第三十九話 襲撃
宿の二階、窓からは複数の兵士の姿が見える。
すでに辺りは暗い。しかし、街の明かりのおかげで派手な服の色は確認することができた。
赤い服だ。
全員ではない。赤い服、赤の教団だと思われるのは二人。
その二人がほかの兵士に指示を出しているように見える。
この部屋の窓から見えるのは正面だけ。裏がどうなってるのかはわからない。
裏のようすがわかるのはアリシアたちの部屋のほうだ。
部屋の扉が開き、偵察に出ていたフルールさんたちが戻ってくる。
フルールさんは一階のようす、アリシアは裏の確認をして来てくれていた。
「一階は少し人が増えていたぐらいね。騒ぎは起きてないし、外のようすにも気づいてなさそうよ」
「宿の裏は人が動いているのが見えました。ただ、表と違って明かりがないので人数まではわかりません」
「俺のほうは変わりなしで、連中はまだ宿の正面をうろついてます。気になるといえば人通りが少なくなってきたぐらいです」
最初にフルールさんが赤の教団を発見してからそれなりの時間がたっている。
発見したときはすぐに警戒した俺たちだったが、赤の教団は動きを見せなかったため、情報収集に切り替えていたのだ。
集まった情報を整理し、検討していく。
まず、あいつらの目的が俺たちかどうかだ。
ブルームト王国の道中で遭遇したオルデュール。こいつが国に着いたのは今日だ。
オルデュールの命令で赤の教団が動いたとしても、俺たちの存在を知って居場所を突き止めるまでが早すぎる。
「狙いは俺たち以外、この宿はたまたまってことはないですかね?」
「その可能性を信じたいところだけどね。嫌な予感がするわ。いつでも出れるように準備はしときましょう。アリシアちゃん、どう?」
「できました! 前の道具袋より大きくて丈夫なのでちょっと重いですけど、中の物も壊れにくくなってるはずです」
今日買った中に道具袋もあったようで、アリシアは回復薬などを詰めてくれていた。
全部は持っていけないが、三人で手分けすれば半分ぐらいは何とかなるだろう。
「二人とも荷物を持った? 準備ができたら外に出るわよ」
「出るって……どこから出る気ですか? 一階の入り口はもちろん、窓からでも見つかりますよ」
「ええ、そうね。だからそこから出させてもらうわ」
そういってフルールさんが指をさした場所は壁だった。
当然、開くようにはできていない。隠し扉でもない普通の壁だ。ただ、俺の部屋は角部屋なので壁の向こうは外ではある。
……もしかして。
まさかとは思いつつ視線を壁からフルールさんに戻し、確信してしまった。
壁を壊す気だ。
フルールさんの手には刃の薄いナイフが握られていた。そして、おもむろに壁に近づくと素早くナイフを振るっていく。
ナイフによる斬撃は三回。壁を斬りつけたというのに微かな音しかしない。フルールさんの技量の高さが窺えた。
壁には三角形に切った跡が残っている。ここから出るのだろう。
まずは部屋の明かりを消し、光が漏れないようにしておく。そして、三角形に斬られた壁を静かに外し、見つからないようにベットの中に隠す。くり抜かれた壁は屈めば充分通れる大きさだ。
壁の先は暗く、遠くまでは見通せない。ただ、方向的にこの先はシュセットがいる馬小屋だったはずだ。
場所を交代し、フルールさんが外を見る。夜目が効くフルールさんの言葉によると見張りはいないらしい。
「連中が仕掛けてくるとしたら人気がなくなってからのはずよ。今のうちに二人はここから出て屋根の上で待機して頂戴。私はこの部屋には罠を仕掛けたあと、シュセットのほうへ行って馬車の準備をするわ」
「もし狙いが俺たちなら罠が作動するってことですね?」
「ええ、罠が作動したら強引にでもこの国から逃げるわ」
行動を開始する。
