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FairyTame-妖精交換(仮)-  作者: 雲散無常
第二章:訓練所
12/205

2-2


 弛緩した筋肉が再び硬くなるとき、ほんの微かな音が聞こえる時がある。

 それは鍛え上げられた筋肉であればあるほど、顕著に鳴るという。昔、師匠がそんなことを言いながらバキバキと筋肉を鳴らして迫ってきたことがあることを思い出す。絶対にその音ではないだろうと当時は思ったものだが、後々、その意味を知る機会はあった。極度に緊張状態にあるとき、予想外の展開で時が止まるとき、まるでそれが最後に響く音であるかのように聞こえるとき、確かにその音色は耳に飛び込んでくる。

 今もそうだ。

 刹那の一瞬。音が鳴る。

 その響きはしかも、ギアヌラの一刺しを連想させた。本能が悟っている。死の間際にいると。

 黒ずくめのシルエットが動く。その腕が伸びてくる。筋肉の音が鳴り響いている。

 呑気な声で問いかけたシィーラに向かってだ。

 (シィーラ、避けろ!!)

 未だ弛緩したままのシィーラの身体では、その対応に間に合わない。体当たりでその場を動かそうにも、わし自身が背後にいるために、シィーラを突き飛ばす方向が限定的過ぎて、黒ずくめの一撃を交わす方角へ誘導はできない。

 「ふんっ!!」

 代わりにニャリスが後ろから服を引っ張って強引に下がらせた。

 相手の腕が空を切る。その手には煌めく刃が見えた。小刀の類だろう。完全に首筋を狙っていた。問答無用で殺しに来たということだ。ニャリスがいなければ、シィーラは死んでいた。

 (呆けるな、馬鹿者がっ!!!死にたいのかっ!!!)

 ありったけの叱咤をしてシィーラに激を飛ばす。敵はまだ警戒を緩めてはいない。

 とんでもない手練れだ。

 今の今で気づくなどとんだ失態だが、今は反省している暇はない。この危機を乗り越えねばならない。

 「え、あ、いま……」

 だが、肝心のシィーラがまだ動けていない。ようやくたった今、自分が死にかけたことを理解したところだ。それなりに修羅場は越えてきたが、数秒前ほど死が隣にあったことはなかった。この敵が異常すぎる。

 目の前にしても、その殺意の薄さが不気味でならない。その黒ずくめの服装の如く、陰のようにただこちらの懐に入ってくる。自然体で殺しに来る者ほど恐ろしいものはない。対応する暇もないままやられるからだ。

 シィーラには心の準備が足りていなかった。瞬時に臨戦態勢にならねばならないというのに、頭が状況に追い付ていない。

 「どけ!アタシがやる!」

 ニャリスがシィーラを押しのけるように前に出ようとするが、そんな時間もない。

 敵の次の一手を受ける必要がある。

 わしはすぐさま魔防壁をシィーラの前面に展開するが、完成した途端に破壊される。

 急造とはいえそれなりの強度だったはずだが、あっさりと破られた。敵の二撃目を受けたのだ。魔力も超える一振りだということだ。相手は単なる物理的な力だけを用いているのではない。厄介極まりない。

 もう一度魔防壁を展開しながら叫ぶ。

 (ニャリス!シィーラを引きずってでも元の部屋まで走れっ!絶対に振り返るなっ!)

 「――っ!」

 「あぅっ!?」

 わしの必死な言葉が伝わったのだろう。ニャリスは前に出ようとしていた勢いでシィーラを抱えて踵を返した。

 二度目の魔防壁がそこでまた破られる。

 もう一つ用意する。

 そこで黒ずくめと目が合った。布を巻きつけて顔を隠しているが、その両目だけは垣間見える。切れ長の鋭い眼光だ。

 その瞳がわずかに揺れる。

 見慣れない鳥らしきものがそこに浮いていたのだ。誰も想定などできない。何が起こっているのか、混乱するに決まっている。次いで、その視線が周囲に素早く振られる。この魔法を発動した者を探しているのだろう。よもや、目の前の鳥だとは思うまい。 

 その隙を見逃す手はなかった。

 更に四つ目の魔防壁を展開しつつ、わし自身もその場を離れる。

 この黒ずくめは危険すぎる。驚くほどに気配がなく、殺気がない。暗殺者として相当の手練れだ。無策で相手にしていい敵ではなかった。

 何より、わし自身も危ない。人間の生身で対峙しても、渡り合えるかどうか微妙なところだ。そんな相手にこんな鳥の状態で太刀打ちできるとは思えない。

 追って来た場合の対処法を幾つか考えていたが、幸いその気配はなかった。実際には振り返りながらのひたすら目視だ。あれほど気配を消せる相手に、無防備に背を向けてはいられない。

