第九十四話 枢機卿の力
気が付けば、目の前には海が見えていた。場所が変わったわけではない。枢機卿様の魔法によって生み出されたものだ。
大量の水は押し寄せるようにして、白銀の騎士たちへと向かっている。その姿は水に隠され確認できない。ただ、見渡す限りに広がる激流から逃げることはできないだろう。
俺は呆然としていた。それはバルドレッド将軍に掴まれていた肩が解放されたのにも気づかなかったほどだ。ちなみに気づいたの理由は単純で、すぐそばで光る褐色の輝きが目に入ったからである。
バルドレッド将軍はいつの間にか両手で斧を持つと天高く掲げていた。斧からは枢機卿様に勝るとも劣らない光が放たれている。その光の強さにまたしても大魔法かと身構えるものの、斧が振り下ろされても魔法は発動しなかった。代わりに褐色の光がさらに大きくなっていく。
「そぉぉおりゃぁぁああ!!」
気合の入った声とともに地面にめり込んだ斧が降り上げられる。そして、その斧を追うかのようにして大地がせり上がっていく。
瞬く間にはるか上空までせり上がった大地は巨大な壁となった。しかもよく見れば土ではない。石の壁である。さらにこの壁も枢機卿様の魔法に負けないほど範囲が広く、もはや水を見ることはできなかった。
壁がゆっくりと傾き、倒れていく。すると、すぐに足音が聞こえてきた。バルドレッド将軍と枢機卿様だ。二人は傾き倒れていく壁を駆け上っていた。
「……えっと、俺たちも行くべきですよね?」
「いや、もう遅いと思うぞ。それよりせっかくの機会だ。しっかりと目に焼き付けておこうぜ」
ロイドさんと話している間にまたしても青い光が輝く。その瞬間、バルドレッド将軍が跳んだ。そして、それを待っていたかのように枢機卿様が魔法を放つ。放たれた水の魔法の向かう先はバルドレッド将軍だ。まるで噴水のように上へと伸び、水の柱となった魔法はバルドレッド将軍を遥か高くへと押し上げていく。
上空へ運ばれていくバルドレッド将軍とは対照的に、枢機卿様はその位置をだんだんと下げていた。傾き倒れていく壁の傾斜はすでに緩い。地面との衝突まで時間はないだろう。
数舜の間を置き、轟々たる地響きが鼓膜を震わせる。
砕けた壁が大小さまざまな石となって土煙とともに舞い上がっていく。
茶色で埋め尽くされた視界では何も見えない。ただ、おそらく枢機卿様は無事だろう。壁が壊れる瞬間、水色の球体が見えていた。水のシールドで全方位防御したのだと思う。俺たちのほうには奇跡的に被害はなかった。もしかしたらそこまで計算された魔法なのかもしれないが。
体感で十秒も経っていないころ、何も見えないはずの視界で三度目の青い輝きを目にした。何かがはじけた音が聞こえると、そのあとすぐに衝撃波を体に受ける。よろめいてしまうものの、倒れるほどではない。払われていく土煙を見るに、攻撃ではなく視界確保のためのものだったのだろう。
開かれた視界の先、見えた白銀の騎士たちはボロボロだった。装備はなく、両腕も砕け散っている。下半身もひびだらけの状態だ。しかし、まだ動いてはいる。加えて、白銀の騎士たちも褐色の光を放ちはじめていた。
白銀の騎士たちの光が強くなる。
光が溢れんばかりに輝きを増したとき、褐色に輝く隕石が落ちてきた。
再びの轟音。耳を劈くような爆音と衝撃波が俺たちを襲い、砂塵が舞う。続いて飛来してきた大量の石に思わず身を伏せる。
隕石の正体はバルドレッド将軍だ。あまりの輝きと速度でそう見えてしまった。ただ、その破壊力は本物の隕石と比べても遜色ないだろう。
「……すっげぇ威力だな」
「……そうですね。正直、あの二人で魔王倒せたりしません?」
「俺も話に聞いただけだけどよ。先代の魔王ってのはあの二人でも歯が立たなかったらしいぞ。今回のがどれだけ強いかわかんねえけど、弱いってことはないだろうな」
