第二百四十話 熱力学否定法則
▼セオリー
べしべしと結界越しにセオリーを攻撃しようとルシフォリオンが腕を振るっている。しかし、サンガが張り、ナナリンが強化した結界は少しも揺るがない。
反省しなくちゃだ。コヨミの『浄界』と比べて強度は大丈夫だろうかなどと不安に思ってしまった自分の浅はかさに反省だ。関東サーバーのプレイヤーたちの中でも特に防御に秀でた者が集まっているのだ。それをまだ中忍頭の俺が疑うなんて失礼もいいとこだ。
それはそれとして、さっきは危なかった。ミユキともう一人の忍者の協力技によってヘイトが分散し、急な攻撃方向の転換が起きた。
ヒナビシが収集・整理した報告によると先の一連の攻撃だけで第二部隊の忍者の内、五分の一近い人数が落ちたという。一瞬の油断でコレだ。
さすがのミユキも今後は派手な動きを控えるだろう。今回は御し切れなかった俺の落ち度でもある。ギリギリ間に合って良かった。
遠目から観察していてルシフォリオンのヘイトが別へ移ったことはすぐに分かった。だから『雷霆術・雷鳴』を使い、ミユキたちの下へと高速移動したのだ。これもルシフォリオンの神性が高いからか効果が爆発的に伸びていた。
事前に使い勝手を確かめていた時は、せいぜい7~8メートル程度の距離を高速で移動できる効果だった。しかし、ミユキの下まで移動した時は10キロメートル以上離れていた。その距離を一瞬で駆け抜けたのだ。とんでもない移動距離である。練習時の千倍くらいの効果アップだ。
それから『雷霆術・閃光』。これも強力な効果を発揮していた。効果は単純でまばゆい光による目くらましである。忍具でも近い効果の閃光弾があるくらいにはポピュラーなものだ。しかし、ルシフォリオンには莫大な効果を与えていた。基本的にその辺のモンスターに使用した場合、遅くとも十秒程度で視力が復活していた。それは忍者もほぼ同様である。
しかし、先のルシフォリオンに関しては三十秒ほど視界を奪われ混乱状態が続いている、といった様子だった。三十秒間一方的に攻撃できるというのは非常に大きなアドバンテージだ。
とはいえ、こういった瞬間的なデバフは得てして何度も使用すると効果時間が短くなる宿命を背負っている。実際、忍具の閃光弾をモンスターに複数回使った時、最初の効果時間と比べて二回目以降はどんどん短くなっていくらしい。
俺の『閃光』に関しても同様と見て良いだろう。使うならここぞという場面だけだ。基本的には温存していった方が良い。
(全体、注意。まもなくルシフォリオンの体力が三分の二を切る。大技に警戒!)
俺が雷霆術の効果確認をしているとアカバネから念話術が入った。絶えず移り変わる戦場、そこで最も警戒すべきことは行動パターンの変化と防御必至の必殺技だ。
こういった行動の変化は基本的に体力ゲージの残存パーセンテージに由来することが多い。つまり、残り体力75%、50%、25%の区切りは最大限の警戒をして然るべきなのだ。
上忍以下のプレイヤーたちはルシフォリオンから距離を取るために後退していく。そして、しばらくの後、答えが出た。
赤熱するたてがみを震わせ、天空へと咆哮を轟かせる。
ルシフォリオンは翼を羽ばたかせると空へ飛ぶ。そのまま上空で静止すると、光を身体に取り込み始めた。徐々に発光するルシフォリオンと同時に周囲の温度が肌で分かるくらい上昇していた。これ、だいぶヤバそう。
「サンガ、ナナリン、……耐えられると思う?」
「ふむ……、まあ、このままだと結界ごと燃やされるオチよな」
「一応、熱強度なら上げられるけど、断熱するわけじゃないからなー。この中にいたら結局蒸し焼きになっちゃうかもー」
どうやら防御のプロフェッショナルたちもヤバそうだと感じてるらしい。
それなら俺のすべきは最低限の囮役だ。
「よし、そしたら二人ともミユキの方に向かってくれ。俺の次にダメージを与えてるのはさっきの二人のどっちかだろうから、この攻撃で俺がやられた場合、次はあっちが狙われる」
「何それー、私たちに見殺しにして逃げろって言うのー?!」
「今できる最適解がそうならそうすべきだろ」
ナナリンは頬をぷくっと膨らませて不満そうだ。
それに対してサンガはフッと笑みを見せると、即座に『六面結界』を解除した。サンガの方は納得したらしい。この判断の早さが実に頼もしく感じる。実際問題、早く行動に移らないと手遅れになりかねない。もうすでにルシフォリオンがいつ攻撃してくるか分からないのだから。
と思ったのだけど、それからいつまで経ってもサンガは動こうとしない。それどころか懐をガサゴソと漁ってアレでもないコレでもないとブツブツ呟いている。おそらくインベントリ内の忍具を探しているのだろう。いや、そんなことしてる余裕なくないか?!
