第十六話 対魔族
駆け付けた俺たちはロールナイト将軍を発見する。ただ、その背中には拳が入りそうなぐらいの大きな穴が開いていた。
背中から流れる血は地面を赤く染め、大きな体はゆっくりと傾いていく。
ロールナイト将軍が崩れ落ちると、その向こうに見知らぬ女性が姿を現す。
「……将軍? ロールナイト将軍! てめぇ! 何してやがんだゴラァ!」
ロールナイト将軍は苦しそうな表情で血を流し、微動だにしていない。遠目からでもわかる。すでに息はしていないようだ。
その光景を見て、俺は動きを止めてしまった。だが、エランは違う。動きを止めるどころか、凄まじい速度で走り出していた。
女性はロールナイト将軍から離れると、こちらに向き直る。その手に握られている短剣は綺麗な緑色の刃をしており、まるで新品のように輝いていた。
……? まてよ。ロールナイト将軍の傷は円形だった。あの短剣で刺したにしては傷の形がおかしい。それに短剣に血がついていないのも変だ。
だったらロールナイト将軍の傷は魔法? ……そういえば、あの暴風はなくなってる。今はそよ風ぐらいの向かい風しか感じない。
嫌な予感を感じ、急いでエランのあとを追う。
エランと女性の距離はあまりないが、まだ間合いの外のようだ。女性もバックステップをしているのかこちらを向いたまま後ろへと移動している。
……おかしい。エランは全力で走っている。でも、女性に追いつけてないし、一定の距離から縮まってもいない。そもそも、あの女性の動きには違和感がある。長いスカートのせいで良く見えないけど、足が動いてないような……まるで氷の上を滑ってるみたいな動きだ。
向かい風が一気に強くなる。
俺はエランが前にいたこと、女性のとの距離があったので止まりはしたが耐えられた。しかし、間近で突風を受けたエランは大きく体勢を崩している。
女性が腕を背中に回し、何かを取り出す。
あれは弓? まずい!
「エラン、弓だ! 避けろ!」
女性が放った矢を、エランは体勢を崩しながらも切り払う。
同じ軌道で二射目が来るが、転がって回避していく。
女性はすでに新しい矢をつがえている。
風が強い! 向かい風のせいで全然進めない。せめて魔法で牽制しないと!
魔力を集めていく。しかし、向こうが矢を放つほうが早かった。
放たれた矢はエランの頭へと飛んでいくが、左腕を犠牲にして何とか防いだのが見える。
「サンダーアロー・バースト!」
遅れて放った魔法は、運よく二射目にあたり爆発した。爆発に巻き込まれ、三射目も見当違いの方向へ飛んでいく。
エランは今の爆発の隙に移動し、近くまで下がってきた。
「ツカサ、すまねぇ。助かった」
「怪我は……とりあえず止血した方がいい。なんとか時間を稼いでみる」
「気を付けろ。あの矢、返しがついてやがった。あと、あの女……たぶんだが浮いて移動してるぜ。あの長いスカートと風のせいでわかりにくいが、足は動いてなかったはずだ」
浮遊しての移動。たしかにそれならエランが追いつけない速度で、後ろへの移動も可能だろう。しかし、そうするとあの向かい風を合わせて同時に二つの魔法を使ってることになる。
複数の魔法を同時に使う場合、単体の魔法を連続で撃つよりも魔力の消費量は多い。そのため、このまま魔法を使ってくれるなら魔力切れを狙うという手もとれる。相手はおそらく遠距離タイプ、防御に徹すれば時間も魔力消費も稼げるはずだ。
神経をとがらせて警戒する。すると、向かい風が止んでいることに気づいた。女性も浮いているようには見えない。
魔力が切れた? 距離がかなり離れているせい? ……弓をまた背負ってる。半身になって短剣を隠しているみたいだけど、狙いがわからない。
視線が合う。一瞬のにらみ合いの後、女性はこちらへと走り出してきた。
先歩とは違い普通の動きだ。浮いてもいない。予想外の近接戦を仕掛けてきたことに驚くが、動き自体は特別速いわけではなかった。充分に対応できる速度であり、冷静に意識を防御から迎撃に切り替え、構えも変えていく。
微かな時間で距離はだいぶ近くなっていた。もうそろそろでこちらの間合いに入る。そう思ったとき、女性は間合いに入る五歩手前といったところで大きく跳び上がった。
間合いの外からの跳躍、得物は短剣。予想した着地点ではこちらに攻撃は届かない。大きな隙と見て、攻め込もうとする。
その直後、強烈な悪寒を感じた。
