第二十八話 遭遇
休憩室、閉まらない扉から通路を覗く。見えるのは成体ライヴェーグが歩き去っていく姿だ。
その巨体が闇に消えるのを確認すると、大きく息を吐く。知らぬ間に呼吸を止めていたようだ。
……今のは地下一階への階段ほうから来た。たぶん、俺たちがこの場所に隠れる原因になった奴だと思う。地下一階に上がらずに折り返して来たみたいだ。
ゆっくりと部屋の奥へと戻り、大きな砂時計を見る。これは俺とアリシアが仮眠をとってる間にフルールさんが見つけたものだ。砂は落ちきっており、一定の時間が経過したことが分かる。この砂時計で見張りの時間を決めていた。
これでフルールさんの仮眠時間も終わりか。二人を起こしに行かないと。
部屋の奥、保管庫の扉を開けて二人を起こさないように入っていく。アリシアは俺がこの部屋を出たときから寝相が変わっていた。結構、動いているようだ。反対にフルールさんは一直線で寝ており、全く動いていないように見える。
……やましいことをしてるわけでもないのに緊張してきた。肩を叩いて……いや、普通に声をかければ起きてくれるはず。
「……二人とも、起きてください」
反応がない。
「朝ですよー」
ピクリとも動かない。
意を決して肩を叩こうと近づいたそのときだった。
「おはよう。どうしたの? 随分と驚いた顔してるけど。ツカサ君のその手は何をしようとしてたのかしら?」
「いえ! これは、起こそうとしただけで、声をかけても起きなくて!」
慌てて弁明しているとフルールさんが笑っているのが見えた。
……どうやら、からかわれたらしい。
「ごめんなさい。すごい慎重に入ってきて、小声で起こそうとしてたから面白くて」
「入ってきてってことは最初から起きてたんですね。フルールさん、人が悪いですよ」
「ええ、そうね。ふふふ、ごめんなさい。アリシアちゃんを起こしたら情報交換と攻略方法を考えましょう」
アリシアはまだ夢の中だった。フルールさんがアリシアを起こし、それぞれ見張り中の出来事を話していく。
俺の見張り中に起きた出来事は、先ほど見た成体についてぐらいだ。フルールさんのときは何もなかったようで、話し合いは今後のことに変わっていく。
「成体が戻ったってことは、明かりを強くして走って進むのは難しくなったわね」
「追いついて気づかれでもしたらまずいですからね。ちなみにアリシアの魔力はどんな感じ?」
「はい! おかげさまでかなり回復しました! だいたいですけど、八割ぐらいまで戻ってます」
「八割なら悪くないわね。宝物庫まで辿り着けばそこでまた休憩してもいいし、これで魔力の問題は解消したとして……このあとはどうしようかしら?」
意見を出し合い最終的に残った案は、慎重に成体を追跡し、もう一度やり過ごす、というものだ。やることは今までと変わらない。ただ、道中はライヴェーグの血を使い、明かりは少しだけ強くする予定である。
通路へと出て、周囲を見渡す。残念ながら、この辺りにはライヴェーグはいないようだ。
「とりあえずはさっきと同じように進むわよ。ライヴェーグも無理に探さなくていいわ。成体に見つからないことを優先しましょう」
フルールさんを先頭に進んでいく。
休憩をとったおかげか足取りは軽かった。これなら早めに成体に追いつけるかもしれない。
明るさをほんの少し増したことで、近づかなくても壁や扉のようすが見えるようになっている。ただ、それでも死体、ライヴェーグは見つかっていない。
さらに注意深く周りを観察すると、通路がこれまでと違う状態に気づく。壁や扉、そしてその周辺がが大きく壊れている場所がある。老朽化で壊れたといった具合ではなかった。成体のライヴェーグが壊したのかもしれない。
通路の曲がり角に来るたびにのぞき込み、成体がいないかを警戒して進む。そして、三つ目の曲がり角でようやく影を確認できた。その場にとどまり観察すると、影は闇に紛れて見えなくなっていく。
……遠ざかっている。ってことは、まだ折り返し地点には着いてないってことだ。どこでこっちに来るかわからないのは厄介だな。
「まだ奥に向かってるようね。こっちに来るようならやり過ごせたのに」
「私の魔法、この距離なら届くと思います。明かりを飛ばして見ますか? もしかしたら気づいてこっちに来るかもしれません」
「そうね……ツカサ君、隠れる場所はありそう? もしあるならその方法で行きましょう」
「探してみます。少し時間をください」
二人から離れ、通路にある扉を確認していく。しっかりと開閉できる扉は二つあり、どちらも見える範囲に死体はない。位置的には曲がり角から少し離れてるがそこまで問題はないだろう。
……でもなんか変だな。嫌な予感がする。
今見てる部屋のほうは死体は見当たらないが、奥の壁は壊れていた。そして壊れた壁の先は暗くて見えない。それになぜか体は動かず、足を部屋の中に入れることができなかった。
フルールさんに調べた結果を伝える。念のため、嫌な予感のことも含めて話をした。
「わかったわ。じゃあ、嫌な予感がした部屋はやめときましょう」
「いいんですか? 話しといてあれですけど、何の確証もないですよ?」
「勘っていうのも侮れないものよ? それに私も少し気になることがあるのよね……まぁ、それは置いといて、まずは成体をやり過ごしましょう。アリシアちゃん、準備できたらやっちゃって」
「はい、では……いきます」
アリシアの手に白く輝く光の球が現れる。
術式は威力を無くし、速度よりも距離を優先しているはずだ。効果も単純に光属性そのものを増幅させ、明るさを増すだけにしているだろう。
気を付けるのはアリシアが魔法を放った後だ。今は見えないが、曲がり角の先にいるであろう幼体のライヴェーグが反応する恐れがある。それらに襲われるより早く隠れなければならない。
「ライトボール・アンプリファイ!」
アリシアが放った光の球が曲がり角の先を照らしていく。
……幼体がいない?
