第七十二話 出立
シュセットの背に乗り、荒野を走る。前方にはうっすらと緑が見えてきていた。森に入ってしまえば、目的地までもう少しのはずである。
エクレールさんと教皇様が行方不明となってもう十日以上。ブルームト王国はまだ混乱しているだろう。そんな中でもバルドレッド将軍は俺たちの事情を酌んで旅へと送り出してくれた。そのことについてはもちろん感謝している。ただ、俺としてはそれ以上に申し訳ないという気持ちのほうが大きい。
結局、バルドレッド将軍にはあとのことをすべて任せる形になってしまったのだ。俺がいたところで役に立つとは思えないが、忙殺されているバルドレッド将軍を見てしまった以上、申し訳ないという気持ちのほうが強くなってしまった。
それでも急いで旅に出た理由。それは可能な限り早く、発動してしまった封印を壊したかったからである。おそらく利害が一致していたのだろう。バルドレッド将軍としては封印を破壊することで下がってしまった士気を上げたいという思いがあるようだった。
ブルームト王国軍、冒険者も含め、現在の士気はかなり低い。理由はゼルランディス暗殺作戦が明るみに出たことにある。さすがにエクレールさんと教皇様がいなくなるという事態に隠し通すことはできなったらしい。
重要人物二人がいなくなるという事態ではあるが、フルールさんの救出には成功している。ポーラ姫、偵察部隊の隊長も一緒だ。ただ、三人とも眠り続け目覚める気配はなく、あの日何が起きたのかを聞くことはできなかった。怪我自体は軽傷だったため、命に別状はないというのが唯一の救いである。
そしてもう一つ、城を取り戻すことにも成功していた。これはゼルランディスも消えていたことが大きい。ゼルランディスとの距離が離れたせいなのか、一部を除いて城の兵は気絶しており、血を流すことなく取り戻すことができたという。
ゼルランディスが消えたことについてはカルミナにも確認してみた。結果、行方はわからないとのことだ。ただ、死んではいないとも言っていた。特殊属性の使い手が死ぬとカルミナにはわかるらしい。
消えたゼルランディスは死んでいない。だとするならば、エクレールさんたちは逃げたゼルランディスを追っている可能性もある。しかし、転移できる教皇様とエクレールさんが一緒で捕らえられないというのは考えづらかった。二人の生存について希望は捨てていない。しかし、大多数の人は絶望してしまっていた。
せめてカルミナにエクレールさんの状況を見るように頼んでおけば、何が起きているのか把握できただろう。そうすれば教皇様が転移する前に状況を伝えることができ、結果は変わったかもしれない。そう思ったがそのときはそれが出来ない状況でもあった。すべては俺の力が足りないせいだ。
教皇様が転移でエクレールさんを迎えに行ったとき、俺とカルミナが何をしていたかというと、アリシアの封印を弱め変化させるという作業をしているところだった。
結局のところ俺は破壊の力を高めること、多少の応用は出来るようになったが封印の破壊には至らなかったのだ。そのためカルミナの提案により、封印を変化させることになったのである。
カルミナ曰く、封印は大部分はアリシアにかかっているものの、そのアリシアの体を通す形でカルミナにもわずかにかかっているらしい。そして封印の変化というのは、アリシアにかかっている大部分の封印をカルミナへと対象を変えることによって負担を減らそうというものである。ただ、そのまま対象を変えてカルミナが封印されては意味がない。そこで俺の破壊で封印を弱らせるという処置が必要になってくる。
訓練の成果として、封印の破壊はともかく弱らせることぐらいは出来るようになっていた。問題は封印がすぐ修復されるということだ。弱らせてすぐに変化をかけねばならない。もっとも、カルミナの魔法制御や発動速度はさすが女神といったところで、封印の変化のほうは何も問題なく成功することができたのだった。
「ツカサ様、あそこを見てください! けもの道が出来てます。あの道ならシュセットちゃんも進みやすいかもしれません」
「わかった。じゃあ、あっちに行ってみよう」
結果、アリシアは目覚めた。そして、慌ただしい状況だったために、エクレールさんことがすぐに耳に入ってしまう。
アリシアは声を上げずに静かに涙を流していた。