思わず剣を振り下ろす。
次の瞬間、金属を打ち鳴らしたような音があたりに響き、気づけば俺は吹き飛ばされて地面を転がっていた。
……なにが起きた? 腕がしびれている……音からして剣を打ち合ったんだと思う。けど、相手はまだ間合いの外だったはず。……つまり、あそこから加速した? だとしたら速すぎる……
「ツカサ! 無事か! 無事ならさっさと起きろ!」
追撃されなかったのはエランが魔法で牽制してくれたおかげのようだ。しびれた腕を無理やり動かし立ち上がる。
すぐにエランの隣に並ぶと女性は警戒したのか距離をあけるように移動していく。
「ごめん。時間稼げなかった」
「今のを生き残っただけで充分だ。俺が初見であれをやられたら防げなかったかもしれねぇ」
「加速したんだとは思うけど、方法はわからなかった。エランは?」
「加速ってのはあってるぜ。方法も見えてた。あの短剣だ。あれからバカみたいな風が吹き出て、一気に加速しやがった」
エランの説明を聞くに、あの短剣がジェット噴射のような役割をしたらしい。わざわざ短剣を媒介にしてるということは、魔剣の可能性が高いだろう。だとしたら、短剣がなければあの加速もできないとはずだ。
問題はどうやって短剣を無効化するかだけど……奪うのはむりだろうな。弾き飛ばすにしても接近戦であのスピードにはついていけそうに……いや、あれを使えばもしかしたら……
「エラン、お願いがあるんだけど……二分、いや一分、時間を稼いでほしい」
「むちゃくちゃ言いやがるな。さっきてめぇが稼いだ時間より多いじゃねぇか。……何か手があるんだな?」
「ああ、ある。なんて説明していいかわからないんだけど……」
「説明なんてあとでいい。手があるってんなら、まかせとけ。しっかり時間は稼いできてやるよ!」
力強い言葉を残し、エランは女性に向かって走り出す。同時に俺は体の中心に魔力を集めていく。
また、向かい風が吹きはじめた。
女性は短剣を持ったまま弓を持ち、矢を放っている。エランのほうは足を止め、矢を剣で切り払っていく。
ときおり、女性の視線が俺のほうにくる。精密な射撃をしながらも警戒する余裕はあるようだ。ただ、攻撃はこない。視線が俺に移った瞬間にエランが接近したり、魔法で気を引いてくれているためだ。
おかげで、魔力もだいぶ集まってきていた。
あとはタイミングだけど、できれば一気に接近したい。この魔法の速さなら、ほんの少しの隙でも近づけるはずだ。近づきさえすれば、そのまま短剣も弾き飛ばせる。
女性の視界から外れるため、警戒されないようゆっくりと移動していく。エランも俺と直線上に並ばないように動いてくれているが、女性のほうも分かっているのか、なかなか思うような位置関係にならない。
俺のほうへ攻撃はできなくても、警戒は解いてないようだ。この位置では正面のため、魔法を発動しても距離がある。近づくまえに気づかれるだろう。短時間しか使えない魔法であり、万が一、空に逃げられるようなら時間をかけて魔力を消費しただけになってしまう。それは避けたいところだった。
もうすぐ約束の一分になる。隙が見つからない……
エランは一瞬目が合う。すると次の瞬間、何故か持っていた剣を女性へと投げつけた。
女性の表情は変わらない。驚いてもいないようだった。少しだけ横にずれて剣を回避し、弓に矢をつがえようとしている。
今の間にエランは魔法の準備をしてるようだが、ようすがおかしい。体から赤い光が出ている。
あれは、炎? エランの体から炎が立ち上ってるのか? そうか、強力な魔法を撃つ気だ……これはエランがくれたチャンスかもしれない。
女性は炎に包まれたエランを見て、矢を放つのをやめ、短剣を構えなおしている。
「……イクスパンドマジック……ファイアボール・トリプル……バースト!!」
巨大な炎の球が女性へと向かっていく。速度は遅いが、その大きさは女性の姿を隠すほどだ。魔法を放ったエランは片膝をつき、こちらを見ている。
……あの大きさなら俺の姿も隠れてるはず。
エランと目を合わせると一つ頷き、溜めていた魔力を呪文に乗せる。
「炎よ、神の力にて変化せよ。理を超え、時間へと変われ。時より力を! サクリファイス・タイム!」
強烈な頭痛とともに世界が変わった。
緩やかに時間が流れる世界だ。その中で、俺だけがいつもと変わらずに動くことができる。
女性へと向かって走り出す。
