2-5
それからの一巡りは多忙を極めた。
アルバに魔法を使うための集中の仕方を教え、シィーラに講義を受けさせつつ身体の動き方を指示し、夜中に二度ほど強奪の仕事を請け負った。そうした合間にも、ヨーグに必要な情報を用意させ、訓練所内での有力な踏み台候補を調査・検討していた。
御山で自身の鍛錬に明け暮れていた生活とは雲泥の差だった。
僥倖だったのは、シィーラがどうやらロハンザ訓練所の生活に段々と興味を覚えて楽しみ出したことだ。何事もやらされている内は物覚えが悪い。特に妖精という種は好奇心が原動力なところもあるので、何か惹きつけられるものがあるのは非常に有用だった。
その対象になったのが、まさかのロアーナだったのは意外だったが。
あの赤毛の戦士についてはその後、相当の問題児であることが分かった。シィーラと同じ時期の新入生だったが、既に2ダーリャ組で上位挑戦権を使った個人戦に勝利しており、貪欲に強い者を求めて勝負を吹っ掛けている。恐ろしいことにこの二巡りで既にそうした個人戦を2回行っており、どちらも勝っていた。行動が早すぎる。 上位挑戦制度では相手方の同意も必要だ。下位が勝てば対戦相手の組の地位を奪えるという勝利権利があるが、それを受けて立つ方にも当然それに見合う利益や功績がなければ成立するはずもない。この場合は通常、受ける上位側が勝った場合の条件を下位に提示し、それが受け入れられるかどうかなのだが、ロアーナはそこに自ら切り込んで自分自身を掛けている。要するに負ければ自分を好きにしてよいというある種の奴隷契約だ。無論、大陸では既に倫理的観点から公には奴隷という身分は廃止されているので、そこまで露骨なものではない。
だが、今でも落名者や罪人は奴隷扱いに等しいものとして存在している以上、一時的にせよ、ロアーナのような美人を自由にできると条件となれば、下卑た男ではなくてもその見返りとして十分魅力的ではある。訓練所規則として倫理観にもとる行為は許すはずもないが、個人間での契約だ。四六時中監視しているわけでもないので、どの程度の扱いなのかは当事者にしか分からない。相当危険な代価であることには変わりはなかった。
結果、上位側は見事に負けているのだが実力的には僅差だったようだ。むしろ、ロアーナはそうしたギリギリの境界線を見極めている節がある。だからこそ、勝っても無傷ではすんでいない。いつかの実技鍛錬の日に初めて見た理由は、どうやら初日にいきなり個人戦をして、全治一巡りという怪我を負っていたせいだったらしい。
あの日、久方ぶりに訓練所に来ていたわけだ。急にバランスを崩したように見えたのは、まだ傷が癒えていなかったということらしい。ほとんどそうしたものを感じさせずに屈伸移動していたので、そのとんでもなさが分かる。
そんなロアーナにシィーラが固執するようになったのは、二回目の個人戦をたまたま目撃したからだった。
その時の戦い方がシィーラに言わせると美しかったそうで、あろうことか性欲の対象として見染めてしまった。ここまで人間の性に関して興味津々だったシィーラをどうにか宥めすかしてやり過ごしていたのだが、明確に抱きたいと思う相手が現れたことで、こちらではもう止めようがなかった。身体の生理的欲求を無理に押し留めるのにも限界があることは経験で分かっていたので、好きにさせることにした。
どちらにしろ、まだロアーナに勝てるかどうかは微妙なところだった。シィーラもそれは理解しているようで、今まさにその壁を乗り越えるべく真剣に鍛えている。動機が不純だという声もあろうが、強くなるための理由は人それぞれだ。それでシィーラが鍛えられ、結果的に身体の生存確率が上がるのならかまわないだろう。自分の身体を性交に使われるという状況は、どういう気持ちでいればいいのか分からないままだが、なるようにしかならないと思われる。避妊だけは絶対にさせるが。
とにもかくにも、シィーラは今日も訓練所で実技訓練をしていた。
「五手以上先が読めなくなるんだけど、どうしたらいいのー?」
(初手からすべて読み切れるわけがなかろう。相手の動きから常に予測して読み合うのが定石じゃ。そのためには、思考と身体の動きは独立して行う必要がある。動作は無意識に実行できるほどに研ぎ澄ますしかない)
「んー、無意識に動いてたんじゃ、考える意味なくない?」