涙を流す気はなかったのだろう。すぐに気丈にふるまっていたが、それでも涙は止まらず、いくら拭っても溢れては零れ落ちていく。そして、それがより一層悲しげに見え、俺は声をかけることが出来なかった。
目覚めたばかりのアリシアの体調は完璧ではない。カルミナの診断によると動けはするし、魔力はかなり減ってしまったそうだが、日常生活を送る分には問題ないとのことだ。
そんな病み上がりのアリシアを旅に連れてきている理由。それは、封印が修復されることが原因だ。変化で対象を変えているものの、封印自体はアリシアにも残っている。そのため、近くにいて定期的に破壊の力をかける必要があるのだ。
「シュセット、行けそう?」
森の中は草木が生い茂り、けもの道とはいえ歩きにくそうだった。しかし、シュセットは鼻を鳴らし、問題ないといわんばかりに進んでいく。
旅の目的地。それはザバントスと戦ったときに光が立ち昇った封印の地だ。発動しているとはいえ、今の俺のなら壊すことができる。壊せば封印はなくなり、アリシアやカルミナは解放されるはずだ。
正直なところ、戦力的にはかなり厳しい。だが、すぐに動けるのは俺たちしかいなかった。そして、封印は早めに壊す必要がある。アリシアたちだけのことだけでなく、カルミナからは魔王が動いた形跡を発見したとも聞いているからだ。もしかしたら近いうちに遭遇する可能性もあるだろう。その可能性があるならば、万全の状態にするためにも封印の破壊は必須であった。
森の中を進む。シュセットは馬車に繋いでいない。二人旅なら必要ないと判断してのことだ。馬車がない分、走らせなくても速く進んでいくが、木や雑草ばかりで目新しいものは見つからない。
「……ツカサ様、何かおかしくないですか」
「おかしい? 特に何も感じないけど……何か見つけた?」
「いえ、見つけたというより、見つからないのが変です。静かすぎます。魔物もそうですけど、動物や昆虫すらいないのはおかしいと思って……」
たしかに、言われてみれば一度も見ていない。荒野を走っているときは鳥が飛んでたし、休憩中には虫もいた。けど、森に入ってからは植物以外は確認できていない。それに今進んでいるのは、けもの道だ。道を作った存在がいないとおかしいことになる。
シュセットに止まってもらう。アリシアと二人で集中し、当たりの気配を探る。
「……ダメだ。物音一つ聞こえない。俺のわかる範囲じゃ気配も感じない」
「私もです。少なくともこの近く生物はいないと思います」
二人でダメならいないと思いたいが、念には念を入れておく。
俺はペンダントに触れると軽く弾いた。
『話は聞いていました。私も観察してみましたが、この辺り一帯に生物がいないのはたしかです。奇妙ではありますが危険はないでしょう』
カルミナの観察でも生き物は見つからなかったようだ。腑に落ちない点もあるが、周囲に何もないのは確定だろう。
ちなみにペンダントを弾いたのはカルミナへの合図だ。話しかけなくても反応してもらえるように、いくつか合図を作っておいたのである。
実のところ、アリシアにはまだカルミナの存在を打ち明けていない。封印のことは説明したのだが、カルミナについてはなんとなくタイミングを逃してしまっていた。
そのカルミナについてだが、以前よりは信頼している。これまでのサポートも助かっているし、自分からアリシアの封印を引き受けると言ってくれたのだ。もちろん記憶を変えられたことは忘れてはいない。ショックも大きかったが、それも俺を思ってのことだ。少しは信じてもいいのではと最近は思いはじめていた。
森の奥へと進んでいく。
シュセットも軽快な足取りであり、かなり深いところまで入ってきたはずだ。まだ日は高いが早めに野営の準備をしたほうがいいだろう。
「そろそろ野営できる場所を探そうか」
「はい、これだけ何もいないなら野営は楽かもしれませんね。贅沢をいえば水辺があるといいんですけど」
「けもの道があるぐらいだし、どこかに水があっても――」
不意にシュセットが止まった。鼻をひくひくさせ、顔を左右に動かしている。何かを探しているようだ。
「ツカサ様」
「うん、そうだね。シュセット、何か見つけた? 好きに動いていいよ」
