Interlude X-1
今日はとても天気が良い。
大陸の南寄りに位置する町なので、一年を通じて温暖な気候ではあるが、季節による温度差はそれなりにある。
分かりやすいのはやはり風の温度だろうか。
北稜地域ではどんな季節でもその風は冷たい。山間から吹き降ろされることも関係しているだろうが、少なくとも今のように心地よいそよ風というような感想は抱かないだろう。
そういえば、そんな感想を前にもらしたとき、シィーラに不思議がれたことを思い出す。
「天気が良いってなに?」
(なにとは……逆に何だ?意図が分からぬぞ?)
「糸?ああ、意味って方だっけー?んーと、天気って今日は晴れてるってことの天気だよね?」
(うむ。他の天気は生憎と知らぬな)
「その何が良いのかなーってこと」
無邪気にはてな顔をされて、返事に窮する。『天気が良い』の<良い>がひっかかっているらしい。妖精特有の観点だろう。しばし考えて、ひとつの仮説を立てる。
(それは……妖精は天気を気にしないということか?)
晴れや雨という気候の変化については認識しているのは確認済だ。その前提の上で、人間は一般的に快晴の空を良い天気と表現するが、妖精の感覚では違うのではないかと考えたわけである。
「うにゃー、気にするよー?雨だと飛びづらいしー」
(ならば、晴れている方が良くないか?)
「何で―?」
(いや、今お主が自分で言ったであろう。雨だと飛びにくいのなら晴れてる方が動きやすいのだから、当然良いという結論になる)
「んー?どうしてそうなるか分かんないなー。雨は雨で綺麗な音がしたり、大地とか花とか木とかがいっぱい育つから、降ったらたくさんいいこともあるよー」
(ふむ……)
シィーラの言うことをよく考えてみる。つまり、比較して優越を決めないということなのだろうか。雨だろうと雪だろうと晴れであろうと、あるがままに受け入れて主観を挟まない。そう考えると辻褄は合う。尋ねてみると、概ね合っていたようだ。
人間は常に自分にとって対象が都合がいいかどうか比較する傾向が強いが、妖精にはそのような感覚がないということか。自然をそのまま受け入れるという姿勢は、おそらく生命体として見習うべき美徳なのかもしれないが、なかなか難しい。そこには少なからず主観的な好悪が含まれる以上、思考する生き物としてはやはり比較してしまうだろう。
何となく気になったので、好きな天気があるか訊いてみると、普通に「晴れ」だと返ってきた。納得がいかない。
(……お主、良い天気なんてないと言ったではないか)
「えー?そんなこと言ってないよー?晴れが好きだって言っただけじゃん」
その答えでなんとなく閃いた。
(ふむ……なるほど。好きだからといってそれが『良い』ということではないから、良い天気という表現が気になったわけか)
「あー、うん、そうかも?雨だって良いし、晴れだって良いし、わざわざ良い天気って言う意味ないよねー、みたいな?」
そういう受け取り方も確かにあるのかもしれない。妖精との会話は新しい発見に満ちている。人間が思う『普通』が、どれだけ狭い感覚なのか思い知らされることがあり、それはなかなかに刺激的だ。
「そういうわけで、天気なんかより良い食べ物、あれを買いにいこー、おおー!!!」
何がどういうわけなのかさっぱり分からないが、シィーラは一目散に市場の店に向かって突進して行った。
天気の話はもう飽きたのだろう。唐突な言動の切り替えはもう慣れてしまった。
後を追っていくと、串焼きの店の前でシィーラが涎を垂らさんばかりに見入っていた。店先には作りたてらしい様々な商品が、湯気を立てながら並べられている。すぐ横の七輪で調理しているようだ。東方出身なのかもしれない。矢継ぎ早に何の串焼きか説明を求められ、その勢いに若い女店主はやや退き気味に答えていた。相変わらず、シィーラの食い気が過ぎる。
(そんなに手持ちに余裕はない。買うならどれか一つじゃからな)
「テモチー?」
(予算ということじゃ)
「ああ、おっけぃ。分かってるよー、だから頑張って選んでるんじゃん。本当は全部欲しいしー」
唇を尖らせて、駄々をこねるように言う。童ではないのだから、あまりそういう仕草はしないで欲しいものだ。自分の顔では尚更だ。
「え、全部お買い上げですか?」
