第百十七話 VR適応検査ゲーム
▼淵見 瀬織
「ふっふーん、よくぞ聞いてくれました。今日はサークルメンバー全員でVR適応を調べるよ」
元気よく言い放った神楽の言葉は、しかし、俺にはまるでチンプンカンプンな内容だった。
「VR適応、って何ですか?」
「良い質問だね! それじゃあ、新入生の淵見くんにも分かりやすく説明してあげよう」
俺の疑問に対して、神楽は部屋の隅にあったホワイトボードを引っ張り出すと、すらすらと文字を書いていく。
VR適応とは簡単に言えば特殊な才能を指すのだという。
ここ十年で急速に広まっていった感覚ダイブ型VRゲーム。そんな中、現実世界では発揮されていなかった才能がゲーム内においてのみ限定的に開花した子どもたちが発見された。
このVR適応という能力は、幼い頃から感覚ダイブ型VRに慣れ親しんだ者ほど強く発現する。そのため、俺たちの世代ではほぼ全員が何かしらVR適応能力を持っていることになるらしい。
かくいう神楽は短期的な集中力を飛躍的に向上させることができ、反対に鷹条は長期的な集中の持続力を向上させることができる。
一応、説明された内容は分かった。しかし、なんとも眉唾な話だ。
というか、それなら幼い頃から感覚ダイブ型VRに慣れ親しんできた俺にもVR適応という特殊な才能があるということだろうか。
「それで、どうやって調べるんですか?」
「任せなさーい、検査用のゲームがあるからそれを使うよ」
神楽は手提げ袋を掲げて見せる。その中に検査用のゲームが入っているらしい。
最初に神楽は手提げの中から眼鏡を取り出した。持ってきた時に手提げ袋の口から見えていた眼鏡だ。しかし、普通の眼鏡とは異なるようで、いくつか細いコードが眼鏡のツル部分に接続されている。
「……眼鏡?」
「ただの眼鏡じゃないよ。これはARグラスなんだ」
ARグラス。
ARはたしか拡張現実という意味だったか。現実の世界に仮想世界の情報を重ね合わせる技術。ゲーム業界ではあまり流行らなかったけれど、一般向けの製品においてはVR以上に活用されている技術だ。
俺の実家では冷蔵庫にAR機能が付いており、中に入れた食品の賞味期限を表示させたり、中身が見えない調味料の内部残量を仮想メーターで表してくれたりする。
そんな風に生活の中で自然と溶け込んでいる技術だ。
「そのARグラスを使ってどうするんです?」
VRとARでは話が変わってきそうだけど、果たしてARグラスを使って何をするというのか。
「VR適応に関してはまだ分かっていない部分もあるんだけど、分かっている部分もあるの。その一つが拡張現実を使用している間は現実世界においても脳内処理の速さなどが感覚ダイブ型VRを使用している時と同じだけ活性化するってこと」
「現実でも特殊な力を発揮できる、ってことですか?」
「そういうことだね。ただし、効果が出るのはあくまで脳内処理で済む範囲の才能だけ」
ふむふむ、つまりゲーム内で身体能力を向上させるVR適応を持っていたとしても、現実に反映させることはできないということか。他に脳内処理の範囲を超える才能って何があるのか分からないけど、ひとまずARでもVR適応を調べることができるということは分かった。
「それじゃあ、装着してみて」
ARグラスを手渡される。掛けてみると眼前にゲームタイトルが表示される。ゲームのタイトルは「ちっちゃなおじさん探し」というらしい。なんだ、このゲーム。
ひとまず、スタートを押してみる。自分の指を眼前の空間に浮かんだスタートボタンに触れさせる。すると、小気味良い効果音と共にゲームが始まった。
ルールは簡単で制限時間一分の間に、ちっちゃなおじさんをより多く見つけ出す、というものらしい。見つける方法は視界の中にいるおじさんへ指を向けて「見つけた」と念じるだけ。うん、簡単だ。
「あ、見つけた」
さっそく、神楽の肩の上に座るちっちゃなおじさんを見つけたので指を向ける。念じるだけで良いのに、思わず言葉にも発してしまった。
このゲームの良く出来ている点は、サークル室の中にある機材、主にゲームのハードやソフトの影からちょこっと顔を覗かせたり、椅子に座っていたり、という具合にちゃんと現実世界の物を活用して隠れている部分だ。どうやって物の形状や使用用途を判断しているのだろうか。
そんな風にARグラスとゲームに感心している内に、一分という短い制限時間は終了してしまった。
「はい、記録は二十三人でした」
だいたい三秒に一人のおじさんを見つけたことになる。まずまずの結果じゃないだろうか。
「ちなみに今のはチュートリアルだから、VR適応の判定とは関係ないよ」
「ありゃ、そうなんすか」
肩からズッコケる。じゃあ、次が本番か?
