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ロハンザ訓練所には幾つか恒例行事があった。
その一つが正規の騎士団員による訓練生の視察のようなものである。
未来の騎士団員の能力を見定めに来る定期訪問で、訓練生への鼓舞や慰撫の意味もあるという。
いつだったか小耳に挟んでいた情報だったので、ついに来たかという思いが正直な感想だ。密かに待ち望んでいたと言ってもいい。
この機会を逃すつもりはなかった。
現役騎士団員による推薦は昇級へのまたとない近道だ。当然、その目に止まるためには生半可な成果では足りないため、思い切った一手が必要で、その準備はしてきたつもりだ。
(ここが一つの正念場だ。気合いを入れるのだぞ)
シィーラに心構えを説いたのだが、
「少年場?女の子はどこいったのー?」
緊張感のない返しで脱力する。真剣さを説明するにも一苦労であった。
(そういう意味ではない。それより、しっかりとこの辺りを覚えておくがよい。当日の機会、チャンスは一度きりだ。絶対にその瞬間を外さぬように見極める必要がある)
とある学舎の窓から眼下を見下ろして、シィーラに確認させる。
縦に伸びる細長い歩道は、演習場の一つに続く唯一のものだ。定期訪問―クレムスの観察会と呼ばれている―では、その年の上位成績者同士の対戦や指導官推薦の魔法士による得意魔法の披露など、催し物としての場を騎士団員が見物する形式となっている。
当然それらに該当するには新人では厳しい。特に成績云々では在籍期間が長い方が優位であり、指導官推薦枠も入り立てでは目立つ機会も少ないので不利だ。不公平な基準だと思われるが、実際には定期訪問というのは回数に関するものであり、時期に関しては実質不定期なこと、まとまった数の新入生は比較的こまめに行っていることからそれほど問題はない。結局、どのタイミングで来るかという運次第だからだ。
ゆえに、今回はただ間が悪かったという一点に尽きる。だからといってあきらめる選択肢はないので、正攻法以外の方法を取るというわけだ。
「ここからガシュッとやればいいんだよねー?」
ガシュッ、が相変わらずよく分からないがうなずいておく。
(うむ。明日までに例の似顔絵をちゃんと覚えておくのだぞ?おそらくは護衛に付き添われ、中心にいるであろうから分かりやすい構図になっているはずじゃが……)
「もう覚えてるよー、スススっとした顔の人だったねー」
その表現は美形ということなのだろうか。今回の標的となる騎士団員は、実はかなりの有名人で滅多なことでは訓練所では見られないという人物だ。
シザレッド・ロンバル・エヴェルハーン。
ロハンザ傭兵騎士団、第一連隊長補佐兼第一大隊長。立派な肩書な上に、麗風の狩人という号持ちだ。対外的にも名の知れた顔役らしく、その貴族的な容姿も相まって人気があるようだ。たまたま現在は身体が空いているらしく、訓練所を覗いてみたいという意向があって今回の訪問となったとのことだ。
訓練所としては、大物を迎えるにあたってかなりバタバタとしていた。通例ではもう少し下の階級職の人物が来るものらしく、大隊長クラスが訪れるのは異例のようだ。
そういう意味ではこちらにとっては好都合だ。より上層部に対しての方が、強いインパクトを与えたときの見返りは大きいはずだ。成功すれば、の条件付きではあるが。
それでも勝算は十分にある。最後の下見を終えてそう確信していた。
翌日。
いつものように訓練所に向かった。
クレムスの観察会は黄昏の神クレムスにちなんでいるように、夕方から夜にかけての行事となる。本来、その時間の訓練所は特別講習などの通常運用外になるが、この日だけは別だった。滅多にない機会なので多くの訓練生が訓練所に詰めかけ、指導官たちの数もその整備や警備のためにほぼ総動員で、いつになく朝から周囲が賑やかだった。