こちらの会話が聞こえない店主は、経緯は分からないなりに過敏に反応する。商いをしているだけあってそういうところは目ざといようだ。
「ううん、お金がそんなにないから一つだけー。にゅにゅーん、どれがいいかなー」
「それならば、こちらがお薦めで―――あっ!何をっ!!!?」
店主が指差した何かの肉の串焼きを、脇からひょいと伸びた小さな手がかっさらっていった。あっという間にその者は駆け出してゆく。堂々とした窃盗だ。
「ちょっ、ひったくりよー!!!誰かあの子供をつかまえてー!!」
叫んだ声で、近場の他の店主たちもざわめく。
「また出たのか」
「警戒しろ!他にもきっといるぞ!」
「また例のガキどもだな!警備隊は何してやがるんだ」
反応を見るに、よくあることらしい。犯人も子供だと判明しているということは、おそらく貧困層の者たちが徒党を組んで窃盗団まがいのことをしているようだ。どこの街にもそうした子供を使って盗みをする集団は少なくない。あるいは戦争孤児など身寄りのない多くの子供が、そうした犯罪で生計を立てていることはままあるものだ。
「えっと、それでお薦めはー?」
シィーラはしかし、そんな盗みにはまったく興味を示さずに女店主の説明を待っていた。目の前で行った窃盗などどこ吹く風だ。
「ええっ?いえ、それより今の子供を追いかけるとか、そういうのはないんですか?」
女店主の声が少し棘のあるものになる。あまりにも無関心な反応に不満を覚える感情は理解できる。
「どうしてー?あたしに何の関係もないじゃん?」
「それは……そうですけど……」
シィーラの言っていることは間違っていないが、口に出して言うことではない。妖精は徹底した個人主義というか利己主義な側面が強く、周囲への配慮というものに欠けていることは学習済みだ。フォローをしておく。
(無関係だからといって、いちいちそれを口にするなと言ったはずじゃ。心証が悪くなる。というか既に手遅れじゃな。この際、あの盗人を捕まえたら串焼きを安くするか、本数を増やすよう交渉するがよい。それでお互い納得できるじゃろうて)
この案はシィーラにとっても受け入れやすかったらしく、早速成功報酬の約束を取り付けた。自らに利があるときの行動は恐ろしく早い。
「じゃあ、早速行ってくるよー」
現金なことこの上ないが、妖精の行動原理は本人にとって興味をひくかどうかに尽きるので、結果的に食べたいものを多く手に入れるという目的が必要なのだ。こうした誘導を無意識的にできるようになった自分を褒めるべきか戒めるべきか、いつも悩んでしまう。
ともあれ、犯人の子供はすぐに見つかった。
シィーラは食べ物の匂いに敏感だった。もともと妖精が嗅覚が優れているのではなく、人間になってから後天的に身についた特性らしい。食への執着心が進化したようなものだと推測している。その能力はなかなかのもので、固有の匂いをかなりの広範囲まで追える。
その子供は捕まえられてもそれほど抵抗はしなかった。生気のない目で、既に色々なものをあきらめた諦観の相をしていた。一応、盗んだ理由を聞くと空腹のためだと平坦に答えた。やせこけた姿で実際そうだったのだろうが、あまりに感情のない声で痛ましかった。浮浪階層の孤児だ。同情すべき被害者とも言える。
その辺りの事情をシィーラに説明してどうするのか判断を委ねてみると、即答だった。
「捕まえるって約束したからねー」
結局、子供はそのまま串焼き屋に引き渡された。最終的に警備隊の者が引き取って、背後関係を探るらしい。女店主は約束通りサービスをしてくれたが、無邪気に喜ぶシィーラとは対照的に憂い顔だった。盗みを働かざるを得なかった子供の境遇を憂慮していたのだろう。それが人間心理というものだ。
一方で、ほくほく顔で串焼きを頬張るシィーラに聞いてみる。
(あの童について同情したりはせぬのか?)
「ドウジョー、ってなんだっけ?」
(可哀そうだとか、あわれに思って優しくしようとは思わなかったのか、ということじゃ)
「んー、何で―?知らない人だし、何か思う必要あるのー?」
きょとんとした顔で言われて、なるほどと腑に落ちた。確認のために質問する。
(では、盗んだのがわしだったら、どうじゃ?)
「どうって、どう思うのかってこと?うーん、そうしなきゃいけない何かがあったんだろうなーって思うかなー」
(警備隊に突き出すか?)
