閑話休題 サマーバケーション その2
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太陽が燦々と煌めく。深い青を湛える大海原に陽光がキラキラと反射していた。
夏、真っ盛りである。
場所は千葉の房総半島と呼ばれる先っぽ部分。そこに中星大学のセミナーハウスがあった。
中星大学があるのは西東京、多摩の山奥だ。大学近くに一人暮らししている淵見はバスと電車を乗り継ぎ、およそ4時間弱という長旅の末にセミナーハウスへ辿り着いたのだった。
「な、長かった……」
「お疲れ様ー!」
まだまだ元気いっぱいな様子の神楽は隣でへとへとになっている淵見の背中を軽く叩いた。東京駅で合流した後、鈍行列車に揺られる旅路は楽しいものだったが、いかんせん尻が痛くなるものだった。
「神楽先輩は元気ですね」
「そりゃあ、もちろん! なんてったってこれからスタートだからね。ここに来るまでで疲れてるんじゃ先が思いやられるよ?」
「むぅ、たしかに」
神楽の言うことももっともだ。電脳ゲーム研究会の夏合宿は3泊4日で行われる。今日は初日だ。まだまだ先は長いのである。
「ところで、ちょっと海を見て来て良いですか?」
「えー、良いけど。……先に荷物置いてきたら良いのに」
淵見はセミナーハウスから見える海が気になっていた。電車の車窓から見える海はとても綺麗だった。深い青に染まった海は泳げばきっと気持ちが良いだろう。
そんな海を最初に拝んでおきたかった。
そして、知ったのだ、非情な現実を。
「な、なんじゃこりゃ~!!」
海はある。きれいな海だ。泳げばさぞや気持ちのいいことだろう。しかし、大事なアレが無かった。
「砂浜が無い……。っていうか、港じゃん……」
そう、砂浜が無かった。それどころかコンクリートで固められた港が辺り一帯に広がっている。どこにも海水浴場なんてありゃしない。左右を見渡せば当然のように「遊泳禁止」の看板が立っていた。
「泳げないじゃん……」
ボトリ、と旅行カバンが肩からずり落ちる。
淵見の心に寂しい風が吹いたのだった。
淵見がセミナーハウスに戻ると鷹条と浜宮も到着していた。二人は神楽と淵見とは別ルートからここまで来ていた。
「浜宮先輩、鷹条先輩、こんにちは」
「やあ、淵見君。初めての合宿、楽しんでくれたまえ! ……と、何やらテンションが落ちているようだがどうかしたのかね?」
「えっと、着いてすぐ海を見に行ったんですけど、海水浴場じゃないんですね。てっきり泳げるような場所かと思って、水着まで持ってきてはしゃいでました」
「あぁ、目の前の海は港に面した場所ばかりだからな。さすがに泳いだりはできない」
浜宮が断言する。やっぱりそうなのか、と淵見は肩を落とした。
早とちりしていた。でも仕方ないだろう。海辺のセミナーハウスで夏合宿と聞いたら誰だって砂浜のある海水浴場を思い浮かべるじゃないか、そんな言い訳がましいことを脳内で思い浮かべてしまう。
いやいや、海で泳ぐことばかりが楽しみではないだろう、淵見は頭をブンブンと振ってマイナスの感情を散らした。それから荷物を部屋へ運ぶのだった。
部屋はサークルとして二部屋借りている。ともに畳の敷かれた和室となっており、それぞれ鷹条と神楽で一室、浜宮と淵見で一室。つまりは男女で分けた部屋割りである。
妥当な部屋割りではある。しかし、同時に淵見からすればほとんど会話したこともない4年生と二人、屋根の下で過ごすことになる。
若干、気まずい。
そう思っても仕方のないことだろう。
ひとまず会話をして親睦を深めることが大事だ。そう考えた淵見は荷解きをしつつ、浜宮に会話を振った。
「今日はこれからどうするんですか?」
「まずはどちらかの部屋に全員集まって、今後の動きを確認するというのが定石だな」
「今後の動きですか」
「あぁ、例年通りなら2日目にバーベキューをする。その時に使う具材の買い出しやもろもろの準備担当を決めて割り振る。こういうのは初日に決めておいた方が良いんだ」
ほうほう、なるほど、と淵見は話しを聞く。明日はさっそくバーベキュー開催なわけか。これはなかなか楽しみ度の高いイベントだ。
淵見が期待に胸を膨らませながら荷物を整理していると、部屋の扉がノックされた。女性陣の荷解きが終わったらしい。
「おーい、終わったー? 入って良ーい?」
神楽が待ちきれないといった声色で扉越しに尋ねてくる。浜宮が淵見へ視線を送る。扉を開けるが問題ないな? という意味だろうと淵見は解釈し首を縦に振った。
「どうぞ、鍵は開いてるよ」
浜宮が返事をすると意気揚々と神楽、それから鷹条が入室した。
