第七十四話 ドルミール
ドルミールと名乗った謎の人物は、こぼれたお茶を拭くために食器を自分の前に移動させている。アリシアは用意された布でテーブルを拭き、俺は手伝いながらも思い出すために頭をひねっていた。
『……ドルミール。こんなところに、まだ生きていたなんて。なるほど、だから……』
突然、カルミナの呟くような声が聞こえてきた。途中から聞き取れなくなったが、何かぶつぶつと喋っているのはわかる。
珍しい。というよりもこんなカルミナは初めてだ。カルミナも知ってるみたいだが、ドルミールさんは一体何者なのだろうか。
「フフ、お嬢ちゃんはボクを知ってるみたいだケド、キミは知らないみたいだネ?」
「えーと、はい……すみません」
「ツカサ様、ドルミールの安眠薬を覚えていませんか? あの薬や今ある魔道具のほとんどを作った言われているのがこの方です」
「ドルミールの安眠薬……あっ!!」
思い出した。どこかで聞いたことのある名前だと思ったら薬の名前だ。
……あれを作ったのがこの人? たしか昔から使われてる薬だよな。それにカルミナも”まだ生きていた”って言ってたし、この人は何歳なんだ?
『……ツカサ、今すぐ攻撃を。ドルミールは百年以上前の人物です。もはや普通の人間ではないはず。仕掛けられる前に先手を打ってください』
まだ何もしていない人に対して攻撃を仕掛けろとは随分と過激な発言だ。当然、攻撃する気はない。聞けていないこともあるのだ。敵だとしても、仕掛けるにはまだ早い。
『……ドルミールは特殊属性”創造”を持っています。たとえ言葉どおり本人に戦闘力がなくても、戦えば苦戦は免れないでしょう。油断している今が絶好の機会です。ツカサ、決断してください』
決断はしている。意思は変わらない。俺は攻撃せずに話し合いを続けるつもりだ。それにしても、カルミナが少しおかしい。焦っているように感じる。それだけドルミールさんは脅威なのだろうか。
「ツカサ様も思い出したみたいですね。でも、ご存命だとは思っていませんでした」
「まァ、動けるようになったのが最近だしネ。それまでは体を冷凍して眠ってたンダ。賭けに近かったケド、目覚めることができてよかったヨ」
体を冷凍……コールドスリープみたいなことをしてたってことか? 創造の力もあるんだろうけど、この人だけ発想も技術も飛びぬけてるみたいだ。
ドルミールさんの名前からいろいろなことがわかった。しかし、本命の封印についてはまだ不明のままだ。それにアリシアは打ち解けてしまい、俺の名前を呼んでしまっている。名前が魔族に伝わってる危険性も考えれば、ここは強引に話題を変えてでも早めに封印について聞いておきたい。
アリシアたちの会話に混ざろうと口を開きかける。そのとき、ドルミールさんが俺のほうを見て小首を傾げた。
「キミのペンダント、それは魔道具カナ?」
ドルミールさんが俺のペンダントを指している。
何故バレた?
動揺したせいか思わず視線を下げてしまう。すると、小さく光を放つペンダントが目に入る。
カルミナ?! まさか!
