Interlude H-1
ナリスと旅を始めてそれなりに経ったある日。
その問いかけをされたとき、ひどく懐かしい気持ちになった。
(わしのしゃべり方が老人のようじゃと?)
「ええと、気を悪くしたならごめんなさい。深い意味はないんです。ただ、若い人では珍しかったので……」
ナリスが慌ててすまなそうに補足してくる。この感じもよく知っていた。世間的には、それはあまり嬉しくない表現らしいが自分にとっては逆だ。
(いや、謝る必要はない。わしはそう言われることに誇りを持っておる)
「え、誇り……ですか?」
(うむ。老人というのは様々な経験を経てこの世の中を力強く生きてきた者のことじゃ。人の叡智の塊だと言ってもよい。中にはただの極潰しもいるじゃろうが、それでも長年の間、生き抜いてきたことは否定されまい。そのような尊い者に例えられることは名誉じゃろうて)
「な、なるほど。ゼーチャンはご老人をきちんと敬っているのですね」
(そうじゃな。初めは師匠の強制的な押し売りじゃったが、今では自然とそう感じるようになっておる。身に染みて分かったというか、先人の偉大さというものによく触れたからかもしれぬが)
「お師匠様、ですか?そういえば、ゼーチャンのことはわたし、まったく知らないです。妖精のシィーラさんの印象が強すぎて……」
それは無理もない。妖精の存在に勝るほどの人物は、大陸中を探してもそうそういないだろう。
「差し支えなければ、どんな生活を送っていたのか聞いてもいいですか?これから一緒に旅をするのにあまりにも知らないことに今更気づいてしまったので、わたし、知りたいです」
(それはかまわぬが、それならシィーラにも……いや、別によいか。自ら興味が出たときに聞かせてやるのが一番いい気がしてきた)
「え?まさか、シィーラさん、ゼ-チャンの出自とか経歴を知らないのですか?」
(知らぬな。一度も訊かれておらぬ。専ら、わしが妖精について聞くことが多かったし、あの性格じゃからな。すぐに話が飛んだり、飽きたりでまとめて話が聞けることも少ないゆえ、話の流れからお互いの過去を交互に話す、などというような一般的な会話も成立せぬ)
「ああ、言われてみれば確かにそうなりそうですね……」
苦笑交じりにナリスが困った表情を浮かべる。
わし自身、指摘されて初めて気づかされた。シィーラから自身の過去や何やらについて訊かれた覚えがない。いや、部分的なものはあったかもしれないが、今まで何をしてどうやって生きてきたのか、そのような具体的なことについての質問は皆無だった。
そして今はその理由がなんとなく分かっていた。
(妖精は今を中心に考える。過去は過ぎ去ったものでどうにもならないゆえ、知ったところで意味はないという考えなのじゃろう。人間は積み重ねてきたものを思って過去を振り返ることも重要と考えるが、妖精は今現在に関与するものではない限り、過去に何があろうと気にも留めない傾向が強い)
「刹那主義というものですか……」
(そうじゃな。おぬしが今想像しているものが、快楽主義的な方であるのならば少し意味合いは違うとは思うが)
「ええと、それって違いがあるのですか?二つはほぼ同じ意味では?」
(いや、本来の刹那主義とは今を疎かにしてはならぬ、大切にせよという教えに近い。いまが良ければ後はどうでもいいというものではない)
「あ、そうなんですね。正直、賭けに明け暮れているような人たちのことだと思ってました」
(シィーラの場合、今しか考えていないという意味では同じじゃが、その他を蔑ろにしているわけでもない。純粋に今生きている瞬間こそが大事で優先度が高いというだけで、後先考えずに後は知らぬという賭け狂いの輩ではないな)
「確かに、全力で今を楽しんでる感じですね」
くすっと笑ってナリスは少し遠くで寝ているシィーラを見やる。
ちなみに現在地は交易路の休憩所の一つで、屋根付きの小部屋の一つの中だった。次の町への移動中、いつぞや見た大道芸の逆立ち歩きを急に思い出した妖精は、なぜかそれを会得したいと言い出して日中に練習していた。そのせいで歩みがひどく遅れたのだが、飽きるまでやめなさそうだったので放置していたら、夕暮れまで驚くほどの集中力で続けていた。その疲れもあってか、今は泥のように眠っている。