シュセットは賢い馬だ。危険な場所なら避けるだろう。それに何より、シュセットが足を止めてまで興味を示したものだ。それが何なのか気になってしまう。
俺の言葉を受けてか、シュセットはゆっくりと確かめるように歩きだす。
けもの道からは外れ、茂みの中を突き進む。
しばらくすると歩みは速くなる。そのころには確かめるそぶりも見せなくなっていた。シュセットはもう確信を持っているのだろう。何があるか楽しみであり、念のため警戒もしておく。
さらに進み、開けた場所にでる。そこが目的地だったようで、シュセットはその脚を止めた。
「……あれは……何でこんなところに?」
「ツカサ様? 何が見えたんですか? 私にも見せてください!」
アリシアが後ろからのしかかるようにして体を密着させてきた。俺の肩口から頭を覗かせ、前方を見ている。
……距離が近い。もともと警戒心は少なかったと思うけど、旅を続けているうちにその少ない警戒心すらなくなったみたいだ。男として見られてないというか、そもそもアリシアはそういうことに疎い見たいだけど……これ以上近くなると俺の身が持たない。
俺はアリシアに意識がいかないよう全神経を集中して前方の確認をする。
見えているのは家だ。丸太を組んで造られている。ぽっかりと開いた空間はこの辺りの木を使っているせいかもしれない。
「あれって、家ですよね? シュセットちゃんが反応したってことは、もしかしたら人が居たりするかもしれませんね」
たしかにいくらシュセットとはいえ、この位置の建物は見えなかったはずだ。木で造られていることから家の匂いを判別しとといいうこともないだろう。だとしたらアリシアの言うとおり、人の匂いに反応した可能性が高い。
戦闘の可能性も考慮し、二人ともシュセットから降りることにする。
『ツカサ、突然ですみませんが確認したいことがあります。二人の会話から前方には家があるとのことですが、それは本当ですか? 本当ならばペンダントを弾いてください』
カルミナからいきなり声がかかった。その内容も少し不思議だ。前に見える家はそこまで距離が離れているわけではない。開けた場所でもあるのだが、カルミナからは見えにくいのだろうか。
特に躊躇することもなくペンダントを弾く。
『……そうですか。ツカサ、よく聞いてください。少し前この森を観察したとき、この場所も観察範囲内でした。しかし、家の発見は出来ていません。そして、今もなお私の目に家は映っていないのです』
思わず動きが止まる。顔を動かし、全体を見るようにしてもう一度前を確認していく。
しかし、変わらず家は存在している。おかしなところはどこにもない。
カルミナには見えない? 一体どういうことだ?
「ツカサ様? どうしました?」
「いや、何でもない。……アリシア、降りてもらったところ悪いんだけど、いつでも逃げれるようにシュセットに乗ってて。もしかしたら、ヤバいのがいるかもしれない」
「え? は、はい。わかりました」
アリシアの体調が万全ではないとはいえ、そこらの魔物なら戦っても問題ない。人であっても一般的な将軍ぐらいまでは大丈夫だ。だが、この場所は魔族の拠点、それも封印の地に近い。そして、カルミナが観察できないとなると話は変わってくる。魔族の可能性も出てきたからだ。
何も感じないが、おそらく結界が張ってあるのだろう。直視で見えるのに、カルミナからは確認できないというのは女神対策をしてる事にほかならない。万が一魔族でないにしても、相当な実力者のはずだ。油断はしない。最悪の場合はアリシアだけでも逃がしてみせる。
最大限まで意識を研ぎ澄ます。いつでも動けるように体勢を整え、剣の柄に手をかける。するとそのとき、扉が開きはじめた。
軽い音を立て、扉はゆっくりと開いていく。
隙間からは手が見えている。やはり人が居たのだ。剣はまだ抜いていないが、体を沈ませ、抜き打つ準備はできている。相手の出方次第では躊躇せずに斬りかかるつもりだ。
「おヤ? 人が居ル。珍しいことダ。こんな場所にキミたちは何の用カナ?」
姿を現したのは奇妙な出で立ちをした人物だ。不思議な声で喋り、小首をかしげている。まるで警戒していない。隙だらけだ。そのようすに俺は思わず毒気を抜かれてしまうのであった。
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