 あちらに追撃する意志はないようだった。先程の攻撃は単に先手を打って追い払いたかっただけなのか、条件反射の類だったのかもしれない。何にせよ、ただ者ではない。久々に冷汗をかいた。

 とんでもない者と鉢合わせしたものだ。運が悪すぎる、などと思考したところでそんなはずはないと即否定する。たまたま盗みに入った当日に、別件の暗殺の仕事とかちあった?いや、そんな偶然はありえないだろう。これはヨーグを問い詰める必要性がある。

 そんなことを思いながら元の部屋にたどり着くと、不機嫌顔のニャリスとどこか呆けたシィーラが待っていた。

 「……無事だったみたいだな」

 (どうにか、な。とりあえずここを出る。話は戻ってからじゃ。シィーラ、しゃきっとせい)

 「んー、なんかさー……」

 珍しくシィーラの歯切れが悪い。良くも悪くも能天気な妖精にしては、どこか元気がないようにも思える。

 (何じゃ?)

 「あたし、もしかしてさっき、死んでた?」

 いつになく真剣な声だった。

 (……否定はできぬな。ニャリスがあの時引っ張っていなかったら、少なくとも重症は負っていたじゃろう)

 「うん、やっぱそっかー……」

 シィーラがニャリスに顔を向ける。

 「ありがと、ニャリス。あたし、命って良く分かってないけど……さっきので少しだけなんか分かったかも」

 「それは……死ぬのが怖くなったってことか?」

 どこか神妙なシィーラに戸惑っているのだろう。ニャリスもやや気遣わしげな声で問う。

 「怖い?んー、いや、そういうんじゃないんじゃないかなー。怖いってまだよく分かんないし。ただ、これはゼーちゃんの身体だからね。ちゃんと返すって約束したから、それが守れなかったかもーって思ったら、なんかもやもやした感じ?」

 その答えはなかなか興味深かった。わしとの約束はシィーラにとってかなり上位の優先事項にちゃんとなっているようだ。そうであれと願ってはいたが、こうして本人の口から聞けたのは僥倖だ。シィーラの場合、どこまで本気で考えているのか分からないことが多いので、常に心配の種ではあった。いい機会なので念押ししておく。 (うむ。ちゃんと五体満足で返せ。その身体はある程度の強度を持ってはいても、無敵というわけではない。先程のような強敵はそれなりにいる。半端に過信して危険に飛び込むのは止めるがよい)

 「むふー、それにしてもあの黒い人、むっちゃ強かったねー。修行すれば勝てるー?」

 (そうじゃな。暗殺術に対抗するには、それ専門の対策を身に着ける必要があるが、できなくはないじゃろう)

 「おおー!それはちょっと、本気でやる必要がありそー。っていうか、暗殺術ってなに?」

 (それは――)

 「おい、話すのは戻ってからじゃないのか?」

 ニャリスの言う通りだった。今はこの場所から離れることが先決だ。つい、シィーラのペースに惑わされた。

 兎にも角にも仕事は終えた。帰る時間だ。



 後日、ヨーグにあの夜の顛末を聞いた。

 同日に別の任務が同時進行していたことは知らなかったそうだが、同じ情報を元に決行日が決められた可能性は高いということは認めた。

 強奪に必要な情報は、ヨーグ個人ではなく見聞屋ギルドからのものだ。その情報をギルドがどう扱うかは、個人の与り知るところではない。表向き、見聞屋というものは闇ギルドのような暗殺稼業と手を結ぶことはない。闇ギルドはその名前通り完全に裏社会の組織だ。大陸では様々な職業のギルドがあるが、闇ギルドはその存在を公には認められていない。しかし、当然の如く非公式には存在している。

 情報というものはそれ自体は善悪を持たない。それでも、倫理的に悪用されかねない情報を、そういった裏社会に大っぴらに流すという行為は好まれるはずもない。ゆえに、建前として見聞屋ギルドはその情報を闇ギルドに流すことはないと明言している。そう、あくまで建前だ。裏では当たり前のように、その手の情報の売買は行われ、それに関して公に認めることは決してない。