巨大な炎の球は短剣から出された風と衝突しているところだ。
その炎の球の横を通り抜け、女性のようすを窺う。すると女性は口を開け、目を見開き、驚いたような顔へと変わっていくのが見える。
……表情が変わるところを初めて見た。速さに驚いてるのか? なんにせよ、隙ができたのは好都合だ。
炎の球が爆発をはじめる。だが、すでに追い抜き、炎の球の位置は後ろだ。影響はほとんどない。
間合いに入るまで、あと三歩。
女性はここでようやく、まっすぐ走る俺に短剣を向けてくる。
よく見れば、表情も変わっていた。眉間にしわを寄せ、歯を食いしばっている。その顔は怒っているようにも見えた。
向けられた短剣から外れるように移動し、そのまま女性の横へと回り込む。
横へと来たら風は吹いていなかった。どうやら風は短剣の向いている方向にしか発生しないようだ。
間合いに入るとすぐに短剣を持つ手を斬り飛ばす。
防御も回避も間に合っていない。そのまま無防備な胴体へ前蹴りを繰り出し、失敗に気づく。
……間違えたな。エランとの訓練の癖で蹴り飛ばしてしまった。首を斬れば終わったのに……
女性は吹き飛んでいる。このままだと瓦礫の山へと突っ込むだろう。埋もれたら面倒なため、急いで駆け寄ろうとする。
走れば一瞬のうちに、光のような速度で近寄れるはずだった。しかし、走ろうとしたはずなのに一歩も進んでいない。俺の意思とは無関係に足は動いていなかった。
なんだ? 足の感覚がない? 頭が痛い……これは、魔法が解けはじめてる? 魔力はかすかに残ってるのに、どうして……?
女性が瓦礫と衝突し、轟音が鳴り響く。
俺はその音を聞きながら崩れるように座り込んでしまう。倒れなかったのが不思議なぐらいだ。
幸いなのかはわからないが、頭痛以外では体の痛みはない。痛みがないどころか全身の感覚がなく、何も感じることができなかった
「ツカサ! おい! 大丈夫か!」
エランが遠くから声をかけてくれるが、口が動かず、言葉は返せそうにない。
首も動かせず、見えるのは女性が埋まった瓦礫の山だけだ。そして、その瓦礫の山は不自然な振動をしていた。
次の瞬間、瓦礫の山が吹き飛ぶ。
風が渦巻き、その中心には女性が立っていた。ただ、腕からは血が流れ続け、多くの傷が見える。間違いなく重傷だろう。
やっぱり、まだ生きてたか。あのとき首を斬っていれば……?
……いや、俺は何を考えてるんだ? やろうとしてたのは、剣を弾き飛ばすことのはずだ。それなのに、腕を斬り飛ばして、首まで斬ろうとしていた…… なんでだ? あの魔法のせい? わからない……なんであんなことを……
女性が動き出す。こちらを睨みつけながら、左足を引きずるようにして向かってくる。内臓も痛めてるのだろう。お腹を手で押さえ、口からは血を吐いていた。
俺はまだ体の感覚が戻らず、ピクリとも動けない。魔法を撃てるほどの魔力もなく、ただ地面に座っている。吹き飛ばされた大量の瓦礫に呑まれてしまったのか、いつの間にかエランの声も聞こえなくなっていた。
まずい状況だ……なにかできることは……
…………だめだ。何も思いつかない。できることがない。……ここで終わりなのか?
気づけば女性は自分の腕を回収し、残った左手で短剣を握っていた。
剣先をこちらに向け、口を開く。
「聞き……たい、こと……が、ある。あの魔法……どう、やって、おぼ……えた」
血を吐き、言葉が途切れながらも聞いてくる。
口は動かせず、返答はできない。ただ、たとえ口が動かせたとしても答える気はなかった。
「答え……ない、か……」
短剣に風が集まっていく。
その剣先は俺の胸の中心、心臓へと狙いを定めている。
一瞬の静寂のあと、当たりのもを吹き飛ばしながら強烈な風が放たれた。
ドリルのように渦巻いた風は寸分の狂いなく俺の胸へと命中する。
痛みはなかった。
まだ感覚が戻っていないせいだろう。わかるのは体が飛んでいることだけだった。
飛ばされ、女性の姿は小さくなっていく。その姿はうずくまっているようにも見えた。おそらく限界が来たのだろう。
……あれなら、もう戦えない。これならアリシアは守れたことになるかな? ……みんな……アリシア……ごめん……
遠くなる意識の中、この世界で出会った人たちの顔が思い浮かぶ。そして、最後に思い浮かんだのは泣いているアリシアの顔だった。
読んでいただき、ありがとうございます。