第三話 一夜明けて
……まぶしい。
瞼越しに光を感じ、ゆっくりと目を開ける。すると窓からの光が顔にあたっていた。
窓の外、太陽の位置を確認する。朝というには少し高い。どうやらかなり眠っていたようだ。
昨日の疲れは嘘のようになくなっている。頭は妙にすっきりしており、なんだか気分もいい。
異世界でも時間や食べ物など、共通しているものが多いのは助かっている。ただ、残念ながら文字は違うようだった。昨日見た地図には国の名前も書いてあったらしいのだが、読むことはできなかったのだ。
……たしか迎えが来るのは昼前だったと思う。まだ少しぐらいなら時間もあるはず。今日こそご飯を食べないと。あと昨日は中途半端になったからカルミナとも話をしておきたいな。
食事の乗ったテーブルに向かいつつ、カルミナに呼びかける。
「カルミナ、起きてますか?」
『おはようございます。どうしましたか?』
あまりにも返事が早かったので少し驚いた。もしかしたら女神という存在なだけあって、眠ったりはしないのかもしれない。
呼びかけた手前、会話を優先しようと思ったが、タイミングよくお腹が鳴る。カルミナに促されたこともあり、少し行儀は悪いが食べながら会話を進めていくことになった。
「えっと、どうしたってことはないんですけど、昨日聞けなかったことを聞こうと思いまして。情報を集めていたって言ってましたけど、何かわかりましたか?」
『儀式について少しだけわかったことがあります。儀式というよりは魔法陣の構築をしているように見えました』
「んぐっ! ……ふぅ。えっと、魔法陣って神殿にあったような?」
魔法陣という言葉で昨日のことを思い出そうとし、何故かチクリとした頭痛に襲われた。突然のことに食べていたパンが喉へと詰まる。慌てて水を飲み、喉のつまりが解消されたときには頭痛も消えていた。
……変なところでも打ったかな? あっと今は話に集中しないと。
『……大丈夫ですか? ツカサ』
「はい、すみません。のどに詰まらせただけです。続きをお願いします」
『わかりました。魔法陣の規模ですが、神殿のものよりも大きいかもしれません。効果についてもまだ不明です。すみませんが、ツカサに迎えが来たらまた観察に戻ろうと思っています』
「わかりました。こっちもいきなり死ぬような目には合わないと思うので、情報収集のほうをよろしくお願いします」
ちなみに食事はパンと水のほかに果物も用意されていた。ただ、果物というわりに色は銀色である。形はリンゴに近いが、非常に怪しい色なので最後まで手をつけずにいた。
昨日は確認もせずに寝てしまったので、お腹は空いている。果物も食べたいが、色からして食べ物には見えない。籠に積まれてはいるものの、綺麗な置物だと言われてたほうが納得できる見た目だった。
銀色の果物を触ってみる。意外と柔らかい。少なくとも金属というわではないようだ。
おそるおそるかじってみると、最初の一口で驚くほどの甘さを感じた。ただし、甘ったるいというわけじゃない。溢れたきた果汁が喉を通るころには、口の中はすっきりとした味が広がっていた。
後味がすっきりとし、甘いがくどさを感じない。そのせいか夢中で齧りついてしまう。
いつの間にか満腹感を覚えて手を止める。改めてテーブルの上を見れば、すでに三つほど食べ終わっていた。お腹が膨れるのも納得である。見た目とは裏腹に非常においしい果物に俺は満足して食事を終えるのであった。
ひとしきり食事に満足してくつろいでいると、扉をノックする音が耳に入る。どうやら迎えが来たようだ。
「はい! どうぞ」
「失礼します! おはようございます! 勇者様」
「アリシアさん? 迎え……旅の同行者って、え?」
「はい! 私が勇者様の旅の手助け、同行者に任命されました。よろしくお願いします!」
なんとなく経験豊富な年上の人がくると勝手に思っていた。まさか、アリシアさんがくるとは……
旅はもちろんのこと、戦闘もあるはずなんだけど大丈夫なんだろうか?