「あの二人で歯が立たなかったって……」
正直、あの二人に勝てる気がしない。いや、破壊の力を暴走させれば倒せはするだろう。ただし、殺してしまううえに俺自身は確実に再起不能になる。ほぼ相打ちでしか勝てないなら、それより強いと思われる魔王に勝てるのか不安になってしまう。
……それでもやらないとな。破壊の力ならまともに当てられれば何とかなるはずだ。……たぶん。
舞っていた砂塵が落ち着き、周りが見えるようになる。
後ろを見るとアリシアと目が合う。軽く頷き、互いの無事を確認する。フルールさんもアリシアが守ってくれたようで被害はなさそうだった。
続いて前方に視線を移す。まず目に入ったのは巨大なクレーターだ。次に腰をトントンと叩いているバルドレッド将軍。近づいていくと、最後にはバラバラになった白銀の騎士たちが見えてくる。頭が無事の個体は一体しかいない。他二体は先ほどの攻撃で核まで壊れたようだ。
俺たちよりもクレーターに近い位置には枢機卿様の姿も見えた。枢機卿様はクレーターの中へと入っていく。その手に持つ杖はまたしても青く輝いている。
瞬間、一本の青い線が奔った。同時に甲高い音が辺りに響く。
唯一形が残っていた白銀の騎士の頭には、一瞬で水で出来た槍のようなものが刺さっていた。
水の槍が引き抜かれる。すると、その先端には核が内包されていた。復活できないように取り出したのだろう。そう思ったものの、ようすがおかしい。よく見れば核は溶けるようにして小さくなっていた。そして瞬く間に消えてしまう。
……今のはただの水じゃない? もしかして水属性は強力な酸とかも出せるのだろうか?
「俺も初めて見たが、あれがルールライン様の水属性魔法だ。今見た通り、水を様々な種類の液体に変化させることが出来るらしい。普通、派生で出来ても氷ぐらいなんだけどな。さすがはルールライン様だ」
「……ちょっとびっくりしてます。あんな魔法があるなんて思ってもみませんでした」
「まぁそうだよな。でも、基本の魔法も極めれば強いぞ。バルドレッド将軍みたいにな。あのでかい壁もシールドの魔法だろうし、落下だってオーラ型の魔法だ。それであの威力なんだから恐ろしいもんだよ」
いつの間にか立ち止まっていた俺たちのところにバルドレッド将軍たちが歩いてくる。戦闘は俺たちの出る間もなく終わってしまった。
もしかして、ヴァンハルトもバルドレッド将軍が戦ってれば倒せたのだろうか? いや、だったらはじめから自分が出るっていう人だ。たぶん事前に伝えてた魔法を反射する魔道具を警戒してたんだと思う。バルドレッド将軍の魔法は基本的に大規模だ。万が一にも跳ね返されたら被害が大きすぎる。
小さくため息をつく。
「ん? どうした?」
「いえ、もう少し早くヴァンハルトの反射の魔道具が壊れている可能性に気づくべきだったなと。そうすればバルドレッド将軍が戦いに参加できて、倒せてたんじゃないかなって」
「それを言っても仕方ねえよ。切り替えろ。全員無事だったんだ。それに逃げてくれたから分かることもあるしな」
ロイドさんの曰く、ヴァンハルトの逃げた痕跡を追うことができるらしい。フルールさんが見つけられていなかったとしても拠点を探せるだろうとのことだ。
バルドレッド将軍たちと合流し、アリシアのもとへ戻る。
「ふむ。フルールくんはまだ目覚めてないか……しかし、時間がない。すぐに移動する」
「バルドレッド将軍、上で何か見えましたかな?」
「土の騎士の大群じゃ。かなり距離はあったが、こちらに向かってきておった」
「なるほど……あの魔族が消極的だったのは物量で攻める手筈があったからですか。魔力もだいぶ使ってしまいましたので、ここは急いで移動しましょう。ロイドくん、足取りは追えますね? 可能ならば、追跡しながら休憩できそうな場所を見つけてください」