部屋の真ん中で丸くなって座る。畳の上なのでそれぞれあぐらをかいたり、正座をしていたり、足を前方に投げ出していたりと様々だ。
ちなみに最後のは神楽である。彼女はすでに裸足になっていた。前へ伸ばした足をぷらぷらと所在なさげに左右へ揺らしている。
「自宅のような気楽さですね」
思わず淵見が呟いた。実際、着いて早々に靴下を脱いでいるところを見るに、神楽は自宅にいる時と同じくらいのリラックスモードに入っていると言って良い。
「いやぁ、畳って何か良いよねぇ。肌触りかな? 思わず裸足になっちゃった」
「とはいえ、少々行儀が悪いのでは?」
浜宮がたしなめるような物言いをすると神楽は口を尖らせて不満を漏らしつつ、膝を曲げた。そのまま膝を両腕で抱え込むようにして座り直した。体育座りとか三角座りと呼ばれる座り方だ。
一連の流れの中、神楽の対面に位置する淵見は彼女の一挙手一投足にドギマギとしていた。
というのも、神楽の服装はワンピースなのである。生足が目の前でふらふらしていたのも気になって仕方なかったが、それ以上に膝を立てて座り直したのもいけなかった。ヒザ丈ほどのワンピースの裾がひらりひらりと踊るたび、彼女の太ももがちらりと見え隠れする。
淵見も男だ。男とはチラリズムに弱いものと相場が決まっている。淵見も例外なくチラリズムに心くすぐられる感性を持っていた。
腕で抱えた両膝から伸びる足先。神楽の小さな体躯から容易に想像できる華奢な足は、靴下を脱ぎ、生足になったことでより一層のリアル感を与えていた。
かかとを畳みにつけたまま、指先だけを上にあげる動作。そこから見える小さな足裏は今まで見たことのない秘所であった。
神楽が足をパタパタと動かすたび、ワンピースの裾が捲れ上がる。彼女の太ももが眩しく輝く。そして、ダイ〇ンも驚きの驚異的な吸引力で目を引き寄せる。華奢な身体も相まって肉付きは薄い。されど健康的だと判断できる程度には肉がある。
男性諸君にはむっちり、もっちり系の太ももが好みの諸氏も多かろう。中には太ももはぶっとければぶっとい程良いとされる流派もあるはずだ。
それを否定する気持ちは毛頭ない。しかし、淵見の中ではバランスが大事だった。そうあれかしと思った通りの肉体に美を感じる。それが淵見だった。
太ましいのであれば全体的に納得感のある太ましさがあるのが望ましい。逆に華奢な体躯であれば全体的に華奢であれ。それが淵見のそうあれかし。
淵見の美的感覚において、神楽の身体は完璧だった。
その身体つきであれば、その細腕、その幼さが残るが健康的な太もも、男性の掌で包み込めそうな足先。全てがそうあれかしと纏まっていた。
不意に淵見は今まで感じたことのない胸の高鳴りを感じ取っていた。
これまでだってサークル室で一緒に過ごしていたけれど、ここまで心乱されることは今まで一度も無かった。果たして夏がそうさせるのか。淵見にはもはや判別はつかなかった。
「はい、というわけで役割決めはオッケーだね!」
司会進行をしていた神楽の声で淵見はハッと我に返った。
気付けば合宿中のイベントの役割・担当が決定していた。
(時間がぶっ飛ばされた?!)
淵見は混乱する。まるで不可思議なことが起こったようだった。途中の記憶がまるでない。淵見は戦慄する。神楽の魔力は、人をおかしくさせる。サークルの姫へ登り詰めた神楽の魔性を垣間見た気がしたのだった。
淵見は頭を冷やすためにトイレへ向かった。洗面所で顔を洗う。少しのぼせ上った頭が冷えた気がする。
それから再び部屋へ戻ろうとしたところで鷹条が立っていた。無表情のため何を考えているのか全く読めない。困惑する中、鷹条はスススと淵見の耳元へ顔を寄せた。
「私も気になっちゃうから分かる。だけど……、見過ぎ」
淵見はパッと離れて鷹条を見た。相変わらずの無表情だ。しかし、無表情だからこそ色々なことを考えてしまう。軽蔑、嘲笑、拒絶、失望、憤慨……。
頭の中をグルグル回る。やってしまった。バッドコミュニケーション。
「すみません」
とりあえず、それだけ絞り出す。
「気にしないで。無防備過ぎる彼女も悪い」
鷹条はそう言って部屋へ戻っていった。鷹条の姿が見えなくなると、淵見はホッと息を吐いた。
最後の言葉を真に受けるならば、鷹条の生理的嫌悪メーターはギリギリで振り切らなかったと考えられる。そう考えないとやっていけない。
しかし、淵見はこれが最後だと心に決めた。少数のサークルで関係がぎくしゃくするなどあってはならない。そうなってしまえば後は地獄だ。
頬を叩く。ここへは何しに来た。楽しむために来たんだ。
心を落ち着かせろ。心頭滅却すれば色香に迷わず。脳裏に焼き付く神楽の足裏や太ももを消去する。……消去、する。……消去に努めよう。
そう言い訳がましく考えながら部屋へ戻るのだった。