その突拍子のなさや理解不能な情熱について、あまり深く考えないようになったのはやはり慣れというものだろうか。
(ある意味、正しい生き方なのかもしれぬな。その日やりたいことを自由に行う。状況が許すなら誰もがそうしたいであろうことを、シィーラは実践しているのやもしれぬ)
「それだけで生きていけるなら……そうなのかもしれませんね」
(そうじゃな。今の所、それらのしわ寄せがすべてわしらに来ているゆえ、いい迷惑じゃがな)
誰もが身勝手に生きていたらこの社会は成り立たない。人間が作り上げた文明世界は、そうした完全な自由を排除したものだ。
少し話が逸れていたので元に戻す。
(それで、わしの過去じゃったか。別に大層なものでもはないが、多少人と違ったことは否めぬな)
特段、隠していることではなかったので手短に話す。
わしこと、ゼファード=エンドーラは捨て子だった。山の麓に捨てられていたところを、師匠が拾って育ててくれた。師匠は大賢者並みの偉大な魔法士だが、表舞台にはまったく出ていない人物で、ある意味仙人のような存在だ。知る人ぞ知るといった偉業は確かに成したようで、とんでもない大物と知り合いだったりする。裏の世界の深いところでは無名どころか伝説級の存在らしい。10数年共に過ごしたが、未だに過去については謎が多くて良く分からない。ただ者ではないことは確かだが、それ以上は不明だった。
年齢すらも不詳で、得体の知れない化け物呼ばわりされても文句は言えないほどだ。物心ついたころから、外見は老人一歩手前といったところで、まったく変化がなかった。人里で暮らしていたならきっと誰もが違和感を覚えたのだろうが、生憎と霧の霊峰と呼ばれる人跡未踏の秘境での山暮らしだったので、その変化のなさを知るのはわしくらいだった。
あるいはそれを見越しての山暮らしだったのかもしれないが、本人曰く「俗世とは関わらぬ生き方が運命なんじゃよ」とのたまっていたので、本当のところは分からない。
そんな人物と二人きりの暮らしをしていたせいで、しゃべり方だの考え方だのが一般的なものとはズレているらしい。そのことに気づくまで長い時間がかかったが、それを後悔しているわけでもない。師匠には本当に様々なことを教えてもらったので感謝している。古今東西の多様な文献や事象、魔法知識から人や神の歴史、言語学から機械工学まで多岐に渡る分野を一通り学んだ。どんな王族や貴族より高等な教養と知識をも持っていると自負している。
特に魔法に関しては、体質のこともあって賢者クラスの智見を持っているが、実践できないがゆえに剣士方向に修練を変えた経緯がある。護身術的に鍛えていたが、最終的に魔剣使いとなったので、必須技術として今はうまく噛み合って悪くない結果であろう。
(――そういうわけで、わしが爺むさい言動だと思われるのは皆、師匠のせいじゃ。人間の精神形成は環境によってもたらされるからな)
「……なるほど。想像していたより、なんだか物凄い生活をしていたんですね」
(凄いかどうかは分からぬが、一般的ではないであろうな)
「それに、魔法が得意なのもそのお師匠様の弟子だったということで納得です」
(人間の状態ではひとつも魔法が発動できなかったがな……)
「その現象は聞いたことがありませんでした。ただ、魔力飽和症は聞いたことがあります。消費する術がないと、死に至ることもあるんですよね?身の程に合わない過剰な魔力の蓄積は扱い切れないから気を付けろと教わりました。ゼーチャンの場合、不可抗力でそうした状態になる可能性があったということですよね?」
ナリスはほぼ独学で魔法を習得した変わり種だが、流れの魔法士による青空講義もたびたび盗み聞いていたらしく、知識はそれなりにあった。
(うむ。魔力蓄積量は一般人よりかなりの余裕があったのじゃが、それでも何年も消費できないままだとさすがに命の危険があった。師匠が様々なものを試したが、最終的に魔剣に魔力を吸わせるという解決方法に落ち着いた。今はシィーラがその恩恵に与かっておるわけじゃな)
「そんな解決方法を思いつくなんてお師匠様は凄い人なんですね……あれ、なんだかわたし、凄いとしか言ってない気がしてきました……」
少し困り顔のナリスに苦笑する。
(実際、師匠は物凄いとしか形容できぬ変人であることは事実じゃ。あまりに馬鹿げた武勇伝をいくつも聞かされたが、そのどれもが真実であってもおかしくないと思えるほどいろいろ飛びぬけておる)