俺がそう思っていると、ARグラスを取られてしまった。
「このARグラスはサークル活動終わった後、明日のサークル活動まで付けてもらうからねー」
「へっ? それって二十四時間付けっ放しですか」
「いや、それは難しいと思うから起きてる時だけで大丈夫だよ。制限時間は六時間。ARグラスを外している間は時間経過が止まるようになってるから、明日までに隙間を見つけて六時間装着してね」
「なるほど……、分かりました」
途中に休憩を挟んでも良いとはいえ、六時間もちっちゃなおじさん探しをするのか。集中力続くかな。
俺が戦々恐々としていると、神楽は次の機材を取り出した。今度のはVRヘッドセットのようだ。
「次からは続けて色んな検査をしていくよ。鷹ちゃん先輩も一緒に受けちゃってね」
「私もするの?」
「昨年から成長が見られるかもしれないからねー。これも研究の一つだよ」
そんな会話の後にヘッドセットを装着した俺と鷹条がソファに二人掛けで座る。ヘッドセットの先はノートパソコンに繋がれているようで、神楽はそこで俺たちの様子をモニターするようだ。
それから先は分かりやすく検査用ゲームですという内容だった。
六発だけ装填された拳銃でできるだけ多くの敵を倒す。色んな障害物が設置されたコースをタイムアタックしつつ走る。ひたすら一人でやる神経衰弱。四方八方から飛んでくる弾丸を避け続ける。学校に潜入してきたテロリストを撃退する。簡単な計算問題を解き続ける。などなどetc……。
とにかく疲れた。頭を使ったり、身体を使ったり、動体視力を使ったり、自分の体の色んな機能をフルで使わされたような気持ちだ。一緒にVR適応検査を受けた鷹条もぐったりとした様子で膝をつき四つん這いになっている。
俺は肩で息をしながら周囲を見る。現在、俺たちはどこまでも真っ白な空間にいた。物も何も無く、色彩も無いため遠近感が狂う。唯一色を持つのは俺と鷹条のアバターだけだ。
不意に嫌な予感がした。
心の中で警鐘が鳴らされている。俺は鷹条の腕を引くと、その場から離れた。遠近感が狂う世界のため、どこまで行っても移動した感じがしない。
「どうかした?」
腕を引かれて驚いた様子の鷹条は疑問を口にする。
俺は何と答えたものか逡巡する。嫌な予感がしたから移動した、なんて考えてみたらずいぶんと変だ。でも、そうとしか言いようがない。俺の直感がその場を離れろと言ってきたのだ。
これまでに遊んだゲームでも時折そういうことがあった。
俺は元々ゲーム内では鉄砲玉のように突貫する切り込み役を好んで選ぶことが多い。そして、そういった最初に突撃する役は死亡率が非常に高い。
しかし、俺は何故か生き残ることが多かった。最初に突撃して結局最後まで戦い抜いてしまう、なんてことが起こる度、一緒に遊んでいた佐藤からは「運の良いヤツだな」とよく言われたものだ。
しかし、運が良いのかと言われれば、それだけだとは思えなかった。なんというか、ここに突っ込むと死んでしまう、危険な気がする、という危機察知能力が鋭かったように思う。
とはいえ、深く踏み込み過ぎて、危機を察知した時にはもう遅い場合などには呆気なく死んだりもしたけれど。まあ、嫌な予感などというものは当てにならない。そんなものより、実際に目で見たものをちゃんと吟味して判断する方が格段に大事だ。
とはいえ、今回はこの危険を察知する力に助けられたな……。
俺は空から降ってくる隕石を見ながら心中で呟いた。
鷹条もポカンとした顔をして、空から降ってくる隕石を眺めている。そして、おそらく方角的に俺たちが元居た場所に落ちたことが分かる。爆発と衝撃が俺たちの立つ場所まで届く。危なかった。隕石を視認してから逃げていたら確実に間に合わなかった。
「ありがとう、淵見くん。助かった」
鷹条は驚きを隠せない様子だったが、絞り出すように感謝を述べた。まさか、急に腕を引かれたと思ったら、さっきまでいた場所に隕石が落ちるとは思わないだろう。俺も思ってもみなかった。
ただ困ったことがある。俺の心の中の警鐘が全く鳴り止まないのだ。
「鷹条先輩。たぶん、これから俺は自分の身を守るので必死になる。だから、なんとか頑張ってください」
俺の言葉を聞いて、またもやポカンとした顔を見せる鷹条。とりあえず、意味が分からなくても伝えておくことは大事だ。危険への咄嗟の対応で大事になるのは心構えだ。来ると分かっていれば大体の危険は避けられる。
それから俺は警戒するように周囲を見回した。
「うーん……、無理臭くね?」
嫌な予感は視界に映るマップ全域から感じられた。つまり、逃げ場は無いってことだ。
こうなったら、もうヤケクソだ。さすがにさっきのような初見殺しの隕石はもうないだろう。あとはその場の判断でアドリブ勝負といこう。さあ、かかってこいやー。