一般の外来客も見学可能らしいが、人気行事らしく事前に予約制が取られて人数制限もあるという。そういえば、その警備のための増員なのか訓練生に向けて日雇いで雑用係を募っていた。小銭稼ぎには丁度良いとは思ったが、そんなことをしている余裕はなかった。
ロハンザの街の一つの名物ということなのだろう。いつもは閑散としている敷地内の至る場所に、串焼き屋や変わったネズパンなどが並んだ屋台まで出来上がっており、商魂たくましい訓練生がいるようだ。いや、よく見るとその場で調理している者もいるので、街の商人も混じっているらしい。やはり、訓練所だけの内輪的な行事ではないということだ。
そんなお祭り気分に惑わされることなく、その時に備えて心の準備をする必要がある……あるのだが、シィーラは屋台の匂いと滅多に見ることのない人込みの多さに完全に目を奪われていた。
「わー、アレなにかなー?っていうか、どこからこんなにいっぱい湧いてくるのー?あ、あそこだよナリス、あそこがいつもあたしが勉強してるとこー」
「ちょっと、シィーラ。少しは落ち着かないと……」
「落ちてる、落ちてる。あっ、あの人凄い武器持ってない?何あれ、ゼーちゃん?」
(浮つくな、馬鹿者。落ちたらいかん、落ち着くのだ。それに、あれは武器ではない。叩いて慣らす系の打楽器であろう)
はしゃぎまくっているシィーラに喝を入れる。多少は羽目を外すのもしかたがないが、この興奮ぶりは訓練生ではなく観光客のそれだ。容認できない。
「ダガッキ?むふー、演奏とかのやつかー。てか、楽しんだっていいじゃんかー」
(適度であれば、な。今のお主は度が過ぎておる。今日がいかに大事な日か説明したはずじゃぞ)
「分かってるってばー!あ、あれはロアーナじゃない?おーい、ロアーナ!!」
反省の色がないまま、シィーラは見かけた赤毛に豪快に手を振る。間にそこそこの人波があって、すぐには気づかれない。するするとその背中は遠ざかる。やけに動きが機敏で、まるで何かを追いかけているようだった。
「うみゅー、行っちゃったー」
「何かその人に用があったのですか?」
「んにゃ、会いたかったから!」
実に素直な理由だった。
「そ、そう……」
ロアーナを狙っていることを知らないナリスは、面食らったように曖昧に笑った。特に隠しているつもりはないが、わざわざ言いふらすことでもないと思って微妙な葛藤があった。性交したい相手がいると告げるのは、仲間内でもいかがなものか。加えて異性でもある。ナリスの情操関連にはまだ詳しくはなかった。
「じゃあ、そういうことでー、とりあえずはお腹を満たさなくちゃね!」
何がどうつながっているのか、文脈が不明なので却下する。単に食べたいだけだろう。
(それより、もう一度現場を確認しにゆくぞ。昨日の今日で何か変わっているとは思わぬが、直前に向かって予定外のことになっていると厄介じゃ)
「えー!昨日確認したからいいじゃんかー」
(よくはない。念には念を入れるのじゃ)
「ぶーぶー!面倒だからイヤー!ナリスからもなんか言ってよー」
「ええと……目的のために大事なことだから、ちゃんとした方がいいと思う、よ?」
不貞腐れた子供のような態度のシィーラに、ナリスは同情半分なのか、遠慮がちに言った。
「絶対にイヤー!あれ、食べたーい!!」
あろうことか、シィーラは屋台に向かって突進して行ってしまった。直前に頭を激しく振られたせいで、定位置から振り落とされる。追うべきか一瞬迷ったが、ああなったシィーラが言うことを聞くとは思えなかった。
妖精の気まぐれは冷めるのを待て、という自分で作り上げた格言もどきを思い出す。自らへの戒めと、妖精がいかに気ままな存在かをいずれ世間に向けて認知させるためのものだ。飽きやすさを逆手にとって、少し好きにさせれば自ずと落ち着くということだ。逆説的に、そうしない限りはどうにもならないということでもある。
(すまぬが、ナリス。しばらくあやつを見張っていてくれ。多少食べるのはかまわないが、食べ過ぎないようにシィーラを抑えるよう頼む。わしは今一度現場を確認してくるゆえ、戻るまでと小一時間ほどだと思う)
