3-2
「おい、お前!」
珍しく訓練所内で背後から声をかけられた。
最近は仲間殺しの汚名を着せられて避けられているため、久しぶりに呼び止められた気がする。
その声が見知らぬ人物のものであったなら、シィーラには聞こえていない可能性がある。妖精特有の五感では、意識していない周囲のものを認識しないという独特の感覚だからだ。だが、この声はそうではない。
「ロアーナっ!?」
物凄い勢いでシィーラが振り返った。意中の赤毛の女を間違えるはずはなかった。興味の対象にはとことん敏感なのが妖精だ。
「お、おうっ……」
その反応は予想外だったのか、自分から呼びかけたにも関わらず、ロアーナは一瞬身体ごと退いていた。
「なんか怪我して休んでたって聞いたよー、もう大丈夫なの?元気になったー?」
ぐいぐいと迫るシィーラに圧倒されながらも、ロアーナは体勢を立て直す。
「やけに詳しいな。私がちょっと体調を崩していたのは事実だけど、噂にでもなっていたのか……?まぁ、いい。訓練所から魔法医がわざわざ薬草を届けてくれてな。聞いたこともないやつでニダムの海が渦巻いてたんだが、多少は効いたらしい」
「ほむほむ。さっすが頑丈みたいだねー、よかったよかった」
シィーラにこれだけ心配される人間はなかなか貴重だ。もっとも、その動機は利己心で極まっているだけだが。その証拠にニダムの海は渦巻くの意味を理解していないのに、いつものように尋ね返していない。半信半疑だということだが、興奮気味で結果しか気にしていないのだろう。
「別にお前に心配される理由はない。ただ、あいつらをやったのはお前なんだろ?不本意でしかたねぇけど、一応助けられたようなものだからな。何かあれば呼べ。一度くらいはどうにかしてやる」
「ほぇ?どういうことー?」
しかめ面で半ば視線を逸らして言っている時点で察してやれる態度だったが、残念ながらシィーラには伝わらない。普通に問い返されて、ロアーナは顔をいくらか赤くしながら投げやりに言った。
「ったく、分かれよ。基本的に私は借りは作らない主義なんだよ。今回の件はだから、特別に一つ借りておいてやるって言ってるんだ」
素直に感謝を言えない性格なのだろう。貸し借りという形でその気持ちを示しているのだが、妖精にそのような感情の機微は通らない。狂犬と呼ばれる女の珍しい照れた表情を眺めるのは悪くないが、あまり行きすぎると怒りに変貌しそうだ。妙な方向に滑る前に助け船を出しておく。
(遠回しにありがとうと伝えてきているんじゃ。これ以上訊き返さずに、貸しにしておくとでも言っておけばよい。察しが悪いと嫌われるぞ)
「にゃにゃ!?嫌われるのはイヤー」
「あん?」
「えっと……貸しにしとくからおっけぃー?」
「ふん……お前、やっぱ変な奴だな」
ロアーナはしみじみとそう言うと、用はそれだけだと言わんばかりに背を向けて去ろうとする。
「あ、待って待ってー!」
「なんだ?」
「いつ元気になるー?」
大分言葉が足りない質問だったが、意図は理解できたので注意しておく。
(おい、勝負を挑む気ではあるまいな?まだ時期尚早……準備が足りていないぞ?)
「え?魔剣があればどうにかなるっしょー?」
(ならぬわ。お主の技量ではまだ扱えぬ。先日のあれは不意打ちによる範囲攻撃だから有効だっただけで、対個人戦では魔剣の強みをお主はまだ活かせぬ。勘違いするでない)
戦いにはいくつもの種類がある。集団戦と個人戦は分かりやすい例だろう。シィーラは魔剣の威力のみで判断しているようだが、そんなものは一つの指標であって過信していいものではない。まだまだ経験が浅いゆえ仕方がないところではあるが、あまりに未熟すぎる。一度、徹底的に叩きのめして無力さを味わわせたいものだが、生憎と肉体がない状態では叶わない。何かいい手を早めに考えておくべきだろうか。
「何を一人で言ってやがる?……ああ、その鳥としゃべっているんだっけか。どうも、本当らしいが……ちなみに私も話せるようになったりするのか?」
不意に視線を向けられて、その紅い瞳に覗き込まれる。やはり見事な深紅だ。赤毛と同様、ここまで鮮やかなのは珍しい。
「どうなの、ゼーちゃん?」
(ナリスが編み出したものを汎用化すればできなくはないだろうが、広める気はないゆえに無理じゃな。それより、無闇に訓練所では魔剣のことを口に出すな。余計な厄介ごとになる)
「あ。そういえばそうだったー、ごめんごめん」
「……何を謝っている?」
わしとの会話が聞こえていない以上、話がかみ合わないのは当然だ。シィーラにはいい加減、身内相手とそうでない場合の会話の仕方を学んでもらいたい。
「うん、なんか、無理みたいー。あと、魔剣については忘れてー」
「ちっ、無理なのか、残念だ。そういえば、そのことについても聞きたかった。魔剣持ちだったらしいな。どこで手に入れた?実は私もかねてから手に入れたいとは思っていたんだ。何か手頃なものの情報があれば買うぞ?」