俺とアリシアは壁を抜け、ナイフを使って屋根へとよじ登っていく。
二人とも屋根に上ったころにフルールさんが壁から出てきた。
そのまま微かなでっぱりを利用して壁を降り、すぐさま暗がりに姿を消していく。
「あとは罠が作動するかどうかだね」
「はい、壁の穴を注意深く見ておきましょう」
フルールさんが仕掛けた罠は煙玉だ。
事前に聞いた方法は扉の上に短い紐を挟む。そして紐の先に煙玉をくっつけるという簡単なものだ。
あとは扉が開けば、煙玉が落下して壊れ、部屋中に煙が蔓延する。煙は壁の穴からも確認できるほど広がるとのことだった。
集中を切らさないように待つ。
屋根から見える範囲では正面の道に人通りはなくなっていた。いつ来てもおかしくない状況だ。
耳も澄ましてはいるが、何も聞こえてはこない。
沈黙の時間が続く。
…………来ない。狙いは俺たちじゃないのか? 一度ようすを見るべきかもしれない。
アリシアと相談しようとしたとき、下から何か聞こえたような気がした。
屋根にへばりつくようにして耳を澄ます。すると扉を勢い良く開ける音、誰かの声、そして甲高い何かが割れる音が連続して耳に入ってきた。
慎重に屋根から顔を出し、壁の穴を注視する。
微かであるが煙はすぐに確認できた。煙の量は時間とともに増え、勢いを増してきている。
「アリシア、行こう」
小さな声でアリシアに呼びかけ、壁を伝って下りていく。
フルールさんほど上手くないため、途中でナイフも使ってしまったが、無事に下りることに成功した。
上からは先ほどとは違う人物の怒鳴り声が聞こえてきている。
聞いたことのある嫌な声だ。
オルデュール、いつの間にかここに来ていたらしい。
上に気をとられつつも馬小屋まではなんとか見つからずに移動できた。シュセットの姿はない。すでに馬車のほうにいるのだろう。
馬小屋を抜け、馬車置き場を目指す。
馬車置き場には俺たち以外の馬車はない。そのためシュセットの体格と相まってかなり目立っている。ただ、目立つ割にこちらに敵の姿はない。
人員はあまりいないのか? 宿のほうも正確な数はわからないとはいえ、二十人はいなかったように見えたし、オルデュールの独断で来た可能性もあるな。
馬車へと近づくと、すぐ傍の茂みからフルールさんが現れる。どうやら警戒し、身を隠していたようだ。
「二人とも無事ね? 乗って頂戴。すぐに出ましょう」
フルールさんが御者台に飛び乗り、手綱を握る。
アリシアは馬車の中に入り、俺はフルールさんの隣だ。
馬車を静かに進ませていく。
向かう場所は入ってきた門ではないようだ。
「フルールさん、どこに向かってるんですか? 門の外に出るんだとばっかり思ってましたけど」
「もちろんその予定よ。ただ、今日入ってきた門は宿から近いし、警戒されてる可能性が高いはず。位置的にも宿屋の前を通ることになるしね。そんなわけで違う門から脱出するわ」
馬車の速度が上がる。
後ろを見るが、今のところは追手は来ていない。それどころか何故か人が集まり、馬車の後ろを塞いでくれていた。
「フルールさん宿に人だかりができてます。たぶん関係ない人たちだと思いますけど」
「それなら、今のところはうまくいってるわね。野次馬が連中の動きを邪魔してくれるはずよ」
「人が集まるのも想定済みだったんですか?」
「ええ、人を集めるためにあの煙幕を使ったのよ。一見すると火事みたいでしょ?」
もう一度後ろを振り返る。薄くはなっているが、まだ煙は出ていた。
たしかに何も知らなければ火事に見えるかもしれない。
「門に着いたらまずは急用があるって話してみるわ。それで開けてくれなければ、強行突破するわよ」
「門を壊すんですか? 少し時間がかかるかもしれませんよ」