「今日の予定ですけど、まずは教会の保管庫に行って装備を整えるのと、勇者様の魔法適性を調べたいと思います」
「魔法……俺にも魔法が使えるんですか!」
「ふふ、勇者様は魔法に興味があるんですね。大丈夫です。今までの勇者様で、魔法が使えなかった人はいないらしいですから、きっと使えますよ」
魔法が使えるかも、そう思ったら少し興奮してしまう。魔法陣は神殿で見たけど、魔法はまだ目にしていない。初めての魔法が楽しみで仕方なかった。
早速、廊下へと出て移動をはじめる。
保管庫は武器庫というわけではなく、使われていないそこそこの貴重品が置いてあるの部屋だそうだ。
「保管庫には魔法適正が判別できる虫さんがいます。その虫さんに適正と属性を教えてもらいましょう!」
「なるほど、虫さんに……虫?」
「はい! あ! 虫さんっていっても魔法生物なので、長生きしますし、エサとかもいらないんですよ」
「そうなんだ……それはすごいね」
虫ってどういうことなんだろう? てっきり水晶とか本で調べると思ってたけど、虫なんだ……まぁ、魔法もある世界だし、虫といっても、きっと見たこともない生物なんだろうな。
頭の中で魔法を使う物知りな虫を想像しようとする。しかし、どうにもうまくいかない。
虫という言葉に動揺したのか、気が付けばいろいろな虫を思い描いてしまう。そして、そんなことをしていると前を歩くアリシアさんの足が止まった。どうやら保管庫に着いたらしい。
「こちらです! お入りください!」
部屋の中は乱雑に物が置かれていた。武器らしきものはナイフと剣が2本、あとは槍が3本あるだけのようだ。鎧のような防具は見当たらない。思ったよりも物が少ない。ほとんどが使われているということなのだろう。
防具のことを聞くと、鎧はないが魔物の革で作った服があるらしく、それを見せてもらうことにする。
「これは不思議な感触の服ですね。肌に吸い付くけど、いやな感じはしない。見た目がアリシアさんの服に似てるけど、もしかして同じ素材?」
「はい、そうなんです! 今はほとんどいないとされている亜竜の羽の皮膜から作られてます。魔法的な防御はありませんが、打撃と斬撃には耐性があります。それに何といっても軽いんです。おすすめですよ!」
「そうなんだ……よし! これにします。武器はとりあえずナイフとこの剣、ロングソードなのかな。これをもらいます」
「武器はこの剣帯を使ってください。それとせっかくなので着替えちゃってください。私は奥の虫さんの様子を見てるので終わったら来てくださいね」
アリシアさんはそう言うと部屋の奥へと小走りで向かっていった。
亜竜の服はよく見ると革を継ぎ足した跡がある。いいものらしいけど、余りの革で作ったからここにあったのかもしれない。
上下を着替える。上は紺色だが、ズボンの方は染色してあるのか黒色になっていた。
剣帯をつけ、武器も装備していく。ついでに近くに置いてあった肩あてと膝あても装備してみる。さらに靴も探してみたが、そちらは見当たらずに断念することにした。
……少しはそれっぽくなったかな。
鏡があれば確認できるのだが、残念ながらないようだ。おかしな格好になっていないことを祈りつつ、アリシアさんの元へと向かう。
部屋の奥、そこにはアリシアさんと高さが腰ぐらいまでありそうな正方形で透明な箱があった。
箱の中央には一匹の虫が存在を主張するように佇んでいる。片手で乗せたら、はみ出してしまいそうな大きさだ。
鋭い角、茶色く光沢のある体、左右に三本ずつある脚、それはカブトムシに似ていた。というより、あれは角以外はカブトムシにしか見えない。
その角というのは一本角でドリルのように螺旋状になっている。もし刺されたら痛いどころではすまないだろう。
まじまじカブトムシを見ていたら、アリシアさんが俺に気づいたようだ。
「あ、勇者様。わぁ! お似合いですよ!」
「あ、ありがとう。それよりアリシアさん、そのカブトムシがさっき言ってた魔法を調べてくれるやつ?」
「かぶとむし? この虫さんのことならそうです。ちなみに名前はヴィアベルホーンっていいますよ。かわいいですよね!」
かわいいかな? どちらかといえば、かっこいいだと思うけど……
そんなことを考えている間に、アリシアさんはヴィアベルホーン、カブトムシを両手ですくい上げるように持ち上げていた。
すると驚くべき変化を目のあたりにする。なんと、アリシアさんの手の上でカブトムシの色がゆっくりと茶色から白に変わっていったのだ。
「驚きました? この虫さんなんですけど、足から魔力を吸い上げて生きているんです。そのときに吸い上げた魔力の属性によって色が変わるみたいで、魔法適正、そして属性の判定に用いられてるんです」
「なるほど。じゃあ、さっき茶色だったのは箱の中にあった土の属性ってこと?」
「はい! そして白は光の属性になります。ちなみに魔法適正、つまり魔力がない場合は飛んで移動しちゃいます。では、勇者様もどうぞ!」
カブトムシが手渡される。おとなしく手の上から動く気配はない。どうやら魔力はあるようだ。
そしてカブトムシの色が変わっていく。ゆっくりと全体が赤に染まり、ところどころに黄色の水玉模様が現れはじめる。
……これはいったい?