進んでいく光の球に合わせて通路を見るが、予想に反して死体が見当たらなかった。肩透かしを食らう結果に、若干気が緩みかけてしまいそうになる。
すぐに隠れる必要がなくなったので光の球の行方を見守っていく。
少しすると、徐々に成体の背中が照らされはじめた。成体は光の熱を感じたのか、その動きを止める。そして、光の球はゆっくりと成体の背中にぶつかると消え、曲がり角の先がまた暗くなっていった。
「二人とも隠れるわよ。ツカサ君は先導して頂戴。アリシアちゃんは部屋に入ったら、通路へさっきの魔法をお願い」
先ほど見つけた部屋へと二人を案内し、中に入る。ちなみに嫌な予感がしたもう一つの部屋は向かい側だ。
「ここがさっき見つけた部屋です。……成体はうまくこっちまで来ますかね?」
「反応して襲い掛かるのは成体も同じだと思うから、たぶん大丈夫よ。それより気が付いた?」
「曲がり角の先、死体が見当たらないことですよね……」
「ええ、そうよ。ただ、それだけじゃないわ。休憩後から死体を全く見てないわ」
そう言われてみれば、たしかにそうだ。さっきフルールさんが気になることがあると言ってたのもこのことだったらしい。
死体が消えた理由……元から地下二階には死体が少ない? 成体ばかりいて、徘徊してるのが多いって可能性もあるのか?
フルールさんと話し合っていると、通路へと魔法を放ち、そのまま警戒をしていたアリシアが戻ってきた。
「成体が角を曲がったのを確認しました。魔法は角に一つ、この部屋を通り過ぎるようにもう一つ、合計二つの明かりを放っておきました」
「上出来ね。この部屋の前を通るなら音でわかるわ。できるだけ静かにして待ちましょう」
息をひそめ、音をださないようにして待ち続ける。
成体のライヴェーグは体が大きいだけあって足音も大きい。そして、その足音がかすかに聞こえはじめた。
姿は見えないが、ゆっくりと近づいてきている。もうすぐこの部屋の前に来るはずだ。
緊張で呼吸が荒くなりそうになる。手もいつの間にか拳を握っていた。滴り落ちそうな汗を慎重に拭い、耳を澄ます。
足音が止まる。
……足音からすると成体は今、この扉の向こう側だ。何で止まっている? 気づかれたのか? それにしては静かすぎるような……
突如、壁に何かが衝突したような轟音が耳に入る。
この部屋は扉も壁も揺れてない。こちら側で暴れているわけではないようだ。
成体はいったい何に反応している? この近くには死体もない。あるとしたら……あの嫌な予感がした部屋だけだ。
ひときわ大きな音が鳴り響き、壁が崩れるような音も聞こえてくる。
嫌な予感の部屋はこの部屋の向かい側だ。あそこに反応するような何かがいたのか?
唐突に衝突音は聞こえなくなった。代わりに黒板をひっかいたような不快な音がしはじめる。
……成体でもライヴェーグはこんな音は出してなかったはず。何の音だ? 鳴き声のようにも聞こえるけど、見当がつかない。
音に注意していると、いつの間にかフルールさんが俺の腕を引いていた。よく見れば近くにいたアリシアの腕も同じように引いている。フルールさんの表情は険しい。もしかしたら、この音が何かを知っているのかもしれない。
三人でゆっくりと部屋の奥へと向かって行く。体は扉に向いたままで移動し、音を聞き逃さないようにしている。
部屋の真ん中あたりまで移動したとき、先ほどまで聞いていた轟音がもう一度響きわたる。今度はこの部屋の扉と壁が大きく揺れた。
バランスを崩し、一瞬注意が逸れる。再び前を見たときには、扉は歪み、扉近くの壁には大きくひびが入っていた。もう一度同じことをされれば、あの壁は破壊されてしまうだろう。
ここでは逃げ場がない。どうする? ……独自魔法を使うか? あの魔法を使えば成体相手でも苦戦はしないはずだ。
体の中心に魔力を集めていく。
アリシアも杖を構えて迎撃する気のようだ。フルールさんは目を閉じて集中している。耳に意識を集中させているのだろうか。
二度目の轟音がこの部屋に鳴り響く。その衝撃は扉もろとも壁を破壊し、その破片が石つぶてとなって俺たちに襲い掛かってくる。
「ライトシールド・インパクト!」
アリシアが俺とフルールさんの前に立ち、光の盾を作り出す。
光の盾が石つぶてを弾いていく。そのおかげで、崩れた壁の向こうを見ることができた。
壁の向こう、通路には成体のライヴェーグが見える。ただし、予想とは異なり、倒れ伏した状態だった。
成体のライヴェーグが倒れていることに本来なら驚いたと思う。しかし、今驚いているのは違うことだ。それは大きな体を持つ成体ライヴェーグに覆いかぶさっている存在がいたからである。
体から汗が噴き出る。嫌な予感が鳴り響く。固まり、動けなくなりそうな体に活を入れ、目の前の存在を注視する。
壊れた壁の向こうからは、巨大な蜘蛛が俺たちを覗いていた。
読んでいただき、ありがとうございます。