「ゼーちゃんがそれでいいならねー。それが規律、約束事なんでしょー。でも、そうしたくないなら、うーん、したいことを手伝うかなー。友達だもんね」
やはり、シィーラにとっての判断基準は対象が内が外かで決まるようだ。線引きが明確になされており、外側の対象には一切興味を示さず一顧だにしない。一般的な人間の場合、その対象範囲が円のようなもので境界線よりも曖昧な部分があり、感情的にも包含された範囲ができるものだが、シィーラにはそれが一切ない。一旦、内か外かで分けたらそこで完全に区別しているようだ。身内には優しく、その他は切り捨てる。
合理的であり論理的には正しいのだが、感情抑制が完璧にできない人間にはなかなか難しいことだ。その是非というか善悪に関しても、様々な意見があるだろう。問題は、このシィーラの特性、言い換えれば性格を修正すべきかどうかだ。
個人的には、もう少し感情面からも相手を気遣ってやって欲しいとは思う。人として時に非情な判断をせざるを得ないことはあるが、余裕があるときにはやはり他人に優しくできる者である方が望ましいと考える。無関係だから切り捨てるというのはドラスティックに過ぎる。だが、シィーラは妖精だ。人間の価値観、倫理観でそれを押し付けるのも何か違う気もしていた。
わしの身体を使っている以上、ある程度人の振る舞いをして欲しいとは思う一方で、ある種の人間性の刷り込みを行っている違和感も感じる。罪悪感とも言うべきものだろうか。あるがままの何かを否定している気になるのだ。特にシィーラは吸収率が高く、比較的こちらの言い分に素直に従う傾向がある。もちろん、本当に嫌なものは拒否してくるが、人間とはこうあるべきという言葉には大分耳を傾けて実践している。
言葉は悪いが、時折自分がシィーラを洗脳しているような気分になることがあって、どうにも居心地の悪さがあった。今回のように、シィーラの極端な言動を知る度、こちらがどう対処すべきなのか考えさせられる。
ふと、師匠の言葉を思い出す。
「おぬしは何でも真似しすぎじゃな。模倣から入るのはかまわぬが、最終的にはそれを己で昇華してこその賜物よ。なに、それを教えろじゃと?うつけがっ!自ら考えずに何を成せると思うのじゃ、精進がまったく足らんな。中腹まで三往復してこいっ!!」
最後の方は罰としての走り込みだったので関係ないが、師匠の言っていた通り、大事なことは自ら考えて自身の答えを見出すことだ。他人の考えや教えを学び、そこから自らの行動規範を模索する。シィーラもきっと内心では何か考えているに違いない。
そう期待を込めて見やると、シィーラは既に串焼きを食べ終え、止まっていた馬車の車輪の目の前でうろうろしながら凝視していた。何事かと思って近寄ると「この輪っかの中の形っていろいろあるみたいだけど、なんでー?」などと、輻のことを指差してきた。
なぜそんなものが気になったのか。ここまでの話とは何の脈絡もないが、それもまた妖精の興味の在り方だ。ただ、その瞬間気になったものに目移りする。こんな移り気の性格で、物事を深く考えているのどうか不安になる。とりあえず、車輪の外側部分を支えるために効率よく設計されるため、様々な形があると説明していると、今度は休憩中らしい御者のドガ帽子に興味が移ったようだ。
「ねーねー、その帽子なにー?なんで、そんなに横がだらーんとしてるの?結構おじさんなのに洒落込んでるのー?」
酷い尋ね方だった。
(そんな聞き方があるか、馬鹿者。あれはドガ帽子といって御者がよく被るものだ。風雨をしのぐために耳を覆うよう生地を多く取っているだけで、洒落のためではない)
「わはは。そんなにドガ帽子が珍しいのか、兄ちゃん。こいつはおれたちの特標、今風で言えばトレードマークってやつだ。これがありゃ、どんな雨でも風でも頭はあったかいわけさ」
「ほへー、そうなんだー。雨の日だったら、外に出なきゃいいのにねー」
「へっ、そいつは違ぇねぇがな。お客さんは天気なんざ、気にしちゃくれねぇのさ」
大分気の良い御者だった。無遠慮なシィーラにも寛大に接してくれている。
「あと、その髭って本物?なんで黒い中に白いのが混ざってるのー?」
御者には立派な顎髭が伸びている。白髪が混じっているのは年齢のせいだが、その辺りの自然の摂理をシィーラが知る由もない。
「はん?付け髭なんざわざわざつけんだろうよ。白髪のことなら、おれもいい加減歳取ったってわけだな」
「シラガー?」
「なんだ、兄ちゃん、白髪も知らんのか?そいつはな――って、おい、どこ行く……まったく落ち着かねぇ若造だな、おい」
苦笑交じりに御者が呟くのも無理はない。他人に質問しておいて、答えを聞く前に立ち去るとはどんだ無礼だ。今度は目の前を通り過ぎた早馬の何かに惹かれたようで、その後を一目散に追っかけて行った。
御者に比例を詫びたいところだが、今は言葉が通じない。申し訳なく思いながら、わしもシィーラを追う。
押し付けはあまりよろしくないと考えていたが、やはり最低限人としての礼儀は叩き込まねばと強く思った。