(正確に言うと一連の動きの起点については思考して身体に命令を送る。その後の動作は身体が勝手に動くというわけじゃ。そして、常に状況は変化するゆえ、その度に起点の命令を書き換えるといった具合じゃな)
「ほむほむ……途中で変えるタイミングとパターンを考えるって感じかー」
理解が早い。やる気を出した時のシィーラの吸収力は相当なものだ。その力をぜひ座学にも発揮してもらいたいところだが、興が乗らないとからっきしなのはいかんともしがたい。
「さっきからお前、一人で何ぶつぶつ言ってんだ?怖ぇよ……」
木剣での稽古の最中だった。取組相手が不審がるのも無理はない。その間に、当然の如く斬り合っては受け流し、間合いを取ったりと忙しなく動いている。
「一人じゃないよー、ゼーちゃんが見えないのー?」
今もシィーラの頭の上にはわしは乗っている。気づかないはずがない。
「見えてるよ!ゼーだか、べーだか知らねぇが、そんなの認めたくねぇんだよ!なんで、鳥乗っけた変人に勝てないんだよっ!?しかもそいつ、落ちないしっ!おかしいだろうがよっ!?」
矢継ぎ早に突っ込まれる。激しい動作中もわしがシィーラの頭部から落ちないのは、ある種の魔法で結合させているからだ。そんな必要はないのだが、人間の感覚を忘れないために陣取っている。効果があるのかは正直分からない。
シィーラと稽古をしている相手は無作為に選ばれた訓練生だが、今日のような取組演習の場合、実力差があるような者同士にならないよう配慮はされている。実力的にはシィーラが上だが、独自課題として相手の動きを読みながら次の一手をできるだけ無意識に繰り出す、という試みをしているので稽古は拮抗している。
相手には悪いが完全に実験台だ。倒そうと思えばいつでも倒せるのだが、後手からの感覚を鍛えるために延々とカウンターの型を覚えさせている。まだまだぎこちないので、対戦相手もいいように利用されているとは思っていないのが幸いだ。
ゼーでもベーでもないと分からせたいところだが、せいぜい手のひらで踊ってもらおうと溜飲を下げていると、演習場の端の方がにわかに騒がしくなった。
「逃げろっ!!」
「また暴徒が来たぞっ!!」
「呪具まで持ってやがる!下手に手を出すな!!!」
必死の形相で逃げ惑っている者たちがいた。
「いま、暴徒って言ってたかっ!?」
取組相手がその単語に反応して振り返った。
「ばるがー?」
シィーラは知らない言葉だろう。ここまでの旅路で聞いたことはなかった。
(暴徒というのは、襲撃者とかいう意味もあるならず者の集団をさす場合がある。復讐の神ヴァルグストが由来じゃな)
「はーん。神様の名前多いなー」
「名前なんて気にしてる場合じゃねぇよ!お前も逃げた方がいいぜ。ここにはたまに暴徒が来るんだけどよ、毎回妙な手を使ってきて一筋縄じゃいかねぇんだ」
それだけ言ってすぐさま演習場から走り去ってしまった。もう少し話を聞きたかったが、引き留める暇すらなかった。周囲を見渡すと、誰もがほぼ同じ反応だ。戦闘屋の端くれとして、勝負を受けて立つ血気盛んな輩が多そうなものだが、皆撤退を選んでいる。
残っているのはシィーラと同じ新入生のような新参者だけに思えた。
指導官が声を張り上げる。
「貴様たちも下がれっ!まともにあれを相手にしようとするなっ!理由は後で説明してやるっ!」
何か事情があるのは確かなようだ。ここは従って様子を見るのが正解だろう。対応の様子から経験則による妥当性が推測される。
(わしらも下がるぞ。一旦情報を精査した方がよさそうじゃ)
提案したところで、真っ赤な何かが物凄い勢いで駆けてきた。
「暴徒はどこっ!?あっちか!いいわっ、いい感じの数がいるじゃないっ!」
ロア-ナだ。皆が撤退する中、一人逆行している。その手には巨大な戦斧が握られていた。基本は格闘家だが、あらゆる武器を使えるという噂は本当らしい。更に背後から、巨体が追ってくる。
「止まれ、ロアーナ!このオレの武器を奪うとは何事だっ!!!」
「あはは、指導官、ちょっと貸してもらうよっ!!」
あの戦斧はいつぞやの指導官ペドンのもののようだ。別の演習場で実技訓練でもしていたのだろう。わざわざ騒ぎを聞きつけて向かって来たらしい。酔狂なことだと他人事のように思えれば良かったのだが、相手が悪い。
ロアーナが出張ってきたとなると、シィーラが無関心でいられるはずがない。
「おお、ロアーナじゃん。あたしも行かなきゃ!」
やはり釣られてしまった。
(せめて突っ込むような真似だけはするなよ!必ず状況を見極めてからじゃ!)
