第二百七十一話 一見の逃げ道、誘う罠への舗装路
▼セオリー
「『不殺術・仮死縫い』ッ!」
黒いオーラが曲刀・雷霆咬牙を包み込む。
踏み込みからの抜刀、勢いそのまま横薙ぎに斬り払う。
周囲にキンと甲高い音が響き渡った。金属同士のぶつかり合う音は、攻撃を防がれたことを物語る。衝突地点を見れば、雷霆咬牙と互い違いに相対する小さなクナイがあった。俺の一撃はいともたやすくクナイ一本で受け止められていたのだ。
「おー、こわ。挨拶もなしにいきなりかい」
「先に手を出したのはそっちだろ」
怒りとともに咬牙を握る手に力がこもる。しかし、いくら力を込めても相手のクナイは微動だにしなかった。むしろ、片手間で防いでいるような余裕すらある。
「あぁ、 これな。ごめんてー」
軽い調子で立ち上がるとようやくホタルの頭から手を離した。
立ち上がった相手の背はずいぶんと高い。180後半か下手すれば190くらいはあるだろうか。糸目の優男風だが見た目で判断はできない。
「俺は金之尾コンサルティングのウカ言います。こう見えて頭領やらせてもろてます」
「頭領……だって?!」
ウカと名乗った男は頭に手をやり、謙遜するように笑った。
「肩書きだけやってん、ステゴロは堪忍な。せやから、そないな怖い顔せんといて」
ヘラヘラとした態度だけれど微塵の隙も無い。ウカの瞳は真剣に俺、……ではなくアリスへ注がれていた。
片やアリスも抜き身の刀身じみた殺気を放ち、ウカへと鋭い視線を向ける。こんな時、いつものアリスなら真っ先に相手へ攻撃を仕掛けて行動不能にしてしまう。そんなアリスが動きを見せない。不用意な行動は危険だと判断しているのだ。
どうやらこの男が頭領、もしくは頭領に準じる強さを秘めているのは間違いないらしい。アリスの様子を見て、俺自身も気を引き締めた。
冷静になった頭でいまだに倒れたままのホタルを確認する。体力的にはまだ十分安全圏だ。おそらく一時的な昏倒状態になっているだけだろう。
となればウカとかいう男を倒してさっさと先へ進もう。そう意気込んでいたところで、アリスから肩透かしな提案を受けた。
「主様、ここは私が受け持ちます。先にお逃げ下さい」
「んなっ、そんなことできるかよ!」
頭領には頭領をぶつける。それがこの世界の鉄則、セオリーである。しかし、だからといってアリスを置いて自分だけおめおめと逃げるなんてしたくない。
「んー、それやと俺も困るんやけど」
「必ず追いつきます。ですから、ここはどうか私にお任せ下さい」
「……アリス」
「ちょぉぉい、俺のことは無視かーい!」
なにやら外野が騒がしく割り込もうとしているけれど、アリスには聞こえていない。いや、あえて無視してるのか。
本当ならアリスを置いて自分たちだけ逃げるなんてしたくはない。けれど、したくない、というのは我が儘だ。打算抜きにただ俺がイヤってだけ。
大きく息を吐く。
「ハァ……、確かに頭領相手して時間を取られるのは下策か」
ホタルが奇襲を受けて頭に血が上っていた。クールになろう。ひたすら感情のままに動くのは動物の行動である。俺たちは人間だ、考えて行動できる。
俺の信頼する腹心アリスはいたって冷静だ。それなら彼女の判断に任せよう。
「……分かった。ただし絶対に生きて俺と合流しろ」
「主様の仰せのままに」
アリスは返答と同時にウカへ手裏剣を投擲した。一枚の手裏剣はたちどころに無数の散弾へと変貌する。たまらずウカはクナイで手裏剣を叩き落しつつ、バックステップを踏んで後退した。
その隙を突いて俺はホタルの下まで行き、担ぎ上げる。さぁて、トンズラだ。
「エイプリル!」
「オッケー! 『瞬影術・影呑み』」
影に跳び込む。背に戦闘音を受けながら、それでもアリスを信じ、夜の闇へ溶け込み逃げ出したのだった。
そのまま馬鹿正直に外周部へ向かうわけにはいかなくなった。
金之尾コンサルティングのウカと言ったか。おそらくはコーポクランの頭領だ。アイツが一人だけで行動してるはずがない。
必ず後方待機していた部隊がいるはず。ここまで綺麗にお膳立てされた罠にハマったのだ。当初の予定通りとはいかない。