とっさにペンダントを握り、魔法の発動を防ごうとする。しかし、握るより早く目の前に一本の光の矢が出現してしまった。
光の矢は現れると同時にまっすぐ突き進んでいく。ドルミールさんにではない。その手前の食器に向かってだ。
「伏せろ!」
家の中で落雷が落ちたかのような轟音が響き渡る。目の前は白く染まり、俺の体は爆風で大きく吹き飛ばされていく。
威力が高すぎる! これじゃドルミールさんは……
壁に衝突し、息が漏れる。そして図らずも同じ場所に飛んできたアリシアのクッションとなり、二人で床へと倒れ込む。
「……アリシア、無事?」
「すみません。私は大丈夫です。それよりドルミールさんは……」
家の中は悲惨な状況だった。
少し大きめだったテーブルや椅子は跡形もない。それどころか爆発のあった向こう側は家がなくなり、倒れ焼け焦げた木々が見えている。
そして爆発の起こった中心には、ドーム状の光に守られ傷一つないドルミールさんの姿があった。
……無傷? カルミナの魔法は、たぶん食器を指向性の爆弾に変えたんだと思う。その威力は外の森まで届くほどだ。それをあのタイミングで完璧に防ぐなんて……
「……さすがにびっくりしたヨ。アァ、この家はもうだめそうだネ」
『声や音から位置を推察したのですが、魔道具で防御されたようですね。あの威力で防がれると思いませんでしたが……しかし、周りの結界は吹き飛ばせたようです。私にもドルミールの姿が見えるようになりました』
カルミナはいつもの冷静な口調に戻っていた。ただ、直前の行動から心の中まで冷静だとは思えない。
たしかにドルミールさんの力は驚異的だ。それはカルミナの攻撃でわかった。いずれ敵対する可能性もある。けど、勝手に不意打ちをするのはやりすぎだ。
『ツカサ、これが最善でした。ドルミールはあのとおり、いつでも魔道具を発動できるのです。あれ以上話し込んでいれば、知らずに無力化されていたでしょう』
カルミナの言うことは結果論であり、可能性の話でしかない。何よりドルミールさんの名前を知ってから、執拗に攻撃を加えようとしていた気がする。無理をしなければ魔法を使えないと言っていたのに躊躇したようすもない。そのことを考えればかなり怪しく、何かを隠しているのかと思ってしまうほどだ。
「ドルミールさん! 無事だったんですね! よかったです」
「お嬢ちゃんたちも無事みたいだネ。しカシ、今のはいったイ……故意に発動もさせていないのはわかル。ただあの魔法は普通じゃなかっタ。暴走というには狙いも効果も正確ダ。まるで魔道具が意思を持っているようナ……」
ドルミールさんは途中から自分の世界に入り込んでしまったようで、ぶつぶつと呟きながら考え込んでいる。
今、狙われたばかりだというのに隙だらけだ。とはいえ、俺に攻撃する意思はない。そして、今度はカルミナにも攻撃させないように、ペンダントを首から外して握り込む。
「ツカサ様……そのペンダントは大丈夫なんですか? たしか一度壊れてましたよね。もしかしたら完全に直ってないのかもしれません」
「そんなことは……いや、そうかもしれない。これはしばらく首にはかけないようにするよ」
アリシアはペンダントが壊れた影響だと思っているようだ。女神から貰い、何らかの力が宿っていると考えている以上そう思っても不思議じゃない。これは中途半端にしかペンダントの説明をしてなかったせいだろう。
すぐにでも説明するべきだろうか? ……ダメだ。魔族側のドルミールさんがいる。さすがに女神のことを聞かれるわけにはいかない。
「そうカ! なんてことダ……まさか目の前にいたなんテ」
「ドルミールさん?」
「久しぶりだネ。前にあったのは百年以上前カナ? そういう形をとってるトハ、驚いたヨ」
『私の存在に気づきますか。やはり厄介な相手です。ツカサ……過去のことにとらわれ感情的になり、勝手なことをしたのは謝ります。しかし、ドルミールはツカサたちが思っているより危険な相手なのです。どうか力を貸してください』
過去、二人の間に何があったのだろうか? 当時を知らなければ、どちらが悪いのかも判断できないけど……カルミナがここまで言うのも珍しい。ドルミールさんはそんなに危険なのか……?