声を大にして警告するが、ロアーナを追って嬉々として走り出していたその耳に、どれだけ響いたかは定かではない。
ほどなく、その暴徒たちの群れを確認した。陣形のような隊列をしっかりと敷いている。明らかに素人ではない。
規模は十数人といったところだろうか。思っていた以上に歩みは遅い。おそらく、移動式の防御結界の範囲内で進行しているためだろう。魔法士らしきものが二人、分かりやすく魔杖を掲げながら歩いていた。
それぞれに傭兵崩れのような使い古された戦闘着で統一感はないが、覚悟を決めた面持は共通していた。簡単に退きそうにはない。前衛と殿に近接武器を持った者と盾役がおり、弓師が二人周囲へ向けて容赦なく矢を放っている。その矢じりが怪しく揺らめいていることから、何らかの魔法が掛かっていることが分かる。周囲の反応からその矢が危険なもので、先程聞き取れた呪具だと推測された。
ざわめいている声をまとめると、その矢に射られると正気を失って周囲に襲い掛かかる混乱が付与されるようだ。たかが十数人相手のはずが、それ以上の人数の被害が出ているのはそういう仕掛けらしい。防御側の人間を使って増員していく方法であるならば、厄介なのは間違いない。
他人の正気を奪う、狂わせると言った精神干渉系の魔法は高位魔法に分類される。人間の精神というものは思っている以上に無意識的な防御層が厚い。本人の意にそぐわないことを行わせるためには、相当の強制力が必要となる。既に暴徒と同数の人間がその毒牙にかかって暴れているところを見ると、あの呪具の効果は恐ろしいほどの威力だ。
既に死傷者は30名ほどはいそうだ。勇敢に斬り込んだ近接戦闘者たちも、盾役に返り討ちに合って正気を失ったらしい。前後を固める暴徒の武器にも、呪いの効果はあるということだ。つまり、あの陣形そのものが魔法陣の役割を担い、呪具の効果を最大限活かしていると思われた。矢だけではない。となれば、呪具の本体はどこなのだろうか。
指導官たちですら遠巻きに牽制するだけで近づけないのは、直接・間接ともに影響を受けてしまうからだろう。下手に手を出せない。
「はんっ、どいつもだらしがないね!訓練生ってのは腰抜けだけかい?私が手本を見せてやるよっ!!」
「待て、ロアーナ!貴様だろうとあの結界を崩すのは無謀だ。いま、大規模魔法であれを減じる用意をしている。それまでは近づ――」
ペドン指導官が状況を説明するが、最後まで聞いてはいなかった。訓練生の間では、既に赤毛の狂犬と恐れられているロアーナだ。その名にふさわしく、一目散に獲物たる暴徒へと突っ込んでゆく。
「おっと、あたしも――」
(だ、め、じゃっ!!!)」
それだけは全力で止めた。シィーラを無策で突っ込ませるわけにはいかない。
「うるさっ!!?ちょっと、ゼーちゃん、なんでよー!」
(あの呪具は想像以上に危険じゃ。よく見てみるがよい。まだ予備軍とはいえ、戦闘系の者たちが悉く狂ったように殺し合っておる。あの暴徒たちへ近づくだけで、強力な精神干渉を受けるのは間違いない。お主はまだその手の耐性が弱い。まともに動くこともできんじゃろうて)
暴徒の進行の後には血だまりができていた。訓練生たちが暴れた結果だ。斬り合ったもの、魔法で爆散したもの、まともな死体はひとつとしてなく、無残な躯が転がっているばかりだ。気弱な者なら胃の中のものをすべてぶちまけている光景だが、シィーラは何も感じることがないようだ。
「やってみなきゃ分かんないでしょーが!」
肝がすわりすぎているのも考え物だった。あるいは妖精として精神防御の素質があるのかもしれないが、人の器に入っている状況でその在り様がどうなっているのかは未知数すぎて見積もりが不可能だ。実際、先の暗殺者の前で棒立ち状態になった実例も鑑みれば、賭けに出るのは危険すぎる。
(愚か者が。分かっているから警告しておる。魔力飽和症の辛さを忘れたわけではあるまいな?)
