閑話休題 エイプリルのバレンタイン大作戦 その2
昨日更新した番外編の続きです。
※注意
この話は時系列的には現状のメインストーリーより未来の話になります。
そのため、急に知らない言葉や知らない人物が生えてくることがあります。
その辺は大らかな気持ちで飲み込んでください。
▼エイプリル
それから数日が経ち、二月十四日となった。バレンタインデー当日だ。
今日のセオリーの予定に関しては桃源コーポ都市にある組の事務所に居るという情報をシュガーより確認している。
朝日に照らされる中、私は事務所の扉を開けて中へと入った。ちょうど、事務所の中ではセオリーが若頭のホタルと話をしている所だった。
「それじゃあ、ボクも行ってきますね」
「気を付けてな」
「はい!」
どうやらタイミングは良かったようで、ホタルはすぐに事務所から飛び出していった。何事か用事をセオリーに頼まれたのだろうか。第一の腹心である私に頼まないで、比較的新参なホタルに頼むとは、どういった了見だろうか。
「おはよう、セオリー。……ホタルに何かお願い事でもあったの? 私に言ってくれればすぐに済ませたのに」
「おう、エイプリル、おはようさん。いやな、急にシュガーのヤツが修行だ! って言いだしてな。組のヤツらを総動員して乱取り稽古とかいうのをするらしい。ただ、何故か俺は事務所にいるように言われたんだ。俺もやりたかったんだけどな」
「そうだったんだ」
たぶん、これもシュガーから私への援護射撃だ。自然と二人きりになれるように、みんなを巻き込んでくれたんだ。ありがとう、シュガー。そう心の内で感謝の念を送る。
さあ、ここまでお膳立てしてくれたのだから、こちらも心を決めよう。ブツは用意してきた。あとは私が踏ん張るだけだ。
「セオリー、ちょっと着替えるから奥の部屋を借りるね」
「ん? エイプリルもか。……まぁ、全然構わないぞ。奥に入って左の部屋を使ってくれ」
「うん、分かった」
私はそのまま奥の部屋へと進み、扉を後ろ手に閉めた。心臓がバクバクと高鳴る。手持ちのバッグを開くと、忍具作成で作った手製バニーガール衣装とウサギ耳のカチューシャが姿を現す。もう後には引き返せない。ここまで来たなら後は気合と根性よ! 女には引いてはいけない時がある。それが今だ。
しゅるりと音を立てて服が地面に落ちる。そして、用意した衣服を身に着けていくにつれて、心も覚悟を決めていく。
うさ耳カチューシャは渾身の出来だ。わざわざ、ふれあい動物園にまで取材に行き、本物の兎の手触りを何度も確認した。そして、いくつもの失敗作を生み出した末に、完璧な手触りを再現したうさ耳が完成したのだ。私も完成してしばらくは、ひたすらそのうさ耳を撫でて癒されていた。最強の手触りにセオリーも完堕ち間違いなしだ。
着替えも終え、あとは扉を開くだけだ。扉を隔てて数歩先にはセオリーがいる。そう意識すると、置き去りにしたはずの恥ずかしさが再び込み上げてくるけれど、それを根性で抑え付ける。私は、もう何も怖くない。
意を決して扉を開く。そして、その勢いでセオリーのところまで駆ける、と同時に言葉を続けた。
「セオリー、今日はバレンタインデーだよね。喜ぶかな、と思ってプレゼントを用意したよ。プレゼントはわた、し…………なにこれ?」
私の一世一代の告白は、悲しいことに全くセオリーの耳に入っていなかった。何故なら、セオリーは他のことに完全に意識を持っていかれていたからだ。
「主様、いかがでしょうか。『プレゼントは私』を体現してみたのですが」
「あ、あぁ、……凄いな」
そこには一糸纏わぬ姿を晒し、申し訳程度にリボンで秘所を隠したアリスが立っていた。肌色の面積が圧倒的で、セオリーの目は直視しないように、あちらこちらへ泳いでいる。
「凄い、ということは欲情を促すことができた、ということでしょうか?」
「へっ? いや、ちょっとそういうのはよく分かんないっていうか」
「分からないですか。分かりました、より直接的な方が良いということですね」
アリスはそのスラリと伸びた生脚をセオリーのデスクへ乗せる。そして、一息にデスクへと乗り上がった。物理的な距離が近付いたことで、さらにアリスは攻める。手をセオリーの顔へ近づけると、艶やかな動きで指先が蠢き、頬を撫でる。
それから、セオリーの手を絡めとると、ゆったりと自身の胸元に結わえられたリボンへと手を掛けさせる。あとは少し力を込めて引っ張れば、アリスのあられもない姿が目の前に晒されることになるだろう。