 それはある種の暗黙の了解事項だ。

 その程度の知識は初めから持っている。ただ、このロハンザの街ではあまりそういった闇ギルドが動いている様子がなかったので、そういう意味でも確かめておきたかったのだ。

 ヨーグ曰く、最近要人の暗殺がちらほらと見受けられるとのことだ。まったく表沙汰になっていない辺り、かなりきな臭いことが起こっていそうだが、この街のように人口が多ければ多いほど、運営上層部の競争社会は苛烈だろう。それこそ、どんな手を使ってでもその地位を得ようという欲望がぶつかり合うことは必然だ。汚い金というものは得てしてそういう輩が持っていることが多い。

 これからは一層気を付けねばならないということだ。あのような危険な者を相手にするには、まだシィーラの慣れが圧倒的に足りない。不測の事態において、思考よりも先に身体が反応することが何よりも大事だ。死を回避するための一秒、一刹那がどれほど大事か。

 それはある種の死の気配の察知でもある。生存本能と経験、感覚の鋭敏化によってその境界線を見極められる者だけが、更なる高みへと昇る。攻撃と防御の読み合いの中で、その一線をどれだけ確実に合わせられるか。それによってすべての動きが変わるからだ。

 しかし、妖精というのはあまりそうした気配に敏感ではない。おそらくそれは人間特有の五感や六感によるところが大きいのだろう。そこをどうやってシィーラに覚えさせるべきか。かなりの難題だ。

 と、不意にそこで何かが引っかかった。

 あの手練れの暗殺者らしき黒ずくめだ。かなりの使い手だったことは間違いない。気配を読むことも当然長けていたはずだ。

 だが、なぜにあの時、後手に回っていたのか。

 普通に考えれば、あの部屋に入る前にこちらに気づいていてしかるべきだ。

 まさに標的を殺す瞬間で気が散っていた? 

 いや、そんな決定的なタイミングであるからこそ、周囲にも気を配っていたはずだ。それなのに、やすやすと部屋への侵入を許した挙句、思い返せばあの時、シィーラの方が先に気づいていた気がする。わしですら中に入るまで気づかなかったほど気配を消す技術があった者が、自分に近づく気配に気づかないなどということは想像できない。

 何か理由があるはずだ。相手が気づかなかった理由。と、何かが閃いた。見えなかった点がつながる。

 これは使える、と思った。早急に確認しておく必要があるが、重要な気づきに間違いなかった。

 「げっ、なんでアイツがここに?」

 長考から我に返ると、いつもの安宿の食堂で朝食を取っていたシィーラが嫌そうな声を上げた。

 その視線を辿ると、ガチャガチャと金属音を鳴らしながらこちらに近づいてくる小男がいた。

 「あ、シィーラの兄貴!おはようございまっす!」

 最近知り合った訓練生のペンターズが、ぎこちない敬礼をしながら駆け寄ってくる。親し気な様子だが、実際は向こうが強引に距離を詰めて来ているだけで、シィーラは関心を持っていない。まったくの偶然によって助けただけなのだが、ペンターズが勝手に恩を感じて敬愛の念を押し付けてきているのが現実だ。

 個人的には、これもまた何かの縁だと思って成り行きに任せている。こういうタイプの人間と絡むことによって、何かしら心境の変化が起こるかもしれない。

 「おはようじゃないよー。呼んでないし、来るな、来るなー」

 嫌そうに邪険に手を振るが、ペンターズは気にした様子もなく、当たり前の顔で同じテーブルの席に着く。

 相変わらず、見た目に寄らずメンタルが強い。いや、白昼堂々、こんなに目立つ鎧姿で過ごしているのだから当然なのだろうか。その小柄な体格に合っていないせいで、かなり滑稽に見えるし、実際指差されて笑われている光景も目撃したが、本人は意に介していない。

 ペンターズは四六時中鎧を着こんでいる変人で有名な男だった。代々伝わる家宝の鎧で上級魔法具らしく、その性能は確かに高いのだが、平時に身にまとう必要性はまったくない。王宮や主要施設内であればまだしも、街中や裏通りでは目立たぬはずがなかった。

 「まぁまぁ、そう言わずに。あっと、朝食っすか?」

 「もう食べ終えた。ナリス、行ってくるからここお願い」

 急いでパンを飲み込み、残りのモル茶を飲み干して席を立つ。明らかにペンターズを避けての行動だが、相手は動じない。

 「あ、じゃあ、訓練所に出発っすね。お供しまっす!」

 「ついて来なくていいー」

 「まぁまぁ、そう言わずに!」

 朝から騒がしく始まった日だった。 

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