「そのお師匠様と離れて、どうして人里に降りてきたのですか?もしかして喧嘩して、とかですか?」
(いや、喧嘩別れしたということではない。別に隠すことでもないが、喧伝するようなものでもないゆえここだけの話にして欲しいのじゃが、実は行方不明でな。本来はその捜索がてら世の中を見て回ろうとしていたのじゃ)
はっと息を呑んでナリスが驚いた顔をする。聞くべきことではないことを口にした者がする反応だった。その後の展開が見えたので、機先を制して続ける。
(別に謝らんでもよい。よく失踪する師匠でな。それほど珍しくもないことであるからして、深刻なものでもない)
「そ、そうなんですか?」
本当は少し違う。確かにふらっといなくなる放浪癖はあったが、何かしら言伝があったり、二巡りもすれば何事もなかったように帰ってくるのが常だ。だが、今回はそれらがまったくなかった。そして、そういう時のためのルールも設けられていた。あれは初めて一人前として認められた時だったか、珍しく念押しされたのでよく覚えている。
「わしが急にいなくなって、まったく連絡が途絶えたら探そうとはせずに後は好きに生きるがよい。お主には既に一人でも生きる術があるはずじゃ」
急な言葉に戸惑いながらも、当時の自分は何かそういう懸念事項があるのかと思って尋ねた。
「なに、こんな世捨て人のわしにもまだすがりついてくる馬鹿どもがおってな。借りがなくもない輩も多少はいるゆえ、無茶な要求に応えねばならぬときもある。そういうことじゃ。まぁ、ないとは思うが、そんな時にいちいちお主に挨拶している暇はなかろうて」
どこか濁すような言い方だったが、確実にその可能性はあると示唆していた。一人前だと認められたことが嬉しくて正直あの時はあまり気にしていなかったが、予兆はきっとあったのだろう。師匠のやけに遠い目をした微笑が記憶に残っている。
「何事も永久に続くことはない。じゃから、そうなった時は自由に生きよ。よいな?」
そうして、わしは今ここにいる。
(……殺しても死なぬような輩じゃ。どこかで今日も無理を通しているに違いない)
「な、なるほど……でも、そんなに凄い人なら、ゼーチャンたちの不思議な状況にも何か助言をくれるかもしれないですね」
(それは確かに考えた。解明のヒントくらいはきっと何か与えてくれようが、手掛かりなしで居場所を探すにはちと無理がありすぎる。今は別の手を第一目標にする方が効率的だ)
「別の手、ですか?」
師匠に限らず、特殊な魔法に特化した大魔法士は大陸に点在している。賢者と呼ばれる叡智の塊、生き字引で人間を超越していそうな人物にも心当たりがなくはないが、いずれも住居不定だ。俗世を離れた人間というのは定住することを嫌う傾向にあるというか、訪ねてくる者を減ずる意味合いも強いのだろう、拠点としている場所を幾つか持って巡っている印象が強い。そのすべてが秘境のような万水千山であることを思えば、苦労して会いに行って留守だったではあまりにも時間の浪費が過ぎる。
もちろん、特定の場所にいる賢者や識者もいるが、そうした者は人間社会において王族と同様の身分に近い。無名の平民が軽く話を聞きに行ける相手ではないので、そうした知識人へのアプローチはあくまで最終手段になる。
(居場所が定まらぬ者を探すより、定位置にある場所で自分で調べた方がよいということだ。人間は積み重ねてきた叡智を後世に伝えるため、書物という素晴らしい道具を生み出した。使わぬ手はあるまい?……と、話が逸れてしまったな)
いつのまにか、元に戻るための話にすり替わっていた。
「あ、いえ、聞きたかった話は聞けましたので、大丈夫です。お師匠様譲りの話し方ということであれば、それはそれで良いことだと思います」
(それでも、やはり違和感はあるのじゃろう?いや、否定せずともよい。よく言われ慣れておる。別にわしは気にしておらぬよ)
先入観というものは根強い。あらゆるものを分類して類推することは人間の特性だろう。その無意識化の行動を理性で管理するのは難しい。誰しも年齢に見合った話し方や態度というものを相手に投影するものであるし、主観で生きて行く以上その制約からは逃れられない。
何をどう感じようと自由なので、そこは他人がどうこう言うことではない。
