第十二話 パタゴ砦
森の中、一人の男が歩いていた。
男の周囲には多数のヴァルドウォルフがおり、唸り声を上げている。
しかし、男は周りを気にするようすもなく、ゆっくりと歩みを進めていく。
「このあたりだと思うが……ん?」
男が立ち止まると同時に一匹のヴァルドウォルフが跳びかかる。それを皮切りに無数のヴァルドウォルフが次々に男へと殺到していく。
前後左右、木を伝って上からと男は完全に包囲された。
男はただ眺めるだけで動く気配はない。その表情は目の前の脅威に怯えたようすも見られなかった。
男の首にヴァルドウォルフの牙が届くその瞬間、不思議な光が周囲に走る。
一瞬で広がっていった光は驚くべき現象を起こしていた。
ヴァルドウォルフが止まっている。
一匹だけではない、周囲のすべてが止まっていた。
噛みつこうと跳びかかっていた個体は空中で止まり、走っていたものも動いていない。それどころか揺れていた草すらも止まっていた。
その中で男だけが平然と動いている。
「……三十七匹か……悪いな」
男の言葉とともに、草は揺れはじめ、その他も何事もなかったかのように動き出す。しかし、ヴァルドウォルフたちだけは違った。
空中にいたものは落下し、地上で走っていたものは数歩だけ進んで倒れていく。どの個体も目に光はなく、ピクリとも動かない。
男はそんなヴァルドウォルフたちには一瞥もせずに前方だけを見ている。その視線の先には特別なものは何もなく、ただ単に木々が生い茂っていた。
静寂が訪れる。
しばらくすると何もないはずの空間が揺らぎはじめていく。揺らぎは波紋へと変わり、ひときわ大きな波紋ができるとその中心からは女が出てきた。
女はロングスカートに厚手のシャツといった魔物がいる森の中とは思えない普通の格好だ。慌てているのか少し汗もかいている。そして目の前の男に向かって小走りで近づくと、勢い良く頭を下げた。
「魔王様! 迎えが遅れ申し訳ありません!」
「連絡もせず突然来たんだ。気にしなくていい。それより、何か変わったことはないか?」
「いえ……これといって特にはございません。人間たちも動きはなく、魔法陣のほうも残念ながら中断したままです。申し訳ありません」
「魔法陣のことはたしかに残念だが、触媒が手に入らなければどうしようもないことだ。シルビアを責めるつもりはない。一応、中は見せてもらうぞ」
魔王と呼ばれた男はいまだに揺らいでいる空間に向かって歩き出す。波紋から出てきた女、シルビアも魔王の後ろに続いていく。
揺らいだ空間に触れると波紋が広がり、二人は沈み込むようにして中へと入る。
「何度見ても不思議だな。まるで、別の場所に来たかのようだ」
「幻影結界の魔道具は滅びた国のものとはいえ、国宝と聞いております。それだけに効果のほうは素晴らしいものがあります」
「そうだな。しかし、女神には効果がない。あれは世界を見ることができる。国宝の魔道具であろうと幻影程度なら看破されるだろう」
「……女神がこの世界に帰ってきたということですか?」
魔王はシルビアを見つめ、頷いた。そして懐から何かを取り出すとシルビアに手渡す。
それは短い剣だった。抜き身であり、その刃はシルビアの髪色と同じ薄い緑色をしている。
「この短剣は……いえ、まさか魔剣ですか!」
「ああ、魔剣ヴォンタリエールという。シルビアとの相性はいいはずだ」
「ありがとうございます! 必ずやご期待に応える働きをしてみせます」
「ああ、期待してる。だが無理はしないでくれ。それを渡した理由は自衛のためだ」
シルビアはその言葉を聞き、思案する。考え込んだ時間は十秒にも満たなかっただろう。考えに自信があるのか、確信を持った表情で口を開く。
「つまり、女神はこの地に向かってきている。ということですね?」
「……俺は女神の力を追っていた。最初に反応したのはセルレンシア、次は森の中だ。森に関しては複数回確認している。そして反応を順番にたどると、そういうことになる」
「女神が帰ってきたなら、勇者もいるはず。わかりました。ここで食い止めて見せます」
「……すまない。だが、自分の身を優先してくれ。最悪の場合、ここは破棄してかまわない。魔法陣はまた作ればいいからな。……死ぬなよ」
魔王の姿はすでに見えない。一瞬のうちに消えてしまっていた。