「出来ればこの場で捕らえたかったケド、さすがに準備が足りナイ。それにきみが勇者なんだよネ? 戦いになったら分が悪すぎル。ここは引かせてもらうヨ」
「ツカサ様、ドルミールさんはいきなり何を言いはじめたんですか……」
「詳しくはあとで話す。今はドルミールさんが逃げるのを止めないと」
誤魔化すように言葉を残し、走り出す。
ドルミールさんはまだその場にとどまっている。ただ、その手には先ほどまでなかった球のようなものを握っていた。
「ヤレヤレ、修復中で使うことになるとはネ。ほかに手持ちがないとはいえ残念ダ。あァ、安心しテ、殺しはしないヨ。キミが勇者なら特殊属性を持ってるだろうからネ。デモ……二度と立ち上がれないぐらいの傷は負ってほしいナ」
その言葉とともに、ドルミールさんは足を踏み鳴らした。同時に大地がせり上がる。
現れたのは俺より少し背の高い、土で出来た騎士のような見た目の人形だ。剣と盾を装備している。そしてドルミールさんは、その人形の心臓付近に持っていた球を埋め込んでいるようだ。
間に合え! ドルミールさんが作ったのもなら、あの人形が普通であるはずがない。それにあの球が心臓のように脈動してるのが見えた。何かはわからないが嫌な予感がする。
剣を抜きながら走る速度を上げていく。
人形は淡く発光している。
その人形へ跳びかかり、上から叩き潰すかの如く剣を振るう。
瞬間、人形から光が溢れた。
俺の視界は真っ白に染まる。
そして辺りには甲高い音が鳴り響いた。
音の正体は俺の剣が人形とぶつかった音だろう。振り下ろした剣には当たった手ごたえもある。ただ、その音は土で出来た人形にしては少しおかしい。そう思うものの、理由はすぐに分かった。人形はその色を白銀に変え、金属のような見た目に変化していたからだ。
後ろへ跳び、人形を視界に入れながらもドルミールさんを探す。しかし、その姿が見つからない。
「それは白魔の銀鉄っていう金属だヨ。ボクが創造したものだかラ、女神でも対処法はわからないハズ。その人形、手加減はするはずだケド、死なないように気をつけてネ?」
「上です! ドルミールさんは空中にいます!」
アリシアの声で上を見れば、空中に留まるドルミールさんの姿が見えた。目が合うとニコリと笑い、身を翻して飛びはじめる。飛んでいく先は封印の魔法陣の方角だ。
空を飛ばれては対処できない。幸い飛ぶ速度は普通の人が走る程度のようであり、シュセットなら追いつけるだろう。ただ、そのシュセットは見当たらない。位置関係的にさっきの魔法には巻き込まれてはいないはずだ。驚いて避難してるだけだとは思うが、少し心配ではある。
「ツカサ様、まずは騎士の人形を倒しましょう」
「ああ、接近戦は俺がやる。アリシアは遠くに避難しててくれ」
「わかりました。でも、危ないと思ったら助けに行きますからね!」
「そのときは頼むよ。そうならないように気を付けるけどね」
『援護は任せてください。まずは白魔の銀鉄という金属を観察し、解析してみます』
今回、こうなった原因はカルミナだ。過去の因縁らしいが独断専行をしていい理由にはならない。その結果、封印については聞けずじまいである。あまりにも突然であり、わざと会話を打ち切ろうとしてるのかと思ったほどだ。
正直、少しイラついている。おかげで軽い頭痛までしてくる始末だ。とはいえ破壊の力を持っている以上、怒りの感情は抑えないといけない。このままに戦えば、すぐに狂戦士状態となってしまうだろう。そうなったらアリシアまで巻き込むような攻撃してしまう可能性が高い。
……だから、今は抑えないと。カルミナのことはあとでいい。目の前の敵に集中するべきだ。
大きく深呼吸をし、ゆっくりとした動作で剣を構え直す。落ち着いてきた影響か頭痛も波が引くように消えていった。
改めて正面を注視する。視界に映るドルミールさんが作り出した人形は俺に合わせるようにゆっくりと剣を構えていた。人が入っているのかと疑いたくなるほどの佇まいだ。そのうえ隙が見当たらない。土から金属に変わったせいもあるが、人形がまるで本物の騎士のように見えてしまう。
攻め手が見つからず、動くことができない。だがこの騎士の人形を手早く片付けないとドルミールさんに追いつくのが難しくなる。だとするならば、多少強引にでも攻撃を仕掛けてみるしかないだろう。
覚悟を決め、魔力を集めはじめる。騎士の人形は相変わらず動く気配がない。そのようすに先手は取れると確信する。だがそう思った直後、俺は目を見開いてしまうのであった。
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