の一つらしく、新鮮な生首を生き贄に一人の人間を生き返らせるという眉唾ものの話だ。
「本当にそんなことできるのー?」
「無理じゃろうな……手記に記されてはおらなんだが、あれは失敗した経緯などをまとめたものじゃ。参考にすること自体が過ち。しかし、そのような行いをしていたということは、誰かが勝手にあの手記を見たということかもしれぬ」
おそらくそれは間違いないだろう。だが、本当に目的が死者の蘇生であれば、違和感がまた生まれる。山賊たちは相貌の実で何をしようとしていたのか。人間を複製することと、死者を蘇らせることは違う。そもそもそれらは直接的な金儲けでもない。何か大きな齟齬を感じる。
その辺りから察せられるのは、今回の件が複数の思惑から引き起こされたものである可能性だ。
裏で糸を引いた者がいたとしても、どこかで計画が破綻して妙な方向にねじ曲がったのかもしれない。どこまで探るべきか、あるいは知らない振りをするべきか。
「わしが話せることはおおよそ話したつもりじゃ。そろそろ民人たちのところへ戻らせてはくれまいか?」
ロアーナたちと合流する必要もある。他の相貌の実に危険性がないことを確認して、一旦その場を離れることにした。
居住区へと戻る途中、シィーラに持たせておいた魔力回復効果のある薬草をひたすらに咀嚼する。
噛めば噛むほど効能があるもので、味がしなくなるまでそれなりに時間がかかる食材だ。その間中、効果があると思えばなかなか効率がいいものなのだが、ずっと何かを食べているようなもので、見栄えはあまりよろしくない。暴食鳥などと揶揄されても仕方なかった。
オムロも気になったのか、改めてシィーラに尋ねて来る。
「……ところで、その鳥のようなものは何なのか聞いてもよいかの?物凄い勢いで草を食んでおるが……」
「使い魔のゼーちゃんだよー?すっごい頭がいいのー。色々教えてくれるんだけど、他の人には――」
(こら!わしとしゃべれることを軽々しく伝えようとするでない)
勢いで吐露しそうになるシィーラを抑える。その頭に乗っていることがあまりにも当たり前になりすぎて、初対面の人間が困惑することを時折忘れてしまう。最近は皆、見て見ぬ振りをする者が多くなっている気がするが、やはり目立つようだ。
「ああ、そうだったー!うんと、あれだよね、ゼーちゃんはダダーンって強いんだー」
「だ、だだーん……最近の外の世界には疎いゆえ、その意味は分かりかねるが、頼りになるということじゃな?」
「うん、そうそう。さいきょーの暖房だね、暖房」
おそらくは相棒と言いたいのだろうが、訂正するのも面倒だと思っていたとき、前方から騒がしい声がした。
「おっと?丁度おったで。なんや、あんさん一人でえらい暴れたみたいやなー」
ドグオンが飄々とした態度で歩いてくる。その後ろにはロアーナたちの姿もあった。
「あー、みんな来たんだー?」
「そりゃ、あんさんが合図送ってきたさかい来るやろが。ちゅうか、途中でごっつけったいなもん見たんやけど、あれは何や?いや、全部気になるわ。ここで何があったんか全部まるっと説明してもらわんとわけが分からんわ」
それはそうだろう。こちらでも把握してるのはおそらく一部だ。けったいなもんとやらも気になる。先にその説明を求めた。
「なんや、頭のおかしい連中が生首囲んで呆けておったんや。悪趣味すぎてどつき倒したる思てしばきに近寄ったら、途中で急にドロドロに溶け始めてな。気味悪う思うて、離れて見守ってたら今度はみんな同じやつになってもうて、もう何が何やらやで!なぁ?」
「不可解……理解できないこと。特殊、現象。驚愕、停止」
「ああ。魔物の類でも、あんな訳のわからない状態は見たことがなかったぜ。化けるにしたって、あれはちょっとな……」
皆がドグオンの言葉に同意しているということは、幻覚ではなさそうだ。もっと詳しく状況を聞くと、更に混乱した。
(要するに、生首の周囲にいた連中が、途中からたった一人の男に変身して分身したということか。いや、もしかしたら、最初から実はその男一人で、他の誰かに化けていたということかもしれぬ。馬鹿げた妄想にしか聞こえないが、この際何でもありだと仮定した方がよい)
分身魔法などというものを使っている身だからこそ、そんな在り得ない想像も働く。だとしても、その意味するところはまったく不明だ。
しかも、その特定の一人になった男は、最終的にはまた液体状になってどこかへ逃げ去ったという。いったい、何があったのか。
「ドロドロに……そやつもまた、呪われていたのやもしれぬ」
オムロがぼそりと呟く。その可能性もあった。相貌の実で失敗した何かは、確かに赤黒い液体状になって消えていった。
「そのドロドロって、赤くて黒い色ー?」
「ああ、そんな感じやったな。なんや、心当たりがあるんか?」
「あるような、ないような?」
「はぁ?どっちやねん?」
(とにかく状況を整理する必要がある。じゃが、まだ状況は安定していない気もする。一度、民人たちと合流して無事を確認するのが先決じゃろう)
今回の件、様々な要素が重なり合っているように思えた。すべてを把握するのは難しくとも、少なくとも自分たちの立ち位置は理解する必要があるだろう。強化遠征という名目の何かに巻き込まれている身の上だ、上手く立ち回らねばならない。
「民長!皆は……皆は無事なのですか?」
一番後方にいたのか、ヘザがオムロを見つけて駆け寄った。その心配は長よりも他に向いているようだが、オムロは気にしていないようだ。
「ヘザか……なるほど、お主がこの方たちを呼んできたわけか。他の民人の安否は今から確認するところじゃ。ただ……相当数が犠牲になっておる。お主の家族が無事かどうかは……すまぬが今は何とも言えぬ」
「そんな……!!」
絶句するヘザの肩に、オキが手を置く。
「ここで立ち止まっていてもしょうがないわ。自分で確認するしかないわよ……」
これ以上この場で話していられる雰囲気ではなかった。それからは無言で、居住区へと足を向けるのだった。