アリスはそこからは全く動かない。つまりはセオリーの方から行動を起こしたという既成事実を演出しようとしているのだ。ここまで攻めに攻めた上で、突如として受けに回ると言う高度なプレイング。それはセオリーやエイプリルのような初心者からすれば、圧倒的強者の立ち回りだった。
セオリーは突然のことに気が動転しており、正解の選択肢が分からなくなっていた。そうでなくてもアリスは自身の強みをよく理解していた。スラリと伸びる手足やキュッとひきしまったくびれ、そのすべてが小さな面積しか隠せないリボンによって引き立たせられ、より強力な武器と化していた。
ゴクリと生唾を飲み込む音が事務所内に響く。実際にはそんな大きな音な訳が無い。しかし、ことこの状況に限っては、その場にいる全員に、唾を飲み込む音が届いていた。セオリー自身も自覚したし、アリスもイケると確信した。この場に第三者が居なければ、すべてがアリスの掌の上で進行しただろう。
だが、そうはならなかった。
何故なら私がここに居るから。
私の身体が、影に溶け込む。瞬時にアリスの背後へと回った。相手は頭領、隙を突いたとして油断はできない。そのまま私はアリスの背に触れようとする。指先が触れるか触れないか、というところで驚異的な反射神経を見せたアリスは飛び退き、距離を取った。
「あっ、エイプリル、これは違くてだな。……って、お前も何て格好してるんだ!」
ようやく私に気付いたらしいセオリーの声が届く。直後に顔を赤らめて、目を反らす様子を見るに明らかだ。アリスの姿を見た時よりも私のバニーガールの方がセオリーの反応が良い。やはり信頼できる情報筋は偉大だ。見事にセオリーのツボを押さえていたようだ。
「ふふ、どうやらセオリーのことをよく理解しているという点では、私が上みたいね」
ニコリと笑みを浮かべて、アリスへと棘のついたボールで会話のキャッチボールを投げかける。
「小手先の小細工に逃げるとは、腹心の先輩が随分と小狡くなりましたね。とはいえ、身体で勝負をすれば勝ち目はないのですから、仕方のないことですか」
アリスの方も張り付けたような笑顔でキャッチボールを投げ返してきた。お互いの間にピリピリと空気が張り詰めていく。
先手必勝だ。私はアリスの影から手裏剣を飛ばす。それをアリスは身体を捻るようにして回避した。それと同時に、私の視界が狭まる。手足が重くなり、酩酊したような浮遊感と悪酔いしたような気持ちの悪さが同時に押し寄せる。
アリスの相呪術だ。まだ基礎ステータスではアリスに遠く及ばない。デバフや状態異常によるダメージはこちらの方が大きい。ならば、破れかぶれでもアリスを遠くへ跳ばして、相呪術の有効射程範囲から逃れよう。縺れる足を叱咤し、アリスへ突貫する。
大抵の忍者であれば複数のデバフを突然かけられれば驚いて防御に回るものだ。しかし、こちらはお互いの手の内を知っている。だからこそ、こちらも予測して行動できる。私の意表を突いた突貫は、普段相手にする忍者たちの行動とはブレが生じる。そこに一縷の望みがある。予想通り、アリスは驚愕の視線をこちらに向けた。一瞬の動揺、私にはそれだけで十分だった。踏み込む足に力がこもる。
しかし、触れさえすれば跳ばせる、その気持ちが急いてしまったのか。あと少しというところで、何かに躓いてしまった。分かっていても、視界が狭まり、様々なデバフに襲われることの恐ろしさは変わらない。悔しく思いつつも、思い通りに動かない身体は、そのまま床へと倒れていった。
「はぁ、お前らは本当に、いきなりやって来て何でドンパチ始めんだよ」
私は想定していた固い床とは異なる感触と優しく抱きしめられたことに驚いた。それから、自分の体のすぐ近くから聞こえるセオリーの声で状況を理解する。
「ほら、さっさと相呪術を解け。つうか、事務所の中で使ったら危ないだろうが。物を壊したりしたらどうする」
「申し訳ありません、主様。敵襲かと思いまして」
「思いっきり会話の応酬してから始まったじゃねーか! アリスもジョークを言うようになったんだな、良かったよ!」
「いえ、それほどでもありません」
「いや、褒めてないからな? というか、そのほとんど全裸と変わりない服装をさっさと着替えてくれ。目のやりどころに困るんだよ」
セオリーの命令とあれば、アリスに拒否権はない。残念そうな表情で、未練がましくセオリーを見つめながら、奥の部屋へと引っ込んでいった。それから、今度は私のことを見つめてくる。
「それで、エイプリルよ。お前はバニーガールなんか着てどうしたんだ?」
「セオリーが喜ぶかな、と思って」
「……うぅ、そりゃ、可愛いとは思うけど」
返答が尻すぼみになっていく様子に可愛らしさを感じる。というか、今言質を取った、私のことを可愛いと言った!