残念がられるほど関心を持たれていたのか。戦闘狂とはいえ美人にそう思われるのは悪くない。だが、今は魔剣の方に興味があるらしい。普通は危険を感じて忌避感の方が強いものだが、さすがは狂犬の異名で呼ばれる胆力の持ち主だ。
「うーん、でも、魔剣はすっごい魔力必要だよ?」
「……お前が言うとたいしたことがないように聞こえるのは何故だろうな。私は確かに魔力がそれほど高いとは言えないけど、魔力ってのは気合いでも賄える部分が多いと聞く。根性ならそこら辺のやつの数倍はあるつもりだ」
精神力は確かに魔力に関係はするが、根性論でどうにかなるようなものではない。ロアーナの思考はやはり肉体派寄りのようだ。筋肉や気合いですべてを乗り越えるようとするいわゆる脳みそまで筋肉の脳筋タイプはどこにでもいる。
戦いの際に気を強く持ち続けることは有利なことは間違いないが、魔力に関してはそうたやすくはいかない。根性で修羅場を乗り越えた者ほど、過信しがちな問題だ。揺るぎない得意顔があまりにも眩しい。その矜持をへし折るようで申し訳ないが、この自信の持ちようでは説明しても納得する段階ではあるまい。
(おそらく言い聞かせるのは無理じゃ。軽く魔剣を近づけて魔力を吸収させるがよい。ただし、やりすぎるでないぞ?まだ病み上がりのようであるし、下手したら治療舎送りになる)
「試してみるってことだねー」
シィーラはロアーナに近づけるのがうれしいのか、嬉々として魔剣の機能の一部を開放した。隠蔽の魔法は解いていないので、赤毛の戦士には見えていないだろうが、すぐに何が起きているか察したようだ。
「――っ!?こいつは魔力を吸われているのか?くっ、こんな勢いでだと……」
雑に開放したせいで、ロアーナの魔力が見る見るうちに減らされたようだ。あっという間に片膝をつく。数秒前の余裕の表情は既になかった。
「ありゃ、さすがに根性じゃどうにもならないみたい?」
完全に煽り文句だが本人に悪意はない。
「くそっ!お前は本当に、常にこんな状態なのか?」
「うんにゃ、いつもって分けじゃないけど、魔力が足りてないと結構持ってかれるねー」
シィーラは呑気に答えながら、魔剣を再び抑え込んだ。引き際は心得ていたようだ。
「……正直、魔剣使いをなめていた。やるじゃねぇか……」
負け惜しみのようではあるが、素直にそれを認められるロアーナは潔い性格をしているとも言える。自己分析ができない者に成長はない。
「けど、あの奪われる感覚は悪くねぇ。いつもとは違ったゾクゾク感にはまりそうだ」
……おかしな方向には目覚めないで欲しいものだが。
それにしても、ロアーナはタフだった。呪具による精神攻撃というのはかなり危険なはずなのだが、その後遺症はなさそうだ。先程言っていた薬草とやらが効いたのだろうか。だが、そのような効能のある薬草など聞いたことがない。
医学的・薬草学的に精神に作用するものは、魔草などと呼ばれる幻覚を見せる危険な負の側面を持つものはあるが、一般に普及しているような精神を安定させる効果があるものはほとんどないはずだった。魔法士が独自に自分専用に調合した精神向上のようなものはあるだろうが、特化型で汎用性はない。わざわざ訓練所が手配したということはかなりの腕の薬師で、特別に調合したのだろうか。いや、聞き間違えでなければ魔法医が持ってきたと言っていたような気がする。
何かが噛み合わない。見逃しているものがあるのだろうか。
それを掘り下げる間もなく、不意に悲鳴が聞こえた。
「むむ?」
「はん、トラブルの予感だっ!何かあったな」
ロアーナの行動は早かった。既に声のした方へ駆け出している。魔力を急激に失った者の反応ではなかった。精神力に自信があるというのは伊達ではないようだ。戦いの匂いでも嗅ぎつけて、瞬時に回復したのかもしれない。厄介ごとは避けたいところだが、シィーラは追う気満々だった。止めても無駄だろう。
風になびく赤毛を追って走っていくと、訓練所の演習場の端で腰を抜かした魔法士風の女がいた。
ロアーナが「どうした?」と声をかけると、震える指である方向を示す。
その先には、一人の男が漫然と立っていた。
後ろ姿を見たときから何か違和感があった。
ぼさぼさの茶髪と同様にぼろ布の焦げ茶色マントを羽織った状態で、見知らぬ森の道中であればいかにも旅人だという印象だが、訓練所内では不自然さが目立つ。裕福な者だけが通うような場所ではないとはいえ、そのような身なりの者は少ない。どこか獣臭さえする雰囲気ともあり、貧しさゆえの服装というより身なりに気を遣わない類なのかもしれない。
何より気になるのはその腕の長さだ。だらりとぶら下げた手のひらが膝辺りまで届いている。ひょろりとした背丈と相まって、余計に長く見える。それでも不快さや気持ち悪さはなく、ただ不思議な感覚を抱かせる。