「あ、了解です。あの状態だと、言うことを聞いてくれませんものね」
苦笑交じりのナリスは、付き合いが長いせいか流石に良く分かっている。妖精の扱いには一家言あるのは変わらない。
そうして二人と別れた後、わしは久々に鳥として空を飛んでいた。
常にシィーラの頭に乗っているわけでもないのだが、訓練所通いの間は色々と周囲への警戒やら反応を見る必要があってずっと一緒だった。
元々、人混みのような状態であれば、上空から俯瞰して見た方が全体像は分かりやすい。改めて今日の訓練所を見ると、やはり相当数の人間がひしめき合っていた。その中でも、ぱっと見は気づかなかったが、騎士団員らしき者たちがそれなりの数で紛れていることが分かった。
いずれも何かを警戒しているようで、目立たぬようにしかし、油断ならない視線を客に向けていた。まるで何者かを探しているかのようだ。
そこまで考えて、はっとする。自分たちの計画に夢中でその他の懸念事項をすっかり忘れていた。
正規騎士団の要人が来るのなら、それを狙う輩も当然いるはずだということだ。現に、以前の暴徒の襲撃理由は騎士団への恨みだ。騎士団本部の警備が強固なので、訓練所の方へ来たという推測もあるくらいだ。場所の問題であるなら、訓練所内で襲うという発想は当然あり得る。
それを警戒して騎士団員を配置するのは当然の配慮と言える。訓練所の指導官も同様の任務を担っているが、その主眼はクレムスの観察会そのものの安全な進行だ。怪しい者がいれば当然連行するだろうが、その前提にだけ立って警備しているわけではない。それだけに特化している場合との違いは明確に出るだろう。
あやつらにも気を付けねばならぬな……
失念していた注意点を頭に入れながら、襲撃の起点となる現場へと向かって飛ぶ。
不審者という点では、彼らの大隊長を襲おうとしているシィーラも対象にはなるだろう。ただし、こちらはあくまで実力を見せるための攻撃であって、怪我を負わせるような意図はない。明らかに目的の違いはあるが、それを事前に説明できない時点で何を主張しようとも聞き入れられることがないのも事実だ。目を付けられるわけにはいかなかった。
少し高度を高く取って人目から離れる。訓練所内では、普通の鳥としては見られない。奇妙な変人の使い魔としての鳥というのが、今の自分の立場になっている。せっかくの鳥という擬態が台無しである。若干、普通の鳥という文言にも引っかかりを覚えるのが悲しいところだ。こんなに丸々としたフォルムでは説得力がない。
目的地の学舎まで急ぎ目で飛んでゆく。訓練所の建物は幾つかに分かれており、現在地を把握していないと同じような造形物に惑わされてどこへ向かっているのか迷う作りになっていた。無秩序に増築した結果なのかと思っていたが、観察眼を養うためにわざと紛らわしい配置と構造にしているとのことだ。本当にそうなのか疑わしいと思っているが、効果はあると言えるだろう。
目印としていた樹木を見つけて高度を下げると、様子がおかしいことに気づく。観察会の間は閉鎖されるはずの学舎内に人の動きがあった。一般客を招くために一部を除いて立ち入り禁止になっているはずだ。そこに人がいることは不審でしかない。
まさか同じように目を付けた何者かがいるのかと勘ぐったが、そういうわけではないらしい。学舎内を歩いている人物の皮鎧に見慣れた紋章があった。ニジェム金貨に剣の意匠。ロハンザ傭兵騎士団のそれだ。礼装らしき装飾が施されているので、訓練所の指導官ではなく本隊の方だろう。ニジェム金貨とは大陸初の金貨で独特の刻印が外周にある。今ではもう流通していないが、ロハンザの象徴としてよく町でも見かけるものだった。
騎士団員が学舎に何の用なのか、警戒心が湧く。慎重に近づいてみる。鳥であっても、不用意に接近はできない。
件の学舎は三階建てで、問題の場所もその三階の廊下の一角だ。騎士団員はどうやらその場所に向かっているわけではなく、そのかなり手前の廊下で立ち止まって屈んだりしていた。