「うっ!!?あれは……もうやだ……あんなことになるの?」
魔力を出力できないわしの身体は、放置すると過剰な魔力に精神と肉体が耐えきれずに死ぬ。その間際の痛みや苦しみは、筆舌にしがたい奇妙な感覚だ。味わったものしか分からない苦痛で、シィーラには既に一度経験させてその重要さを理解させたことがある。脅し文句としては最適解だった。
(強力な精神干渉に対抗するとき、似た感覚を覚えるじゃろう。あるいは抗う暇もなくあの者たちのように我を失うか、じゃが……どちらにせよ許容できぬ)
「ぐぬぬぬー、でもでも、パンチはダンスだよっ!ここでロアーナに良いとこ見せたら、きっと良い感じになるものっ!」
パンチはダンス……?
演武でもしようというのだろうか。なぜこんな時に。しばし思考が止まる。次いで、気づいた。
(ピンチはチャンスと言いたいのか?)
「あれ、そんな感じだっけ?まぁ、ペンチでもタンスでも何でもいいし。とにかく、好機ってやつでしょ?換気熱戦にはコンパクトが必要だって言ってたじゃん」
興奮しているせいか、単語が支離滅裂になっていた。シィーラはまだ、言葉の響きだけで適当にしゃべっているときが多い。
短期決戦にはインパクトが要るとは確かに話した記憶がある。二年もかけて騎士団入団をする気はないと計画について語っていた時だ。指導官や騎士団員からの覚えがよければ、推薦がもらえる。そのためには印象に残るような派手な成果か何かが必要だと。
そう考えると、シィーラの弁にも一理はある。あの暴徒たちが厄介なのはたった一点、呪具のせいだ。それさえ取り除ければどうとでもなる。
先程は矢が、ひいては弓が呪具なのかと思ったが、盾役の戦士たちにも同様の効果が発揮できることを考えると違うと分かる。魔法陣、結界でその範囲と効果を拡張しているのだとしたらその中心にあるはずだ。だが、陣形の真ん中に人はいない。
いや、中心よりやや前の中央に一人、皮鎧を着た騎士風の女がいる。よく見ると背中に何かを背負っていた。どこか場違いな背負い紐が見える。
嫌な予感がして目を凝らすと、背中に兜をかぶった子供がちらりと見えた。その兜からは禍々しい何かを感じる。周囲の空気が揺らめていた。魔力探知をするまでもなく、その揺らめきは強力な魔力が空間に干渉する際の歪みだ。
それほど、なのか……
暴徒たちの覚悟が強烈に伝わってきた。なぜここで暴れているのかは分からないが、その恨みや不満は想像以上のようだ。いずれにせよ、あまりにも不憫だ。長くは持つまいが、小さな身体には相当な負担だ。何らかの対応をしていても厳しいだろう。瞬時に腹を決める。
(お主、相手が子供でも斬れるか?)
「ほぇ?問題ないよー?悪いヤツなんでしょー?」
もう少し躊躇して欲しいのが本音だが、今は頼もしくもある。生半可な優しさでは救えないものもある。
(……本人に罪はないが、利用されるだけされて使い潰されるくらいなら、一思いに断ち切ってやるべきじゃろう)
「んん?どゆことー?」
(今は時間がない。ペドン指導官に魔剣の使用許可をもらえ。お主の言うように、パンチダンスをさせてやる)
シィーラは嬉々としてペドンに持ちかけた。シィーラは入所時、条件付きで帯剣を許可されている。魔力飽和症の体質があるので手放せないためだ。本来ならそんな面倒な人物は受け入れがたいところだが、納得させるだけの実力を見せつけた成果だ。もっとも、訓練所内を堂々と武器を持って歩けるのは2モデーリャ組のみなため、隠蔽の魔法で隠しておくことが義務付けられ、その使用も指導官の許可なしでは行えないことになっている。
「何だと?貴様、何をする気だ?」
(大規模魔術にはまだ時間がかかるじゃろうから、被害を抑えるために即刻あの暴徒たちを片づける)
シィーラに大分意訳されたが、真意は伝わった。
「一人でどうにかできるだと?」
「当然!」
自信満々にシィーラは答えているが、本人自身は多分何をするか分かっていない。これはわしへの信頼ということで喜んでいいのだろうか。
ペドンは少し悩んでいたが、突っ込んでいったロアーナが盾役に弾かれた後、調子を崩したようにその場から離れてゆくのを見て重々しくうなずいた。
「あの猪女のように無茶をする輩がこれ以上出ても厄介だ。多少なりとも策があるなら、いいだろう。貴様の魔剣の行使を許可する」
かくして、功績を上げる機会が巡ってきた。