「……ツカサ君、意外と攻撃的ね。外側からならともかく、内側からなら壊さないわよ。開閉の装置があるはずだから、それを動かすわ。門番には気絶してもらうけどね」
遠目には門が見えてきていた。
馬車の速度がさがっていく。
アリシアがずっと後ろを見ていてくれたが結局、追手は来なかったようだ。
たしか俺たちが入ってきたのは東門。今、目の前にあるのは南門だと思う。
南門はセルレンシアと繋がってる道があると聞いた気がする。
前線は北だから、南門は兵士の数は少ないはずだ。最悪の場合でも三人でなんとかなるかもしれないな。
門に近づく。すると門の前に一人、誰かはわからないが立っているのが見えた。
見た目からして門番ではなさそうだ。頭からつま先まで真っ黒な装備で身を包み、まるで暗殺者のような格好である。
「フルールさん、あの人はどうしますか? 門番じゃなさそうですけど」
「……」
「フルールさん?」
馬車が止まる。
返事がないのを不審に思い、フルールさんのようすを見ると呆然とした表情をしていた。
視線の先は暗殺者のような人物だ。
「……隊長?」
フルールさんの小さく呟くような声が聞こえた。その言葉から目の前にいる暗殺者のような人を察することができた。フルールさんの隊長。つまり、偵察部隊の人なのだろう。
「フルール、投降しろ。お前の行動は読めている。抵抗しても無駄だ」
「隊長、なぜですか……なぜ、赤の教団に!」
「お前も指導者ゼルランディス様に会えばわかる。赤の教団のすばらしさに。あの方にはすべてをささげても後悔しない。お前もきっとそう思うはずだ」
フルールさんは一瞬顔を歪め、アリシアを呼ぶと御者台から飛び降りる。
アリシアには簡単に状況を説明し、手綱を握ってもらう。
最初の予定では、遠距離攻撃が得意なアリシアに馬車を任せ、俺とフルールさんで門の開閉装置を探す予定だった。
でも、あの黒ずくめの人が隊長ならフルールさんより強いかもしれない。一対一で戦わないほうがいいだろう。
フルールさんはすでに短剣を構えている。対する黒ずくめは何も持っていない。構えすらとっておらず、自然体で立っているだけだ。
御者台から降り、剣を抜く。
黒ずくめの横へ回り込もうとしたところでフルールさんから声がかかる。
「ツカサ君は門の開閉装置を探して頂戴。隊長とは私が戦うわ」
「でも!」
「隊長は私以上の暗器の使い手。毒も使うから耐性のないツカサ君じゃ危なすぎる。……お願い、装置を探して」
「……わかりました」
……あの人は不気味だ。今のやり取りでも隙はあったはず。けど、何もしてこない。それだけ自分の強さに自信があるのか?
視線は黒ずくめに固定したまま、ゆっくりと距離をとっていく。
「私は二人がかりでもよかったのだがな。まあ、結果は変わらない」
「それはどうでしょうね? 私、隊長が知らない間に結構強くなってますよ?」
「多少強くなったところで意味はない。……言っただろう。お前の行動は読めていると」
黒ずくめが右手を上げた瞬間、周囲が明るくなり、建物から人が現れる。
囲まれた!? 距離があるとはいえ、気づけなかった……
何人だ? 三十人以上はいそうだけど、丁寧に数えてる時間はない。
持ってるのは弓? ……まずいな。俺たちは防げてもシュセットがやられたら逃げるのが難しくなる。
馬車を守るために一度戻ろうとしたとき、黒ずくめが口を開く。
「まずは馬。フルール、お前の相手はそのあとでしてやろう」
「隊長! 待って!」
まだ俺は戻っていない。フルールさんも馬車から距離がある。しかし、黒ずくめが腕が振り下ろされてしまう。
そして、その合図と同時に無数の矢が馬車へと放たれてしまった。
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