少し申し訳なさそうなナリスに好例を振る。
(わしのことを気にするなら、シィーラの言を見るがよい。あれこそ、不可解極まりない言語体系じゃぞ?完全に独学で人語を学んだようじゃが、どうしてあんなゆるいものになったのか皆目見当がつかぬ。人種の違いでそうなるのかシィーラ特有のものなのか分からぬが、学者ならば喜んで研究対象にするじゃろうて)
「ああ、確かにシィーラさんの話し方は独特ですね。こうして魔法でゼーチャンの声を聞けるようになって、初めて本当のしゃべり方を知りましたけど……びっくりでした」
ナリスは既にシィーラの本来の声が聞けるようになっている。それまではわしの身体が発する声で、謎翻訳された言葉を聞いていたのだが、今はわしに聞こえる声と同様のものが届いているようだ。長く過ごすに当たって、会話にシィーラの翻訳をいちいち挟むのは不便に過ぎたゆえ、そういう特殊な魔法を精製した。そうして言葉にすれば簡単ではあるが、実際は相当高度なことを成している。わしの知賢とナリスの素質があっての賜物だ。
ともあれ、そうした口調の差異が解消されたのはその魔法の影響なのだろうが、それもまた不思議な現象だった。前例のないことなので、ただそういうものなのだろうという推測で納得するしかない。真実の探求者としては許されざる態度ではあるが、あまりにも考えることが多すぎるし、手がかりが少なすぎるので仕方がない。
(人間としての精神年齢が未熟であると考えれば分からぬでもないが、妖精としては人間の種の何十倍もの月日を過ごせるということを考えると、なんとも複雑ではあるがな……)
「わたしたちの尺度ではかれないというのは、厄介ですよね……」
(まったくだ)
無邪気に眠っているシィーラの寝顔を見ながら、大いに同意した。
「そう言えばもう一つ気になっていたことがありました」
(なんじゃ?)
「その鳥のような状態で食事をしているようですが、どうやって食べているんでしょうか……どうでもいい質問ですみません」
(大分今更じゃな?とはいえ、思えばこれもシィーラはまったく気にしていないゆえ、ここまで何も言及していなかったか……)
振り返れば振り返るほど、シィーラがいかに非常識か浮き彫りになるようだ。そして、それについて当たり前に受け止めている自分自身にも気づく。これは良いのか悪いのか。少なくとも、常識的観点を持つナリスがいてくれることは有難い。
食事、というかエネルギーの補充という点については、この鳥になった時点で幾つかの実験はしていたので、おおよそは理解していた。
結論的には魔力、つまりはマナが摂取できれば問題ない。しかも、ほぼ自動で大気中からマナを補充している状態なのでなにもせずとも死なないということになる。ならば、食事など必要ないという話ではあるのだが、食欲という欲求がないわけではない。特に、シィーラが何かを食べていると不思議と空腹感が生まれる。
本来の妖精であればそんなものはないはずなのだが、そこは人間の名残なのかもしれない。
ゆえに、食欲があれば食べることにしている。一般的な鳥の餌ではなく人間が食べる料理を、だ。体内で消化できるのかという問題があったが、どういう原理なのか支障はなかった。 鳥に歯はなく飲み込むだけなのに、どうやって食べるのか、という疑問もあろう。ナリスもこの点を不思議がっているということだ。実際、わし自身もどうなるのか分からなかったが、思い切って肉を咥内に放り込んだところ、味がした。飲み込んでいるはずなのに、なぜか噛んでいる感触もあり、その辺りの詳細ははっきり言って不明だ。大事なのは、しっかりと味覚があり、食べているという感覚があり、美味と感じられる点だ。食欲を満たせるこれらがあれば、その仕組みなどどうでもいい。
何より、スパイス料理をしっかりと楽しめるのだ。それ以上の何が必要か。
「……そういえば、香辛料の効いた料理が好きなんでしたね」
若干困惑顔のナリスに気づいて、どうやら力説しすぎたようだと気づいた。気を取り直して締めくくる。
(そういうわけで、食べなくても生きてゆけるが、食欲がある限り、食べたいと思うものは食べるようにしたいと思っておる)
路銀に余裕がある限りは、と内心で付け加えておく。料理はタダではない。
旅を続けるには、世知辛い懐事情があった。