どこか遠くを見つめている様子は、絶景を眺める観光地であるならば似合っていた。だが、実際にはその数メートル先に横たわった死体が視界に入ってきて、そんな感慨を吹き飛ばした。死体だと分かるのは、腰から上の胸の辺りで切り離されているからだ。断面が鋭利な刃物のそれではなく、引きちぎられたようにぐちゃぐちゃなのが余計にグロテスクだった。
先の魔法士が指差したのは、この死体の方だったのかもしれない。
状況からして腕の長い男が殺したようだが、いったいどうやったのか。そもそも、なぜそんなことになったのか。
「うーみゅ、あっちも関係してるのかしらん?」
シィーラが呟く。頭の上に載っているので、自然と向いた方向に視線が動く。板張りの学舎の壁の一部が赤かった。血だ。飛び散ってはいるが、中心地にはかなりの血だまりの跡がある。何か大きなものが叩きつけられたのだろう、垂れている様子からもまだ時間は経っていない。
視線を下げる。
そこにも誰かが横たわっていた。
「あれは……指導官の野郎か?」
同じように視点を動かしたのか、ロアーナがこちらの思考を代弁した。
「……対戦をしてたの……でも、危なくなって指導官が止めに入って……」
震える声で魔法士が言う。
「間に入った指導官ごとやったってのか?」
「ほぇー、超強いってことー?」
気にするべきはそこではない。指導官が立ち会っていたということは、上位挑戦の個人戦だったということか。結果が行き過ぎないように指導官が仲裁をする役割を担うが、止められなかった場合、果たしてどう取り扱うのか。死んでいる者には申し訳ないが、少し興味深い。シィーラが暴走してやらかした際の参考になる。
(とにかく、他の指導官を呼ぶべきだろう。それと、あれには近づくな。どういう精神状態か分からぬ。下手に刺激して絡まれたくは――)
「おい、お前!正気か?」
言ってるそばから、ロアーナが既に声をかけて近づいていた。
「正気かー?」
シィーラも意味もなく復唱して追随していた。なぜだ。もう少し慎重に行動してくれ。
「不明……良く分からないこと。上位挑戦、指導官、停止、不能。結果、嘘。困惑」
「あん?」
男は淡々と単語を並べた。独り言の類かと思ったが、意味的にはつながる気がした。つまり、それが独特の話し方だと気付く。変わった人物には違いないが、いきなり襲い掛かってくるような輩ではなくて安心する。引き続き警戒をしつつ、下手に刺激しなければ戦闘は避けられそうだった。
「呆然……気が抜けているさま。次、不明。助言、希望」
呆然と言いながら、振り返った男の表情はあまりに無表情だ。自分が言うのも何だが、この男の場合は視線も虚ろに映る。かろうじて何か読み取れるとすれば、やや下がったように感じる眉くらいか。精悍な顔立ちなくせに覇気がないせいで、どうにも肩透かしな印象だ。
「おい……何言ってるか分かるか?」
ロアーナはシィーラに耳打ちしてくる。通じなかったらしい。当然、シィーラも同様だろう。問われる前に答えておく。
(最初はおそらくこうだ。「自分にも良く分からない。上位挑戦の個人戦をしていたところ、指導官が止めに入ったが間に合わなかった。結果的に指導官は仲裁するといってしなかったから嘘つきで、困惑している」)
完全に憶測だが、状況と見事にはまっているので多分間違っていないだろう。
(次が「訳が分からない。これからどうすべきか、何か教えてくれ」といったところだろうか)
シィーラがロアーナにそう告げると、
「お前、良く分かるな!?つーか、それが本当だとすると、あの野郎は無能って話か。止めに入って一緒に殺されたってことだよな?ん?てことは、こいつ、自分で殺しておいて困惑とか言ってるのか?頭、イカれてんな!」
言葉と裏腹に嬉しそうに笑う。狂犬と言われるだけあって、思考が一般のそれとは違う。
「否定……打ち消すこと。頭部、健全」
「そういう意味じゃねぇよっ!?」
そこはロアーナにも通じたようだ。
「これがボケとツッコミ……漫才ってやーつ?」
「違ぇっ!!!」
死体を前に不謹慎なことを言い合っている内に、他の誰かが別の指導官を呼んできたらしい。辺りが一気に騒がしくなる。シィーラとロアーナは目撃したものを報告して解放された。変に疑われなくて幸いだ。もう一人のあの魔法士の証言が効いたのだろう。
それにしても、あの指導官を壁に吹き飛ばすほどの怪力はどういう力なのか。軽く盗み聞いていた限りでは肉体強化系の魔法を使うらしいが、間に入った指導官は壁に激しく激突したことが死因のようで、相手の訓練生は素手で引き裂かれたということらしい。どちらも尋常ではない殺され方だ。
あの男の放つ魔力の質にも違和感があった。個々人で魔力というものは違いがあるものだが、たいていは何らかの類型に落ち着く。だが、あの魔力はそのどれにも該当しないように思えた。そのような強者の話は今まで聞いたことがない。
訓練所には、変わり種がまだまだ多く存在するようだ。