シルビアは魔王がいた場所を見つめ、大事そうに魔剣を抱えている。
「……魔王様、ありがとうございます。でも、申し訳ありません。女神だけは命に代えても必ず……」
◆◆◆◆◆◆◆
――村を出てからもう九日目。今日も順調だな。
これといって問題もなく、順調に旅は進んでいた。魔物とも遭遇していない。ロイドさんとしては戦っておきたかったらしいが、近くにいなかったので諦めたのだ。
そしてカルミナだが、結局一度も話ができていなかった。ただ一人のときに話しかけると、ペンダントが一瞬だけ弱く光ることがあるので気づいてはいるらしい。何か事情があるのだと思い、今は話しかけてくれるのを待つことにしている。
「お! うっすら見えてきたぞ。ツカサは見えるか?」
「すみません。全然見えないです。前から思ってましたけどロイドさんって目いいですよね」
「そりゃ狩人だからな。目が悪かったら話になんねえよ。そうだな、ツカサが見えてきたら少し速度を落としてくれ。それぐらいでちょうどいいだろう」
「わかりました。見えたら一応、声かけますね」
ついにパタゴ砦に到着するようだ。
魔物との戦いから剣の腕は上がったと思うけど、魔法はまだうまくいかないことが多い。砦に着いてすぐに魔族と戦う羽目にならないよう願うばかりである。
パタゴ砦はかなり大きいらしく、中には鍛冶場や訓練場の他にも畑まであるとのことだ。
この砦には、主にセルレンシア所属の兵士と冒険者の人たちがいて、その責任者はロシュ・ブークリエ将軍という人らしい。
ブークリエ将軍は守備に定評がり、信頼も厚い、というのがロイドさんから聞いた話だ。
話をしながら馬車を進めていると、やっと砦が見えてきた。
ロイドさんに声をかけて速度を落とす。すると、速度を落としたのに気づいたアリシアが御者台に顔を出してきた。
「もしかして、もうすぐ着きますか!」
「なんだか嬉しそうだね。あとちょっとで着くよ」
「さすがにちょっと飽きてきちゃいまして。でも、そういうツカサ様も嬉しそうですよ?」
「そう? ……たしかに新しいところに来て、ちょっとわくわくしてるかも」
砦がはっきりと見える距離になると、大きな門の横に見張りの人が二人いるのも確認できた。こちらには気づいているようで何か話しているようだ。
扉が開き、中から馬に乗った兵士、騎兵が出てくる。その数は三騎、こちらに向かって来るようだが。
「ロイドさん、どうします? ここで止まった方がいいですか?」
「ただの確認だろうから常歩で進めといていい。止めるのはあちらさんがこっちに着いてからで大丈夫だ」
ゆっくりと馬車を進めていると、騎兵はすぐにこちらにたどり着く。
馬車を止めると、少し距離をとった左右と正面に位置取ってきた。
「こちらはパタゴ砦守備部隊である! 見たところ補給部隊ではなさそうだが、何用で参られた!」
「俺は冒険者のロイドだ! ブークリエ将軍に話があってきた! セリューズ軍団長からの手紙も預かっている!」
正面にいる守備部隊の人とロイドさんが声を張り上げるようにして話をしている。
……ぐんだんちょう? セリューズさんって軍団長だったのか……
馬車の左側にいた人が正面の人と何かを話して砦へと戻っていく。
「冒険者ロイドの名は知っているが、顔を知るものがこの場にはいない! しかし、セリューズ様の階級を知り、手紙を持っていることから砦の前まで案内させていただく!」
騎兵の人は少し距離を開けながら先導してくれている。
ロイドさんを見るとなんだか疲れているようだ。
「砦の人間は堅いんだよなぁ、肩がこっちまう。あ、そうだ、セリューズの旦那が軍団長ってのは内緒で頼む」
「途中から普通の村長だとは思ってませんでしたけど、隠す必要ありますか?」
「合言葉の代わりみたいなもんなんだ。この砦は冒険者もいるって話したろ。基本的にどこの誰かわからない冒険者は砦に入るのに条件がいるんだ」
条件とは、セリューズさんの階級を知っていること、手紙を持っていること、そして砦にいる師団長以上の人が一人でも知ってれば入ることができるらしい。
今は最初の二つの条件を満たしているので、あとはロイドさんの知り合いがいれば入れることになる。
「……つまり、もしロイドさんの知り合いがいなかったら、入れないってことじゃ……」
「大丈夫だ。おやっさんは絶対にいるはずだからな」
……おやっさん?