「おぉ、あったあった」
それから程なくしてサンガが懐から取り出したのは一冊の巻物だった。
「探し物してる場合じゃないだろう。さっさと逃げろよ!」
「おやおや、大将はもう諦めてたのかい?」
「だってこのままだと結界ごと焼き尽くされるって……」
「それをなんとかするのが俺たちの仕事でしょうが! まあまあ、御覧なすってくださぁ」
サンガはニカっと笑った。第一印象はただの生臭坊主だったのに、いつしか頼りがいのある上忍頭の貫録を見せていた。やだ、惚れちゃう。
懐から取り出した巻物を広げたサンガは、俺たちを囲むように地面へと巻物を転がす。ちょっと思ってた使い方と違うな。
「なあ、大将よ。最強の結界って言ったらどんなものを想像する?」
「なんだよ、藪から棒に。……最強の結界か。何も通さないのが最強なんじゃないか」
俺が想像したのはコヨミの『浄界』だ。物理的衝撃はもちろん音や熱も遮断し、転移系の忍術すら通り抜けできない。まさしく最強の防御だ。俺にはコヨミの『浄界』を突破する手段が思いつかない。
「なるほど、たしかにそれは最強だなぁ。なら、何も通さないためのアプローチはどうする」
通さないためのアプローチ?
そんなもの考えたこともない。とにかく硬くするとか……。いや、それじゃあ最強とは程遠いだろう。たしか『浄界』は空間自体を断絶しているとか聞いた気がする。俺はそれをそのまま解答とした。
「ほぉ、空間をぶった切っちまうときたか。俺の想像以上の最強を出されちゃしょうがねぇ」
「おい、大丈夫なんだろうな」
この時点でサンガがこれから行う防御方法はコヨミの『浄界』より弱いとサンガ自身がゲロったようなものだ。
「この巻物の名は『遮断之書』。モノの移動を妨げる効果があるんでさぁ」
「まさか、それでルシフォリオンを止めるって?」
赤熱する身体を見るに超高温になっているであろうルシフォリオンを巻物が受け止め切れるとは到底思えない。俺はこめかみを冷や汗がタラリと垂れていくのが分かった。
「なぁに、馬鹿とハサミは使いよう、ってね。『遮断之書、熱エネルギーの移動を禁ず』」
キーワードを唱えた後、周囲に敷かれた巻物が光を放ちながら空中へ浮かんだ。そのまま円を描くようにくるくると周りを回る。同時に今まで感じていた熱さが消えた。むしろ、肌寒い。
「『結界術・複合結界 対象:六面結界、遮断之書』」
続けて唱えた忍術は最初と同じ防御用の結界『六面結界』だ。しかし、結界の構築の仕方がさっきまでとは異なる。周囲に浮かぶ巻物を内包した、もしくは融合した状態の結界が生み出されたのである。
「ルシフォリオンが突っ込んできたよー!」
ナナリンの焦ったような声が聞こえた。俺も視線を上げるとルシフォリオンが間近まで迫ってきていた。
「ナナリン、仕上げを頼んまさぁ」
「もう、ギリギリ過ぎー!」
最後に視界に映ったのはルシフォリオンの赤熱する顔が結界にぶつかるところだった。直後、大爆発が起き、光と熱と衝撃波は山を越えて周囲を吹き飛ばし、焼き尽くした。
 