ロイドさんの良い返事とともに移動を開始する。俺はフルールさんを背負うと、アリシアと二人で最後尾を走るのであった。
しばらく進み、辺りに敵の姿が見えなくなったころ、ロイドさんから休憩を言い渡される。どうやら振り切ったようだ。
「ここで休憩にしましょう。俺は偵察をしてきます。ツカサ、こっちの警戒は頼んだぞ」
「はい、任せてください」
ロイドさんを見送り、フルールさんを下ろす。ほかのみんなも腰を下ろし、体力の回復に努めている。
各々で携帯食料を食べ、水分も補給していく。走り続け疲れたせいか全員無言だ。
食事が終わると、誰ともなく大きく息を吐いた音が聞こえた。俺もそうだが、腹が満たされたことで少し心に余裕ができたのだろう。
「あ、フルールさん!」
アリシアが声を上げた。その声に反応して、木を背にして座らせたフルールさんのほうを見る。すると頭を振っているのが見えた。目覚めてくれたようだ。
「ここは……みんな? ……どうやら助けられたようね」
「フルールさん、痛むところはありますか? 違和感があるようなら、もう一度魔法をかけます」
「いえ、大丈夫よ。痛みはないし、体力も回復している。ありがとう」
フルールさんが目覚め、枢機卿様たちと合流したことや今の状況を伝える。フルールさんからも拠点捜索の結果を聞いていく。その結果、拠点はそのものは見つけていないがヴァンハルトを発見し、尾行していたことを知った。
「途中まで上手くいってたんだけどね。あの魔法陣からの光でバレて全部台無し。あの男が強いのは一目見てわかったから逃げたんだけど、結局逃げ切れなくてね。それでもなんとか戦いながら移動して……そのあとの結果はみんなの知ってのとおりよ」
尾行をしていたときの位置はここの近くらしい。上手くいっていれば拠点も発見できていただろう。ただ、ヴァンハルトの歩いていた方向などは覚えているとのことだ。フルールさんの情報とロイドさんが持ち帰る情報次第では、ある程度特定できるかもしれない。
ちなみにロイドさんや枢機卿様は、空の魔法陣が指し示しているのが俺たちだとすぐに気づいたらしい。そのときには森に入っていたと聞くので、魔法陣から出ていた四つ目の光はロイドさんたちを示していたようだ。
魔法陣の役割に気づいたロイドさんたちは一番遠い光、フルールさんの動き方がおかしいと思い、そこを目指したという。土の騎士たちは俺やアリシアたちに集中していたらしく、ロイドさんたちはあまり敵に邪魔されることなく進めたとのことだった。
いまだ空の魔法陣は存在したままだが、光は最初に比べると弱くなっている。今ではただの薄暗い照明だ。明るさが落ち、食事を取ったせいか眠気が押し寄せる。そして、それは俺だけではないようだった。
「みんな少し仮眠して頂戴。警戒は私がするわ。今起きたばかりだから元気だしね」
「では、私も見張りをしましょう。後発組の私とロイドくんは皆さんのおかげで道中は楽でしたからね。まだまだ余裕があります」
俺とアリシア、そしてバルドレッド将軍の三人で顔を見合わせる。全員が眠そうであり、顔に疲れが出ていた。俺たちだけ寝るというのは悪い気もするが、否定の意見は出てこない。三人の意思は同じようだ。
疲れもあってか、バルドレッド将軍は礼を言うとすぐに眠りに入った。俺とアリシアも二人に感謝を述べると、木の幹に背をつけて眠る体勢をとる。
目を瞑ると意識はすぐに沈んでいく。
もしかしたら、この世界で眠るのはこれが最後かもしれない。眠る寸前に俺はそんなことを思うのであった。
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