「わぁ! 勇者様は二重属性持ちですね! 赤色は炎で、虫さんの体表が変わったこちらが主属性になります。黄色は雷で副属性です。主属性のほうが威力が高かったり、魔法を覚えやすかったりするそうですよ」
「二重属性ってめずらしいの? これで俺も魔法使える? 呪文とかいるの? 炎は自分でも熱かったり――」
「勇者様、落ち着いてください! 大丈夫です。魔法は逃げませんよ?」
魔法が使える。その事実に興奮していたようだ。アリシアの声でそのことに気づき、同時にいつの間にか砕けていた言葉遣いに反省する。
「あ、ごめん……なさい。言葉遣いも、いつの間にか失礼になってたかもしれません」
「いえいえ。むしろ、そのままがいいです。勇者様と打ち解けられた気がしてうれしいですから。ついでに”アリシアさん”から”さん”をとっちゃいませんか? 宮殿に向かうときは断られちゃいましたけど」
アリシアさんは少し意地悪そうな顔で笑っている。
昨日に続いて、またしても素で話してしまった。ただ今回はカルミナのときのように疲れからとかではない。アリシアさんの人懐っこい雰囲気がそうさせたのだと思う。
呼び捨てというのは照れ臭く、少し緊張する。そのせいか顔まで熱くなっているような気がした。
「じゃあ……アリシア、えっと、改めてこれからよろしく」
「はい! こちらこそよろしくお願いします! 精一杯、勇者様の助けになるように頑張りますね!」
「ありがとう。……アリシアは砕けた口調で話さないの?」
「えーと、私……昔からこんな話し方なんです。すみません……」
「いや、無理する必要はないと思うよ。ただ、できれば勇者様じゃなくて名前で呼んでもらえると嬉しいかも」
「わかりました! ツカサ様!」
”様”もなしで。とはアリシアの照れたような笑顔を見たら言いそびれてしまった。
羽音が聞こえ、カブトムシが住処へと飛んでいくのが目に入る。
……完全に忘れていた。つまり、ずっとカブトムシが手に乗ったまま、照れた様子で話していたのか……
その光景を客観的に思い浮かべると滑稽だった。思わず、つい吹き出してしまう。
突然笑いだした俺に、アリシアは驚いたようだ。大きな目がさらに開かれ、キョロキョロと辺りを見回している。
俺が笑い出した原因がわからなかったのだろう。自分が笑われたと思ったらしいアリシアは頬を膨らませていた。
「もぉ! ツカサ様! 人の顔見て笑うのは失礼ですよ!」
「い、いや、違うんだ。アリシアの顔が変なわけじゃなくて……」
この世界に来て、初めて心から笑った気がする。アリシアのおかげで何かがすっきりした。
これから先、大変なことだらけだろう。戦ったことはなく、旅だってしたことはない。それでもアリシアとなら楽しい旅になりそうだ。なんとなく、そう思うことができたのだった。