おまえのせいだ。
優秀すぎる弟に優し過ぎる周囲の人。
凡人の兄には辛すぎた。
弟よ。久しぶりだな。
いや、ここは宗家様と呼ぶべきか。
第42代鬼神流剣術宗家就任おめでとう。
そして悠真殿との婚姻も決まったと聞いた。
お前は嫌がっていたそうだが結局は受け入れたようだな。
『兄上はきっと帰って来ます』
そう頑なに言っていたようだが、悠真殿もお前との婚姻を望んだとのことで、最後は折れたようだな。何よりだ。
思えばお前と最初に会ったのは10歳の時、俺の母親の葬式だったな。
正妻である俺の母親が死んで、側室であるお前の母親が5歳のお前の手を引いて連れて来たことは今でも覚えている。
憎まなかったと言えば嘘になる。しかし、私の母親は既にそちらの存在を知っており、また死にゆく自分の代わりに私を託したと聞かされては恨み言のひとつも言うことはできまい。
それに、既に剣術修行を始めていた自分はそれどころではなかった。
宗家嫡男として生まれた私は、剣士になる以外の道はなかった。
父から暴力そのものといえる稽古を受け、血反吐を吐いて倒れれば稽古は終了。流派始まって以来最強と言われた父の剣は、正に火を吹くような激しさであった。
私は決して誉められる事は無かった。天才である父から見たら私の剣は児戯そのものだっただろう。
それでも私は、母の『父のような立派な剣士になって』という遺言を胸に、必死に稽古に食らいついていった。いつか父を越える剣士になる。そう思っていた。お前が剣を握るまでは。
8歳になったお前が父から木刀を受け取り、基本の構えをとった時。
その時から私は宗家になる道を捨てた。捨てざるを得なかった。
それくらいお前の構えは完成されていた。
構えを見た時の父の顔は見物だった。
『ようやく巡り会えた』
期待と喜びに満ち溢れた顔だった。
ふと思ったが、その時の自分はどのような顔をしていたのだろう?
父の期待に添えなかったという悲しみの顔か。
父の期待に添うことができるお前を嫉妬する憎しみの顔か。
まあ、今となってはどうでもいい事だ。
その日から私の修行相手は免許皆伝の師範代達となり。
お前は余人を排した道場で父と二人きりの修行となった。
師範代も門弟も何も言わなかったが、皆気付いていただろう。次の宗家は誰になるのかを。
それでも私はひたすらに腕を磨いた。師範代達は皆良い人ばかりだった。
弟より劣る私を励まし、一生懸命に育ててくれた。継母であるお前の母も、分け隔てなく私に接してくれた。
許嫁の悠真嬢も同様だった。毎日傷だらけになって帰って来る私を泣きそうになりながら看病してくれた。礼を言う私に、
『無理はしないで下さい』
と優しく言ってくれた。
だからこそ。自分がこの場所にいることが居たたまれなかった。皆が言葉の最後にこう付け加えた声が聞こえるからだ。
『どうせ弟様にはかなわないのですから』
と。
その時はそれでもいいと思っていた。弟に宗家を譲り、私は悠真嬢と結婚し、師範代として道場を守る。悠真嬢が許してくれるなら別の道を探して生きてもいい。そんな夢を持ち始めた時、私は再度心を折ることになった。
師範代との稽古を終えて母屋に戻ると、朗らかな笑い声が聞こえた。
そっとそちらを見てみると、お前と悠真嬢が仲良く話していたのだ。
私はその時、衝撃を受けた。私はかつて悠真嬢の笑い声を聞いた事があっただろうか?
彼女の笑顔を見たことがあっただろうか?
そう考えた時、私の心は決まった。
その日の夜、私は母が遺してくれた刀を持ち、家から逃げ出した。
もう限界だったのだ。憐れみをかけられるのは。
家を出たものの、剣の腕しかない私は、結局傭兵となる道しか残っていなかった。人も幾人も斬ってきた。お前に劣るとはいえ、師範代には勝てる様になった腕はそう馬鹿にしたものではないらしい。
安心しろ。鬼神流の理念は破邪顕正。その理念に則り今まで戦ってきた。神と母に誓って卑怯未練な行いはしていない。
さて、長々と書いてしまった。今回、私がお前にこのような手紙を書いたのには理由がある。明日、私は死ぬ事になった。
私のような人間にも友ができた。その友の一族が藩主に叛乱を起こす事になった。謂れのない讒言を受けたため、一族の命を懸けて藩主に抗議するらしい。
私もそれに付き合うことにした。明日、藩の軍勢がこの地にやってくる。
友は済まぬと泣いてくれた。それだけで私の死ぬ理由になる。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
この言葉は、燕や雀の様な小鳥には、鴻鵠の様な大きな鳥の志など理解できまい。転じて小人物には大人物の志など分かるまいという意味らしい。
しかし、私はこの言葉を聞いて、逆の意味を思った。
百年の大計を考える人間に、その日暮らしの人間の想いを理解することができるのだろうかと。
剣も一緒だ。努力も無しに山の頂きに登ることが出来る人間に、果たして這い上がる様にして学ぶ人間の心が理解出切るのだろうか?
俺は明日死ぬ。それはお前のせいだ。
勿論、お前は何もしていない。それどころか、今でも私を兄として慕ってくれているだろう。
むしろ、私の胸の内を聞いた今では私が死ぬとまで言うだろうな。
だが死なせない。
今後結婚した時、子供が生まれた時、人生の節目毎にお前はこう思うだろう。
兄が生きていれば、と。
その痛みこそがお前への復讐だ。
後から読んでみれば、これ、某悪鬼滅殺の兄弟のような話ですね。
自分としては、史実の柳生兵庫の息子達、柳生連也とその兄をモチーフにしたものです。恨みたいのに、恨むことすら許さない位優れた弟。兄としてはもうどうしていいか分からなかったのでしょうね。なんか、悪人が出てこない話。