第二十五話 地下一階
剣を振り、目の前の死体と距離をとる。見える範囲で敵は一体。ただし、援護は期待できない状況だ。
現在は地下一階、階段からは少し進んだ通路にいる。俺たちはそこで頭上からの奇襲を受けて分断されていた。幸いフルールさんの声で避けることはできたが、ほかの二人とは大きく離れてしまっている。
敵はライヴェーグ。魔物に寄生された死体だ。その死体が近寄ってくる。動きは地上のやつに比べれば速い。しかし、充分に対処できる速度であった。
死体の攻撃を避け、横を抜けるようにして足を斬り飛ばす。普通なら致命傷に近いだろう。ただ、ライヴェーグは本体を攻撃しないと意味がない。
仰向けに倒れ、手足をばたつかせている死体へと飛ぶ。
地下は暗く、腰につけた明かりでは本体の正確な位置が見えない。剣で刺すには難しく、より広い範囲を攻撃できる足を使う。
空中で両足をそろえ、膝を大きく曲げる。そして、着地と同時に足を叩きつけるように伸ばし、みぞおちを踏みつぶす。
足には柔らかいものを潰した感触が伝わってきた。念のため、腰につけた明かりを頼りにライヴェーグの生死を確かめる。
「ふぅ……」
無事に倒したことを確認し、一息つく。
通路は暗く、広かった。暗いのは地下だからわかるとしても、なぜここまで広いのかは謎である。
戦闘に支障がないのはいいけど、広すぎて明かりが頼りないな。それにしても天井か……階段が長かったから高いのはわかる。でも、上から落ちてくるのは予想外だった。二人は無事だろうか。
周囲を見渡すと、ぼんやりとした光が二つ見える。俺と同じく腰につけた明かりだろう。この明かりはアリシアの光魔法を込めた瓶であり、三人とも階段を下りるときにつけている。はっきりと見えるのは自分の周囲だけだが、光があるかどうかは少し離れていても見えていた。
まずは近いほうの光へ進む。すると光の中にアリシアの姿が見えてきた。怪我はないようだが、かなりの返り血を浴びてしまったようである。
「アリシア、無事……といっていいのかな」
「……怪我なく勝てました。でも、気分は最悪です」
アリシアの右半身、特に腕は緑一色になっていた。手には小さなナイフが握られている。
おそらくとっさに右手のナイフで攻撃したのだろう。運がいいのか悪いのか、その一撃はライヴェーグに見事に当たった。そして盛大に緑の血液を浴びる羽目になったのだと思う。
しかめ面のアリシアは血を落とそうと腕を振っている。多少は落ちた気もするが、緑色なのは変わらない。そうこうしているうちに、もう一つの光が近づいてきた。フルールさんである。怪我はないようで、返り血も浴びていないようだ。
「アリシアちゃん! ツカサ君も! ……無事みたいね」
「ええ、まあ、怪我はないです。アリシアは気分を害したみたいですけど」
「……それじゃ短すぎたわね。私の短剣を貸しましょうか?」
「大丈夫です……私、刃物の扱いは苦手なので。次からは壊れかかってますけど杖で戦います……」
それにしても最初からこれでは先が思いやられる。敵は強くないけど、精神的にきつい。
アリシアと違って目立ってないだけで、俺の足も緑色だ。死体とは違うこの独特な臭いはそのうち慣れるだろうが、ライヴェーグの血はぬるぬるして歩きにくい。
先ほどより慎重に進んでいく。先頭からフルールさん、アリシア、俺の順だ。頭上も気にしているせいでその歩みは遅い。
少しすると二人との距離が近くなる。どうやら止まっているようだ。何か見つけたのかもしれない。
「前方に人影らしきものが二つ。動きはないわ。ライヴェーグに寄生された死体だと思っていいはずよ」
「どうしますか? ここが外なら魔法を使いたいところですけど。一応、俺は炎以外にも雷の属性も使えますよ」
「魔法はやめておきましょう。他のライヴェーグに気づかれる恐れがあるわ。まぁ、もっともライヴェーグはろくに調査もされてないから、何に反応してるかはわからないんだけどね」
どうやらこの魔物は調べる人がいなかったらしく、不明な点が数多くあるようだ。