誰のことかを聞こうとしたが、騎兵の人にその場で待つように言われ、なんとなくタイミングを逃してしまう。
いつの間にか門の前に着いていたようだ。
門番の人も騎兵の人もこちらを警戒してか、視線を外すようすはない。
誰もしゃべらない沈黙の時間が続く。
そのまましばらく待っていると、門が少しだけ開いた。
砦内から伝言があったようで、門番の人たちが頷き、門の左右へと移動していく。どうやら砦に入れるようだ。
門が開き、騎兵の人についていく。
最初に馬小屋で馬車を降り、シュセットと一旦別れる。騎兵の人から剣を帯刀した兵士に案内役が変わり、指示に従いついていく。
パタゴ砦は外からだとほぼ壁しか見えなかったが、中に入るとたくさんの建物があるのがわかった。
その中でも目立つのは中央の建物だ。ひときわ大きく、それでいて周りとは色も違う。おそらく材質から違うのだろう。
それ以外だと壁に隣接している四本の塔も目を引く大きさだ。
塔は東西南北を見張れるように建っており、塔から壁に移ることもできるらしい。
ちなみに壁は中央の建物を中心に円を描くように築かれているとのことだ。
他にも塔の手前に大きい建物が見えたりと話には聞いていたが、かなり広いようである。
もしかしたらセルレンシア並みの大きさかもしれない。砦というものを見るのは初めてだが、ここまで広大だとは思いもよらなかった。
周囲を見ながら案内の人に続いて歩いていると、中央の建物にたどり着く。
建物は三階建てだった。
内装は綺麗だが、豪華という感じではない。華美な調度品なども見当たらないのはやはり砦だからだろうか。
階段を上り、最上階にある一室に案内される。どうやらここが目的地らしい。
「冒険者ロイドとその仲間をお連れしました!」
「入れ」
「はっ! 失礼します!」
案内をしてくれた人が扉越しに俺たちのことを伝えてくれた。
入室の許可がおり、ロイドさんを先頭に入っていく。
「おやっさん! お久しぶりです」
「……ロイド、その呼び方はやめろと言ったはずだが?」
「そこは諦めてもらうとして。おやっさん、こっちの二人がツカサと嬢ちゃんだ。ツカサ、嬢ちゃん、このいかつくて髪のない人がロシュ・ブークリエ将軍だ」
「ロイド……お前は私に殺されに来たんだな?」
ブークリエ将軍は椅子から立ち上がると、ゆっくりとロイドさんに近づいていく。
「冗談ですって、相変わらず堅いなぁ。あ、そうだ、これがセリューズの旦那からの手紙です」
「お前が適当すぎるんだ!」
ブークリエ将軍は手紙を強引に奪い取るとその場で読みはじめる。
顎に手をあてて、難しい表情だ。セリューズさんの手紙に何が書いてあるのか少し気になってしまう。
しばらくして手紙を懐にしまうと、ブークリエ将軍はこちらに向き直る。そしてほんの一瞬、厳しい視線を飛ばしてきた。
……気のせいじゃないよな? 今のは一体?
「改めて自己紹介をしておこう。私はこのパタゴ砦の総指揮官ロシュ・ブークリエだ。それで、きみがツカサ君だね。手紙にはきみが勇者であると書いてあるが事実だろうか?」
「……はい、事実です。魔王を倒すために女神カルミナによってこの世界にやってきました」
「ふむ……今の我々にとって戦力が増えるのは喜ぶべきことだ。しかも、それが勇者だというなら尚更だ。ただ……私は自分の目で確認しなくては信じられん性分でな。きみが勇者と呼ぶにふさわしいか試させてもらいたい」
「……何をすればいいんでしょうか?」
セリューズさんに勇者だと言った覚えはないが、たぶんロイドさんが伝えてたんだろう。
そのロイドさんは、左手で顔を押さえ、天を仰いでいる。
……俺は何をさせられるんだ。
「難しいことではない。私が指名した者と一対一で戦ってもらう。それだけだ」
「あー、おやっさん確認なんですが、おやっさんが指名した人であって、おやっさん自身が戦うわけではない?」
「ああ、セリューズとはいい勝負だったと書かれていたが、魔法無しで武器は剣のようだからな。師団長あたりがちょうどいいだろう」
「師団長か……ツカサ、どうする? 相性にもよるが、たぶん同じぐらいの強さだと思うぞ。少なくともおやっさんを相手にしなくていいなら勝ち目はあるはずだ」
状況的に断ってもいいことはないだろう。いい経験だと思って、胸を借りるつもりで戦ってみるしかなさそうだ。
……正直に言うと、師団長と軍団長の違いもよくわかっていないんだけどな。今の話とセリューズさんが軍団長だったことを踏まえると、たぶん師団長のほうが低い階級なんだとは思うけど。
ふと、アリシアの姿が目に入る。
胸の前で握りこぶしを作り、真剣な表情だ。
視線を感じたのか、こちらに気づき目が合う。すると、右の拳を小さく前に出し、口パクで何かを喋っている。
どうやら、応援してくれてるらしい。
これは……勝たないといけないな。
ロイドさんも強さは同じぐらいだと言っていた。胸を借りるつもりではなく、全力で戦って勝ってみせる。
「やります。全力で戦いたいと思います」
「いい返事だ。試合は訓練場で行う。ついてくるがいい」
ブークリエ将軍の後を少し遅れてついていく。ロイドさんはブークリエ将軍と並び何かを話しているようだ。
「ツカサ様、応援してます! ずっと訓練を続けてきたんです。今のツカサ様なら大丈夫です!」
「ありがとう。精一杯やってみるよ」
アリシアの応援を受け、今までの訓練を思い出す。
ロイドさんとの訓練では、防御や避けるだけでなく、受け流しやそこからの返し技も出来るようになってきた。
魔法についても動きながら使うことはまだできないが、発動までの時間はかなり短縮されている。距離さえ取れれば戦闘でも使えるだろう。それにアリシアと新しい魔法も練習している。
……強くなってるはずだ。不安はあるが、今までの成果を試してみよう。
足取りは軽くはない。若干の緊張もしている。それでも今までの訓練を信じて訓練場へと向かっていくのであった。
読んでいただき、ありがとうございます。