ほわほわと幸せな気持ちが心の中に渦巻く。あっ、そうだった。この衣装の目玉である部分を忘れてはいけない。
「ねぇ、このうさ耳を撫でてみて」
「分かった」
セオリーはまるで割れ物に触るみたいな優しい手つきで、私の頭を撫でた。うさ耳を間に挟んでいるけれど、それでもセオリーの手から体温を感じる。私の胸の奥がキュッと締め付けられるように熱くなる。
「凄いな、これ。ふわふわだ。いつまででも撫でていられそうだ」
「んっ……。そうでしょ、自信作なんだ」
「おいおい、エイプリルが自分で作ったのか! 凄すぎんだろ……」
あ、今のセオリーの顔、新しい忍具や忍術を試してる時みたいに輝いた笑顔をしている。やはり、うさ耳は偉大なんだね。作ってよかった。でも、これで終わりじゃない。
私は胸元に忍ばせていた一対の指輪を取り出す。セオリーもそれに気づいたようだ。
「それは、指輪?」
「そう、贈り物も用意してたんだ。この二つの指輪が対になっていて、セオリーと私の二人で着けるの」
そう言ってから私は、名残惜しくも頭を撫でてくれていたセオリーの手を取って、薬指を選んで指輪を通した。それから、私の分の指輪をセオリーに握らせる。
「私にも通して」
「あぁ、分かった」
セオリーの指先が私の手を取る。頭を撫でてくれた時のように、優しい手つき。なんだか普段と比べてギャップがありすぎてなんだか笑みが零れる。
「ふふ」
「おいおい、何笑ってんだよー」
「だって、普段の扱いと全然違うんだもん」
「そ、そりゃこんな体験、初めてなんだから仕方ないだろ」
そう言ってから、照れ隠しするかのように、ぶっきらぼうな感じで指輪を私の指に通した。そうしてから、ちょっと後悔があったのか。優しい手つきに戻り、指輪の位置をちゃんと正してくれた。
「ありがとな、こんなプレゼントまで用意してくれて」
「うぅん、私がしたくてしたことなんだから良いんだよ」
むしろ、当初の予定よりだいぶマイルドになってしまった。でも、頭を撫でられただけでも随分な進歩だ。ここからゆっくり関係を育んでいけばいい。それに、さっきセオリーが言ってたように、初めての体験は奪えたしね、結果オーライだ。
「それじゃあ、ホワイトデーは楽しみにしてるからね!」
「えっ、……まぁ、そりゃそうだな。分かった、任せとけ。びっくりするような体験をさせてやるぜ」
そう言ってセオリーは笑った。私も釣られて笑って、ひとしきり笑い合った後、アリスが奥の部屋から出てきた。ずいぶんと時間を掛けて着替えをしたものだ。いや、もしかしたら彼女なりに気を使ってくれたのかもしれない。
「よし、これからシュガー主催の乱取り稽古に殴り込みにでもいくか!」
「おー!」「主様の仰せのままに」
私たちは事務所を後にする。歩く途中、指輪がキラリと陽の光を反射させた。
この繋がりよ、どうか永遠に。心の底からそう願う。
こうして私のバレンタイン大作戦は無事に成功を収めたのだった。
バレンタイン番外編を何とはなしに書き始めて、
気が付いたら9000文字近くなっていた時はさすがに驚いちゃったよね。
楽しんでもらえていれば何よりです。