例えば、生物が一定の範囲内に近寄れば反応することはわかっているが、生物の何に反応しているかはわかっていない。一定の範囲というのも微妙で、かなりの個体差があるとのことだ。
「私が右をやるから、ツカサ君は左のやつをお願い。アリシアちゃんは周囲の警戒を頼むわね」
指示に従い、左の人影に向かっていく。見えてきた人影は予想どおり人の死体だった。
兜はないが、鎧は着てる。残念なことに武器も持っているようだ。
武器は長さからおそらくロングソード。まともに振れるとは思わないが注意が必要だろう。
死体は鎧らしきものも着ている。ただ、地上にいたやつと同じく砕けており、腹部は露出していた。もしかすると寄生するときに壊しているのかもしれない。
ゆっくりと近づいていく。
……おかしい。俺はすでに間合いに入っている。ここまで近づいても反応しない? 地上とは違うのだろうか? ……いや、それなら奇襲は受けなかったはずだ。
疑問は残るものの、チャンスであるのは間違いない。警戒はしながらも剣を横に薙ぐ。
抵抗はなかった。薙いだ剣は棒立ちの死体の腹を裂き、緑の血が噴き出してくる。ライヴェーグは今の一撃で両断されていた。かなり呆気なかったが倒せたようである。
フルールさんは……戦っているみたいだ。あっちは反応したのか。
救援に向かうが着いたときには終わっていた。どうやら暗器で中距離用の武器を持っていたようで先ほどから一人だけ汚れていない。少し羨ましい。
「早かったわね。こっちもそんなに時間はかけてないつもりだったんだけど」
「俺のほうは少しようすがおかしくて……近づいても反応しなかったんです」
「特殊な個体、もしくは休眠? ……わからないわね。私たちにとって害はないようだし、とりあえずその件は置いときましょう」
アリシアと合流して再度歩き出す。次に見えてきたのは通路を遮る鉄格子だ。
たしか地下二階への階段は鉄格子より先だったはず。けど、これじゃ進めそうにない。
フルールさんは地図を見ながら通路にある扉を確認している。今まではすべての扉を無視してきた。わざわざ確認するということはあの扉が迂回路に繋がっているのだろう。
扉の中へと入ってみる。すると中はイスとテーブルがあるだけの簡素な部屋だった。
「この部屋はいったい……休憩所ですか?」
「休憩もできるけど、この部屋に来た目的はあの通風孔よ。あそこから隣の部屋に行けばさっきの鉄格子の向こう側に出るわ」
テーブルの上にイスを置き、さらにその上に乗る。
通風孔の格子は外されていたため、隣の部屋へと顔を出してようすを窺う。
魔物はいない。あるのはこっちの部屋と同じようなイスとテーブルだけのようだ。
三人とも部屋を移り、鉄格子の先を進んでいく。入り組んだ通路は右へ左と曲がり、そのたびに死体、ライヴェーグと遭遇する。
何度も戦闘しているが俺とアリシアはなぜか狙われないことが多い。なんなとくフルールさんが集中的に狙われているような気がしていた。
並んでる順番的にフルールさんが狙われるのはおかしいことじゃないんだけど、乱戦になったときも狙いが集中すると少し違和感がある。何か引っかかるな……もう少しでわかりそうなんだけど。
「二人ともあれ見える? あの見えてる部屋を抜ければ、地下二階への階段よ」
「あの部屋は広そうですね。扉もないみたいですけど……何か動いてる?」
「ツカサ様の言うとおり、たしかに何か動いてるように見えます。フルールさんは見えますか?」
「さすがにこの明かりじゃあそこまで見えないわ。……もう少し近づきましょう。慎重にね」
奥が見通せないほどの広い部屋へと近づき、壊れて開きっぱなしの入り口から中を覗く。そこで見えたのは動く大きな死体だった。その動きは意外と早く、部屋の中をうろうろと歩き回っている。
奇妙なのはその姿だ。今まで見たライヴェーグとは違い、泥をかぶったかのような姿をしている。それに、元が人間の体だとは思えないほどの巨体だ。中でも一番特徴的なのは腕だろう。異様に長い。長すぎて引きずって歩いているほどだ。
ちなみにこの広い部屋は地図には存在していない。地図上だとこの場所にはいくつかの部屋があるはずだが、すべてなくなり一つの広い部屋だけになっていた。考えられるのはあの巨大なライヴェーグが壁を壊し、部屋を一つにしてしまったということである。