「こうなったら『影呑み』中に外まで駆け抜けたいけど、気力的にはどうだ?」
「ノンストップで行けてギリギリかな」
「だよなぁ」
摩天楼ヒルズの最外周部は10メートルほどのコンクリート壁に覆われている。
シャドウハウンドは地上の巡回に加え、高い城壁の上から監視をしている。二段構えの監視網ってわけだ。そんな危険地帯をノンストップで駆け抜ければ当然こっちに粗が出る。
今の俺たちの戦力だと見つからないことが第一条件だ。となると直前にもう一度気力回復の時間を設けて万全に整えてから壁越えに臨む方が良いか。
影の中から目線を上げる。
ようやく目と鼻の先に摩天楼ヒルズの境界線が見えてきた。周囲の建物と比べて明らかに高い、まさに壁。本来なら外敵から身を守るための物なんだろうが、俺たちにしてみれば牢獄の檻に等しい。圧迫感すら覚える。
「一度補給しよう」
壁を目前に路地へ身を寄せて影の中から這い出る。ホタルの回復も必要だったから丁度いい。気付け薬でホタルを起こし、エイプリルは気力回復の丸薬で補給する。
「壁越えに成功すればひとまず『鳴神忍軍』の脅威からは逃れられる。シャドウハウンドもさすがに外までは追って来ないだろう。逃げ切れれば勝ちだ」
奇々怪海の社長クロには手駒の兵士はいないようだった。となれば摩天楼ヒルズから脱出した後まで追いかけてくる執着の強い相手はいないはずだ。
エイプリルとホタルが身体を休めている間、俺が周囲の警戒をする。
それにしても、さっきの罠は危なかった。アリスが居なければあそこで全滅だったろう。金之尾コンサルティングの頭領。まさか頭領が出張ってくるとは思わなかった。
そんなことを考えていて、不意に引っ掛かりを覚えた。
関西地方のクランに「金之尾神社」というのがある。シュガーがニド・ビブリオに所属する前、最初に所属していたクランだ。シュガーによると関西地方にはこの神社のように「金之尾」と名前に着くクランが複数あるのだという。狐の御利益を願って名付けるらしい。
そして、今回現れた頭領である。
金之尾コンサルティングのウカと名乗っていた。シュガーの話に則るなら関西地方のクランである可能性が高い。
……いや、おかしいだろう。
どうして関西の頭領がわざわざ俺たちを捕まえに中四国までくるんだ。
クロの出した指名手配と破格な経験値のクエストによって近場に居た忍者たちが集結していることは分かっている。それは破格の経験値に釣られてだ。しかし、頭領であるウカにしてみればそれほど破格な経験値ではないと思う。
なら、なんでウカは俺たちの前へ現れた?
偶然なのか。それならそれでいい。でも、もし偶然では無いのだとしたら。
例えば、無差別な無所属忍者向けのクエストは囮で、本命は個人的に依頼をした協力コーポの頭領とか……。
アリスの存在を知っているクロが依頼主なら頭領を派遣するのだって過剰戦力ではないと認識していておかしくない。
いや、もっと悪い想像もできる。
アリスの存在を認識しているクロなら、頭領一人だけに依頼をするはずがない。
気持ちが悪くなって路地の壁に手をついた。
こんな一人のプレイヤー相手にそこまでするか?
悪い想像ならそれで良い。しかし、どうにも俺の『第六感』は嫌な予感を報せるように警鐘の如く心臓に早鐘を鳴らさせていた。
突然、空気の中からヌルリと一台の軽トラックが姿を現す。
さっきまで何も無かったはずの空間にテレポートでもしてきたのかと思うほど、気配が感じられなかった。
軽トラは目の前の通りでブレーキをかけると運転席の窓ガラスが開いた。運転手の男性が帽子を軽く上げて俺に視線を定める。
「ちわーす、ヤマタ運輸です。セオリーさんですよね、お届け物です」
何もかも訳が分からなくて困惑する。運送屋が届け物? 俺宛?
困惑する俺の前に荷台から下りてくる人影、低めの身長をした女の子だ。
「ハロー、キャロット製菓の頭領ラヴィでーす」
にっと笑顔を見せながら名乗りを上げる女の子にようやく俺は合点がいった。
なるほど、お届け物は「俺の死」ってことか。