空いている窓がないために間近に迫ることはできないが、どうにか盗み見る位置までは移動した。ただし、訓練所の学舎の窓は程度の良いガラス窓のはずもなく、透明度の低い安物なので閉まった状態でははっきりとは確認できない。
それでもどうにか覗き込むと、騎士団員の足元に倒れている別の人間がいることが分かった。もう一人、それを覗き込んでいる人物も見える。死体とそれを検分する者という構図だ。何か事件か事故があったらしい。詳しく知りたいところだが、中に入り込んで会話を聞くわけにもいかない。
こういうとき、妖精もどきの五感は便利だった。聴力に指向性を持たせれば、壁一枚ぐらいならばどうにかなるからだ。
早速廊下の方に耳を澄ませる。空中で壁に張り付いているような鳥は傍目から見て明らかに異常なので、自身に隠蔽の魔法もかけておく。余計な人目は避けたい。
「――それで、満足のいく回答がなかったから射殺したというわけか」
「はい。直線的な廊下に逃げ込んだのがこいつの運の尽きでした」
「……これだけの腕があれば急所を外せたはずではないか?」
「言い訳を聞く必要がありますか?こちらの誰何から逃げた時点でやましいことがあるのは明白でした。しかも、怪しい小瓶も持っていましたし、自分の判断は正しかったと思います」
二人の会話が聞こえる。熱量の差が垣間見えるが、片方は気づいていないように感じた。どうやら上官と部下といった関係だろうか。
「正しい、か……」
上官らしき男の声が少し重くなった。
「お前が言っているのはすべて憶測で根拠がない。正しい対応とは殺すことなくこの男を無力化し、尋問してその真意を知ることにあった。我々を狙っての犯行か否か、他に仲間がいないかどうか。あるいはお前の言う通り単なるスリだった可能性もあるだろう。だが、死人は何も語らん。お前がその手掛かりを潰したのだ」
「そ、それは――」
「謝罪も言い訳もいらん。この小瓶を警護隊本部に持って行って早急に中身の分析を依頼しろ。お前の進退が決まる大事なものだ、急がせた方がいいぞ」
「りょ、了解でありますっ!!」
慌ただしくその場から駆け出す音がして、部下が走り去ったようだ。
「……新米の練度は戦闘特化のみなのか……頭があれでは訓練生と変わらんな」
誰にともなく呟いた男の愚痴は、新たに表れた者の声でかき消された。
「特別警護第二班、中等騎士イガンハム、只今現着しました!御指示願います、エメ副隊長!」
「まず声を落とせ、馬鹿者が。他にも人手を待機させてるな?ここにある死体を目立たぬように警護隊本部に運べ。それから身元を洗って何者か突き止めろ」
「了解しました!すぐに実行しますっ!!」
あまり声量が落ちてない返事の後、数人の騎士団員が入ってきたので、もうそれ以上は不必要と判断してその場を離れる。
どうやら、不審者があそこで追い詰められて死んだ事件だったようだ。たまたまこの学舎に逃げ込んだだけで、こちらと同じ目的だったようには思えない。その点では安心できたが、容易に近づけなくなったという点はよろしくない。既に片付いたとはいえ、犯罪現場だ。多少の注意は今後も向くと思われる。
仕掛ける地点はその廊下の奥にあるため、変更した方が無難だ。
どこの誰だか知らぬが、余計なことをしてくれたものだ。単なるスリだったのか、騎士団を狙っていたのか、上官の言う通りはっきりさせたかったのは同意だ。こちら同様に騎士団の要人を狙う輩がいても何もおかしくはない。目的が違うとはいえ、そうした本当の襲撃と同列に見なされる可能性は考慮すべきだった。少し楽観的すぎたかもしれない。
現在の警戒態勢が通常の対応なのか、それとも何らかの兆候か密告の類があって過敏になっているのか、まったく判断がつかない。少なくとも、本気で警戒されていると考えた方がいい。今回の不意打ちの一撃計画はかなりギリギリの賭けになりそうだった。
ともあれ、代替地点も考えてはいたので、まずはその確認をする必要がある。まだシィーラの元へは戻れなさそうだった。