問題は壁が壊れたことによる地下の耐久度だ。炎の魔法は使う予定はなかったが、他の属性の魔法も使わない方がいいかもしれない。
「最悪ね。まさか地下一階からあれが出てくるなんて」
「フルールさん、あれはいったい……ライヴェーグじゃないんですか?」
「ライヴェーグよ。ただし、あれは成体。そのうえ限界まで成長しきるとああいった姿になるわ」
フルールさんによるとライヴェーグは五年ほどで成体となるらしい。成体になると寄生してる死体に卵を植え付け、新しい寄生先を探しはじめる。このとき、新たな寄生先が見つからないと、卵は孵化せずに体外に排出されて泥のようになって固まっていく。それを繰り返すとだんだん原型がなくなり、あの部屋にいるような人としては不自然な姿になっていくとのことだ。
成体は新しい寄生先を探すためによく歩き回る。そのせいか動きも早く、戦闘能力も高いという。もともとは地下二階に数体いるという情報があり、やり過ごして移動する予定だったらしい。残念ながら俺たちはの運は悪いようだ。地下一階でこの場所ではやり過ごすこともできないだろう。
「周りも見て。部屋の中に影があるわ。たぶん死体よ。奥はさすがに見えないけど、そこにもいると思った方がよさそうね」
「どうしますか? 成体はともかく、普通のライヴェーグは動きも遅いですし、走り抜けますか?」
「……無理ね。ライヴェーグたちを無視して扉まで走ったたとしても、成体には扉を開けてる途中で追いつかれるわ。かといって気づかれないで抜けるも厳しいわよね。……はぁ、これは戦うのが一番無難かしら。作戦は――」
フルールさんの作戦は一人が成体を相手にし、残り二人が周りを牽制しながら数を減らしていく。二人が殲滅し終えたら、成体相手に三対一で戦うというものだった。
成体の相手は俺かフルールさんだろうな。ただ、フルールさんは中距離からの攻撃もできるから多数を相手にするほうがいいかもしれない。
「……二人とも黙らないでくれるかしら。たしかに作戦って言えるようなものじゃないけど……大規模な魔法や陽動も使えないような相手じゃ他に思いつかないのよ」
「あ、いえ、作戦に文句があるわけじゃなくて、誰が成体の相手をするのがいいのか考えてて……」
「……私が行きます! 地下に入ってからの戦闘で全然役に立ててないですし、時間稼ぎぐらいならできると思います」
「アリシアちゃんはダメよ。まだ先は長いわ。明かりに回復、一番魔力を消費するのよ? できるだけ温存しないと。それに言い出したのは私。私がやるわ」
アリシアが前に出ないことは賛成だ。でも、成体を相手にするのは俺のほうがいい。先ほど考えた理由を話し、フルールさんを説得する。
話し合いの末、最終的に成体と戦うのはなんとか俺に決まった。決め手は一対一であのロイドさんといい勝負をしたということだ。フルールさんもロイドさんの強さを知っているらしく、アリシアに確認をとっていたが事実だとわかるとしぶしぶといったようすだが認めてくれた。
まあ、あの魔法のことは伝えてないのでアリシアには渋い顔をされちゃったけど。それは仕方ない。
「できるだけ早くツカサ君のほうに行くから無理はしないでね」
「ツカサ様、絶対に無理しちゃダメですよ! 特に魔法とか!」
「大丈夫です。無理はしません。アリシアも心配しないで、よほどのことがない限りは使わないから」
改めて部屋の中を見る。成体として大きく育ちすぎてしまったライヴェーグは変わらず部屋をうろついていた。
他のライヴェーグは……そういえばあっちは幼体ってことになるのか? まぁともかく、幼体ほうは部屋の隅から動いていないみたいだな。
深く呼吸をする。力を抜き、緊張を一度ほぐしていく。
もう一度、大きく息を吸うと二人に宣言する。
「行きます!」
俺はその言葉とともに巨大なライヴェーグへと走り出すのであった。
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